搭乗記 アゼルバイジャン航空 B787エコノミークラス イスタンブール⇒バクー

トルコでの観光を終え、次なる目的地となるコーカサスの地へ。先ずはイスタンブールからアゼルバイジャンの首都・バクーへと飛び、ジョージア⇒アルメニアと周ってからイランへと抜けるルートでコーカサスを周ってきたいと思います。


アゼルバイジャンへは、1,106マイル・2時間45分の空の旅。

この区間は安定安心のターキッシュも直行便を飛ばしてますが、今回は少々の冒険をして未知なるアゼルバイジャン航空(J2)を利用してみることに。TKはいつでも乗れるけど、J2は今後も乗る機会に恵まれることは無さそうですからね。コーカサスの小国とはいえ、いってもソ連から独立した産油国の国営キャリアっすからJ2への期待値は高いっす。

トルコとアゼルバイジャンの経済的結び付きの強さを表すかのように、この区間はJ2だけでもデイリー3発。更にサビハ・ギョクチェンからもアゼルバイジャン航空の子会社的存在のButa Airwaysがデイリーで2発のフライトを飛ばしてます。トルコ⇔アゼルバイジャンってそんなに航空便の需要があるんすかね。

今回利用するのはISTを13:20に発ち、GYDに17:05に着くJ2 76便。J2はB767やB787といった大型機のビジネスクラスは“VIP Club”として差別化しているみたいで、A319やA320といった小型機のビジネスクラスより少々高い値付けとなってます。“Comfort Club”というのは、世間的に言うプレミアムエコノミーで、大型機のみに搭載。


地味に活動しているアゼルバイジャン航空のユーチューブページにもVIP Clubの紹介がありました。バクー⇔ニューヨークやバクー⇔北京といった長距離区間も飛ばしているらしいですが、これならオーバーナイトのロングフライトにも耐えられそうです。


今回の搭乗はステータス無しの丸腰で、キャビンクラスはエコノミー。荷物の重量を指摘されないかとかビビってましたが、担当者の対応がゆるゆるだったので全くの没問題。「イスタンブールはどうでしたかー?」「アゼルバイジャンでは何をされるのですかー?楽しんできてくださいねー」って、友達か!ってくらいフレンドリーな担当者でしたw

航空券を手にし、大混雑の中もみくちゃにされながら制限エリアへ。

搭乗開始まで10分ほどあったので、ゲート近くの免税店に立ち寄り酒を調達することに(試飲と美人のキャンペーンガールに釣られたw)。おっ、24トルコリラ(≒480円)とか安いやん!と見せかけてのユーロトラップで24ユーロ(≒2,900円)。店によってはリラ表記だったりするからタチが悪いっすw

しかも、飲んでみるとぶっちゃけ全然美味しくない。冷静に考えてワインはコーカサスで飲んだ方が良いだろう!と考えなおし、結果として試飲だけさせてもらうような形となったことへの罪悪感に苛まれながら手ぶらで搭乗ゲートへと移動することに。

このアゼルバイジャン航空、社歴は浅くて設立はアゼルバイジャン独立後の1992年、旧ソ連の国営アエロフロート・バクー支局から国営アゼルバイジャン航空として独立する形で設立されました。当初はアエロフロートから引き継いだ旧ソ連機メインでのやりくりだったのが、2000年代に入って東側からは決別じゃ!とばかりにオイルマネーにモノを言わせて次々と西側の機材を導入していき航路を拡大してきたそうな。背伸びしすぎた挙句にオイルバブルが弾けちゃったので破綻コースを辿らないかちょい心配ですが…バブル号ドリームライナーに乗り込んできたいと思います。


カスピアンブルーの塗装が曇り空に映えるJ2のB787、ちょうどファイナルコールとなったところで乗り込みます。

ひだり みぎ
ファイナルコールで乗ったのに、機内はアーマンド・ガララーガもびっくりするくらいガッラガラ。


横一列誰もいないどころか、こりゃ搭乗率1割程度ですわ。プレエコなんて誰も乗ってなかったし。カニバリゼーション起こしてLCCのブタちゃんの方に利用客が流れちゃってるとか?アゼルバイジャン語ではButa=豚ではないにせよ、イスラム教圏の国してButaなんて名前つけるからアッラーの祟りかもしれませんね。


ちな、可愛らしいButaちゃんの体は豚らしからぬスリムボディなEmbraer190。この日のエコ席はアゼルバイジャン航空のフライトより3割ほど安かったっす。



あたり前田のクラッカーですが、シートはエンブラエルと比べちゃうとB787の方が格段に良いんですけどね。

ひだり みぎ
いやー、それにしても乗客少ないなー。流石にトランジットか何かで遅れてくる乗客でも待ってるんだろーなんて思ってら、スカスカのまま機内アナウンスが流れてプッシュバックw ほんと数えるほどしか乗客いませんでしたw


気になる機内食はと言いますと、中の上クラスの質でした。メインのクリームパスタもさることながら、チョコチップとアーモンドスライスが入ったデザートが美味かったっす。中東の激キモ甘スイーツと違って、甘さの限度を弁えてらっしゃいましたねw

また、機内誌もちゃんとしてます。

いくら民族的にも宗教的にも歴史的にも取ること繋がりが深いとはいえ、One Nation Two Statesは言い過ぎぃぃぃ…と思ったけど、アゼルバイジャンの国旗の青色はトルコ民族を象徴するものだと聞いて妙に納得。あの国旗の青はカスピ海の青なんだと勝手に解釈してたわ。


機内食を食べて機内誌読んでゴロゴロしていたら、あっという間にアゼルバイジャンの首都バクーにアプローチ。無限に農家が広がる長閑な“火の国”アゼルバイジャン、どういった国なのか、期待に胸おどろらせながら市内へと向かいます。

オスマントルコ歴代スルタンの夢の跡 トプカプ宮殿

いよいよイスタンブール観光のメインディッシュとなるトプカプ宮殿へ。


世界を代表する世界遺産だけあって、チケット売り場からして激込み状態。人口密度でいったらディズニーより高いくらいで、入場前からゲンナリですわ。怪しい輩も多数湧いて出てくるし。

列に並ばずに入場する方法を知っているとか、私はプロのガイドであるとか。最初は面白がって相手してた怪しげな日本語使い達ですが、こうも多いと流石にうんざり。面倒くさいので中国人ぶって無視する作戦に打って出たら、相手も中国語に切り替えて話してくるというねw その言語能力、コミュ力、ゴリゴリの積極性を他に活かせよw と思ったけど、トルコでそういった才能を活かそうとすると観光客相手の怪しげな仕事をするのが一番儲かるんでしょうね。

激込みの上にウザったい輩に付きまとわれ、テンションだだ下がりの中でトプカプ宮殿へ。

小さな部屋が連なった建物と数多くの庭園で構成されるトプカプ宮殿。歴代のスルタンが増築に増築を重ねた為、異った時代の建築様式が混ざっているそうです。当時は約4,000人もの従者らが暮らしていたといわれていて、宮殿というよりは一つの町といった感じっすね。ヨーロッパのギンギラギンでゴージャスな宮殿と比べると全体的に質素な造りだし。

人が多すぎて辟易しつつも、人の流れに沿ってトプカプ宮殿一の見所である宝物館へ…と思いきや宝物館は改装中につきクローズ。エメラルドとダイヤがちりばめられたトプカプの短剣や、86カラットのダイヤモンドなど、オスマン帝国の栄華の歴史を伝える財宝の数々を見ることはできませんでした。もう一つのハーレムも激込みで入れなかったし…

ひだり みぎ
ひだり みぎ
失意のまま奥へ奥へと歩いていくと、庭園の木々の奥にひっそりと佇む離れへと辿り着いた。あの最強の帝国・オスマントルコの宮殿にしては地味でヨーロッパの豪華爛漫な宮殿と比べると物足りなさはあるけれど、これはこれで遊牧民族の宮殿らしくて良いのかね。庭園も多くて自然との調和も感じられるし。

オスマン帝国の栄華に思いを馳せるには、ちょっとゴミゴミしすぎてました。観光客の多いイスタンブールにあっても、ここだけは段違いの集客力があるようなので、人の少ない朝一に行った方が良いかと思います。

【トプカプ宮殿(Topkapi Palace)】

所在地:Sultanahmet, Fatih, Istanbul
公式サイト:https://millisaraylar.gov.tr/en/palaces/topkapi-palace
営業時間:
冬(10月30日-4月15日):09:00-16:45
夏(4月16日-10月29日):09:00-18:45

ビザンツ時代からの歴史が詰まったアヤソフィアと大宮殿モザイク博物館

続いては、イスタンブールの歴史の象徴・アヤソフィアへ。

知名度でこそトプカプ宮殿には劣るかもしれませんが、歴史的重要性という意味ではイスタンブール屈指の存在の建物です。キリスト教世界とイスラム世界との激しい覇権闘争の舞台として壮絶な歴史を辿ってきたイスタンブール、そのの為政者に翻弄され続けながらもイスタンブールの町の中心に立ち続けてきたわけですからね。

アヤソフィアの歴史、さらっとおさらいしておきましょう。

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360年 コンスタンティヌス帝が当方正教会の大本山として建造
404年 火災で焼失
415年 テオドシウス2世が再建
532年 反乱で崩落
537年 ユスティニアヌス帝が再建(現在のアヤソフィア)
1453年 コンスタンティノープルを征服したオスマントルコ帝国のメフメト2世がモスクに改装
1935年 トルコ共和国が無宗教の博物館として一般開放
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元々はコンスタンティノープル(今日のイスタンブール)を征服したコンスタンティヌス大帝によりそう当方正教会として建てられたのが、オスマン帝国が当地を統治することになりモスクとしてリニューアルオープン。20世紀になりトルコ共和国が建国されると世俗化され、無宗教の博物館として利用されることになりましたよ、と。

イスタンブールの長く壮絶な歴史の中で、為政者や宗教が変わっても常に信仰の中心で有り続けてきたわけですから、まさにイスタンブールの歴史の生き証人っすね。

アヤソフィア


トプカプ宮殿の入り口脇に威風堂々と建つアヤソフィア。尖塔の1本だけが赤いのは、この1本のみがメフメト2世により建てられたオリジナルのものだから。この1本のみが赤レンガで建てられて、後代に追加された3本の尖塔は石灰岩と砂岩で作られている為に白くなっているそうです。

ひだり みぎ
恐る恐る身廊へと歩を進めてみると、キリストとイスラムが融合した独特の厳かな雰囲気にただただ圧倒されます。

ひだり みぎ
メフメト2世がコンスタンティノープルを攻略すると、アヤソフィアの十字架は取り除かれ、キリストのモザイク画は漆喰で塗り潰さた。ギリシャ正教の大本山が格式高きモスクへと姿を変え、難攻不落と言われたビザンツ帝国千年の都がキリストの都からアッラーの都へと転換した。そう考えると、遥か昔から続くキリスト世界VSイスラム世界の争いの象徴ともいうべき存在ですよね、アヤソフィア。そう考えると、なんか鳥肌が立ってきます。


頭にショートケーキがのっかってますよ、でお馴染みビザンツ絶対倒すマン・メフメト2世。彼の名が語られる際には「破壊者」「キリスト教最大の敵」「血にまみれた君主」などおどろおどろしい枕詞がずらりと並べられますが、実際にはヨーロッパ文化への造詣も深い文化人で、町の攻略後の略奪行為を最小限に食い留めたり、捕虜となったビザンツ貴族の身代金を自ら払って解放を保障するなどの慈悲も示していたらしい。
総攻撃前には降伏開場も呼び掛けてるわけだし、更にはコンスタンティノープルを落とした後もキリスト教やユダヤ教も認めたり、破壊者というよりは逆に有能な文化人っぽい印象があるんすけどね、メフメト2世さん。現代でも貴重な歴史遺産をぶっ壊して回るテロリストがいるわけですし、真に野蛮で無知な暴君だったらアヤソフィアなんか、いの一番に破壊されていたことでしょう。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
ミフラーブ上部の半ドーム屋根の部分に、黄金に輝くキリストと聖母のモザイク画を発見。メダリオンに描かれた装飾アラビア文字の煌めきと同居する黄金のモザイク画が、イスタンブールの歴史の変遷と歴史の重みを感じさせてくれます。


熾天使の絵もバッチリ。



身廊の前室には10世紀のモザイク画“キリストと皇帝”。キリストを囲むように大天使と聖母マリアのメダリオンが描かれ、左には膝まづく礼拝中の皇帝の姿が。

ひだり みぎ
壁面には漆喰の下から出てきた金地のモザイク画が多数。モザイクを剥がさずに漆喰で覆い隠すだけに留めたオスマン帝国グッジョブ!


イスラム的幾何学模様の中に埋もれるように残る『聖母子、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世』のモザイク画。

ひだり みぎ
手すりの幾何学模様や金色に輝くアラビア文字が描かれた巨大なメダリオンがイスラムを感じさせるが…モスクのようでモスクではない、教会のようで教会ではない不思議で神秘的な聖なる空間。東洋であり西洋でもあるイスタンブールならではの博物館、個人的にはトプカプ宮殿より印象に残りました。

土産屋も、キリスト的な物とイスラム的な物が共に揃っています。


キリストグッズメインと見せかけての…

ひだり みぎ
ひだり みぎ
イスラムグッズギャラリー。街角の個人商店ではみかけないような、かなーり上質な品々も揃ってます。

【アヤソフィア(Ayasofya)】

所在地:Sultan Ahmet Mahallesi, Ayasofya Meydanı, 34122 Fatih/Istanbul
電話:+90 (212) 522 17 50
公式ホームページ:http://ayasofyamuzesi.gov.tr/en

大宮殿モザイク博物館

また、モザイク繋がりで言うと、アヤソフィアの近くある大宮殿モザイク博物館なる小さな博物館も見逃せません。
“大宮殿”と名前にあるのは、コンスタンティノープル時代に東ローマ皇帝が住んでいた宮殿跡地に残されたモザイク画が公開されているかららしいっす。

宗教的な意味合いは殆どなく、日常生活の一場面や神話の一部をモチーフにしたものばかりで、アヤソフィアのモザイク画とは違った魅力が味わえます。

7500万~8000万個のガラス粒やテラコッタ(1㎡あたり40,000粒!)を詰め込んで作られたビザンツ職人渾身の力作。


顔一個を表現するだけでも膨大な作業量を要することが分かります。


ヤシを取るオッサンの姿もこの通り忠実に再現。

ひだり みぎ
生々しい弱肉強食の世界。

ビザンツ宮殿跡!という点を楽しみにいったら失望すること必至ですが、当時の社会の雰囲気を味わうにはアリっすかね。20分くらいでサクッと見て回れる小さな博物館です。

【大宮殿モザイク博物館(Museum of Great Palace Mosaics)】

古代のお宝ざっくざく イスタンブール考古学博物館

続いてはイスタンブール考古学博物館へ。

世界でも十指に入る博物館だとトルコさんが自画自賛してるので、期待値は高いのだが果たして…。

世界でも十指に入るかはさておき、東西の十字路に栄えた全盛期のオスマン帝国の版図はメソポタミア、アラブ、エジプトという肥沃な三日月地帯も含んでいるので、ギリシャ・ローマ・ビザンティン時代の出土品だけでなく、シュメール、ヒッタイト、アッシリア、パルティアなど東西の貴重な美術品も多く収蔵されているのは確かでしょう。


元々は1891年にオスマン帝国の文化遺産を保護するための帝国博物館として勅令によって創立したという歴史もあってトプカプ宮殿の外庭という一等地にあるのだが、観光客で溢れ返っているトプカプ宮殿やアヤソフィアと違って訪問者は殆どいない。世界でも有数の博物館、やはり看板倒れだったか?

ただ、膨大な数の発掘品が収蔵されているのはやはり確かなよう。オスマン帝国が没落していった時代にイギリスやフランスによって貴重な遺産が略奪される姿に見かねたスルタンによる命令で、オスマンの威信をかけ各地からの出土品を収集して囲い込んできたみたいっす。

敷地内に入ってみると、建物の中に陳列し切れないのか、中庭にまで2千年前の貴重な遺産が規制線やガラスケースもなく無造作に置かれてましたw ゆるいなー、この感じ。まぁ遺産の国外散逸を防ぐという目的は果たせてるんで、これはこれでトルコ的には良いんすかねw

ひだり みぎ
残念ながら考古学博物館の本館は改装中でしたが、敷地内には3つの博物館が共存しているようです。

考古学博物館(本館・分館)
古代オリエント美術館
イスラム装飾タイル博物館

考古学博物館のチケットで3つの博物館が楽しめるので、ちょこっとだけ得した気分になりますね。

古代オリエント美術館


先ずは、古代オリエント博物館へ。

ひだり みぎ
古代オリエントというだけあって、アラビア半島やエジプト、メソポタミア、アナトリアからのシュメール、バベル、ヒッタイト文明など、イスラム以前の古代文化にかかわる展示品が中心。貴重な展示品も多いけど、床にゴロンと置かれてたりとラフな感じがまた堪らんっすねw

結構なお宝もあるんですけど、お宝をお宝と感じさせないあたりがトルコっす。古代オリエント美術を我らが遺産!とばかりにアピールして大事に展示する大英博物館やルーブル博物館とは大違い。

ちな、ルーブル博物館に展示されているオリエント美術の収蔵品リストはこちらのルーブル博物館公式ウェブサイトルーブル博物館公式ウェブサイトルーブル博物館公式ウェブサイトで確認できます。

古代オリエント博物館で最初に視界に入ったのは、古代アッシリア時代、アッシリア帝国の首都ニムルドで発掘されたティグラト・ピレセル3世の横顔。この二次元感とパンチパーマ感が古代メソポタミアっぽくて堪らんっす。


シリア北部のユーフラテス川の畔で見つかったアッシリア人の石碑。これは残虐行為で知られた恐怖のアッシリア人ですわ。めっちゃ強そうで悪そう。

ひだり みぎ
更に時代を遡ってシュメール文明の遺産。イラクのアッシュール遺跡で見つかったシュメールの守護神・ラマッスとシャルマネセル3世の未完成の像。

そして、シュメールと言えばギルガメシュ。ギルガメシュと言えばギルガメッシュナイト。

こいつこそはギルガメシュ!?と思ったけど、こちらはアッシリアの御仁。ピレセル3世~シャルマネセル5世の時代の政府高官で、Bel Harran Beli Usurという方らしい。
いくらマイナーキャラクターの遺産とはいえ、2,700年前の貴重な出土品が床に適当に置かれてるのに驚きを禁じ得ません。


こちらはバベルの塔やユダヤ人の捕囚でお馴染みバビロンにあるイシュタル門の施釉タイルの像。お宝もんがゴロゴロと並んでます。


妙に写実的で商人のように腰の低いおっさんはシュメール人によるアダブ王朝の統治者。今にも動き出しそうなくらいリアルです。

メソポタミア文明だけでなく、エジプト文明もカバー。

ひだり みぎ
古代エジプトといえばミイラ。木の箱の中に身体の一部分をミイラ化したものを入れ、セケルセケル鳥を上に載せる。こうすることで死人が不死になると信じられていたそうな。まさかトルコでミイラを見ることになろうとは。

紀元前13世紀にはエジプト新王国のラムセス2世がシリアに進出。ムワタリ2世率いる小アジアのヒッタイトと現シリア西部のカデシュで激突、史上初めて成文化された平和同盟条約が結ばれました。
条約は全18条。国境の明確化、領土不可侵、第三国から攻め入られた場合の相互軍事援助、政治的亡命者の引き渡しなどなど。エジプト側ではカルナック神殿にヒエログリフで刻まれた条約文が見つかり、ヒッタイト側では楔形文字で条約文が記された粘土板が当時のヒッタイトの首都で見つかってます。

これがその粘土板。お宝中のお宝なので、流石にこちらはガラスケースに納められてました。

『古より、神々はエジプトの王とハッティの大君との間に敵対関係を生じさせる事はしなかった。ところが、ハッティの大君、わが兄弟ムワタリの治世に、偉大なファラオ、ラムセス・メリアメンとの間に戦争があった。しかし、今日この日より、ハッティの大王ハットゥシリはラー神とセト神がエジプトとハッティの間に今後、永遠に戦いが起きないようにするために築いた条約に同意する。
我々の間に平和と友愛は永遠に守られるであろう。ハッティの子らとその子孫は偉大なファラオ、ラムセス・メリイアメンの子らとその子孫の間も平和であろう。なぜなら彼らも平和と友愛を守って生きているからである。』

エジプト側でもヒッタイト側でも記された条約の内容はほぼほぼ同じようですが、ヒッタイト側の文章では「エジプトが請うて講和に至った」と書かれ、エジプト側では逆のことが書かれているなど、互いに都合良く解釈された部分も散見されるそうなw

去年、韓国による日本製バルブへの反ダンピング課税に関するWTOの決定に対して日韓共に大々的に勝利宣言してましたが、どの国のどの時代でも為政者って本質的な部分は変わらないんすねw

イスラム・装飾タイル博物館



お次はイスラム感満載のタイル博物館へ。


ここでは、セルジューク朝~オスマン帝国時代の陶器やタイルが年代や産地別に展示されています。乾いた土色の出土品ばかり見てきたので、タイルの色彩が艶やかに映ります。


キュタフヤ、イズニク、チャナッカレの陶磁器を中心に約2,000点が展示されていますが、博物館というにはやや規模が小さすぎますかね。

考古学博物館

考古学博物館のメインホールは改装中でしたが、一番奥の別館的な建物には入ることができました。ギリシャ、トラキア、ビザンツ、シリア、パレスチナあたりでの出土品をメインに展示しているようです。
ひだり みぎ
暗がりの中に無造作に置かれた古代文明の権力者たちの石棺コレクションがいきなり目の前に広がり、お葬式会場のような独特の雰囲気。


お休みのところ失礼致します。精細な彫刻がびっしりと施された棺桶だけでなく、リュージュをしてるようなタイプの物も。何千年も前のものとは思えない程つるつるした棺で、かなーり不気味です。

棺の歴史に唸りながら奥へと進んでいくと、更に意味ありげな墓石が。

トルコ西部のアイドゥンで見つかった2世紀の剣闘士Mentor氏の墓石。
“私メンターは数々の名門スタジアムで皆を打ち破ってきた、そして、運命によって死を迎え、この墓に眠る”。
これだけ立派な墓石が遺されるわけなんで、ローマからやってきたスター剣闘士が遠征中に客死したとかなのかな。想像力が駆り立てられます。


トリポリで発見された2世紀の石棺。古代によくこんな精巧なものを作ったものだと感心しますわ。お目当てのアレキサンダー大王の棺や立像は改装中の建物中にあるらしくて見られなかったすが、それなりに楽しめました。


敷地内の土産物屋もなかなか内容が充実してました。ポストカードや栞も1枚40円程度と良心的な値付けですし、外の土産物屋で売ってるものよりクオリティが高かったです。

ひだり みぎ

ソクラテス先生とエロスの夢の競演。ソクラテス時代のアテナイはトルコ関係ないだろ!という突っ込みは無し。

ヨーロッパ大陸とアジア大陸とに跨り、太古の昔から東西大国の影響を受け続けてきたトルコ。その考古学博物館だけあって内容は非常に充実してました。
古代ギリシア~ローマの古典美術から、メソポタミア、エジプト、アナトリア各地の遺跡で見つかった数千年前の発掘品まで、東西で見つかった様々なお宝を鑑賞できるのはトルコの博物館ならではじゃないですかね。人気無いみたいですが、個人的にはお勧めの博物館です。

【イスタンブール考古学博物館(Istanbul Archeology Museum)】

所在地:Cankurtaran, Alemdar Cad. Osman Hamdi Bey Yokusu Sok, Istanbul
電話:+90 212 520 77 40
入館料:50リラ(≒860円)
開館時間:09:00-20:00(4月~9月)、09:00-18:00(10月~3月)
休館日:月曜日

スレイマニエモスク、ブルーモスクと日本語を話す詐欺師たち

さて、いよいよガラタ橋を渡ってイスタンブールのヨーロッパ大陸側旧市街地へと入ります。

旧市街地にはスレイマニエモスク、ブルーモスク、トプカプ宮殿、アヤ・ソフィア聖堂とイスタンブールが誇る観光目玉のオールスターが目白押し。世界史の授業でも出てきた歴史の大御所たちを目の前に、否が応でもテンションが高まります。

空気がガスってて残念ですが、金閣湾に架かる橋の上からもスレイマニエモスクの巻き糞シルエットもくっきり!いよいよ旧市街地に上陸じゃ!

スレイマニエモスク

ひだり みぎ
うっかり巻き糞のようなフォルムしてるなどと言ってしまいましたが、スレイマニエモスクは泣く子も黙るスレイマン大帝の命令によりトルコ史上最高の建築家が設計したイスタンブールを体表するモスクであり、オスマン建築の最高傑作ともいわれているとか。

ひだり みぎ

残念ながら礼拝の時間と被ってしまった為にモスク内部には入ることができず。しょんぼりとモスクのある高台からの絶景を堪能していると…

ここでも、日本語で話しかけてくる怪しい輩がどこからともなく大量に湧いて出てきました。もうね、ちょっとバタくさい顔した日本人ですか?って思えてくるくらい皆さん普通に日本語しゃべってましたよw

俺ならお前をモスクの中に入れてやれる!と言いだす不届き者や、日本語で勝手にモスクの説明をしだす強制ガイド、写真を撮ってくれないか?一緒に食事をしないか?といったトルコの田舎から出てきた観光客を装う系詐欺師、観光客向けにリーズナブルなプライスの土産物屋を営んでるとホラを吹いてぼったくる極悪商売人などなどが次から次へとやってきて、トルコ式コントなのか?と思ったり。

イスタンブールに滞在した2日間で、誇張なく20人以上の輩から話しかけられたと思う。一々カウントする気にもなれないくらい、怪しげな男たちがイスタンブール十に大量発生しております。

そんな輩たちにもパターンがあったので、グルーピングしておきます。

初級:ガイド、土産物屋系
1、「日本人ですよね?」「イスタンブールは初めてですか?」と気さくに話しかけて来る
2、  日本好きをアピール
3、「イスタンブールでは、知らない人に着いていったら危ないよ」と、親身アピール
4、「オフィシャルガイドなんだ」「土産物屋を経営してくるんだ」と誘ってくる

日本人利用客による手書きの感謝状的な小道具を持ち出す輩もいるけれど、基本、こいつらは戦闘力低めの雑魚。テキトーにあしらっておけばあっさりと諦めてくれる。
知らない人に着いていっては危ないと語りかけつつ話し始めてから1分で土産物屋に誘いこんでくるあたり「いや、お前も知らない人やん!」と突っ込んでほしいとしか思えないですが、イスタンブールで一番多いパターン。

中・上級:手の込んだ観光客装い系
1、「観光客ですよね?一緒に写真撮りません?」と自然な感じで話しかけてくる
2、「私もちょうど今日イスタンブールに着いたばかり。イスタンブールは歴史があって良い町だよな!」などと観光客を装い、共感を得て警戒心を解こうとする。
3、「ちょっと今から一杯どう?一人で行ってもつまらないし。」と誘ってくる

ここでのポイントは、「別に強制じゃないし、もし時間が合えばどう?」くらいに、ヤンワリと控えめに誘うことで客引き感を抑えようとするテクニックを駆使してくる点。あくまで、観光客を装い同じ立場で話すことで警戒心を解くという巧妙な手口で、あわや気を許しそうになります。

日本アピールも「日本に行ったことがある」とか「日本に親戚」がいるといった典型的なパターンではなく、軽~くサラっと日本好きアピールをして友達になろうとしてくるんで、真心から友達になりたいと思ってる人との判別が付かないのが難しいんですよね。
「2020年のオリンピックでは東京とイスタンブールが最終候補に残ったけど、俺は東京が勝って良かったと思ってるよ!」とか。でも、こうやって話し始めたとしても、話の行き着く先は決まって「Let’s go drinking!」。

現地の人と仲良くなるのは旅の醍醐味の一つでもあるので、難しいところなんですけどね。でも、こういう輩があまりに多すぎて、話してて途中から「あー、きたー、型にはめようとしてきてるー。クロージングかけてきてるー」なんて思っちゃうわけですよね。で、そこから繰り出される案の定の「Let’s go drinking」w

いや、普通に友達になりたいと思って話しかけてきてる可能性も微レ存ですが、バーに着いていった人の中では十万円単位でボラれたり、睡眠薬を入れられたりって被害に遭った方も多いみたいなので、着いていかないにこしたことないっす。

旧市街地にはこういった輩が多く潜んでおりますのでお気をつけください。

【スレイマニエモスク】

所在地:Sleymaniye Mah, Prof. Sıddık Sami Onar Cd. No:1, 34116 Fatih/Istanbul

スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)

続いてブルーモスクことスルタンアフメットモスクへ。

オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世の命によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造されたブルーモスク。当時のイスラム世界の暗黙の了解では総本山のメッカ以外のモスクでは通常4本までしかミナレットを立てられないことになっているそうですが、ここブルーモスクのミナレットは掟破りの6本。

流石、大正義オスマン帝国のスルタンの名を冠したモスクだけあって型破りなことするなーと思いきや、スルタンアフメトモスクが6本のミナレットを持つ唯一のモスクとなった理由はまさかの設計ミスw 「アルトゥン(黄金)のミナレットを作れ」とのアフメト1世の指示を、「アルトゥ(6)のミナレットを作れ」と設計者が聞き間違えたことによる偶然の産物なんだそうです。

ミナレット6本は流石のスルタンでもバツが悪いと思ったのか、当時、同じく6本のミナレットを有していたメッカのモスクにミナレット1基を寄贈したのだとかw

あ、因みに、エルドアンさんが支援して造られたというトルコのモスクで最大規模となるチャムルジャ・モスクが2019年に完成しましてね。こちらも見たらミナレットが6本になってましたw 流石、オスマン帝国時代の栄光を取り戻すべく立ち上がった漢、下手したらオスマン帝国の君主よりやりたい放題やってる感ありますよねw


そんな発注側と受注側の意思疎通不足により生まれた特徴あるブルーモスク。ブルーモスクというくらいだからクアラルンプールのピンクモスクやブルーモスクくらいのインパクトを期待してたんですが、ブルー感は極めて希薄。内装にはイズニックタイルと言うトルコ製の青いセラミックタイルが使われてるみたいですど、外から見るぶんにはどちらかといえばグレーモスクといった控えめな佇まいっす。


ブルーモスクのオフィシャルサイトを見ても、ブルー感は控えめ。なんだったらスレイマニエモスクの方がブルーモスク感あるくらいっすわ。

【スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)】

開館時間:公式サイト参照
所在地: Sultanahmet Mah At Meydani Cad No: 7, Istanbul 34122

神聖なはずの歴史的モスクも、怪しげな日本語使いの狩り場みたいになってて幻滅です。