バンコクエアウェイズ PG710 マンダレー⇒バンコク 搭乗記

1週間超に渡るミャンマー旅行も遂に最終日を迎え、この日はマンダレーからバンコク経由で羽田へと帰還する。


先ずはバンコクエアウェイズでマンダレー⇒バンコク間の635マイルを飛ぶ。635マイルとなると新千歳⇒名古屋以上、新千歳⇒大阪未満の距離で、地味に2時間以上かかってくる。


マンダレー国際空港へは宿泊先で手配頂いたタクシーで。市街地から南に40km以上も離れており、運賃も12,000チャット(≒1,000円)と交通機関を比較的安く利用できるミャンマーにしてはお高め。まぁ40km超をタクシーで走って料金1,000円とか先進国に比べれば鬼安いんだけど。

マンダレー国際空港

ひだり みぎ
途中で渋滞に巻き込まれながらも1時間程度で到着したマンダレー国際空港。ここは三菱商事とJALUXが主導するコンソーシアムが空港の補修改善・運営・維持管理を請け負っているそうだが、広告関係は中国系メーカーのものがやけに目立つ。


流石はジャパンクオリティ、“マンダレー国際空港のイメージを向上する為に…”ポーターサービスを根絶したようだ。途上国の空港あるあるで、客の荷物を盗み取るようにしてちょっとだけ運んだだけで高額請求をしてくるようなポーターもいますからね。先ずはここにメスを入れたのかなw ジャカルタのスカルノハッタ国際空港あたりもあのポーター達がいないだけで少しは雰囲気が変わりそうなもんだがなw


空港自体はわざわざ日系民間資本が管理する必要があるんかよと思わせるような小さな規模。こんな年間利用者数が100万人そこいらの小さな都市の空港の管理利権をおさえたところで金の生る木になるとは思えんので、特に三菱商事はこの受注だけで得を取ろうとしたわけではないのでしょう。これからもがっつがつミャンマーの発展に貢献していって下さいませ。

チェックイン


今回利用するバンコクエアウェイズは似たような時間帯にチェンナイにも飛ばすようで、チェックインカウンターには行列ができていた。しかし、何故だかオンラインチェックインしてたらプライオリティレーンが使えたようで、行列を後目にサクッと搭乗券を発行頂けた。

ひだり みぎ
JALへのマイル登録手続きや座席の事前指定もばっちりできるので、事前のチェックインをお勧めする。


フライト出発時刻の24時間前~1時間前まではモバイルチェックインが可能。

ひだり みぎ
搭乗券を入手し、保安検査と出国手続きも問題無くクリアして制限エリアへ。一応は国際空港とあってそれらしい免税店が並んでいるが、商品の品揃えはしょぼい。誰もわざわざマンダレーで化粧品とか買っていかないっしょ。

ラウンジ:Cafe de Mandalar

バンコクエアウェイズではエコノミークラスの乗客でもラウンジが利用できる点については先日にご紹介をさせて頂いたばかりだが、これって自社ラウンジの無い空港でも提供されるサービスなのな。気合入り過ぎだわ。

マンダレー国際空港の指定ラウンジはCafe de Mandalar。

ひだり みぎ
ただ、案の上、激混みっすわな。全席エコノミークラスのA320(座席数162)がヤンゴンとチェンマイに飛び、共に搭乗率を50%と低く見積もっても162人が利用対象者となるわけですから。下手したら、ラウンジの外の方が人口密度が低くて居心地が良いという逆転現象も発生し得るぞ。


このラウンジは基本的にはレストラン&カフェとして運営されてるので、ラウンジ利用客用のミールコーナーも激狭。ミールも具が殆ど無い貧弱極まりないハムサンドイッチ、ポップコーン、スイカ、バナナに、ドリンクは水、オレンジジュース、ミロ(みたいなもの)のみと、期待はしてはいけません。なんたって誰だって入れるラウンジですからね。

ひだり みぎ
誰でも入れる大衆ラウンジなので、文句を言うのはお門違い。寧ろクッソ安い格安運賃で乗ってるのにラウンジに入れてくれてありがとうくらいの感謝の気持ちでいた方が良いでしょう。


こんなしょぼメシ誰が食うんじゃ!という御仁には有料メニューも用意されている。隣の香港人が点心のしょぼさにガチ切れてたので内容は推して知るべしであるが。てか、こんなとこで点心を頼む方が間違いだと思うけどなw

【Cafe de Mandalar】
Services Hour : 08:00 – 18:00
Location : Cafe De Mandalar, International Departure Area.

フライト:PG710 マンダレー⇒ヤンゴン

ひだり みぎ
ミャンマー入りする際に利用したバンコク⇒ヤンゴン路線と同じく機材は全席エコノミークラスのA320。機体は現地人のビジネスマン、白人旅行者、謎の華僑たちでほぼほぼ埋まっていた。

ひだり みぎ
機内食は蝦カレー。普通に美味しかったし、サラダやデザートのボリュームもあって非常に満足できる内容だった。今回利用するまでバンコクエアウェイズってLCC寄りのキャリアかと思ってたけど、とんだ間違いだったようだ。これはAsia’s Boutique Airlineですわ。


また、客室乗務員さんの愛想も抜群に良ければ、機内販売のオリジナルグッズに入った飛行機マークのロゴも地味に格好良い。今になって思うとどこで着る機会があるのだと思うのだが、Tシャツまで買ってしまった。

ひだり みぎ
Asia’s Boutique Airline、お勧めです。


バンコクで降機した先ではローヤルブータン航空も捕獲できたし。大満足でミャンマー旅行を終えることができました。

アマラプラのウー・ベイン橋とマンダレーのマハムニパゴダ

ザガインインワとマンダレー周辺の古都を巡り、この日最後の目的地であるアマラプラへ。

アマラプラは、ビルマ王朝が点々と都を移し続けていた18-19世紀の動乱期に1783~1823・1841~1857年と二度に渡り短期間ながら王都が置かれていた古都である。ただ、1857年にヤダナボンへと遷都する際に主要な建物が全て分解され新都へと運ばれた為、アマラプラには王宮などの遺跡は残っていないそうだ。その為にどうしても見所が薄い印象を持ってしまうが、同国最大規模のマハーガンダーヨン僧院、巨大木造橋ウー・ベイン橋、手織り工房などなどの観光名所があるらしい。

よっしゃ、いざアマラプラへ!と思いきや、途中で幹線道路を外れて農村へと入っていくバイタクドライバー。知り合いの家が近くにあるからお食事でもしていきましょうよってw


知り合いの家というか僧院じゃねえか、ここ。


たいそうな馳走が振る舞われて恐縮していたが、たんまり食っていきなさいとのことだったのでお言葉に甘えて素手でご飯をがっつかせてもらうことに。

腹ごしらえを済ませたドライバーは絶好調モードでバイクをすっ飛ばす。
ひだり みぎ
4人乗りの原付やバイクを後ろに積んで走るサーカス的なバイクと並走すること30分、アマラプラの町に到着した。


アマラプラのタウンタマン湖。湖上には小舟が浮かび、湖の畔では牛が草を食む牧歌的な風景が見渡す限りに広がっている。

こちらがアマラプラ名物のウー・ペイン橋。ウーベインとは、インワからアマラプラへと都が遷都された際のお偉いさんの名前。インワの旧王宮に打ち捨てられたチーク材をアマラプラまで運び出して橋を架けるよう命じた人物だそうだ。国土交通大臣的な役割の人物だったのか知らないが、1841年の遷都時に建てた橋が今日まで地元民に使われ続けるだけでなく観光名所として地域経済を活性させているのだから、先見の明のある人物であったのだろう。

乾季だったから橋の脚の部分が完全に見えているが、雨季の真っただ中には足の下まで完全に水で覆われるくらいの水量になるらしい。チークの丸太を打込んで上部にスノコ状の板を渡しただけのシンプルな造りで、水位変化の激しいミャンマーでは雨季の洪水で簡単に崩壊しそうなもんだが…



ずーっと果てなく続くウーベイン橋、その長さはなんと1,200メートルにもなり、木造の歩道橋としては世界最長のものとされてる。足元に目をやるとちょっとずつ壊れていたり隙間があったりするし、湖畔で風も強く欄干も無いことからちょっとでも油断すれば落っこちてしまいそうなスリルを味わえる。

また、橋の上から眺めるサンセットが美しいことでも知られているようなんだけど、どうせこの季節はガスってしまっているのだろうと諦め、昼過ぎにして早々にマンダレーへと戻ることに。

【アマラプラ ウーベイン橋】

マハムニ・パヤー(マハムニ・パゴダ)

マンダレーへと戻る途中、少しだけ時間があるなら是非お立ち寄り頂きたい場所があるとドライバーに言われ、道中にあるマハムニパゴダなる寺院へと立ち寄ることに。

マハムニパゴダは、マンダレー最大にして最重要のパゴダ。コンバウン朝第6代ボードーパヤー王(在位1782-1819年)がビルマ南西部のヤカイン地方を制圧した際、ヤカインの都から招来したマハムニ仏を祀る為に創建されたらしい。


本堂の奥の一段高い所に本尊のマハムニ仏があり、沢山の男性が金箔をペタペタと仏の体に張り付けていた。なんでも、自分の体の悪いところに貼ると病が治るということらしく、長い年月を掛け人々の手によって金箔が貼られ、現在の金ぴかの姿となったようだ。


丸いアーチの向こうに見える金色に輝く御本尊。遠くからでも異様な輝きを放ってるのが確認できる。


御本尊が祀られるエリアは女性禁止。その代わり、男衆が金箔を貼りたくる姿は固定カメラで撮影されたうえであちこちのモニターでライブ放映されていて、女性陣はその様子を固唾を飲むように見守っていたw

マハムニパゴダには本尊が祀られる本堂以外にも多数の建屋があり、それぞれが博物館や美術館のようになっている。

ひだり みぎ
ヤカイン地方から山を越え川を越えやってきたマハムニ仏陀を描いた絵画。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
こちらも戦利品なのか、それとも交易品なのか。宝物殿的な建物には中華風な物からタイ風・ミャンマー風のものまで様々な芸術品も展示されている。

こちらは仏教世界のジオラママップ。

インドで生まれた仏教がアジアに伝播していく様子を表わしたもの。背後には天上世界へと続く大階段が設けられている。アジア全域の平穏を願うミャンマー仏教の世界観を示しているのだろうが、なんかアジアの仏教圏て仏像の激しい奪い合いをやってきて、略奪した仏を戦利品として滅茶苦茶誇らしげに展示してたりしますよね。それこそここのマハムニ仏やらバンコクのエメラルド仏やら。


このクメール様式の青銅像も、カンボジアのアンコールワットからタイのアユタヤ、ミャンマーのバゴー、ヤカイン、そしてマンダレーとその時代の勢力によって所有者が代わるなど、度重なる引越しを余儀なくされ難儀な人生を過ごしてきた。こんな奪い合い、仏は望んでないだろうに。

おまけ程度に立ち寄ったマハムニパゴダだったけど、思いの他いろいろあって楽しめた。金箔を貼ったり、自分の誕生曜日の仏像に水をぶちまけたり、三蔵経のライブラリを見学したり。ミャンマーの仏教事情をうかがい知ることができるので、マンダレー観光の合間に一度は足を運んでみては良いのでは。

【マハムニパゴダ】



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古都インワの町の見所を馬車で巡る

ザガインでの簡単な観光を終え、続いては同じくビルマ族の王都として栄えた歴史のあるインワという町へ。

インワは1364年に都となって以来、途中何度かの中断はあったものの約400年間もの間に渡ってビルマ族の都として栄えた古都。当時の僧院やパゴダなどの王都時代の遺構を馬車で巡るの人気アクティビティになっているようで、今回巡るザガイン・インワ・アマラプラの中では一番楽しめそうな町である。


ザガインからインワ橋を渡り、川沿いに続く一本道を一路南へ。インワはエーヤワディー川の支流の対岸にあるそうで、一本道の突き当りにある埠頭からは一人で渡し船に乗っていくようにとバイクを降ろされた。


位置的にはこんな感じ。四方を川と運河に囲まれた要塞のような造りとなっているが、1.0km×2.5km程度と面積的には非常に小さな町である。


客が集まった時だけ不定期に運行しているような渡し船で対岸へ。観光客向け運賃は往復で1,200チャット(≒100円)。他にもバイタクで来た観光客がこの埠頭でドライバーを待たせていたので、「埠頭でバイタクを降りる」⇒「渡し船で対岸のインワへ」⇒「インワ内を馬車で観光」⇒「渡し船で戻ってきてドライバーと合流」というのがインワ観光の基本コースのようだ。


自分でバイクを運転する場合はマンダレー方面から橋を渡ってインワへと行く方法もあるみたいだけど。まぁ渡し船の方が旅風情が感じられて良いでしょう。

一応エンジンを載せた船は、ゆっくりゆっくりと緑に濁った川を渡る。

同舟となった現地人とぷかぷか船に揺られること5分程。対岸に着くと、物売りがしっかりしとスタンバイ。下船するなり何人もの若い物売りに囲まれた。主な商材は仏具やインワで取れるという翡翠の加工品、木彫り人形に旧日本軍の軍票などなど。少しでも商品を覗くような仕草をすると、「20ダラー!」といった感じで交渉の土俵に無理やり上げられてしまいそうになり、どこまでも付きまとってくる。思わせぶりだと解釈されるような行為は厳禁で、本気で買い物を楽しみたい人以外は物売りを断固としてスルーすることをお勧めする。


埠頭からまっすぐ進むと馬車の停留場に辿り着く。馬車の料金は馬の体格や御者の力量といった個体による差はないようで、基本的にはヤタナーシンメ・パヤー、バガヤー僧院、ナンミイン監視塔、マハーアウンミェ僧院の4箇所を1時間で巡って一律10,000チャット(≒800円)。バイタクを半日貸切ってザガイン・インワ・アマラプラを巡る料金と殆ど変わらない超強気な値段設定だが、競合効果が働くような市場じゃないからな…ここは言い値で受けるしかないであろう。


数いる馬の中でもしっかりした肉付きで行き振り良さそうな馬をチョイス、ベテランの御者に案内をお願いしようとしたところ、敬老精神の欠片も無い若者が無理やりベテランを蹴落として御者台に就きやがった。こういう時の若者は非常にがめつい場合が多いので嫌な予感がしたのだが、案の定、降りる前に「1時間を過ぎたので料金20,000チャットになる」とか言い抜かしてきやがった。看板には1時間を超えた場合の超過料金に関する記載など一切無いし、お前が途中でどっかに行って私が待たされた時間を抜かせば1時間以内だったろうと。最後の見所でどっかに消え去って出発を後らせたのも、この値段釣り上げの為だったと思うとあまりの自分勝手さに腹が立ってくる。こっちは対岸に運転手を待たせているというのに。

話は逸れたが、馬の走りっぷりについては概ね満足のいくもので、ゆっくりゆっくり蹄の音を刻みながらインワの町を駆けていく。
ひだり みぎ
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何十年も前にタイムスリップしたようなゆっくりとした現地民のスローライフが垣間見えるインワの村落。こここに400年ものあいだ王都があったとは到底思えないほど廃れているが、これがまた良い野生のアジア感を出しているというか。

ヤタナーシンメ・パヤー

第一の見所は、ヤシ林に囲まれたヤタナーシンメ・パヤー。馬を降ろしてもらい、一人で遺跡へと入り込んでいく。基本的には御者は馬を操るだけが仕事で、各見所でのガイドは業務内容に含まれていないようだ。

田園地帯の中で打ち捨てられた廃墟といった風情の仏塔群だが、現地民2人が静寂の中で一心不乱にお祈りを捧げている。

ひだり みぎ
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この廃れ具合がなんとも言えない哀愁を漂わせている。

続いて、田園地帯の更に奥へ奥へと踏み込んでいく。

ひだり みぎ
遺跡の町だと思っていたけど、平らな土地をうまく使った豊かな田園地帯が広がるインワ。バナナと米作で有名な農業地帯らしい。三毛作というのも驚いたわ。

バガヤー僧院

続いてやってきたのはバガヤー僧院。1834年に建てられた木造建築の僧院である。
ひだり みぎ

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現代でも世界三大銘木と称されるチークをふんだんに使った贅沢な僧院。状態も非常に良く、とても1834年に建てられたものとは思えないのだが…これも耐久性に優れるチークの成せる業なのだろうか。チークの家具はきちんと手入れすれば一生モノって言われてるくらいだし。現代でこんな壮大な建造物を総チーク製で建てようと思ったら何十億円するのだろうか。

ひだり みぎ

ひなびたチークの落ち着いた色調と背の高いヤシの木が風情たっぷり。大地震で放棄された都市だそうだが、日本人にはミャンマーの黄金に輝く寺院や仏塔よりもしっくりくる。

ひだり みぎ
267本もの巨大なチーク材でできた柱で支えられるお堂。その中の薄暗い空間には立派な仏像が安置されていて神秘的な雰囲気が演出されている。

ここからは城壁の西門を通ってナンミイン監視塔へ。

当時、煉瓦造りの要塞には12の門が設けられていたというが…いくらなんでも真新し過ぎるので、これは最近になって復元されたものだろう。ただ、バガンのタラバー門もそうだったけど、この時代の前後にビルマ族によって築かれた城壁や門は非常に重厚だったみたいだな。

ひだり みぎ
馬から振り落とされそうになりながら道なき道を行くと…


バナナ畑の奥に何か見えてきた。

ナンミイン監視塔


バーヂードー王によって1822年に建てられた。高さ27メートルの監視台。1838年の自信で一部損壊して傾いてしまったようで、今では上に登ることはできずに下から見上げるのみ。

ひだり みぎ

監視塔の前に出ていた土産物の方が印象に残ってる。様々なハンドメイドのお面や仏像なんかが売られていて、思わず古代ビルマ人を模った木工の像を買ってしまった。これもどうかと渡された塗装の禿げたアンティーク風な缶コーラは不要だと断りましたけどw

マハーアウンミェ僧院


最後にやってきたのは、1818年に建立されたレンガ造りのマハーアウンミェ僧院。


馬車でのんびり走っていると400年も都があった町とは思えない光景が続くのだが、オークル色の煉瓦にびっしりと精美な漆喰彫刻が施されたこの僧院からはかつての栄華がビンビンに伝わってくる。

ひだり みぎ
どの角度から見ても凄い迫力で、 まるでお城のような僧院。至ることろに手の込んだ装飾をみることができる。

ひだり みぎ
内部は幾重にも回廊が張り巡らされている。

ひだり みぎ
中央にはお決まりの仏像コーナーが。

僧院を見終えて馬車に戻ると前述のトラブルが発生。御者が馬を残してどこかに立ち去りやがったじゃないか。トイレか飯にでも行ったのかと待っていると、10分後に何食わぬ顔で戻ってきた。それでですよ、別れる段になって1時間を超えたから料金が倍になるって言いだしたの。確かに出発から1時間5分程経過してたから、この小僧がいなくならなければ1時間以内だったし。というか、そもそも1時間を超過したら料金が2倍になるなんてルールすらどこにも書かれてないし。今日日、悪質な時間制ぼったくりバーでもこんな手口を使わんだろ。
ひだり みぎ
まぁこの御者とのトラブル以外は非常に楽しめたかな。さくっと回るだけなら1時間。マンダレーからも1時間足らずで来れますし、お勧めの観光スポットです。



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マンダレーからバイタクで仏教の聖地ザガインヒルへ

今日はマンダレー二日目。マンダレー自体にはこれと言って見るべき内容は無いようなので、ザガイン、インワ、アマラプラという過去に王都として栄えたマンダレー近郊の古都をバイクで周遊することに。

A:マンダレー
B:ザガイン
C:インワ
D:アマラプラ
マンダレーからバイクや車を使って3都市を巡るのが人気らしい。フルコースだと朝一でマンダレーを出てアマラプラのマハーガンダーヨン僧院の食事風景を見学し、次にインワ鉄橋を渡ってザガイン。ザガインで昼食を摂った後にインワ観光を市、最後にアマラプラに戻ってウーベイン橋でサンセットを見るといった感じで終日拘束されるようだが…自分はマハーガンダーヨン僧院とサンセットを削って半日で周ることにした。

《いくつもの王都がおかれたマンダレー周辺》
ミャンマー最後の王都マンダレーだけでなく、マンダレー周辺のはザガイン、インワ(アヴァ)、アマラプラはそれぞれ王都として定められたことのある歴史ある町だ。残念ながら木造建築は朽ち、石などで建てられた寺院や仏塔は地震で崩れ、往時の様子を偲ばせる遺物はそれほど多くない。

地球の歩き方から引用。


とはいえ自分でバイクを借りて運転する土地感も勇気も無かったので、この日も昨日のバイタクのオッサンにお世話になることに。言葉が通じずに都合が悪くなると笑顔+サムズアップで何でも済まそうとするきらいがあるが、まあ性根は良い奴そうなのでね。運賃も3箇所周って12,000チャット(≒1,000円)と日本人感覚的には非常に安かったし。

朝早くから交通量の多いマンダレーの町をバイクでスイスイと走っていく。

最初の目的地であるザガインは、エーヤワディー川西岸にある古~い仏教都市。その歴史は古く、1322年にシャン族の王が今日のザガインの地に城塞を築いたのが始まりとされる。その後、ビルマ族の王朝が不安定な時代を迎える中で王都も遷都に次ぐ遷都を繰り返し…1760年にコンバウン王朝第二代王によって再びザガインが王都として定められた。王都としては短命に終わってしまったようなのだが、それでもザガインの町の至る所に官製パゴダや僧院が建てられ、今日の仏教都市としての基礎が作られたらしい。


新インワ鉄橋を渡りエーヤワディー川の対岸へ。川の少し上流には元々1934年にイギリスが建てたとされる旧インワ鉄橋もあるが、現在では主にこちらの新しい鉄橋が使われているようだ。


大小様々な仏塔が輝く対岸の小高い丘が、ザガインの象徴であるザガインヒル。マンダレーヒルと同様に丘全体が仏教の聖地となっていて、150以上ともいう仏塔と僧院で多数の僧侶が修行に励んでいるそうだ。



山の麓でバイクを降り、ザガイン入域料として3,000チャット(≒240円)をお支払い。ミングォンという同じくエーヤワディー川の西岸にある古都への入域料も兼ねており、5日間有効となっている。

ひだり みぎ
遺跡風の古ぼけた仏塔から現役で立派な金の仏塔まで盛り沢山のザガインヒル。

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麓から歩くと40-50分程かかるとのことだったので、中腹にあるこちらの廃墟の前までバイクで送ってもらって楽をすることに。


中腹というかもう八合目付近まで来ていたようで、10分ほど山登りをしてあっさり頂上に到達したw

頂上には13世紀頃に建立されたというサンウーポンニャーシン・パゴダ(Swan Oo Pon Nya Shin Paya)が。


マンダレーヒルのスタウンピーパヤーもそうだったけど、マンダレーの寺院は涼しげなモザイクタイルが特徴的なのかな。緑を基調としたピカピカのモザイクが、どこかペルシャ当たりのモスクを彷彿とさせる。


裸足になって、外のテラスをぶらぶらと散歩。2月の中部ミャンマーは乾季から暑季へと季節が移り替わる最中であり、朝晩こそ最低平均気温17℃と冷え込むが、日中は最高平均気温33℃と結構な気温に。

ひだり みぎ
テラスには心地よい川からの風が吹き込めて居心地が良い。見晴らしも良いのだが、残念ながらこの日もちょっとガスっちゃっていて遠くが霞んでる。快晴であれば遠く離れたマンダレーヒルまで見渡せるとのことだったのだが…



ひだり みぎ
ステンドガラスでギラギラ。なにげなく散歩するだけでリフレッシュできる清々しさというか清涼感がある。

ひだり みぎ

涼しげな美白美顔タイプから、金銭的な利益を与え賜ってくれそうなメタリックタイプの仏像まで、多種多様な仏像が信仰の対象。これだけ仏像タイプが多岐に渡るのはミャンマーくらいのものじゃないだろうか。土着信仰の神々のチープな像なんかも併存して祀られていたりと、不謹慎かもしれんがミャンマーの寺院は中々に楽しめる。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
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他にもミャンマーならではのギャグ的な面白像や、人類の愚かな殺戮や略奪の歴史を描いた不気味な絵画なんかもあったり。

でも、丘の頂上までバイクで登って頂上のパゴダを見るだけならわざわざ来る必要も無かったかも。やっぱり時間をかけて参道を上って、朝日や夕日をゆっくりと丘の頂上から眺めて感傷に浸るのがザガインヒルの楽しみ方なんでしょう。

【ザガイン(Sagain)】

入域料:3,000チャット
アクセス:マンダレーの30番通り×84番通りの乗り場からザガイン行きピックアップ


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ゼージョーマーケットとマンダレーヒルの夕焼け

この日はバガンからの爆走バスのお蔭で予定より早くマンダレーに着いたので、日が暮れるまで適当にマンダレー市内をぶらぶらすることに。


ミャンマー第二の都市だけあって非常に大きな都市のマンダレー。町歩きでぶらぶらと言っても、とてもじゃないけど歩いて見て周れる規模の町ではない。

ひだり みぎ
流しのタクシーがぼったくり価格ばかり提示してきて嫌気が差したので、人の良さそうなバイタクオヤジに本日の足をお勤め頂くことに。タクシーはまだまだ少ないので強気な値段でふっかけてくるんだろうな。基本はバス代わりのピックアップトラックとバイタクが市民の足のよう。

ゼージョーマーケット(Zegyo Market)

先ずは地元民に人気のショッピングセンターであるゼージョーマーケットへ。

非常に活気のあるマーケットで、マーケット内外の物量や物資の運搬頻度が半端無い。決して綺麗な環境とは言えないけど、混沌とした雰囲気が不思議と人を引き寄せる典型的なアジアのローカルマーケットといった感じ。


マーケットの外からしてこのごった返し感。運搬業者の出入りも凄まじく、少しでも歩を止め商品を眺めていると、横から布やら靴やらを大量に抱え込んだ威勢の良い男衆が「どけどけ、そこどけ、ワイのお通りじゃあ!」とばかりにガンガンと押し通ってくる。

ひだり みぎ
女性陣の間では頭に物を載せて運搬する頭上運搬も盛ん。子供の頃から姿勢が悪いといわれ続けた我が身には憧れさえ覚えるこの頭上運搬、運搬対象は果物や雑貨が満載となった肩幅以上のサイズの籠だったり、レンガや土嚢だったり、藁や木材などなど、およそ頭に乗るものなら何でもあり。頭に物資満載の籠を載せ両手を離したまま、ハンズフリーでスタコラサッサーと軽やかに歩いて行くから驚きである。一回だけたまたまだろうけどモアレ検査に引っかかった自分には到底マネのできない芸当である。

マーケットの内部はと言いますと…
ひだり みぎ
ひだり みぎ
全体的に薄暗くて不気味な雰囲気。踊り場まで商品が溢れ出てるんだけど、商品だかゴミなのだか判別つかないくらいだしw

ひだり みぎ
ひだり みぎ
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ロンジー・シャツ、鞄、ぬいぐるみ、等々が主な商材となっているようだが…とにかく物量が圧倒的。だけど、やっぱりローカルマーケットなので観光客が欲しいと思えるのはロンジーくらいのもの。ロンジーの生地を買って仕立ててもらうといった楽しみ方はできるだろうけど、基本的には買い物を楽しむ場というよりも、マーケットの空気感を味わってミャンマーの日常を垣間見る場なんだと思う。


マーケットの外にはドリンクや軽食の屋台も並んでいるので、ショッピングで歩き疲れるたら人間観察でもしながら屋台で休憩を取るのも面白い。

【ゼージョーマーケット(Zegyo Market)】

住所:27th Street, Mandalay, Myanmar

マンダレーヒル

続いて向かうはマンダレーヒル。マンダレーヒルはマンダレー王宮の北東にほっこりと隆起した標高236メートルの小高い丘で、丘全体が寺院となったマンダレー最大の聖地らしい。ゼージョーマーケットから84番のバスでアクセスできると調べていたが、バイタクの運転手が1,500チャット(≒120円)で連れてってくれるというのでお願いすることに。

王宮の東側の通りに出ると、正面の丘の天辺に金色に輝く仏塔を発見。こいつがマンダレーヒルである。圧倒されるような高さではないが、麓から頂上まで登ろうとすると小一時間はかかるらしい。

ひだり みぎ
麓から頂上へと向かう途中の参道にも随所に仏塔や仏像があるらしいのだが、麓の見所は完全スルー。バイクで九十九折の坂を駆け上がり、一気に丘の中腹にあるエスカレーターステーションへ。

ひだり みぎ
ここからエスカレーターを利用し、疲れ知らずで頂上へ。


頂上にはギラギラに輝くスタウンピー・パゴダ(Su Taung Pyae Pagoda)があり、外国人のみ入場料として1,000チャット(≒80円)を徴収される。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
マンダレーで一番長い歴史を持つ寺院らしいが、柱や壁面に多用されている鏡のタイルがギラギラに輝いていて古刹感は無い。歴史的仏像をLEDライトやらなんやらでクリスマスツリーが如くピカピカと電装しちゃうお国柄ですからね、ギラギラして派手なほど良いという価値観なのでしょう。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
仏像以外のローカルな神々や鬼(!?)も祀られていて、なんだかヒンドゥー教寺院っぽい雰囲気も。
*因みに右下の淑女はサンダームキという女鬼らしく、仏陀に自らの乳房を差し出しているシーンらしい。


他にも「予言を与え給う仏像ことビャーデイペー・パヤー」「日本人慰霊碑」「ウズラの仏塔ことンコンミーン・ストゥーパ」等の見所が丘全体に点在しているのだが、特に人気を博すのが頂上広場の北側にあるコブラの像。何でもコブラはブッダが瞑想中に雨が降ってきた時、ブッダが雨に濡れないよう上に被さるようにして傘代わりになったことから大切にされている蛇なんだと。この日も蛇の口にお札を突っ込んでから自撮りで記念撮影する現地民がひっきりなしに押し寄せていた。


これら神々が祀られるパゴダの周囲は展望テラスになっていて、マンダレー市街や王宮跡、エーヤワディー川など360度の壮大な風景を堪能することができる。

ひだり みぎ
マンダレーヒルを背に、碁盤の目のように作られた街並みが広がる古都マンダレー。1857年にミャンマー最後の王朝・コンバウン王朝のミンドン王により建設され、1885年に大英帝国に併合されるまで王都として栄えた古都。街中では非常に大きな都市との印象を受けたけど、こうして俯瞰してみると、まだまだ緑に溢れ農村風情たっぷりな町なんだな。

この日は特に何をするという訳でもなかったので、鐘が鳴りお経が読まれる中この牧歌的なマンダレーの街並みを眺めるだけで3時間ほど費やし、有名なマンダレーヒルの夕日を待つことに。常に効率最優先で馬車馬の如く働かされるだけの社畜、久しぶりにこんな時間の使い方したわ。
ひだり みぎ
世界中の旅行者を魅了してきたマンダレーヒルからの美しい夕焼け。さぞ神秘的なものなのだろうと期待に胸膨らませていたのだが…やっぱり二輪四輪の交通量も多いからか、ちょっと靄ちゃってるのが非常に残念。先にバガンの朝日・夕日の美しさを目の当たりにしちゃってたので、特に感動もしなかったし。もし麓から汗かき苦労して登山してたら夕日の見え方も変わったのかなー。


こんなんですしね、テラスも。ベスポジ確保してても右から左からと中国人がガンガンヒジやらヒザを入れてスペースを侵略してくるし、とにかく人が多く煩過ぎて、夕日のノスタルジーに浸るといった雰囲気ではない。「マンダレーヒルの夕日」ってだけでノスタルジーを感じちゃってたので、自分で勝手に期待し過ぎちゃってたのかも…

【マンダレーヒル(Mandalay Hill)】


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