古都インワの町の見所を馬車で巡る

ザガインでの簡単な観光を終え、続いては同じくビルマ族の王都として栄えた歴史のあるインワという町へ。

インワは1364年に都となって以来、途中何度かの中断はあったものの約400年間もの間に渡ってビルマ族の都として栄えた古都。当時の僧院やパゴダなどの王都時代の遺構を馬車で巡るの人気アクティビティになっているようで、今回巡るザガイン・インワ・アマラプラの中では一番楽しめそうな町である。


ザガインからインワ橋を渡り、川沿いに続く一本道を一路南へ。インワはエーヤワディー川の支流の対岸にあるそうで、一本道の突き当りにある埠頭からは一人で渡し船に乗っていくようにとバイクを降ろされた。


位置的にはこんな感じ。四方を川と運河に囲まれた要塞のような造りとなっているが、1.0km×2.5km程度と面積的には非常に小さな町である。


客が集まった時だけ不定期に運行しているような渡し船で対岸へ。観光客向け運賃は往復で1,200チャット(≒100円)。他にもバイタクで来た観光客がこの埠頭でドライバーを待たせていたので、「埠頭でバイタクを降りる」⇒「渡し船で対岸のインワへ」⇒「インワ内を馬車で観光」⇒「渡し船で戻ってきてドライバーと合流」というのがインワ観光の基本コースのようだ。


自分でバイクを運転する場合はマンダレー方面から橋を渡ってインワへと行く方法もあるみたいだけど。まぁ渡し船の方が旅風情が感じられて良いでしょう。

一応エンジンを載せた船は、ゆっくりゆっくりと緑に濁った川を渡る。

同舟となった現地人とぷかぷか船に揺られること5分程。対岸に着くと、物売りがしっかりしとスタンバイ。下船するなり何人もの若い物売りに囲まれた。主な商材は仏具やインワで取れるという翡翠の加工品、木彫り人形に旧日本軍の軍票などなど。少しでも商品を覗くような仕草をすると、「20ダラー!」といった感じで交渉の土俵に無理やり上げられてしまいそうになり、どこまでも付きまとってくる。思わせぶりだと解釈されるような行為は厳禁で、本気で買い物を楽しみたい人以外は物売りを断固としてスルーすることをお勧めする。


埠頭からまっすぐ進むと馬車の停留場に辿り着く。馬車の料金は馬の体格や御者の力量といった個体による差はないようで、基本的にはヤタナーシンメ・パヤー、バガヤー僧院、ナンミイン監視塔、マハーアウンミェ僧院の4箇所を1時間で巡って一律10,000チャット(≒800円)。バイタクを半日貸切ってザガイン・インワ・アマラプラを巡る料金と殆ど変わらない超強気な値段設定だが、競合効果が働くような市場じゃないからな…ここは言い値で受けるしかないであろう。


数いる馬の中でもしっかりした肉付きで行き振り良さそうな馬をチョイス、ベテランの御者に案内をお願いしようとしたところ、敬老精神の欠片も無い若者が無理やりベテランを蹴落として御者台に就きやがった。こういう時の若者は非常にがめつい場合が多いので嫌な予感がしたのだが、案の定、降りる前に「1時間を過ぎたので料金20,000チャットになる」とか言い抜かしてきやがった。看板には1時間を超えた場合の超過料金に関する記載など一切無いし、お前が途中でどっかに行って私が待たされた時間を抜かせば1時間以内だったろうと。最後の見所でどっかに消え去って出発を後らせたのも、この値段釣り上げの為だったと思うとあまりの自分勝手さに腹が立ってくる。こっちは対岸に運転手を待たせているというのに。

話は逸れたが、馬の走りっぷりについては概ね満足のいくもので、ゆっくりゆっくり蹄の音を刻みながらインワの町を駆けていく。
ひだり みぎ
ひだり みぎ
何十年も前にタイムスリップしたようなゆっくりとした現地民のスローライフが垣間見えるインワの村落。こここに400年ものあいだ王都があったとは到底思えないほど廃れているが、これがまた良い野生のアジア感を出しているというか。

ヤタナーシンメ・パヤー

第一の見所は、ヤシ林に囲まれたヤタナーシンメ・パヤー。馬を降ろしてもらい、一人で遺跡へと入り込んでいく。基本的には御者は馬を操るだけが仕事で、各見所でのガイドは業務内容に含まれていないようだ。

田園地帯の中で打ち捨てられた廃墟といった風情の仏塔群だが、現地民2人が静寂の中で一心不乱にお祈りを捧げている。

ひだり みぎ
ひだり みぎ

この廃れ具合がなんとも言えない哀愁を漂わせている。

続いて、田園地帯の更に奥へ奥へと踏み込んでいく。

ひだり みぎ
遺跡の町だと思っていたけど、平らな土地をうまく使った豊かな田園地帯が広がるインワ。バナナと米作で有名な農業地帯らしい。三毛作というのも驚いたわ。

バガヤー僧院

続いてやってきたのはバガヤー僧院。1834年に建てられた木造建築の僧院である。
ひだり みぎ

ひだり みぎ
現代でも世界三大銘木と称されるチークをふんだんに使った贅沢な僧院。状態も非常に良く、とても1834年に建てられたものとは思えないのだが…これも耐久性に優れるチークの成せる業なのだろうか。チークの家具はきちんと手入れすれば一生モノって言われてるくらいだし。現代でこんな壮大な建造物を総チーク製で建てようと思ったら何十億円するのだろうか。

ひだり みぎ

ひなびたチークの落ち着いた色調と背の高いヤシの木が風情たっぷり。大地震で放棄された都市だそうだが、日本人にはミャンマーの黄金に輝く寺院や仏塔よりもしっくりくる。

ひだり みぎ
267本もの巨大なチーク材でできた柱で支えられるお堂。その中の薄暗い空間には立派な仏像が安置されていて神秘的な雰囲気が演出されている。

ここからは城壁の西門を通ってナンミイン監視塔へ。

当時、煉瓦造りの要塞には12の門が設けられていたというが…いくらなんでも真新し過ぎるので、これは最近になって復元されたものだろう。ただ、バガンのタラバー門もそうだったけど、この時代の前後にビルマ族によって築かれた城壁や門は非常に重厚だったみたいだな。

ひだり みぎ
馬から振り落とされそうになりながら道なき道を行くと…


バナナ畑の奥に何か見えてきた。

ナンミイン監視塔


バーヂードー王によって1822年に建てられた。高さ27メートルの監視台。1838年の自信で一部損壊して傾いてしまったようで、今では上に登ることはできずに下から見上げるのみ。

ひだり みぎ

監視塔の前に出ていた土産物の方が印象に残ってる。様々なハンドメイドのお面や仏像なんかが売られていて、思わず古代ビルマ人を模った木工の像を買ってしまった。これもどうかと渡された塗装の禿げたアンティーク風な缶コーラは不要だと断りましたけどw

マハーアウンミェ僧院


最後にやってきたのは、1818年に建立されたレンガ造りのマハーアウンミェ僧院。


馬車でのんびり走っていると400年も都があった町とは思えない光景が続くのだが、オークル色の煉瓦にびっしりと精美な漆喰彫刻が施されたこの僧院からはかつての栄華がビンビンに伝わってくる。

ひだり みぎ
どの角度から見ても凄い迫力で、 まるでお城のような僧院。至ることろに手の込んだ装飾をみることができる。

ひだり みぎ
内部は幾重にも回廊が張り巡らされている。

ひだり みぎ
中央にはお決まりの仏像コーナーが。

僧院を見終えて馬車に戻ると前述のトラブルが発生。御者が馬を残してどこかに立ち去りやがったじゃないか。トイレか飯にでも行ったのかと待っていると、10分後に何食わぬ顔で戻ってきた。それでですよ、別れる段になって1時間を超えたから料金が倍になるって言いだしたの。確かに出発から1時間5分程経過してたから、この小僧がいなくならなければ1時間以内だったし。というか、そもそも1時間を超過したら料金が2倍になるなんてルールすらどこにも書かれてないし。今日日、悪質な時間制ぼったくりバーでもこんな手口を使わんだろ。
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まぁこの御者とのトラブル以外は非常に楽しめたかな。さくっと回るだけなら1時間。マンダレーからも1時間足らずで来れますし、お勧めの観光スポットです。



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