搭乗記 エジプト航空 A330ビジネスクラス カイロ→バンコク→香港

本日はホルス号による出エジプト記。深夜1時のフライトでカイロから飛び立ちます。


カイロから、バンコク経由でホングコングへ。

当日はカイロ市内を半日ほど観光してからカイロ国際空港へと移動しました。
この空港、チェックインカウンターの手前で手荷物検査を受けるのですが、ここが鬼門。フライトが深夜遅くということもありフライト4時間前に空港に着いてしまったのですが、フライト出発時刻の3時間前にならないと通してもらえないルールのようで。困った顔して立ち尽くしてたらキャッシュはあるか(ド直球)と聞かれたり、カイロ国際空港ならぬワイロ国際空港は噂に違わぬクソ空港でした。
短期間の滞在経験だけでその国の国民性を語るようなことはしたくないけれど、それでもエジプト人のウザさはガチだと結論付けたくなるくらい、総人口あたりに占めるウザい人含有率が高いと思えてしまう。インド人のウソツキ要素、アラブ人のネチネチ要素、社会主義的なやる気ない要素、アフリカ人の野性味要素、それに暴力性と謎のプライドの高さを加えたような人たちが多いので、ウザい人フェチには堪らない国だと思います。まぁウザいというか、日本人の価値観と違いが大きすぎるだけですし、なんだかんだエジプト好きなんですけどね。ウザいウザいも好きのうちっす。

ラウンジ

フライト出発3時間前になり、やっとの思いで出エジプト。紀元前13世紀のモーセの時代も現代も、エジプトから出るのは変わらず大変なんですね。
ひだり みぎ

アルコール無しは仕方ないが、シャワーが無いのがなぁ。半裸の胸毛男がトイレの手洗い場でオラウータンのように豪快に水浴びしてましたが、やっぱ深夜便出発前に体中に染み付いたエジプトの香りを洗い落としたいですよね。

フライト


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A333の座席は2-2-2のライフラットだけど、寝るには十分な角度。乗客よりCAの数の方が多いくらいのガラガラぶりで隣もいないし、これならバンコクに着くまでがっつり休むことができそうです。

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ポーチはCERRUTI 1881で、エジ航にしてはセンスいい。アイマスクの素材も肌ざわり良いですし。


このゴム底の靴下はスリッパ代わり。これでトイレに入るのには違和感ありますが…


今回は即寝落ちできる格好で搭乗したので、スマイルシールを座席に貼り就寝。

ただ、シールが剥がれてしまっていたようで、深夜02:00、CAの脳筋男子に起こされる。シールの粘着力が弱くて皮との相性が、シートのレザーの部分に貼るのはお勧めできません。

それにしても、エジ航はほんと脳筋男子とふてぶてしいおばさんタイプのCAさんが多い。ごくごく稀にものすごくシャイで丁寧な仕事をしてくれる女性もいらっしゃいますが…

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目覚めの朝食はオムレツ。日本のようにフワモチっとした感じではなく、カサッ、パリッとした中東風。ボリュームは十分ですが、味付けや食感は好き嫌い分かれそうです。


オムレツ食べた後もまた眠りにつきたかったけど、バンコクにて一旦降機。香港まで通しで航空券を買ってても、バンコクで降りてから乗り直すことになります。


30分後にまたゲートに戻ってきてねー、って。もうちょっと時間があればシャワー浴びれたのに。微妙に時間が足りないのが惜しい!ということで、ワイもバンコクのトイレでオラウータンしてから香港行きに乗り直しました。

宿泊記 インターコンチネンタル カイロ セミラミス(Intercontinental Cairo Semiramis)

やってきました、世界三大ウザい国の一つとされるエジプトの首都カイロ。


空港からの移動は、同じ飛行機で移動してきたご家族とタクシーシェアでw 値段合意してから乗ってるのに、ホテルに着いてから約束を反故にするクソドライバーがもうね。

ドライバー:一人80ポンドで良いよ。
ワイ:80ポンド了解(どうせ100ポンドとか請求してくるパターンだろうな(本当は120ポンドくらいだろうな))。
ドライバー:着きましたよ、道中混んでたので150ポンドで。
ワイ:ファっ!?

エジプト人家族が先に降りるんで心配はしてましたけど、決して観光客を裏切らない安定のウザさは流石の一言ですね。エジプトに着くなり早々に三大ウザい国家の実力をまざまざと見せつけられました。

宿泊先はインターコンチネンタル。インターコンチネンタルはカイロに二件あって、今回はナイル川沿いにあるセミラミスの方。伝説上の女王の名を冠してるわけですから、さぞ立派なホテルなのでしょう。

ひだり みぎ
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見渡す限り、眩いばかりの黄金色w 大帝国アッシリアのセミラミス女王も納得の豪華爛漫ホテルきたー。外が暑くて煩くてウザいので、ことさらホテル内が快適に思えてきます。


ローカルルールのポーカーも楽しめる24時間営業のカジノもあります。出陣結果は聞かないでください。


ロビーの内装だけでなく、ルームキーもローカルテイスト満載で良い感じ。チェックインは時間がかかったけど、まぁエジプトなんでしゃーないくらいに思わないと気が持ちませんね。エジプトに着いて数時間で早くも諦めの境地に達しました。

部屋(高層階ナイルビュー)

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部屋はアンバサダーパワーで高層階のナイルビューにアップグレード頂きました。最後のリノベが2011年ということで、特に水回りは全体的に古めかしい感じがしますが、不快に思うまでのレベルではありません。

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アンバサダー特典は手厚め。ミールクーポンやドリンククーポンも貰ったけど、カイロでは終始胃の調子が悪く、残念ながら使わず仕舞い。


バルコニーがあるのがポイント高い。


沈みゆく太陽が町を飲み込むレベルのデカさです。


厳つい顔して追いかけてくる太陽のトラウマが蘇る。



ナイルと三日月と。旅疲れもあって、バルコニーからナイル川を眺めるだけで半日過ぎてしまいました。このホテルに泊まる場合は絶対に高層フロアのナイル側がお勧めです。

【インターコンチネンタル カイロ セミラミス(Intercontinental Cairo Semiramis)】

所在地:Kamal El Din Hussein St, Qasr Ad Dobarah, Qasr El Nil, Cairo Governorate
電話:+20 2 27988000

搭乗記 エジプト航空 B737-800 ビジネスクラス チュニス→カイロ

ラマダン期間中のチュニスを後にし、お次はエジプトの首都カイロへと向かいます。香港へ戻るのにイスタンブール経由のターキッシュエアラインズと迷ったんですが、世界三大ウザい国をコンプする為にカイロ経由にすることに…というわけではなく、カイロ発券のエジ航ビジネスクラスで帰るためのポジショニングでカイロへと移動します。


チュニスからカイロまでは意外と距離があって、3時間のフライト。天空神ホルス号ことエジプト航空便でぶっ飛びます。


海アリ、リゾートアリ、砂漠アリ、遺跡アリと見どころたっぷりのチュニジアともおさらば。チュニス・カルタゴ国際空港国際線ターミナルから旅立ちます。

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神聖すぎるエアポート!今にも大音量のアザーンが流れだしそうな雰囲気というか、逆にアザーン流れてないと違和感覚えるくらいw


束ねたジャスミンの蕾が売られているのは、ジャスミン革命に因んだもの?お湯に浸してジャスミン茶にするの?ポケットチーフみたいにチラッとポケットから覗かせるような身だしなみグッズ?宗教的なもの?よく分からんが、結構買ってる人がいたんですよね。

エジ航のCAさんに聞いたら、こういうことらしい。

ダンディーなチュニジア人が耳にかける粋な伝統品で、Machmoumっていうんだって。この用途は予想外!


一通り空港内を冷やかした後にエジ航チェックインカウンターへ向かうと、人口密度高すぎて、どこが順番待ちの最後尾か分からないカオスな状態でした。ビジネスクラス専用カウンターも機能してないし、なんだかチュニジア出国前からエジエジしてきましたよー。

ラウンジ


イミグレでの出国手続きを済ませ、エジ航指定のEspace Loungeへ。

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アラビアン富豪の大邸宅風。観葉植物まで置かれて良い感じです。

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洒落たバーカウンターがあるけれど、バックバーに並ぶのはソフトドリンクのみw

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食べ物もコールドミールとペストリーくらいっすね。ラマダン期間中だから?

フライト


食べ物無しお酒無しで、ラウンジに留まるべき理由を見出せなかったので、とっとと撤退して一番乗りでホルス号へと乗り込みます。

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ヘッドレストカバーが無かったりズレてたりするあたりが流石のエジクオリティ。


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グッバイ、チュニジア。開放感たっぷりのチュニスから、密集感たっぷりのカイロへgo!

ひだり みぎ
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このフライト、唯一の楽しみだったのが機内食。ラマダン期間中の日中フライトということで機内食が簡素的なものになるのではと心配していましたが、割としっかりしたプレートが運ばれてきて一安心。
柑橘系フルーツの果汁がかかったシーフードサラダは、エジプトらしからぬ爽やかさで美味かったです。エジプト航空に限って言えば、本拠地エジプト発便より、他都市発のケータリングの方が美味しいのかもw


メインはカートでの配給で、ラムorシーフードの二択。アッラーの影響力は上空10,000メートル地点までは及ばないのか、皆さん普通にガッツリ食べてましたね。


メインのシーフード&カレーリゾット。ネチョ硬い米はイケてなかったけど、エジプト版エビチリみたいなのは見た目のグロさに反して美味しかった。


しかし…エジ航さん意外とイケるやん!と評価したのも束の間、最後に口にしたキモ甘チョコレートカップケーキが全てを台無しにしてくれました。口にした瞬間に歯が全部溶けるんじゃね?くらいの甘さでガツンと来て、粘度が高くなかなか喉元を過ぎていかないという拷問ぶり。ほんと、この破壊力ある甘さは衝撃的だった。エジ航フライヤーの皆様、要注意ですよ。


キモ甘チョコソースに侵された口内をゆすぐべく頼んだ水は、溢れんばかりにやってきた。というか溢れてた。思いっきり水こぼしながらも、こぼしてるの気付かずスマイル全開でグラスを渡してくるCAのエジ男さん、溢れ出るホスピタリティをありがとう。



機内食を食べ終え、乾ききったリビアからエジプト領空に入ると、急に緑が広がってきました。Planet Crafterのゲーム内でもこんなにキレイにテラフォーミングできませんよ。


そしてナイル川を越えると、今度は一面砂色一色の家屋密集地が続く。

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圧倒的密度。これぞ肥沃な大地で人口爆発を続けるエジプト!といった迫力満点の光景で、いよいよエジプトにやってきたという実感が湧いてきます。


いやー、なんだかんだ思い出を残せたエジフライト。ありがとう!

チュニスからカルタゴとシディ・ブ・サイドへ日帰り旅行

チュニジア二日目、朝一でカルタゴ遺跡へと向かいます。

「悲劇の通商国家カルタゴ」「地中海の覇者フェニキア人」「名将ハンニバル」「(ローマ)救国の英雄スキピオ」「タカ派の大カトーw」などなど、世界史の授業でロマン溢れるワードが次々と出てきてワクワクが止まらないぃぃ!って興奮した学生時代の記憶がよみがえります。
他にも「ラティフンディア、ラティフンディウム」の言葉の響きもたまらなく好きでしたね。やばいセンター試験受けたくなってきた世界史だけ。

チュニスからカルタゴへは、Tunis Marine駅から出ている郊外列車で向かいます。チュニス市街地からの日帰り旅行も全然余裕な距離にあるっすね。


マリーン駅まで、地中海リゾート感たっぷりの小洒落た通りを突き進む。チュニスではUberとGrabは使えませんが、エストニア発の配車サービスアプリ・Boltが使えるようになったみたいです。ぼったくりなどのタクシートラブルが多いらしいので、これで悪徳ドライバーが駆逐されてくれれば良いですね。


Tunis Marine駅で下車し、TGMという郊外列車に乗ってカルタゴへ。チュニジアンブルーの駅舎がマリーン感を出してるけど、ひどく廃れていて想像とは全然違った。見事なヤシの木通りで上がりすぎた観光客の期待値をここで調整しにかかったのか?期待値コントロール、大事ですからね。

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一大観光都市であり世界遺産にも登録されているカルタゴへの起点となる駅なのに、駅構内も洒落っ気なし。なんか、インドネシアあたりも通ずるイスラム圏独特の厳かな空気感が漂ってます。ラマダン期間中で、皆さんピリピリしてるのかな?


手動でドアをこじ開けて…


ドア開けっ放しで力走する郊外列車。地中海から吹き付ける風が心地良いですからね。風通しを遮るのは罪。


20分ほど列車に揺られ、かの名将の名を冠したカルタゴ・ハンニバル駅(Carthage Hannibal Station)で下車。ラマダン期間中だからか、世界遺産ど真ん中なのに人っ子一人としていない。


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看板や案内があるわけでもなく…とりあえず古代カルタゴの中心市・ビュルサの丘の方角へと向かう階段を上っていくと、住宅街の向こうに爽やかな地中海が見えてきた!緑の木々、青い海に空、白い家々…インスタ映えマックスですよカルタゴさん!

ビュルサの丘

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三面を海に守られたカルタゴの街を見下ろすビュルサの丘が悲劇の部隊。フェニキア人はここを中心に要塞を築き、スキピオ率いるローマ軍に対して徹底抗戦。最後まで丘の上の神殿を拠点に戦い続けたものの、一切の望みが潰える悟ると、神殿に火を放って自決したそうな。生き残ったカルタゴ市民は奴隷として売り払われ、町は完全に焼き尽くされ浄土と化し、フェニキア人国家のカルタゴは完全に滅亡した。紀元前146年のこと。

ひだり みぎ
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ローマとの三度のポエニ戦争の後に滅びたカルタゴ。ぺんぺん草すら生えない廃墟と化し、二度と復興しないよう呪いまでかけられたとされるカルタゴですが、戦後から1世紀も経つと、帝政ローマの属州として再び繁栄していくことになります。
今日のカルタゴで見られる遺跡は、主にローマ属州時代に作られたもの。モザイクタイルや石柱などが野放しで無造作に散らばってたりします。

アントニヌス共同浴場

ローマ属州として再編されたカルタゴは、北アフリカ支配の重要拠点としてローマ、アレクサンドリアに次ぐ帝国第三の都市にまで発展。ローマ式の共同浴場や劇場なんかが次々と作られていきました。

こちらはオーシャンビューの共同浴場跡。146年から162年頃にグランドオープンしたと推定されており、その規模は当時のローマの属州内で最大クラス。残された支柱や基礎部の大きさからして迫力満点で、当時のローマ人の浴場に対する熱湯ばりに熱い想いを感じます。

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断面図と一階の平面図。2階建てで、召使の待機室、更衣室、高温浴室、微温浴室、冷水浴室、プール、ジムやサウナ、垢すり室(?)など現代の温泉施設顔負けの設備が整っていたらしい。ワイらの祖先が水田がぁぁなんて言ってる頃に、こんなくっそでっかい健康ランドで植民地ライフを謳歌してたローマ人さんホント大正義。

ひだり みぎ
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床には色とりどりのモザイクアートが敷き詰められ、壁には美しい彫刻が施されていたそう。古代ローマ人さん、現代を生きるワイより優雅な生活送ってそうですわ。

円形劇場

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浴場だけでなく、古代ローマンタウンの定番施設・円形劇場だってありますよ。浴場と同じく2世紀に建てられて、音楽イベントや詩の創作コンテスト、哲学のディベート大会なんかで使われてたんだと。今でも現役の文化的イベントやコンサートの会場として活用されているらしい。観客先がコンクリで補強し直されていたり、明らかにローマ時代のものでないステージの土台やら柵やらが設置されていて、浴場と比べると遺跡感は薄いですかね。

ローマ人の居住地跡


浴場と劇場を見下ろせる小高い丘には、ローマ人の居住区跡も残ってます。オーシャンビューで、主要エンタメ施設まで徒歩圏内。整然と区画整理されていて各住居の敷地面積も広いですし、ローマから派遣されてくる高級官職向けの物件だったのでしょう。

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遠く地中海に浮かぶシチリア島まで見渡せるバルコニー付き高級住宅は、石材が積み直され当時の姿が再現された状態となっている。地中海からの風を浴びながらワイン片手に人生論を語る腐敗官僚の姿が想像できます。

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奢れるものも久しからず。ポエニ戦争は、カルタゴ絶対滅ぼすマンことカトーおじさんが願った通りの結果となったわけですが、皮肉にもローマの没落はこの戦争の勝利から始まると評価する歴史家も多いみたいです。後付けの解釈なんで、こじ付け的な解釈もあるんでしょうが。

ローマが競争相手であるカルタゴを完全に滅ぼし、陸海の全てを手に入れようとしていたその時、運命は狂い、混乱をまき散らした。危険を危険とも思わないような人間にとって、普通の安寧などは苦痛でしか無い。彼らは諸悪の根源である金や権力への欲望に従い、それらは信義や美徳を驕慢と暴虐に塗り替え、神をも怖れぬ彼らは何でも金で買えると思い上がった。…これらの悪徳はついには市民に蔓延し、帝国を最良のものから最悪へと変えてしまった。
—サッルスティウス、『カティリーナの陰謀』11

結局、帝政ローマは395年に東西に分裂。7世紀にはイスラム世界に取り込まれることとなっていきます。ああ、諸行無常。

シディ・ブ・サイド

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遺跡探索を終え、ローマ人居住区跡のある丘を下って海辺を散歩してみます。

海岸線に沿って北の方へと歩いていくと、チュニジアで一番美しい街とされるシディ・ブ・サイドが見えてきました。地中海を望む高級住宅街のようで、漆喰の白とチュニジアンブルーのコントラストがエキゾチック。サントリーニ島みたいっすね。
ひだり みぎ
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せっかくなんで海鮮プラッターでもあれば食べたいなーと思って一通り探索してみましたが、ラマダン期間中につき飲食店はほぼクローズ。残念ながら今日はここいらで引き揚げます。

ラマダン期間中のチュニスを歩く

ここまできてホテルで外籠りするだけというのは勿体ないので、ちょっくらチュニスの町を歩いてみることに。

コンシェルジュに町の見所を聞いてみると、「今からカルタゴに行くにはちょい遅いし…ラマダン初日だから閑散としてると思うけど、旧市街に行ってみると良いよ。ホテルの外の大通りでタクシー拾えるから。」とのことだったので、ホテル前の通りに出てタクシー待ち。
大通りをとんでもないスピードで車が走り抜けていく中、くっそボロボロのバンが停まってくれ、マッチョで強面の中年運転手がたどたどしい英語で声をかけてくれました。

ボロく汚い車、厳つい顔に鍛えられた体、たどたどしい英語…これ以上ない胡散臭さだったけど、男は警察を自称する。「何してる?どこにいく?私は警察。今日はラマダン初日で外国人一人だと何があるか分からない。車に乗れ(命令形)。」

割れたリアガラスを段ボールで補強していたりと、とても警察車両には思えない怪しさ満点の車だったけど、物腰が柔らかくて厳つい顔の割には人の好さそうな男だったので本物の警察と判断、お言葉に甘えてフリーライドのオファーに乗らせてもらうことに。


10分弱ほど走り、「ここを右に行ったらメトロの駅。進行方向に向かうトラムに乗ったら旧市街に着くから!グッドラック!」と右も左も分からぬ市街地の一角に放り出されました。


降ろされた大通りは人通りも少なく殺伐とした雰囲気。ゴミが散乱してるし、有刺鉄線で囲まれた建物があったりと、シェラトン付近よりここの方がよっぽど無法地帯感あって危険そうなんですがw


店もほとんど閉まってるようだし、やっぱラマダン期間中にイスラム圏に来ちゃだめだよなー。北アフリカを代表する大都市とは思えないスラム風シャッター街ぶりでちょっと怖い。


そんな静まり返った町の中で、ゴォーーーっという奇妙な機械音が近づいてくる。ゴミの収集車か?気になって音の発生源に出てみると、ゴミを蹴散らしながらメトロが走り去っていっいきました。こいつを追いかければメトロ駅に着くに違いない!そう思って全力ダッシュ。


メトロといってもチュニスメトロは地上を走るライトレールのようで、300m程走った公道上に小さな駅舎が見えてきました。


元々メトロに乗る予定じゃなかったので、財布を見ても小銭は無し。うわー、これ絶対気まずくなるやつやんと思いながら乗車券販売の窓口にいた髭のオッサンに10ディナール(≒370円)を差し出すと、案の定、「このアホ。こんな安い運賃なのに高額紙幣出してくるとか空気読めないの?」的な罵詈雑言を浴びせられる羽目に。ああ、耳が痛い…そして部屋の中から酸っぱい匂いが漂ってきて鼻も痛い…
ただ、くっそ大きな声で文句を言い放ちつつ硬貨のお釣りを搔き集めてくれ、なんだかんだ文句言いつつ律義にもきっちり9.6ディナールのお釣りを返してくれました。運賃0.4ディナール(≒15円)?


こんな運賃じゃ清掃員も雇えないのでしょうか。トラムの中もゴミ落ち放題、落書き描かれ放題と、日没後は乗りたくないような荒んだ雰囲気です。空港やシェラトン付近のリゾート然とした爽やかな開放感はどこへやら。


車窓の外に広がる街並みも荒んでいましたが、暫く走って建物が小ぎれいになってきたので下車。ここから少し歩くと、アベニュー・デ・フランスという洋風な大通りに行き当たります。チュニスの新市街はフランス統治下時代に築かれた小洒落たオフランスな建築群で構成されているようです。


地図で見てみるとこんな感じで、官庁街と新市街の間にアラブアラブした旧市街がありまして、旧市街の正面玄関から真っ直ぐ伸びる御フランス通りを中心にヨーロッパっぽい新市街が広がるイメージ。


チュニス新市街にはオフランスでオシャンティな建物が多く立ち並んでますが、その中でもひときわ強烈な個性を見せつけるのがチュニス大聖堂(セントビンセントデポール教会)。ヨーロッパ的な建築様式をベースにアラビアンな要素が加わった独特なファサードが特徴で、ヨーロッパっぽい新市街と、アラビアンな旧市街とに二分されたチュニスの町を象徴する存在とされているようです。

中の様子も見てみたかったのですが、番犬のように吠えまくる狂犬門番(?)に追い返されてしまいました。ワイ以外にも周囲の人に対してランダムに吠えまくってたんで、聖なるラマダン初日に教会に行くとは何事だ!?的な主張を吠え散らかしてたのでしょうか。触らぬキチガイに祟りなし。残念ですが教会の中に入るのは諦めました。


大聖堂から少し西に歩くと見えてくるのが、旧市街と新市街とを隔てるフランス門なる石造りのゲート。ここから先には旧世界の面影を残す庶民的なメディナ(旧市街)が広がっています。

7世紀に作られ始めたとされる歴史あるチュニスの旧市街は、なんでも昔は堅牢な城壁に囲まれた城塞都市として栄えていたようでして。迷宮のように張り巡らされた細い路地の数々も、外的を迷わすことを目的にデザインされたものらしいです。
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ラマダン期間中につき活気こそ感じられませんが、地元民向けのローカル商店に混ざって観光客相手の土産屋も所狭しと並んでます。アーケードのように天井が覆われているからか、閉塞感があって怪しげな匂いがプンプン。

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布製品に革製品、銀食器や陶器、スパイス、香水などなど、狭い路地の両側にあらゆる製品がひしめいていて、アラブの混沌を実感できます。


市場内にひしめいているのは商品だけでなく、獲物の到来を待ち構えるあざとい肉食系アラブ商人も大量繁殖。薄暗い路地に彼らが奏でるニーハオニーハオの大合唱がこだましています。
うわー、完全アウェーでやっばい雰囲気だなーと思いつつ彼らの商店の前を通ろうとすると、当方が日本人だと判別したのかナカータ・ナカムーラと日本人の名前を連呼してのウホウホゴリゴリ肉食商人モードに豹変。日本人は押しに弱いとでも思われているのか、押してダメなら押し倒せ!くらいの勢いの営業でした。ラマダン中で獲物も少ないことから飢えていたんでしょうね…


肉食商人の追っ手を振り切り薄暗いスークの出口を抜けると、正面には若者でにぎわう水タバコ屋が。バナナはおやつに入りません的なグレーゾーンで、ラマダン期間中の日中でも水タバコはオーケーなんすかね。皆さんモスクの目の前で気持ちよさそうにプカプカと吸い倒してらっしゃいました。神聖なるオリーブモスクの目の前で。