ブハラから高速鉄道アフラシャブ号でサマルカンドへ

本日は、ウズベキスタンが誇る高速鉄道アフラシャブ号でブハラからサマルカンドへと移動する。

ブハラの鉄道駅は旧市街地から離れているのでタクシーで移動。
ちな、ブハラからどれくらい離れてるって、ブハラ駅と言いつつ実際はカガンと言う別の町にあるくらい離れてる。

観光地が密集する所謂“ブハラ”の町は旧市街地。一方、鉄道駅や空港は旧ソ連時代に新ブハラとして築かれたカガンという町に位置するということらしい。20km弱くらい離れているのかな。

もう街並みも歴史的なブハラの旧市街地とは全然違くて、駅の周囲はソ連風。無機質で武骨な造りの駅舎を背景に殺風景な広場が広がっている。


すっごい小さな駅で、周りには特に何もないですけどね。運行頻度は低く、サマルカンド方面に向かう鉄道は最大でも日に5本だけなんで。

今回利用するのは15:48ブハラ発タシュケント行きの761号。

ブハラからサマルカンドまでの距離は約280km。ラクダで行くと数日かかるところ、高速鉄道だとシルクロードを突っ切って僅か1時間半で着くそうだ。

下がブハラ⇒サマルカンドの乗車券。15:48発17:20着と書いてある。運賃は56,700ソム(≒700円)。

761号はブハラが始発駅となっており、出発30分前には既にプラットフォームにはアフラシャブ号がスタンバっていた。
ひだり みぎ
涼し気なウズベクカラーのボディとアヒル口的な先頭車のフォルムが特徴的なアフラシャブ号はスペインのタルゴ社製タルゴ250。最高時速は260kmと、北陸新幹線並みのスピードで中央アジアの荒野を駆け抜ける。


内部も先進国の高速鉄道そのもの。もちろん空調も効いているし、ラムケバブ喰らったりウォッカで宴を開いたりする輩もいない。快適快適。



エコノミークラスの座席配列は通路を挟んで左右に2-2。飛行機のエコノミークラスの座席と比べると全然スペースに余裕がありますね。

ひだり みぎ

フットレストもあるし、充電も可能。

走行音も小さいし、走り出してからの乗り心地もまずまず。トルクメニスタンを右手に見ながら、土漠の中を突き進んでいきます。

暫くして土漠を抜けたかと思うと、今度は見渡す限りに綿花畑が広がった。隣席の宣教師的なアメリカ人のおっさん曰く、「ジーザス。我が故郷アラバマを思い出す。ジーザス。」と。知らんがな。ワイをキリスト教徒にするとかミッションインポッシブルだから、とりあえず洗脳トークを止めてくれ。アイスブレイク的な会話も無しにいきなり宗教の話を切り出されたし、話題を変えようとしても宗教の話しかしてこないし…ウズベキスタンのムスリムにも押し売り営業的にガンガン宣教かけていってるのだろうか。ほんと闇深そうで怖かったわ。せっかくの鉄道旅行が台無しだわ。


200kmを超えるスピードで荒野を疾走するアフラシャブ号。なんと、予定到着時刻より早くサマルカンドに着いちゃいました。運行本数も少ないし、発展途上国あるある的なガバガバダイヤで運営されているのかと思ったけど、案外しっかりしてるんすね。後日乗ったサマルカンド⇒タシュケントも早着でした。

ひだり みぎ

夕暮れ時のサマルカンド駅着。

サンクトペテルブルク⇒モスクワ⇒ビシュケク⇒アルマトイ⇒タシュケント⇒ブハラ⇒サマルカンドと巡る小旅行もいよいよ大詰めだ。

ブハラ2日目 王の宮殿と死者の都

ブハラでは初日から思いっきり飛ばして旧市街地の見所を全制覇。

そして2日目。この日は町の郊外にある“ブハラ王の夏の離宮”ことスィトライ・マヒ・ホサ宮殿と“死者の都”ことチョルバクルという観光地を周ってからサマルカンドへと向かうことに。

ローカルバスを乗り継いでも行けるみたいだけど、観光に充てられる時間を最大化したかったので、そこらへんに屯していた野生のウズベク爺さん数人と交渉。観光地2カ所+ブハラ鉄道駅の3か所を巡って90,000ソム(≒1,150円)と最安値を提示してくれたおっさんにお願いすることに。相場は分からぬが、ブハラからサマルカンドの鉄道乗車券が56,700ソムということを考えれば、もう少し交渉できたかもしれんな。

スィトライ・マヒ・ホサ宮殿

ブハラ旧市街地から白タクで20分ほど走り、こじんまりとしたゲートの前で降ろされた。王の離宮にしては地味だけど、これが宮殿へと続くエントランスゲートらしい。

ブハラの旧市街地にはシャイバーニー朝時代からの遺構が多く残されているけれど、この宮殿は比較的最近の1911年完成のもの。シャイバーニー朝を起源として興ったブハラハン王国の最後の君主・アーリムハーン王により建てられた。シルクロードの悠久の歴史を感じるというよりも、ブハラ王の贅沢な暮らしっぷりを目の当たりにして嫉妬するような場所のようである。


それにしても、なんでこんな辺鄙で何もないところに宮殿を建てたのだろうと疑問に思ったのだが、君主なりの独自理論に基づき当地を選定したそうだ。

先ず、多くの羊を放し飼いにして生育状況を観察。ひたすら観察。そして一定の期間が過ぎた後、羊の生育状況を比較。最も肥えた羊が育った土地の居住環境が最も優れているとして、丸々と太ったヒツジが住み着いた当地に宮殿を建てることにしたのだと。うーん、このガバガバ理論…。理論というか、動物占いみたいなもんすね。

こちらが動物占いで宮殿の場所を決定されたアーリムさんのご尊顔。

画像参照元:ウィキペディア アーリムハーン
ちなこのアーリムさん、宮殿の建築様式にも強いこだわりを見せ、自らが心酔するロシアの建築様式をブハラの建築様式と融合させて個性的な宮殿を建てたそうだ。伝統的なウズベキスタンの建築様式とロシア帝国の建築様式とか、相性はすこぶる悪そうな感じがするけどどうなんだろう。

ひだり みぎ
ゲートをくぐると、直ぐに見えてきたこちらの建物。広場を囲うように建つ爽やかな白亜の建物がアーリムさんの夏の離宮になる。


可愛い模様で彩られたオフホワイトの壁にバステルブルーのハート形の窓が可愛らしいこちらの離宮、“月と星の宮殿“とも呼ばれているらしい。パッと見た感じは厳つさ満点のアーリム氏だが、意外とチャーミングなロマンティストだったのかしれない。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
中には部屋ごとにアーリム氏の私的コレクションの数々が並べられているのだが、内装のセンスがエキゾチックで凄い。東西の要素がごちゃ混ぜになっていているようで統一感が無く、この中にいるだけで眩暈がしてくるような。

ひだり みぎ
これみよがしに展示された壺とか皿とかといった君主自慢の陶磁器コレクション。また、イタリア製の鏡やポーランド製クリスタル、オーストリア製ランプなど、世界中から気に入った選りすぐった調度品も当時のままの状態で保存されている。

宮殿だけでも王の豪奢な生活の様子が伝わってくるのだが、アーリム氏の贅沢の極めつけはこちらの建物。

こちらの建物は一見ありきたりの住居のようだけど、なんとハーレムの館だったそう。30人前後の側室を住まわせてブイブイ言わせていたようだ。

ハーレムの横には見張り台のような建物と池があるのだが、この池で美女軍団に水遊びをさせ、王はこの台の上から夜の相手となる女性の品定めしていたのだと。

ただ女性を選ぶのも面白くないと考えたのか。テラスから相手を定めてリンゴを投げ込み、リンゴを拾った女性に夜の相手を務めさせていたらしい。微妙にこのリンゴ下衆野郎の投球コントロールが試されるようなルールでウケるわ。コントロールミスで間違って違う奴が拾ったらガチ切れたのかな。

さぞかし優雅な夏の楽園だったのでしょうね。水遊びに興じる美女軍団にハーレムに、と…。ワシも来世あたりはどこかの王様でお願いできませんかね。

【スィトライ・マヒ・ホサ宮殿】

君主の性の館の見学を見終え、この世の楽園から死者の都へと移動する。

死者の都“チョルバクル”

夏の離宮から再び車を走らせて、30分ほどしたところで到着した。

死者の都へと続く道。RPGの砂漠ダンジョンで突き当りに土偶戦士みたいな土属性のボスが待ち構えてる感ある。


死者の都の中心地と思われる広場に出たのだが、一切誰もいなくて静まりかえってる。なんだこれは。チンギスハンに壊滅させられたままの町とか、そういうコンセプトの村?死者の都とかいうから、マイケルジャクソンのスリラー的な感じを予想してたんだけど。

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いや、これ墓っすね。なんでも、10世紀頃からある廟群で、預言者ムハンマド一族が葬られたいう伝承から規模が大きくなっていって、16世紀にはモスクやメドレセなんかも敷地内に作られていって町かのように発展していったそうな。こりゃあ確かに死者の都ですわ。

静寂に包まれた厳かな雰囲気なんだけど、そんな中、突如として男衆の地鳴りのような低い唸り声があがってきた。イベント発生、土偶戦士出現か。

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モスクから唸り声が聞こえたので中を覗いてみると、男が寄り添いあって一心不乱に別世界との交信の儀式(?)を執り行っていた。

なんか、マザー2に出てくるような気味の悪さとワクワクドキドキ感が混じり合った独特の世界観が味わえる場所っす。廟なんで面白いアトラクションや観光コンテンツが楽しめるという訳ではなく、独特の世界観を楽しみに行く場所っすね。

【チョルバクル】


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一日でブハラの観光スポットを全制覇できるか

29℃と残暑厳しかったタシュケントとは打って変わって、まるでロシアに舞い戻ってきたかのように冷え込む本日のブハラ。最低気温は3℃と凍てつく寒さの中、一日かけて町ごと世界遺産に登録されているブハラの旧市街地を歩き倒してみようと思う。町の規模自体は小さそうだし、一日あればブハラ観光も余裕っしょ!お腹周りに溜め込んだ吾輩のミートテックと社畜ドサマワリプレーで鍛えた健脚が役に立つ時がきましたね(ニッコリ

ブハラの歴史

観光に必要な最低限度の知識として、ざっくりとブハラの町の歴史をおさらいしておきましょう。
昔々:シルクロード上の要衝として栄え、ソグド人が町を作る
8世紀:イスラム勢力の台頭によりイスラム化。イラン系のサーマーン朝の下で発展
13世紀:モンゴル軍の襲来により町全体が廃墟に
17世紀:ウズベク人のシャイバーニー朝がブハラを首都に。宗教都市として再び繁栄
19世紀:おそロシアことロシア帝国が中央アジアの地に降臨。敢え無く植民地として組み込まれる
1924年:ウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入
1991年:ソ連崩壊、ウズベキスタン共和国が独立
1993年:ブハラ旧市街地がユネスコ世界遺産に登録

ざっくり過ぎるくらいざっくりと町の歴史を時系列で見てみるとこんな感じ。モンゴル軍はガンガンに街を破壊したけど、帝政ロシアの入植者は旧市街地は放置して自分たちで新市街地を造って住んでたので、旧市街地の方は昔のままの姿を残すことができたんだと。なので、今あるブハラの旧市街地は13世紀以降に築かれた宗教都市がベースになっているので、モスクやメドレセ(イスラム神学校)といった宗教施設が盛り沢山。そういうことらしい。

地図を見てもモスクやメドレセだらけ。細々とした遺構の一つ一つまで立ち寄ってたら数日あっても足りないだろうけど、メジャーな見所に絞って効率的に周れば一日あれば十分っしょ。

ということでブハラ一日観光を開始。先ずは宿泊先近くの観光スポット“チョル・ミナル”を目指して歩く。

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羊肉を吊るした肉屋の前で将棋のようなゲームに興じる地元のおやっさん達を横目に路地裏路地裏へと入っていく。これ、私有地じゃね?入って大丈夫?と不安にさせられる奥の細道を前へ前へ。ソ連臭の強すぎるタシュケントと同じ国の町とはとても思えないイスラムチックな街並みが冒険心を掻き立てます。

チョイ・ミナル 世界一美しい人工巣塔


砂埃舞い散る荒廃感たっぷりの街並を歩いていると、開いた視界の先に青いタイルで装飾された美しい四本の塔を持つ煉瓦の城が姿を現した。チョル・ミナルとは、4本の塔という意味で、元々は大富豪が建てた神学校の門番小屋。ソ連時代に壊されたのかメインの神学校が先に逝き、おまけ程度の門番小屋だけが生きながらえるというね。

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お国が建てた“国立”メドレセなんかと比べると随分とこじんまりとしてるけど、それが逆にまた良い味を出している。
で、よく見るとゴン太の塔の天辺に謎の鳥カゴが設置されているではないか。これは、昔からこの建物が渡り鳥の人工巣塔的役割を果たしてきたかららしいw だからって鳥かごと偽の鳥のおもちゃを天辺に設置しますかねw


敷地中に掲示されてた昔の写真を見たら、四本の塔それぞれにがっつりしたバスケットケースみたいな巣が乗っててワロタw なんかもうこうなったら塔のてっぺんの青い装飾も、鳥を惹き付ける為の装飾だと思えてきたわ。世界一美しい人工巣塔として認定致します。

リャビ ハウズ ただの池

続いて、ブハラの観光スポットが周囲に密集するラビハウズなる場所に移動。ガイドブックにも名前があったので期待してたけど、ラビハウズ自体はただの人口の池で見応え無し。

この池、17世紀シャイバーニー朝の大臣ナディール・ディヴァンベギ氏が作ったものなんだと。なんでも…当時、ここに住んでいた住民から土地を買い取って公共事業として池(今でいうところのダム?)を作ろうとしたところ交渉失敗。絶対に池を作りたい大臣vs絶対に立ち退かない住民みたいな構図になり、最後は大臣が武力行使。この土地の下に運河を通して家を流してしまったのだと…
やくざさんもびっくりの悪質な地上げ屋っすねw


立ち退きを拒否し続ける住民の家の周りを掘って城攻めにした中国共産党の手法が思い出されますw


主席ポスターならぬシャイバーニー朝ハンポスターで防御できてれば悪徳大臣も追い払えていたのかもしれないんですけどね。

ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ 人の顔が描かれた神学校

そんなナディール大臣であるが、最終的にリャビハウズを作ることに成功しただけでなく、池の東西には自らの名前を冠した公共施設も残している。

先ずは、リャビハウズの直ぐ東に建てられたナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。1622年建立。メドレセとは神学校という意味なので、ナディール・ディバンベキ神学校。今で言うところの小沢一郎政治塾みたいな?

特徴的なのはファサードの模様。偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム教ではあるが、思いっきり鳳凰や人間の顔が描かれてしまっている。人間の手による創作物である像を拝むなど、万物をお作りになられた神に対する大変な冒涜行為だ!


この厳しい指摘に大臣はどう抗弁したか。
「鳳凰は伝説上の生き物だし、人の顔に見えるのは顔のある太陽を描いたもの。実在しない生き物の絵は良いっしょ」的な都合の良い解釈で乗り切ったらしい。どうですかこのご都合主義丸出しの主張と、自らの名前を残したいという自己顕示欲の強さ。政治家ってどこの時代のどこの王朝でも似たようなもんなんですねw

ナディール・ディヴァンベキ・ハナカ 悪徳大臣(?)が建てた巡礼宿


ラビハウズの直ぐ西側には、ナディール・ディヴァンベキ・ハナカという巡礼宿も建てられている。公共施設の建設でばら撒いてばら撒いて。大型公共施設を建てまくって人気を取る箱物行政が横行していたのかな。

マゴキアッタリモスク  地中に埋もれていたモスク


大臣の建てた巡礼宿の少し西側には一際古めかしいマゴキアッタリモスクがある。こいつは中々貴重な遺構でして、13世紀に史上最強の破壊者チンギスハンが攻め入った際に破壊防止策として人々が地中深くに埋めたため、破壊を免れたらしい。掘り起こされて発見されたのは20世紀になってから。他にも地下深くに埋められた遺跡があるのではと思うとロマンを感じずにはいられません。

タキバザール  ドーム屋根付き土産物市

マゴキアッタリモスクから北に歩いていくと、天空を突き刺すお椀形の美乳かのようなドーム型建築の数々が見えてきた。これらは丸屋根を持つバザールで、タキバザールと呼ばれるものらしい。天井の突起物は乳首にインスパイヤされ設けられたものではなく、風抜きの為のよう。
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かつてブハラ市内には5箇所のタキ・バザールがあったそうですが、現存するのは3か所のみ。いずれもシルクロード商人の熱気が感じられる土産物市みたくなっている。


ここら一帯では歩いてたら何度も声をかけられるし、日本人という理由だけで写真撮影頼まれたり飯誘われたりもする。
「レストランを経営する妻が今から料理するんだ!近いから来てよ」といきなり声をかけられ、断ると今度は「シスターが絨毯を織っている」そして更には「ブラザーが伝統的ナイフを」と…。多芸多才な家系出身の方も中にはいらっしゃった。

ウズベキスタンでは日本人なら無条件でモテると聞いてたのに、いかにも怪し気な野郎からしか声がかからない自分涙目w

土産物自体は多種多様で、意外と見ていて楽しめる。
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やっぱり一番目を引くのは陶器。タシュケントやサマルカンドよりカラーとデザインのバリエーションが豊富。

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木工品に金細工。特に木工品は品質がピンキリ。似たような物も多いけど、しっかりした物を選りすぐって買う必要がある。


カーペットも定番っすな。これもピンからキリまで。高いのだとUS$4,000とか言われたわ。


そんな高級なモノ今は現金が無いので買えない?国際クレジットカードが使用できるのでご心配なく。
かさばるから今は買いたくない?日本までの配達サービスもあるのでご心配なく。
興味ある素振りを少しでも見せてしまうと、強気一辺倒の承認達は手練手管を弄して攻めの営業をしてきますからね。押して押してダメでも押す!買う気がないのであれば付け入られぬよう気を付けてください。


青果市場も充実。アプリコット、ネクタリン、プラム、イチジク、、メロン、リンゴ、レモン、葡萄、甘柿にザクロ。南国とはまた異なるラインナップのフルーツで市場が溢れてる。シルクロードの地にあるだけあって、宝石のように美しいザクロとグレープは安くて美味い。

アルク城 ブハラ発祥の地に建つ歴代君主の居城


旧市街地を西へと進んでいると、万里の長城かのような立派な城壁が見えてきた。歴代君主の居城・アルク城のようだ。この城は少なくとも紀元前4世紀頃から存在していたことが最新の発掘調査により分かっており、ここが古代ブハラ発祥の地と考えられているそうだ。

ひだり みぎ
幾多の民族が栄枯盛衰を繰り返したシルクロードの歴史舞台に立ち、外敵に破壊されては立て直されという破壊と創造のサイクルを続けてきたアルク城。現在の城は18世紀の物がベースとなっているそうだ。


ふーん。まぁ入ってみるかと思い入城すると、城門を入った直ぐ先がいきなり牢獄。歴代のハンは反対勢力を城門前の広場で容赦なく見せしめのための残忍な方法で罪人を公開処刑していたそうだ。ご丁寧に、当時の雰囲気を出すために気味の悪い蝋人形が置かれている。

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こちらは19世紀後半のウズベキスタン人の典型的お住まい。おっさん、こたつで茶飲んでてちょっと親近感わく。ピンク基調で全体的に可愛らしいムードなのは奥様の趣味かな。

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これはシルクロード砂漠の中のオアシス都市ですわ。キャラバン隊が往来していた当時の様子が思い浮かんでくる。

ボロハウズモスク 君主専用モスク

続いて、アルク城の真向かいにある君主専用だったというモスクへと進む。


素木を見るとなんだかほっとする。並び立つ胡桃の木の列柱が圧巻です。

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そして、外と中のギャップね。正面にはド派手な装飾がなされた龕があり、その上には黄金のシャンデリアが垂れ下がっているという成金趣味。

イスマイール・サマニ廟  中央アジア最古のイスラム建築


更に西へと進んでいくと、中央アジアで最古のイスラム建築とされるサーマーン朝の王族の霊廟に行き当たった。日干し煉瓦を積み上げ造られた四角形の土台に大小のドームが乗るという独特の構造で、外壁にびっしり施された美しい幾何学模様も相まって、その造形美に暫しうっとりと見とれてしまう。

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四角と三角のレンガだけで敷き詰められたレンガが作り出す美しい幾何学模様。この建物も、モンゴル軍襲来時に砂漠の砂に埋もれていたことから破壊を免れたそうだ。とても1200年前に造られたとは思えない完成度の高さである。

預言者ヨブの泉 水不足問題に対するソリューション

廟の近くにはもう一つ、ユニークな建物が建っている。預言者ヨブの泉というらしい。

ブハラの町が慢性的な水不足に悩まされていた時代、ヨブが杖で地面を叩くと聖なる水が湧きだしたという故事の場所だそうだ。人類の水問題に対するソリューションとしてのヨブじいさん。今ではアラル海の90%が消滅するに至って様々な環境問題が併発しているそうだが、ヨブさんまたひょっこり現れてくれませんかね。でも逆に言うとあれか。ヨブじいさんが出てきたら、日本の水インフラ技術の価値が下がってしまいますね。

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そんなヨブさんの泉の近くには場末感たっぷりの遊園地が。


先日引退発表されたマクレガーさんじゃないっすかw

ビシュケクでも町中にポツンと置かれたパンチングマシーンを見かけたが、旧ソ連圏ではパンチングマシーンが人気なのでしょうか?

ここまでで町の西側の見所をあらかた見終えたと思うので、最後に旧市街地の中心で見逃した観光スポットを見て回る。

ミルアラブメドレセ  現役のイスラム神学校

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ウズベキスタンにある大半のメドレセ(イスラム教神学校)の殆どは既に神学校の役目を終え、内部を土産物屋にしたような観光地になってしまっているのだが、ここだけは現役バリバリの神学校として未だに機能しているそう。しかも、宗教が否定されたソ連時代に於いてもウズベキスタンで唯一開校を許されたという名門校らしい。それ故にセキュリティもばっちりで、残念ながら内部に入ることは許されていない。


とても学校の校舎には思えないっすw 住み込みで学習する生徒もいる寄宿学校のようだけど、どんな授業してるんだろう。

カラーンモスク  インスタ映えするモスク

ミルアラブメドレセの正面には、これまたインスタ映えする造りのカラーンモスクがある。
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最大一万人もの信者が同時に礼拝出来るという巨大な回廊型モスク。この地には古来よりモスクが建てられていたそうだが、こちらもモンゴル軍がメタメタに破壊しきってしまったので、現在残っているのは16世紀のシャイバーニ朝の時代に建てられたものだという。

カラーンミナレット 玄人受けする独創的ミナレット

そんな巨大なカラーンモスクはミナレットも巨大で、高さは45.6mとブハラのミナレットでは最大となる。アザーンの音を町中に響かせるだけでなく、見張り台としての役割もあったそうだ。


カラフルなタイルで彩られたサマルカンドのミナレットと比べると、サンドベージュ色の日干し煉瓦のみで建てられたカラーンミナレットは一見すると随分と地味め。それでもよくよく目を凝らして観察してみれば、煉瓦の組み方を変えることで14層もの繊細な幾何学文様を創りだすという凝った意匠になっています。超独創的で玄人受けするようなミナレット。これにはさすがのチンギスハンも深い感銘を受けたようで、この党だけは破壊をしないよう部下に命じたそうだ。ただ、帝政ロシア時代に塔が崩壊してしまった為、今ある塔はその後に復旧されたもの。


レンガとタイルで築かれたエキゾチックな神学校跡、廟、モスクが盛り沢山のブハラ。首都タシュケントとは違い。ロシアの影響が及ぶ前の本来の中央アジアの姿が保存・再現されていてすっごく楽しめます。

また、規模的にもちょうど良い。サマルカンドに比べると1km四方ほどと観光エリアが狭い範囲に固まっているので、頑張れば一日で観光することもできちゃいます。

ということでブハラの旧市街地観光は終わり。明日はブハラ郊外にあるブハラ王の宮殿と“死者の町”ことチョルバクルを訪問、その後に高速鉄道でサマルカンドへと移動する予定。



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宿泊記 ブハラでのお勧め宿 Kukaldosh Boutique Hotel

ブハラでの宿はbooking.comで予約したKukaldosh Boutique Hotel(クカルドシュブティックホテル)という個人経営の宿に泊まることに。

元々はキャラバンホテルという宿の予約を取ってたんですけど、ブハラへの移動数日前にオーバーブッキングになり泊めれないので他の宿をあたってくれと一方的な通告を受けまして。自社サイトからコミッションを払わずに済む予約が入ったからbooking.com経由で予約をしたワイが弾き出されたとかそういうことだろうけど、ぎりぎりになって一方的に予約をキャンセルしてくるとか、キャラバンホテルはほんとふざけてるわ。

結局、宿泊日数日前にもかかわらず空室のあった残り物ホテルの中から一番マシに見えたKukaldosh Hotelを選択した。売れ残りの負け組みホテルから選んだので期待値はゼロで向かったのですが、果たして…

場所

ただ、場所だけは良い。旧市街の中心にあるラビハウズから東に100mちょい。ブハラ自体小さな町なので、見所の殆どは徒歩で回れる便利な立地です。


周囲の環境に見事に溶け込んだこちらの建物がKukaldosh Hotel。周りに似たような民家も多く、最初はこの建物がホテルだと気付かずに通り過ぎてしまった。


エントランスも一般的な住宅風で、入るのを躊躇するレベル。隣で外壁の塗装をしてたオッサンに「ホテル?」と伺ってみたところ、力強く頷いてくれたのでノックをしてから入っていく。



入口の直ぐ先がこじんまりとしたロビーなのだが、人の気配がしないし、呼び鈴的な物も鳴らしても反応が無い。大丈夫?住居侵入罪的で拘束されたりしない?

ウズベキスタンの伝統家屋風で良い感じの中庭もあるけど、やっぱり誰もいない。お祈りタイム的なので皆さん出払ってるのかな?それとも、外壁を塗装中だし実はオープン前だったとか?
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10分ほど待ったかな。ようやくオーナーの彼女的な女性が外から帰ってきてくれチェックインすることができた。部屋数僅か10。超少人数で切り盛りしてるみたいだし、ホテルというよりも家庭的な民宿といった感じです。受付のお姉さんも掃除のおばさんも悪戯好きのシェフも、皆さん個性があって良いチームです。

部屋:スタンダードツイン

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部屋の中も伝統家屋風で、居心地は悪くない。家具類は綺麗だし、wifiも飛んでるし、無料の水もあるし、中庭に面した部屋なのですっごい静か。


ウェルカムスイーツもゴマ菓子にドライフルーツにキモ甘砂糖菓子にと地元の特産品が並ぶ。特にキイチゴのような実の砂糖漬けは、砂糖の塊を食べているかのようで強烈な味だった。日本の砂糖菓子とは全然違う。


金庫とハンガーの入ったクローゼットもありますし、短期滞在で必要な物は一通り揃っています。

ひだり みぎ

朝方にシャワーの水温が上がらなかった点を除けば良い部屋です。部屋の質だけでいったら寧ろキャラバンホテルより良いんじゃないだろうか。残り物には福がありましたね。

朝食


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朝食も一般家庭のダイニング風で、下手なブュッフェよりも全然楽しめる。量的にも一人だと食べきれない程の家庭料理がどんどんと運ばれてきます。

そして…
さあチェックアウト!素晴らしい滞在をありがとう…と決算しようとしたところ、クレカ端末機が壊れたので現金下さいと。「それ、電池切れてるだけじゃね?」って指摘してみたけど、壊れてる壊れてるの一点張り…
仕方無く、銀行まで出向いて両替をしてきましたとさ。

最後は残念でしたが、まぁ新興国あるあるっすかね。クレカ手数料を払いたくない気持ちも分かります。

【Kukaldosh Botique Hotel Bukhara】


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所在地:Mekhtar Ambar St. 115, Bukhara 200118, Uzbekistan
電話:+998 65 224 53 99



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搭乗記 ウズベキスタン航空ビジネスクラス B767-300ER タシュケント⇒ブハラ

ふう。ようやく退屈なタシュケントの町を離れてブハラへと移動できる日がやってきた。

首都タシュケントからブハラへの移動はウズベキスタン航空で。

元々は高速鉄道での移動を計画してて、わざわざタシケント駅まで乗車券を買いに行ったんですが…


ID110番が営業時間中にさぼってるのか、窓口が閉まったまま。待って待って待って、待った挙句に空席無しと。

仕方無く、ここではブハラ⇒サマルカンド、サマルカンド⇒タシュケントのチケットのみを購入し、タシュケント⇒ブハラは飛行機で飛ぶことにした次第です。

【乗車券代】
ブハラ⇒サマルカンド エコノミークラス 運賃=56,700スム(≒700円)
サマルカンド⇒タシュケント ビジネスクラス 運賃=105,000スム(≒1,300円)

時刻表は、こちらのウェブサイト(日本語対応)もしくはウズベキスタン鉄道公式サイト(英語対応)で確認可能。

都市間長距離鉄道には特急以外にも普通快速のレギスタン号、快速シャーク号なんかもあるようですが、特急に乗りたい場合はアフラシャブ!って言っておけば大丈夫。窓口のおばさんは簡単な英語も話せたので、ロシア語を話すことなく乗車券を買うことができました。

タシュケント市内から空港へ

移動日当日は朝一のフライトに乗るべく宿泊先のウズベキスタンホテルが手配したタクシーで空港へと移動。料金は空港からホテルに来た時と同じくUS$5で交渉しようと思ったんだけど、メーターで走りますから安心してくださいとホテルスタッフに言われてタクシーに乗り込んだ。

あ、ウズベキスタンにもメーター付きのタクシーがあるんだ!と感心したのもつかの間、スマホを弄くり出す運転手。どうやら携帯端末がメーター代わりに使われてるみたいなんだけど、胡散臭いな~と思ったら案の定。運賃70,000スム(≒750円)強で、空港からウズベキスタンホテルに移動した白タクより高くついた。市内から若干遠い国内線ターミナルまで走ったことを考慮に入れても高いっすわ。早朝割り増し代金?ホテルスタッフもグル?釈然としないままタシュケントの地を後に。

タシケント空港国内線ターミナル


国内線専用ターミナルであるタシケント空港第3ターミナル。2011年開業とオープンから日が浅く、外観だけみると比較的綺麗。

出発便は早朝の時間帯に固まっているようで、狭苦しい空港内には人の洪水ができていた。

こういったカオスを回避する為にビジネスクラスを予約したのに、人で溢れるタシュケント国内線ターミナルに優先チェックインなんて概念は存在しなかった。もちろんビジネスクラスラウンジなんて気の利いたサービスもありません。


やたらと前に並ぶ人たちのチェックイン手続きに時間がかかってるのは、体重チェックでもしてるからか!?と思ったけど、ニュースに出てたような体重チェックはなく、単純に職員の手際が悪い為だったよう。


安全確保の為に必要な措置として乗客の体重チェックが義務付けられたなんてニュースになってたけど、面倒になって止めたんかな。ワイ2人分以上の重みがありそうな小錦級の白人観光客も完全スルーだった。


搭乗券も入手できたし、ブハラに行く前に手持ち現地通貨を増やしておこう…と思ったら銀行もこの有様。営業時間内なのに、起こすのに罪悪感を覚えるくらいの勢いで爆睡してた。



カフェも店員が不在で食べ残しが思いっきり放置されているし…「頑張っても頑張らなくても給料は皆平等!それなら一生懸命働いただけ損!」という社会主義の悪弊なのか、とにかく資本主義側の世界から来たら驚かされることが多かった。

フライト:ウズベキスタン航空 タシュケント⇒ブハラ


タシュケントからブハラまでの距離は273マイル。ちょうど東京-伊丹くらいの距離っすね。沖止めされた飛行機へはギュウギュウ詰めのバスにて向かいます。ここでも勿論ビジネスクラス専用バスなどありません。


滑走路付近では等間隔に設置された見張り台から歩哨が目を光らせていましたが、空港内などは他の観光客の皆様もバシャバシャと写真撮り放題。世界最悪の独裁者とまで言われたカリモフさんがお亡くなりになってからウズベキスタンも変わってきてるんでしょうね。聞いていたよりはオープンな感じでした。

ひだり みぎ
レトロなウズベキスタンカラーでウズベキスタン政府専用機かのようなウズベキスタン航空機。こんな短距離の国内線区間なのに、機材はワイドボディのB767-300ER。


いざ搭乗。すると…誰か私の席に座ってるw しかもめっちゃ我が物顔w ブハラからの便に乗るウズベキスタン航空社員のようだけど、なんでガラガラなのによりによってワシの席に座ってるんだw 朝一のフライトで寒かったから、座席を温めてくれたのかなw

恐る恐る搭乗券を見せて「そこ私の席なのですが…」と声をかけると、明らかに不機嫌そうな顔をして反対側の窓側席に移動していった。座席番号はあるけど皆さん好きなところに座り放題という中国のバスシステムみたく、まさかの実質自由席だったのか?

ひだり みぎ
ビジネスクラスは2-1-2が3列の計15席。その内、私を含む3人が観光客、6人がウズベク航空関係者で搭乗率6割w


ひだり みぎ
レザーがひび割れてたりテーブルにシミが残っていたりと年季は入ってるけど、成田やモスクワまで飛ぶワイドボディ機だけあって足元は広々。


ウェルカムジュースはアップルジュース・リングジュース・水の三択。別に喉かわいてなかったので不要と伝えたところ、「飲んでください!あなたはアップルジュースを飲むべきです!」とばかりにアップルジュースを押し付けられましたw それも笑顔なく終始ムスッとした表情でw 不愛想なお節介スタイルとかすごく斬新で反応に困ってしまいましたが、とりあえず飲みたくもないアップルジュースを一気飲みすることにしました。


押し付けられたアップルジュースを渋々飲みながら機内誌チェック。巷の評判よりも意外としっかりとした会社なのか、会員プログラムも用意されているようです。


ネットワークもなかなかのもので、ウズベキスタン航空は国内線だけでなく国際線の就航地も充実。ニューヨークまで直行便飛ばしてるとか本当かよ。と思ったら本当に飛んでた。疑ってごめんなさい。


タシケントからニューロークまで12時間50分。ビジネスクラスで往復24,167,862スム(≒30万円)。意外と中央アジアとニューヨークって遠くないんですね。イメージ的に14-15時間くらいかかるんだと思ってた。自分の地理感覚なんて当てになりませんね。

ひだり みぎ
今回の目的地であるブハラへはタシュケントから南西方面へと1時間のフライト。中央アジアの首都タシケントの町をオンタイムに飛び立つと、あっという間に眼下一面に砂漠が広がった。いよいよシルクロードの舞台にやって来たんだと実感が湧いてきます。


暫くすると、辺り一面砂漠の中に広がるオアシス・アイダール湖が見えてきた。やっぱりスタン諸国は郊外まで行かないとその国の良さを感じることができなそうっすね。定年後に時間ができるようになってからまた戻ってきたいっす。


…なんて思ってたら、あっという間に機体は高度を下げ、眼下に広がる小さな町へとアプローチ。結局、離陸後はムスッとしたCAさんは一度も姿を現すことはありませんでした。


10:10ブハラ着。これならブハラへの移動日も一日丸々観光できるので、飛行機で移動して結果オーライと思うことにしよう。


ラウンジもなければ、機内サービスも強制的に飲まされたウェルカムドリンクだけと、ビジネスクラスの恩恵を受けることは殆どなかったが、優先降機はばっちり。3年の池上くらいのディフェンス力を誇る客室乗務員が体を張ってクラス間の関所を守っていました。


3年の池上。ディフェンス力に定評があります。


不愛想でディフェンス力のあるオバ様たち、ありがとうございました。



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