ウドンタニからラオスとの国境の町・ノンカイへ

ウドンタニでの短い滞在を終え、いよいよラオスとの国境に接するノンカイまで北上する時がやってきた。


お世話になったバイクを返却し、西洋風の淡いクリーム色が御洒落に光るウドンタニの鉄道駅舎へと向かう。

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ここからノンカイへは僅か40キロ程の距離。やはり短距離なだけあってバスやミニバンでの移動が主流なのだろうか、鉄道の駅構内では閑古鳥が鳴いている。そりゃあそうだよな、便数も多く冷房完備のバスの方が使い勝手も快適さも鉄道の上を行く。それでもね、鉄道ならではの魅力ってやっぱりある訳ですよ。


運賃も鉄道旅行の魅力の一つ。ノンカイ行き鈍行列車415号の当日券、運賃はなんと11バーツ(30円強)ときたもんです。バスだと40バーツだったので、29バーツも節約できますねw。30バーツありゃ市場で朝飯が摂れますから。


15分遅れでやってきた全席3等の鈍行列車。そうそう、こののんびりとした独特の旅情がまた良いじゃないですか。

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空気が淀んでいたので窓を全開にし、強烈な熱風を浴びながら不毛なサバンナを駆け抜ける。

母なる大河が流れる大都会バンコクや黒々とした豊かな森に囲まれた北部の街チェンマイにいると感じられないが、ここイサーンに来ると、タイが熱帯サバンナ気候に属しているという事実に気付かされる。

乾ききったラテライトの大地をサバンナの草原と背の低い潅木が見渡す限り何処までも覆い尽くす。変わり映えのしない退屈な景色ではあるけれど、タイの奥地までやってきたと感じさせる風景だ。


不毛なサバンナを突っ切り、ウドンタニから1時間弱でノンカイに到着した。ラオスのビエンチャンはもう目と鼻の先である。


ノンカイ駅発着便の時刻表。2016年2月現在、バンコクへは一日4便出ているようだ。Express DRCは寝台車が無いので要注意。
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待ってましたとばかりにトゥクトゥクが待ち受けるノンカイ駅前。ここからノンカイ市街地へは4-5キロ、ラオス側へのイミグレ行きバスターミナルへは1.5キロ程離れている。市街地に行くにはどうしてもトゥクトゥクに頼らざるを得ないだろう。片道50バーツ、そこまで無茶な言い値で仕掛けてくる悪徳ドライバーもいないようだ。

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何も無い線路沿い。不毛な大地感が半端無い。


国道212号に出ると漸く人が生活している様子が見えてきた。


本日のお宿は明日のラオスへの移動を考慮して国境近くのTanzeno Hotelに。アゴダでの予約で朝食込み3,500円。廃れた町には勿体ないくらいに立派な外観のホテルである。



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見所の少ないウドンタニ市内(ノーンプラチャック公園・博物館・寺院)

本当、市内では昼間っからホテルの一室で乱痴気酒乱パーティーとかバービアでハイテンションな老ファランやタイ人姐さん(年齢層高し)とハイファイブしながらビールを飲み交わすみたいな楽しみ方しか無さそうな退屈なウドンタニ。大した見所が無いと分かっていながらも、ノンカイに移動する前に町の半径5キロ県内を隈なくバイクで走ってみることにする。

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やっぱり町の中で一際大きな存在感を放つのは巨大な貯水池を中心に整備されたノーン・プラチャック公園。池の中にはコンラッドホテルで見るような黄色いアヒルが浮かび、池の周りでは老若男女がジョギングやエアロビクスに励む。市民の憩いの場としてそれなりの賑わいを見せているが、観光客的には人間観察ができるくらいのもの。容赦ない灼熱の太陽が照り付けてくるので、長居は禁物だ。


続いて、池の南にあるウドンターニー地域博物館へ。蓮の花が浮かぶ池の奥に見える優雅な洋館がタイらしからぬ独特の雰囲気を醸し出している。


遠目で見ると王侯貴族の離宮かの様な建物だったのだが…。近づいてみるとどうも様子がおかしいぞ。

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展示物の残骸と思しき廃材や建材なんかが至る所に投棄されている。塗料のペール缶なんかも大量に放置されている所を見ると、改修工事でも行われている最中でクローズしてるのだろう。グーグル先生の情報でも「本日営業」となっているし、鉄道駅前の観光案内にも博物館改修に関する情報は一切無かったのだが…。

仕方なく、引き続き市内をバイクで見て回ることに。

市街地中心部には中国系タイ人の商店が多く、各商店の看板には漢字も多く踊る。その他にも国境を接するラオスやベトナム人、更にはベトナム戦争絡みでアメリカ人の退役軍人も少なくないことから、ウドンタニは様々な文化が混ざり合う人種のモザイクのような街といった印象を受ける。


ポーシー通り(Phosri Rd.)に大規模な寺院を発見。第三級王室寺院としても認定されているWat Pothisomphonらしい。第三級と言っても僧侶の質や権威が一等・二等と比べて劣等というわけでなく、一般人により建立された後に王室の認定を受けた寺院は等しく第三級になるんだと。第一級は王族自らが建てられた寺院で、第二級は王族に寄進するために建てられた寺院なんだと。決して三流寺院のレッテルを張られた没落系寺院という訳ではありません。


背の高いヤシの木なんかも植えられた広ーい敷地内では犬の鳴き声が響き渡る。なんとも長閑な寺院である。

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中央のストゥーパは三段構えの台の上に。

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国王フミポンを探せみたいな絵画がズラリ…。

くっそー、こんなグダグダするなら郊外まで攻めていきゃ良かった。ウドンタニは大型デパートや多くの呑み処がありダラダラとマイペースで長逗留するには良いかもしれないけど、気合入れて敢行するような街ではありません。バーンチエンやプー・プラ・バート歴史公園への拠点として1泊するだけで十分!



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ウドンタニの本頭公媽とタイ-中国文化センター

どうも町の図体が大きいだけで見所に欠けるウドの大木的なウドンタニ。だからと言ってホテルに引き籠るのも勿体ないので適当にバイクで流していたところ、鉄道駅近くの湖畔に何やら中華寺院のような建物を発見。

門に本頭公媽と書かれているところを見ると、本頭公という土地の神を祀った廟であろう。バンコクやチェンマイでも見るくらいタイではそこそこに有名な廟である。

本頭公は日本では無名の存在だが、タイやベトナムを中心とした東南アジアでは良くみかけるレギュラー級の神様。中国南部の氏神が華僑の移住先で祀られ、各地の土地神として信仰されるようになったみたいだ。

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湖畔一帯が中華な雰囲気の寺院パークのように整備されていて、にぎやかな中国的な色づかいがタイの田舎町の中で異彩を放っている。

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龍やら虎やら強くて縁起良さそうな生き物がウヨウヨいてフェスティブでエンターテイニングな雰囲気。今にも大五郎カットで髪型を統一した腕白小僧雑技団による獅子舞が始まりそうだ。

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いかにも中国風な寺院の中国風な神々にタイの寺院で見るお供え物が並ぶ。ここの神々は「ビールは青島ビールしか受け付けん!」みたいな拘りはないのだろう。郷に入れば郷に従えという世渡り上手の為の格言を実に良く弁えられてらっしゃる。

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見てくれはヒゲを生やした“いかにも中国人”という格好の神々ばかりだが、それでいて彼らはタイ国籍の土地の神なのだ。ここの華僑の人たちも同様に民族意識のレベルでは華人でありつつ国民カテゴリーとしてはタイ人であると認識してるんだろうな。参拝に来る華僑の皆様、普通にタイ語も喋ってるし。

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寺院公園のお隣にタイ中国文化センターなるワンダーランド的な空間を発見。

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中庭には錦鯉が放たれた池まで設けられてたりと、地方都市の小さな文化センターの割には随分と気合が入ってる。

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壁面には二十四孝の故事に関するレリーフが。左は、7歳の頃に離ればなれになってしまった母に会う為に、官吏職を棄て家族とも別れて遠路遥々故郷に戻って母親を捜し、実に50年ぶりに母と再会した宋の朱寿昌の説話。右は、父の葬儀費を捻出する為に奴隷として自らを売り、その孝行話に感動した天女と結婚したという董永さんのお話。親孝行系の話ばかりがズラリと並んでいて、一つ一つに対して中国語とタイ語の説明パネルまで用意されている。

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なんと!道徳博物館wなるものを発見。中国系団体が運営する施設で道徳を語る博物館を見るなぞ露にも思わなんだ。

赤を基調とした派手めな館内にはウドンタニの華僑コミュニティの歴史や孔子思想に関する展示物が並んでる。空調も効いててそれなりに立派なのに入場は無料、その代わりに‘強制的お布施’攻撃が来るのだろうかと覚悟する。
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ウドンタニには19世紀後半から華僑商人の植民が進み、徐々に徐々に華僑経営のグロセリーショップや貴金属店が増えていったそうだ。道徳とは一切関係無いような華僑の自慢話が展示コースの前半を占める。


本頭公媽を取り仕切る団体は学校や医療施設の運営なんかもやっていて、どちらかといえば霊媒カルトではなく現世利益崇拝の為の民間人による自発的結社で、色々と公共事業にも足を突っ込む団体といった感じ。越境して流入する中華難民に食事や宿泊先を提供することから始まり、徐々に徐々に活動範囲を広めていったのだろう。

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下のフロアは孔子の教え一色。大きなフロア一帯に使って儒教で言うところの五常八徳に関する説明がなされている。


ちゃっかり孔子学院の宣伝も。孔子学院とは、海外の教育機関と提携して中国語や中国文化の普及を目指す中共肝いりの公的教育機関。“信者”を獲得する度に紹介料が入るというビジネスモデルなのだろうか。


お土産コーナーもあり、「義」や「忠」「孝」といった孔子八徳の教えに因んだ漢字Tシャツなど、孔子ファン必見のオリジナル品が売られてるw。

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博物館の見学を済ませ、併設の中国茶屋・平安茶へ。懸念されていた強制お布施や洗脳活動、孔子学院への強制入学などはありませんでした。


平安茶では王老吉(1缶50バーツ)や茶器や安っぽい中国茶なんかも売られてたが、糖分を補充したかったのでド甘いカプチーノフラッペ(70バーツ)を注文。従業員は中国語を話せるかと期待していたが、タイ語オンリーで指差しオーダー以外に意思疎通ができなかったので、速攻で飲み干してこの場を後にした。

【タイ-中国文化センター】

住所:39 road, Muang district,Udonthani province
電話:042-242444



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カビンブリ・グリーン・ホテル(Kavinburi Green Hotel)

ウドンタニでのお宿は鉄道駅近くのカビンブリ・グリーン・ホテル。北に行けば行くほどホテルの値段が安くなっていくようで、2015年開業とオープン間もない清潔なホテルなのに朝食付きで込々3,000円。日本人感覚的には非常にお値打ち感のあるホテルである。


バービア街・鉄道駅・UDタウンから徒歩圏内、セントラルプラザは目の前、コンビニ徒歩1分、空港まで車で10分と絶好の立地にあり、ウドンタニ観光の拠点としても便利が良い。今回は利用しなかったが、空港までは06:10から18:00まで、一日12本も無料のシャトルバスまで運行してるようだ。

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ホテル予約サイトのア○ダ特有の写真詐欺が怖かったが、ウェブサイトに掲載された画像の通り、小ぶりながらお洒落で清潔な三ツ星ホテルになっている。歯の矯正器具を着けた垢抜けない女性スタッフの素朴で奥ゆかしい感じの対応も可愛らしくて堪らない。


部屋は決して広くはないがコンパクトで機能的。新しいだけに全ての照明はLED、エアコンも最新型が付いているところはホテル名で「グリーン」を謳うことだけある。太陽光発電システムや風力発電用のミニタービンなんかも備えられているらしく、ガチの環境路線を走っている。


蚊が多すぎるので使い物にならないが、各部屋は小さなバルコニー付き。

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三ツ星だとはいえミニバーも揃っているし、wifi速度も問題無いので部屋の居心地としては悪くない。問題は部屋の狭さと壁の薄さかな。狭い面積のフロアに客室が詰め込まれているので、ワーキングデスクは狭いし、隣部屋からの声や物音が気になってくる。ここら辺を気にされる方は近くの大型宿泊施設であるセンタラホテル&コンベンションセンターを選択したら良いと思う。


ユニットバスより狭いシャワーブースと洗面トイレ。シャワーは一定時間使用すると温水が出なくなるタイプ。エコに配慮してという訳ではないだろうが、肌寒くなる朝晩に冷水の滝行は体に堪えるので要注意。


トイレもエコ洗浄式。グリーンを語るだけあって水回りにもエコの姿勢が徹底されている。

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最上階の7階にはフィットネスセンターとプールもある。周囲に高層建築物がないだけあって見晴らしは良い。


プール脇にはオープンエアレストランもあり、チェックイン時に手渡せるウェルカムドリンクバウチャーでノンアルコールカクテルと交換できる。


シーフード炒めが辛すぎて食べられず…。


朝食は1階ロビー横のカフェスペースで。宿泊客はタイ語のできない老ファラン+英語のタイ人娘の組み合わせばかり。同じ境遇に分かり合ってるのか、老ファラン同士が妙に打ち解け合ってて何かウケた。いや、なんかね、タイで溺れる白人様ってヤケにプライドだけは高い輩が多いもんで、「俺はアメリカの政府に努めてきた公僕だったんだ」とか「俺は元軍人で何々のアワードを授けられたエリートだったんだ」とか、見栄の張り合い合戦が展開されててだね…。ギャグかよみたいなエピソードがぶっ放されたりと、盗み聞きで随分と楽しませてもらいましたわ。

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朝食は激辛メニューも無く、スープ・サラダ・フルーツ・炒め物・炭水化物系などなど万人受けするメニューが揃っている。

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どうですか。3,000円のホテルの朝食にしては十分な内容の朝食でしょう。エッグメニューもありますしね!

ウドンタニに来た際にはまたここを利用すると思う。便利だし安いし居心地良いし。

カビンブリ・グリーン・ホテル(Kavinburi Green Hotel)


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住所:299/99 Prajaksilapakom Road, Makhaeng, Muang Udon Thani
電話:+66 42 326 888


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地味系世界遺産・バーンチエン遺跡(Ban Chiang Archaeological Site)

コンケンからの鉄道移動が遅延も無く予想に反してスムーズで、予定より早くイサーン随一の商都・ウドンタニの町に到着した。駅を出るなり商業都市としての活気が感じられる賑かな町であることに気付かされるものの、駅の観光マップに拠ると、どうも市内の観光資源には欠けるようである。

こうなったらもう勢いに身を任せるしかない。翌日に訪問計画していた50Km程東のノーンハーン群バーンチエンにある古代文明の墳墓遺跡を攻めることにしよう。

バーンチエンには黄河文明・メソポタミア文明とは全く異なる東南アジア独自の古代文明跡が残っている。はっきり言って耳にかすったことすらないマイナーな文明なんだが、それでも1992年には考古学的重要性が認められて世界遺産にも登録されたそうだ。東南アジア最古の農耕文明跡なんだと。

遺跡へのアクセスは世界遺産のくせしてすこぶる悪く、公共交通機関を使った行き方としてはウドンタニのバスターミナルからサコンナコーン行きのバスに乗り、22号線沿いの近くでトゥクトゥクに乗り換える方法しかないようだ。至極不便。

乗り換えとかトゥクトゥクドライバーとの交渉は煩わしいんで、今回は手っ取り早くレンタルバイクで移動することに。ホテル近くのセントラルプラザの対面で見つけた個人店舗にてバイクを借り上げる。


タイホンダ産のクリック125Iをレンタルし、一日の賃料400バーツとデポジット2,000バーツを合わせた2,400バーツをお支払い。レンタル契約の締結にあたって身分証明書が必要になるので契約の際はパスポートを携帯しておこう。免許証の提示は不要。


グーグル先生曰く、ウドンタニからバーンチエン村への道順は至ってシンプル。ウドンタニの中心部から22号線をひたすら、もうただただひたすら東に向けて走るだけだし、バーンチエンまでの距離を示した看板も頻繁に出てくるので、土地勘のない余所者でも迷う事はない。


ウドンタニを発って約40分ほど経っただろうか、三差路に土器を模した微妙なデコレーションと共に左折を示す看板を発見。ウドンタニからバスで移動する場合もここで下車し、トゥクトゥクまたはバイタクに乗り換えることになる。

バーンチエン文明は発掘された土器や骨なんかから紀元前3000年前後に栄えていたと推定されている。紀元前30世紀というと中国黄河流域に龍山文化が栄えた頃とほぼ同時期か。黄河の黄河文明・ナイル川のエジプト文明・チグリスユーフラテス川のメソポタミア文明・インダス川のインダス文明と古代文明は大川の流域に発生することが考古学上の相場の筈だが、メコンからも離れたイサーンの僻地に果たして文明が栄え得たのだろうか。発見当初は5000-7000年前の遺跡と判断されて世界最古の農耕文明跡と騒がれていたところ、今では紀元前3,000年前の文明跡という説が圧倒的優位になっているみたいだが、本当はもっともっと最近のものなんじゃないのだろうか。
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紀元前に栄えた文明が消滅した後、バーンチエンの地に再び人が移り始めたのは18世紀後半になってから。メコン川流域より徐々に人が移住し始めた頃には紀元前の遺跡の一部が地表に露出しており、周辺の村人は考古学的重要性を考えずにそこら一帯に出土した土器を日用品として利用してきたそうだ。そんな中で1957年、村の医者がトイレを建てようと穴を掘ったら幾何学模様が施された三つの土器を土中に発見、ようやくこれらの土器が考古学的に重要な遺品だと考えられ、大規模な発掘調査が開始されたとか。紀元前の土器を違和感なく日用品代わりに使っちゃうタイ人、ブラボーだわ。

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そんな仄々としたバーンチエン村を国道22号線から10分ほど走るとバーンチエン遺跡博物館へのゲートが見えてくるのだが、とても世界遺産とは思えないショボイ造りに思わず不安を覚えてしまう。

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これまたショボすぎる博物館のエントランスには満面の笑みで何かを語りかけてくれている地元の青年2人のみ。ここまで地域振興に活かされてない世界遺産は初めてかもしれん。とにかく、過疎地の地域博物館並に集客力が無い。

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それでも腐っても世界遺産ということか、経済波及効果を求める商人たちによる博物館の入り口周辺には土産屋は揃っていて、遺跡からの出土品と同じ製法で造られたという独特の渦のような幾何学模様をもつ彩色土器なんかが並ぶ。

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少し土臭いミニ壺やキーホルダーをバラマキ土産用に大量調達し、壺を入れる為のバッグも購入。

土産を確保し、受け付けデスクで居眠りをかます怠惰な兄さんを起して入場券を買い求める。

チケットはタイ人と外国人の二重価格となっているのでタイ人のフリをしてみるものの、言語能力的にあっさり看破されてしまう。仕方なく外国人料金150バーツを支払い、いざ入館。

意外にも綺麗に整備された館内の主要展示品は、やはり素焼きの陶器のようである。クリーム色の地の上にラテライトの色そのままの鮮やかな赤で、流麗な渦を巻いた文様が一面に施されている。その渦巻き模様は縄文土器のように緻密に施されているわけではなく、どちらかといえばのびのびとおおらかな作りで、どこか中国の仰韶文化圏で発掘された土器群を想起させる。
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これらの多くは紀元前3000年程の物で、焼締の際の割れ防止目的で籾殻が混ぜられていることから当時稲作が行われていた可能性が示唆されている。

1,800-2,300年前後の土器。もう少し昔の作品は直線基調の装飾が多い印象だが、ここらの年代になると大きな渦巻き模様が増えてきているようだ。肉厚も微妙に薄くなってるかな。自分もロクロをやってみたことあるけど、薄くするのって難しいんだよな。自分の壺造り技術は紀元前3000年のバーンチエン人くらいのレベル。
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縄文土器の模様や造形なんかは人々の生活を表現した記号だったらしいけど、これらバーンチエン土器の模様も何かしらの意味を持ってそうだ。なんでも鑑定団に出したらお幾ら万円程になるのだろうか。


縄で模様が付けられた縄文土器とは異なり、こういったローラーで模様を付けていたみたい。これ、やっぱり紀元前3,000年前は数字盛り過ぎだろとは思うわな。

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人骨の展示も豊富w。人身御供の儀式でもあったのか、多くの場合で食品が入ったポッドと一緒に人骨が埋葬されていたようだ。


こちらは弾丸のような小球や青銅の斧と共に埋葬されたVulcanと名付けられた骸骨。頭元に置かれたDo not sit pleaseのサインがなんかシュール。こんな気味悪いところ座りたくないわい。

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ここから先はお化け屋敷並のホラー感を漂わせる。

どういった民族により築かれた文明なのかは判明していないそうだが、出土品から予測される当時の生活の様子が再現されている。どうやら当時の人々は青銅器で刀や農具を作り、稲作と畜産をベースとした生活を営んでいたようだ。
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1,800-2,300年前のバーンチエンで最も人気のあった土器デザインは赤線による幾何学模様。壺を形作ってから手製のローラーでデザインを施し、乾燥した後に焼き固めるという単純工程ではあるが、作品の一つ一つから当時の人々の手先の器用さが伝わってくる。

バーンチエン古代文明に生きた人々の平均身長は男が162.5-172.5cm、女は147.5-155cmと現代タイ人と比べても変わり映えしない体格だったようだが、平均寿命は前期27歳、後期34歳と大変に短命だったと推定されている。出土品から色んなことが判るもんだな、しかし。

でも、発掘された遺品からこれだけこのことが判明しても、バーンチエン文明が滅びた理由は未だ解き明かされていない。そもそも、この地方の乾いたサバンナの大地を見る限り、ここが原始的な農耕に適した土地であったとは到底思われないし、これらの農耕文明が滅びたことよりは、むしろここでそのような文明が成立し得たことの方が余程不思議に思われるくらいだからな。

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こちらは発掘現場のジオラマ。1974年から1975年にかけて行われたペンシルバニア大学による発掘作業で123体のスケルトンが出土したそうだ。

結局、博物館は1時間程度で見学終了。続いて博物館から勧められたワット・ポー・シー・ナイ(Wat Pho Sri Nai)博物館へと寄ってみることにした。
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人気のないひっそりとした寺院の一角に東屋風の小さな建物が設けられていて、中では発掘現場が発掘当時のままで展示されている。

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ピットが浅く見易いので土器やら人骨やらが出土した様子が凄く良く分かるけど、何とも反応に困るというか…。

なんか、どうも最近はこの手の遺跡を見ても驚かなくなったというか新鮮味を感じなくなったというか。好奇心が摩耗しちゃったかな。帰りは終始無言でスロットルを開け続け、往路は1時間かけてじっくり走った所、帰りは40分強でウドンタニのホテルへと帰還しましたとさ。「世界遺産」と聞くとどうしても足を運ばねばならないという強い衝動に駆られるものだけど、バーンチエンは正直Must-visitではないというのが結論だ。

【バーンチエン遺跡】



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