本当、市内では昼間っからホテルの一室で乱痴気酒乱パーティーとかバービアでハイテンションな老ファランやタイ人姐さん(年齢層高し)とハイファイブしながらビールを飲み交わすみたいな楽しみ方しか無さそうな退屈なウドンタニ。大した見所が無いと分かっていながらも、ノンカイに移動する前に町の半径5キロ県内を隈なくバイクで走ってみることにする。
やっぱり町の中で一際大きな存在感を放つのは巨大な貯水池を中心に整備されたノーン・プラチャック公園。池の中にはコンラッドホテルで見るような黄色いアヒルが浮かび、池の周りでは老若男女がジョギングやエアロビクスに励む。市民の憩いの場としてそれなりの賑わいを見せているが、観光客的には人間観察ができるくらいのもの。容赦ない灼熱の太陽が照り付けてくるので、長居は禁物だ。
続いて、池の南にあるウドンターニー地域博物館へ。蓮の花が浮かぶ池の奥に見える優雅な洋館がタイらしからぬ独特の雰囲気を醸し出している。
遠目で見ると王侯貴族の離宮かの様な建物だったのだが…。近づいてみるとどうも様子がおかしいぞ。
展示物の残骸と思しき廃材や建材なんかが至る所に投棄されている。塗料のペール缶なんかも大量に放置されている所を見ると、改修工事でも行われている最中でクローズしてるのだろう。グーグル先生の情報でも「本日営業」となっているし、鉄道駅前の観光案内にも博物館改修に関する情報は一切無かったのだが…。
仕方なく、引き続き市内をバイクで見て回ることに。
市街地中心部には中国系タイ人の商店が多く、各商店の看板には漢字も多く踊る。その他にも国境を接するラオスやベトナム人、更にはベトナム戦争絡みでアメリカ人の退役軍人も少なくないことから、ウドンタニは様々な文化が混ざり合う人種のモザイクのような街といった印象を受ける。
ポーシー通り(Phosri Rd.)に大規模な寺院を発見。第三級王室寺院としても認定されているWat Pothisomphonらしい。第三級と言っても僧侶の質や権威が一等・二等と比べて劣等というわけでなく、一般人により建立された後に王室の認定を受けた寺院は等しく第三級になるんだと。第一級は王族自らが建てられた寺院で、第二級は王族に寄進するために建てられた寺院なんだと。決して三流寺院のレッテルを張られた没落系寺院という訳ではありません。
背の高いヤシの木なんかも植えられた広ーい敷地内では犬の鳴き声が響き渡る。なんとも長閑な寺院である。
くっそー、こんなグダグダするなら郊外まで攻めていきゃ良かった。ウドンタニは大型デパートや多くの呑み処がありダラダラとマイペースで長逗留するには良いかもしれないけど、気合入れて敢行するような街ではありません。バーンチエンやプー・プラ・バート歴史公園への拠点として1泊するだけで十分!
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