三人のアユタヤ王が眠るワット・プラ・シー・サンペット

王宮跡の南にあるアユタヤ王朝の王宮守護寺院・ワット・プラ・シー・サンペットはアユタヤー朝中期の15世紀末に建立された。伝説によればこの地にはアユタヤ王朝の開祖・ラーマーティボーディー1世に(ウートン王)よって宮殿が建てられていたとされるが、15世紀後半のトライローカナートの時代に宮殿が現在の宮殿跡に移築し、この地は宮中儀式が執り行われる仏教施設となったという。謂わば元祖アユタヤ宮殿の跡地だ。さらに時代は下り1492年、ラーマーティボーディー2世により現存する3基の仏塔の中央と東側の2基が建立され、それぞれ父王であるトライローカナート王と兄王のボーロマラーチャーティラート3世の遺骨が祀られたことで王宮の守護寺院となる。この後、ラーマーティボーディー2世が崩御すると彼の遺骨を納める為の第三の仏塔が建てられ、仏塔の東側にはアユタヤの富を象徴するような高さ16メートル重さ171キロの純金に覆われた立仏像が建てられた。本堂と仏像は1767年のビルマ軍による第2次アユタヤ侵攻で破壊されたが、1957年に仏塔の修復が行われ、現在は3人の王が眠る白く風化したスリランカ様式の3基の仏塔と寺院遺跡が残っている。

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3基の仏塔はセイロン(現スリランカ)風の釣り鐘型。大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡と比べ、漆喰などが当時の状態のままに保存されているため、古都アユタヤの建築がそのまま見ることの出来る貴重な遺跡としてアユタヤ一の観光スポットになっている。

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恐らくこちらが本尊を祀った礼拝堂跡だろう。相当な規模の寺院だったことが遺跡からも見て取れるが、ビルマ軍の破壊活動もまた相当なものだったに違いない。基壇や壁、柱の一部を残すのみとなっている。

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1351年、ウートン王によってこの地に都を築いて以来、35代の王が417年間に渡って偉大なる歴史を築きあげてきたアユタヤ王朝。世界中の商人が集まる世界有数の貿易都市として栄華を誇ったアユタヤ…遺跡を歩いていると時の流れの儚さ、諸行無常を感じざるを得ない。

【営業時間】07:00-18:00
【入場料】50B(約150円)

巨大な黄金坐仏が鎮座する プラ・モンコン・ボピット

白と深紅に彩どられた三角屋根の面白い建物物を発見。観光マップを見ると、高さ12.45メートル(台座を含めると16.95m)、幅9.55メートルというタイ最大の青銅仏であるプラ・モンコン・ボピット仏を本尊とする現役の寺院となっている。変な名前がが、「モンコン」は「吉祥」、「ボピット」は「清浄」をそれぞれタイ語で意味し、吉祥で清浄なモンコン・ボピット仏が収められているので、プラ(寺)・モンコン・ボピットとなる。

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17世紀前半のソンタム王の治世に元あったワット・プラ・チアングから現在の場所に移管され、同時に屋根が幾層にも重なり中央が尖るモンドップ型の大仏殿が造られたそうだ。18世紀初めには落雷の直撃を受けて大仏殿の屋根が崩壊、大仏像の首ももげてしまった。修復されて数十年後の1767年にはビルマ軍の攻撃により大仏殿の屋根が出火、仏像自身の右手と頭部も欠落してしまったという悲しい受難の歴史があるそうな。その後ラーマ5世時代に修復が進められ、1956年に現存の礼拝堂が完成、大仏も漆喰で補修され、その後には金箔を塗ってグレードアップさせたとのことだ。案内看板には更に礼拝堂完成の前年には当時のビルマ首相がアユタヤーを訪れ、過去のビルマ軍の行為に対する謝罪を表明し、この礼拝堂修復のために20万バーツを寄附したという逸話も紹介されている。日本からのODAを大衆に告知しない某国とは違う。

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礼拝堂に近づくと、ワット・タンミカラートにもあった松平建風の寝顔像がここにも!!こちらにも解説はなく、残念ながらこの顔面の由来は分からい。

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そして法界定印を組んだ手の像と奇妙なオブジェ…理由があるんだろうが、体のパーツがバラバラに個別に展示されていると有難さより不気味さしか感じないのだが、タイ人は普通に手や顔面の像にお祈りをしていたりする。

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噂の御本尊様である巨大座仏は本堂の真正面に威風堂々と鎮座している。二度に渡り頭や腕がもげるという災難を経ながらも何事も無かったかのような涼しいお顔。流石は仏陀。そしてお体も青銅製だが金箔が塗られているので見る者の目をチカチカさせるほどに真っ金金!!観光客の注目の眼差しを一身にお受けになっています。

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サイドビュー。横から見ても流石の存在感。

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大仏の脇には本尊様を取り囲むように金箔を塗りたくられた仏像が並んでいる。

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金箔まみれで顔の原型を留めていない像もあり、試合後のボクサーのように見えて何だか痛々しいのだがwww

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本尊の前に固まってカメラを構える観光客の横で仏像に熱心にお祈りを捧げるタイの方たち。現役の寺院だけあって神々しく厳粛な雰囲気が有るので、流石に騒ぎ立てる迷惑な観光客はいないようだった。ハスの花とろうそく、お線香の参拝3点セットは礼拝堂前の露店に売られているので、お望みであれば観光客も見よう見まねでお祈り体験をすることができます。私もワット・ロカヤスタで習った通りにタイ式の参拝を披露してみたが、周りのタイ人からは何だか怪訝そうな眼で見られてしまった…

【営業時間】8:00-16:30
【入館料】無料

癒しの家・クンペーン・レジデンスと象

アユタヤ歴史公園の中心地まで戻ってきた。ワット・プラ・ラームの道路を挟んだ向かい側に建つ風情ある建物がクンペーン・レジデンスだ。タイの有名な叙事物語『クンシャンとクンペーン』の描写を基に再現されたアユタヤ時代の伝統家屋である。

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寝っころがりたくなるような美しく管理された芝生。

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内部も見学可能とのことなので、靴を脱ぎ、梯子を登って2階へと向かう。バリアフリーなんて概念はここには無し。おじいちゃんおばあちゃんや足腰の不自由な方とかどうしてたんだろう。

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チークの床がピッカピカに磨き上げられていて歩き廻るのが恐れ多いほどだ。『ヒトは木によりそって やすらいできた』じゃないけれど、木造住宅独特の安らぎ、安心感に満ち溢れていて、何というかホッとする。科学技術の発展は機能的かつ美しい無機質素材を多様に生み出したが、自宅でも職場でもいつも無機質素材に囲まれていたら息苦しく感じるものだ。その点、木も人間と同じように生きている生物素材だからだろうか、木や緑に囲まれていると心が和む。

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こちらはキッチンらしい。熱や灰が拡散しないように小さめの造りになっている。

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豊富にある木を燃料にするだけでなく建材として活かす発想を得て、雨が多く蒸し暑い気候とうまく付き合う為、木の吸湿放湿性や断熱性を活かした。加工のし易さ、設計自由度の高さ、軽さを活かして風通しの良い家屋を建てた…大袈裟ではあるが、タイで見られる木造家屋は古代からのタイ人の生活の知恵の結晶でもあるのだろう。

癒しの家・クンペーン・レジデンスで和んだ後は周囲を散歩。すると、道路を横切る像を発見。タイ=像みたいないイメージがあるくらいだが、至る所に象を見たり乗れたりするわけではなく、基本的にはエレファントキャンプ的なところでしか見ることができない。アユタヤにはそのエレファントキャンプの一つがあるのだ。
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のっしのっしと闊歩する像と少し恥ずかしそうに歯に噛む観光客。象に乗ったまま遺跡巡りができるそうだ。車道を避けてきっちり歩道を歩く姿を見ると○国人より文明的であるかもしれないとも思ったりするwww気になるお値段は園内だけなら7分で300B(約900円)、外に出るコースだと15分で400B(約1,200円)もしくは25分で500B(約1,500円)いずれも一人あたりの料金となる。

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像使いは私を見るなり童謡『ぞうさん』を歌い始めたではないかwww

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馬や像は臭いが気になることがありますが、流石は世界遺産都市でご活躍される像様、きちんとシャワーを浴びて清潔感をきっちりキープ!

一人で乗るのもなんだかなぁなので今回はパス!

ジオラマで学ぶアユタヤ文化 アユタヤ歴史研究センター

旧タイ修好100周年の記念行事の一環として日本のODAにより1990年8月に設立されたアユタヤ歴史研究センター。アユタヤの歴史文化に関する国家レベルの研究機関としてリサーチ活動に精を出すだけでなく、昔の生活や文化を再現した模型や映像などを用いてアユタヤに関しての知識を広く一般に紹介しているらしい。日本で言うところの江戸東京博物館のようなものであろう。廃墟や寺院の陰に隠れたアユタヤの地味観光スポットだ。

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流石に公的資金で造営されてるだけあって建物は非常にモダンで高級感あふれる。お堀まで掘っちゃって。内部の展示は『王都としてのアユタヤ』『港湾都市としてのアユタヤ』『政治権力と当時の中心としてのアユタヤ』『昔のタイの村人の生活』『アユタヤと諸外国の関係』という5つのテーマに分かれている。一般的な博物館の展示とは一線を画した構成となっていて、単に歴史的に貴重で高貴な見ごたえのある展示物をズラリと並べるのではなく、史実に基づいてアユタヤ王朝時代の構造物や人々の活動の様子を表した模型が解説と共に揃えられている。仏像や骨董品を眺めて『ふ~ん』となるのではなく、より具体的なイメージを持ってアユタヤ王朝時代の文化や人々の生活ぶりを知ってもらいたい考えからこういった展示内容になったのだろう。

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例えば、こちらのジオラマなんかは当時のアユタヤで文化的に重要であった子供の剃髪の一幕を表している。一般的に女子は11歳、男子は13歳の時に剃髪の儀式が行われていたらしい。儀式の前日に主催者は僧を家に招いて経を読んでもらい、一晩中お祝いの宴を持ったそうだ。朝になると子供に白いに布を着用させ、仏教僧またはバラモン僧によって剃髪されたそうだ。

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こちらは妊産婦の苦しむ姿が嫌にリアルな出産のご様子。乳児死亡率が恐ろしく高かったそうだが、これは新生児にとりつく悪霊の仕業と考えられていたので、生後1か月の間は魔除けのお祓いをしていたそうだ。剃髪にお祓いに、僧は引っ張りだこ。

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続いては寺での教育の様子。僧はここでも大活躍なようで、子供の教育まで僧が担っていた。勉強初日にはワイクルーと呼ばれる師に感謝の意を表す為の儀式を子供たちにさせて、花と線香、蝋燭、キンマの葉に包んだビンロウジの実を供えたそうだ。

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結婚式の様子。当然、こちらでも僧の皆さまは大車輪のご活躍。

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こちらは伝統的な高床式家屋。

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この世に生まれ来る者あれば去り逝く命もあり。埋葬の儀式は遺体を水で清める事から始まる。遺体を棺に納め、僧侶が遺体の前で少なくとも3日の間、お経を唱えてもらう。その後、寺の敷地や村の外の森でバナナの葉などで美しく飾り付けた薪の上に遺体を置き、僧がお経を読む中で死者の親族が火をつける。火葬は一晩以上の時間が費やされるのが常で、火が絶えた後は親族が遺骨と遺灰を回収して埋葬もしくは安置したそうだ。

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独特のタッチで描かれたこちらの絵画はマサッカル人の叛乱の絵。17世紀初頭よりアユタヤ王は欧州の商人と対抗し、ムスリム貴族の支持を得てアユタヤとインド東岸の港湾都市との貿易を促進しようとした。しかし、アユタヤの宰相の地位まで上り詰めたギリシャ人・コンスタンティン・フォールコンの影響力が増大するに従って、それらムスリム貴族たちの勢力は放逐されるようになり、マカッサル人の叛乱が発生したそうだ。

こんな感じで、遺跡巡りだけでは知り得ないような当時の文化や人々の生活ぶりがよく分かる展示物が揃っている。昔のタイ人の生活は質素で、お産から教育、結婚、葬式と、生まれてから死ぬまで宗教が深い関わりを持っていたことがよく分かる。タイ人の僧侶に対する高い尊崇の念は、過去からの伝統が受け継がれてのものなのだ。

【営業時間】09:00-17:00
【入館料】大人100バーツ、子供50バーツ

タイ国有鉄道~アユタヤ駅~

ワット・ヤイ・チャイモンコンからアユタヤ市内へ戻る途中、遥か彼方まで真っすぐと伸びる鉄道のレールを発見。南の国際都市バンコクと北部最大の都市チェンマイの751.42kmを最短11時間で結ぶタイ国有鉄道のクルンテープ=チエンマイ線(本線)の線路であろう。バンコク~チェンマイの寝台列車での旅とかロマンに溢れすぎていて、想像しただけで気分がウキウキしてくる。
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地図を見るとアユタヤの鉄道駅はすぐ近くのようなので、ちょっと寄り道することに。

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こじんまりとしながらも旅情溢れる駅舎。駅前にはレンタサイクル屋があるしバイタク運ちゃんもうろついているので、バンコクから鉄道で来ても不便はしないだろう。

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単式ホーム及び島式ホーム2面の複合型ホーム3面4線をもつ地上駅だ。

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南線はバンコク行き、北線は最遠で北に650Kmの位置にあるタイ北部最大の都市・チェンマイまで走ります。流石は世界遺産都市アユタヤの鉄道駅なので、これだけ小規模な駅ではあるが一応は一等駅であり、特急の停車駅でもあるらしい。

ひだり みぎ
北行きと南行きそれぞれの時刻表。クリックすると拡大できます。これを見たらバンコク行きは22:55アユタヤ発が最終便のようだ。バンコク駅からの距離は71.08km、特急で約1時間半、普通列車で約2時間で結んでいる。普通列車利用の場合の運賃は、3等車で15バーツ(約45円)、2等車で35バーツ(約105円)、1等車で66バーツ(約200円)、特急列車利用の場合は指定席で315バーツ(約945円)で、昼食のサービスが付くそうだ。因みにバンコク-チェンマイ間の756Kmの基本料金は最安値の3等で121バーツ(約360円)、1等でも593バーツ(約1800円)、これに列車の種別やエアコン有無、寝台有無などで費用が追加されていく。例えば急行なら+80バーツ、エアコン付き2等寝台の上段なら+220~250バーツといった具合である。利用する列車や車両の種別や等級によって料金が細かく異なる料金体系となっているようなので、タイ語の出来ない外国人にとっては辛いところだ。

座席
◎1等:エアコン付2人用個室で、夜は上下の2段ベッドになる。
◎2等:一部寝台、一部座席タイプ。座席は片側2人がけ、エアコン付きかファンのみの2種類ある。寝台のベッドは進行方向建て並びで上下2段。
◎3等:2~3人がけ、クッション無しの木製シート。

路線
合計4路線でタイ全土を網羅している。
◎北線:バンコク~チェンマイまで。所要11~13時間。
◎南線:マレー半島を南下してタイ南部最大の都市ハートヤイにいき、そこから南東方面のスンガイコーロク行き(15~22時間)と南方面のパタンプサール行き(17時間)に分岐。
◎東線:バンコク~カンボジア国境のアランヤプラテートまで。所要5時間30分。
◎東北線:バンコクからナコーンラーチャシーマーまでいき、そこからラオス国境のノンカイ行き(11時間)とウボンラーチャタニー行き(8~12時間前後)に分岐。

上手い具合に鉄道を乗りこなせれば国境を越える旅も楽しめる。例えば、バンコクから14:45発のバタワース行きSP EXP35に乗ると翌日正午に到着、20:55発翌06:45着のクアラルンプール行きの列車に乗ることができる。あるいは、バタワースで一泊すれば翌朝7時発の列車に乗りば21:40にはシンガポールに到着することもできる。嗚呼、自分にもっと時間があれば…

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