アンコール王朝のルーツが見れるワット・プー

Honda WaveというASEAN仕様の100ccのカブを飛ばしてやって来たワット・プー。プーなんて脱力系の名前ではあるが、れっきとした世界遺産になっている。ラオス南部のタイ・カンボジア国境近くの山の中腹にあるこの遺跡の由来に関しては諸説あるようだが、今から遡ること千年以上も昔に、クメール人の王国・真臘によって建造されたヒンドゥー教大寺院跡という考えが定説となりつつあるようだ。当時はワット・プー周辺のチャムパーサックの地が下流地域の中心地であり、真臘はここを起点にインドシナ半島へと勢力を拡大していったので、ワットプーは言わばクメールの揺籃の地にあるアンコール遺跡の本家ともいえるだろう。因みにクメール帝国が滅亡した後には仏教の民ラオス人の国家ラーンサーン王朝が興り、クメールにより建造されたヒンドゥー神殿は上座部仏教の寺院へとリニューアルされ、今日に至るそうだ。まぁリニューアルというかヒンドゥー寺院跡に仏像をそのまま奉納しましたよ、みたいにな感じでヒンドゥと仏教が融合しているようなイメージか。

メコン沿いの公道を突っ走ってやってきたワット・プー。
ひだり みぎ
灌漑用貯水ダムや信者の沐浴に使われたとされる聖池の向こうに見えるリンガ山を背景に北宮殿と南宮殿が対峙し、山の中腹の木々の下にクメール王たちの神殿跡がひっそりと佇んでいる。こここからコーケーやベンメリア経由でアンコール都城へと続く“王道”の出発点ともなっているようだ。


東西600m南北200mの堀に満々と水を貯えた聖池に挟まれた道をリンガ山に向かって突き進む。


参道は山腹の神殿へとまっーすぐ一直線に伸びている。両側に立つのはシヴァ神の男根であり子孫繁栄の象徴であるリンガ。何十本の男根がお出迎えしてくれるお寺を卑猥ととらえるか、神聖と捉えるかは人それぞれ。

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カンボジアのプリア・カーンやバンテアイ・スレイの参道もワットプーに倣って設計されたのだろうか。


真正面にそびえたつ聖なる山リンガパルバータ(リンガの山)。シヴァ神の象徴・リンガのように大地を突き破り天空に向かってそそり立つような形のヒマラヤの聖山カイラースに似ていることからリンガの山と名付けられたのだろう。


卑猥(!?)な画像で申し訳ないがリンガにズームアップ。石灯篭かと思ったが、確かにリンガと言われればリンガに見えてくる。シバ神のエネルギーの象徴として、これ自体も崇拝の対象だそうだ。本場インドには更にリアルでグロテスクなリンガなんかも拝まれたりしているようだ。

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参道を進むと見えてくる宮殿跡。右側には北殿、左側には南殿が残されているが、保存状態は芳しくなく、修復中により中に入ることは禁じられている。とはいっても警備網が敷かれているわけでもないので、入りたければ普通に侵入できてしまいそうだ。

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北殿の側廊正面の破風には聖牛ナンディンに乗ったシヴァ神と妻のパールヴァティの像、その下の楣石にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神の像が彫られている。これらは11世紀に増築された時に細工されたと考えられている。

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尚もリンガが立ち並ぶ歩廊を山に向かって歩き、第一の階段を上ったところから来た道を振り返る。参道や宮殿跡、チャンパーサックの大地が見渡せて、何となくクメール王たちの見た夢を感じれる気がしてくる。


階段を上った先の十字型テラスに立つドバラパーラ像。土着のクメール人たちは古来から精霊信仰・祖先崇拝・地方の守護神・地霊などの信仰を持っていたが、その神概念の間口が広く、インドから到来した神々と土着信仰の崇拝対象が途中で融合していき、長い年月をかけてヒンドゥー教の神々や仏陀までが何の違和感もなく土着の神々と同じ場所において崇められてきたというが、やはりここラオスのクメール寺院でも仏教とヒンドゥー教がミックスされているようだ。


尚も山腹に向けて石段の道を歩く歩く…聖池からは1Km近く歩いただろうか、足場の悪さは余り気にならないが、容赦なく強烈に照り付けてくる直射日光が相当に堪える。日影が無いので帽子と水の携帯は必須だと思い知ったが時すでに遅し。

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続いて更なる急こう配の階段が…しかも、いつから生えているのかラオスの国花プルメリア(チャンパー)の立派な根っこによって足場が一部崩壊しかかっている。ここで無念のリタイヤを宣言するアメリカ人とみられる白人多数。そしてデブの白人を励ますツアーガイド。「デーブ、もう少しだ!登りきろう!君ならできる!」。励ますガイドのラオス人少年の激励虚しくデーブ並びに他の白人爺はここで脱落。遥々ラオスまでなーにやってんだよデーブ。


最後の77段の階段を登りきった先の涼しげな木陰の中に見えるのはワットプーの主祠堂。駐車場からじっくり40分ほどかけてようやく辿り着いた主祠堂。疲れた分、喜びもひとしお。でも、同じ山岳寺院のプラヴィハーンやパノムルンと違って本殿が山頂ではなく30mほどの切り立った岩壁の前に建てられているのは意外だった。


人里離れた山の中の静かな密林にたたずんでいる感じが神聖な雰囲気を醸し出している。

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一部苔むしてしまっているが、連格子の飾り窓もアンコールワットを彷彿とさせる。

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主祠堂の柱にはドバラパーラや女神アプサラの像が細部まで丁寧に彫られてたり、左側の通路の楣石には3頭の象に乗ったインドラ神、右側の通路の楣石にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神の浮彫が施されている。完璧にヒンドゥー寺院だが、内部では袈裟をまとった僧侶が仏像に拝み倒してるんだから面白い。


アンコールワットの女神の像にもよく似ていて、どこか人間離れした奇妙なクメールの微笑み。どこか不気味な感じがすると思うのだが、それでもクメールの微笑は人を引き付ける。クメールの王道をテーマとした小説を書いたフランス人作家のアンドレ・マルローなんかも女神像を盗堀して国外に持ち出そうとして逮捕されているし、現在でも金目当ての盗掘が後を絶たず、頭部が無残にも削り取られた女神たちにも会ったりする。これらの盗掘品はタイ経由で闇ルートにのって全世界の愛好家のもとに法外な高値で売りさばかれるようだ。

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まぐさ石のレリーフは深く彫り込まれていて保存状態が良く、しっかりとヒンドゥーの世界観が伝わってくる。3頭象のアイラーヴァタに乗るインドラ神(左)に毒蛇カーリアを退治するクリシュナ神(右)。

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主祠堂の中央に祀られた、とぼけたお顔の仏像さん。多民族により建てられた他宗教の神殿ではあるが、このほのぼのとしたご尊厳の仏像が残され人々の信仰を集めていたことで、ワットプーは破壊を免れてきたのかもしれない。


本殿の背後は絶壁の岩肌がむき出しになっている。岩の僅かな隙間なんかにもお供え物や宗教的な彫刻などがあって、ワットプー寺院を含めた山の空間全体が神聖視されていることが分かる。


向って左から創造神ブラフマン、破壊神シヴァ、維持神ヴィシュヌ神が岩に浮き彫りにされた三神一体像。

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主祠堂を出て山の麓に行くと崖のところに人が集まっている。この崖の聖泉から沁みだす聖なる湧水を汲みに来ているのだ。

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聖水を浴びたり飲んだりしてキャッキャとはしゃぐタイ人。飲み足りないのか皆さん持参した水筒に水を蓄えてお持ち帰りするようだ。


岩の間から滴り落ちる聖水。トタンの樋を通って石樋に貯められ、ヒンドゥー教の儀式でリンガに注がれていたようだ。


こちらは人身供養のための生贄の儀式で使われたとされる鰐石。岩のくぼみに生贄の体がはめこまれたのだろうか。

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圧巻は本殿前から見下ろす真っ直ぐに伸びた参道と、真っ青な空に白い雲の下に広がる潤いある緑のラオスの大地。広いメコンの大地や様々な王国が勃興した古都チャンパーサックの街並みが眼前に広がり、思わず往時に思いを馳せてしまう。


周りは静かで神聖な空気が流れているし、いくらでもぼーっとしていられる。ここからクメールの王道がアンコールワットまで通じていたなんてロマンのある話じゃないか。このロマンこそが遺跡巡りの醍醐味だ。

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ずーっとこうして遠くを眺めていたかったが、暗闇の中をバイクでパークセーに戻るのは危険そうなので、日暮までに切り上げることにした。

【ワット・プー】
開園時間:08:00-18:00
入園料:30,000Kip

レンタバイクで世界遺産ワットポーへと日帰り旅行

さー、やってきた。初ラオス。バスターミナルでトゥクトゥクに拾われホテルに投宿。荷物だけおいて紹介されたLao Chaleun Hotelの悪徳レンタバイク屋で借りたカブでワットポーを目指す。


パクセーからチャンパーサック郡にある世界遺産ワットプー遺跡までの距離は約60km。かつてはメコン川を渡し船で越えねば辿り着けないアクセスの悪い陸の孤島だったが、2000年にメコン川に架かるラオ日本大橋が日本の経済援助で完成してから道路も整備され、車やバイクで1時間もかからずに訪れることが出来る場所になった。そのため、今回のようにウボンから国際バスで14:00にパークセー入りした後でも日帰りでワットポー観光に出かけることができる。そりゃあ日本人はビザフリーでラオス入りできますわ。

パークセーのレンタバイクバイク情報は別頁にアップしているのでそちらを確認いただくとして、100ccのカブ(Honda Wave Z)にまたがりパクセーの市街地を出てタイとラオスをつなぐ国道10号をタイ方面に向かっていくと、メコン川に架かる大きな橋を渡ることになる。
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これが噂のラオ日本友好橋。全長1,380mの長く立派な橋で、メコン川に架かる4本の橋梁のうち他の3本はタイとの国境に架橋されているので、メコン川上でラオスの国土を結ぶ唯一の橋だそうだ。


地味ーに10,000キープ紙幣にもデザインされている。


橋を越えてタイ方面に向かって直進。ラテライトの砂利道で前を走るトラックがまき散らす砂埃で視界が遮られ苦戦。ラオスの手荒い洗礼を受け体中赤土だらけの原始人のような風貌になりながら、ギアを落として時速40Kmの安全運転で乗り切る。因みにラオスの公道の時速制限は周知徹底されておらず、若い男たちは普通に80Kmオーバーで横を走り抜けていく。

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ほぼガスメーター0で出発したのでガス欠にならぬかと不安になった折、ようやくガソリンスタンドが見つかった。距離的には往復の移動で30000キープ分のガソリンでちょうど良いといったところだと思うが、保険をかけて少し多めに100B(300キープ)と10000キープでお支払。結局今日はこの40000キープで事足りた。

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事前に入手した大雑把な地図によると、ワット・プーへ行くにはタイへ続く道を途中で左折してメコン川沿いに南下しなければならないようだ。土地勘が無いので不安ではあったが、道路以外は田んぼや野原ばかりなので見つけるのは容易いものだ。ガソリンスタンドからすぐ行ったところで三叉路にぶつかり、「ようこそ我らが世界遺産のワットプーへ」的な看板が目に入ったので、左に折れ南下する。後は長閑な一本道をチャムパーサックの町に向かって南下するだけだ。


墓石のような標識によると、かつて西暦5世紀頃に栄えたチャムパーサック王国の首都であるチャムパーサックの町まで後20キロ。世界遺産になったワットプーと合わせてチャムパーサックの町もセットで世界遺産に登録されている。チャムパーサック地方はメコン川によって紀元前から栄え、様々な王国が勃興した舞台であり、インドネシア半島を席巻した巨大なクメール王国にとってもここが揺籃の地だったのである。

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イサーンでは村や田んぼが幹線道路から奥に入っていることが多いが、ラオスでは幹線道路に接している為に道路沿いから田園地帯を見渡すことができる。田園地帯の真ん中に伸びる舗装された一本道で風を切って走るのが気持ちよく、ついつい私も時速80キロで飛ばしてしまう。


山々が連なる中に広がる無限の田園。ラオスの国土の80%は標高500m-2000mの山地で占められているが、メコン川沿いはタイから続くコラート平原となっていて、平たんな地形を活かした水田水稲作が盛んにおこなわれている。乾季は稲作や食用昆虫の採集、雨期になると湿地で漁業を営んだりと、ラオス南部では地域の自然環境に合した暮らしが営まれているようだ。


メコン川だ!

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川を渡ると集落に入る。チャンパーサックの町なのかな。

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学校や高床式住居、寺院などがあるが、町というよりは村、集落といった規模。

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子供達が陽気に「サバイディー!サバイディー!」って声をかけてくれる。本当愛くるしくて癒されるし、なんか応援されてるマラソンランナー気分になってしまう。

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僧侶は歩いてワットプーを目指しているのだろうか。それも裸足で。

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1時間もかからぬ内にワットポーへ到着した。バイクの駐車料金と入場料を払っていざクメールの大遺跡へと入っていく。

ウボンラーチャターニー⇒チョンメック経由パークセー

本日はタイのウボンラーチャターニーから陸路ラオスに抜け、そのままラオス南部の都市パークセーへと移動する。ラオスと聞くだけでちょっと未知で未開な感じがするのは否めないが、ウボンからはパークセーへの直行国際バスが出ているので、国境越え難易度としては決して高くない。ただ、ラオスと言っても「東南アジアで唯一海を持たず、山に囲まれた内陸の森林地帯に位置する仏教国でアジアの桃源郷」「ラオス愛国戦線が前身で、今もマルクス・レーニン主義を標榜し、C国共産党のような綱領を掲げるラオス人民革命党とかいうおどろおどろしい名称の政党が一党独裁してる」「水力発電すげぇ」くらいの不十分なイメージしか湧いてこない。包まれるつもりはないのに何故か謎のベール包まれたアジアの未開拓地、失礼ながらそれが行く前の私の中のラオスのイメージで、今回の小旅行も別にラオスに行きたい!!ってのがモチベーションになっていた訳でもなく、あぁ、何、タイから陸路で入れるの?え?ノービザ?まぁせっかくタイの東の最果てまで行くんだからいっちょラオスにも顔出すか、程度の考えだった。


本日の移動経路。ウボンのバスターミナルから140キロの距離を3時間かけて走る。

【ウボン⇒パークセー 国際バス情報】
・時間:9時半発、15時半発の一日二便
・運賃:200バーツ

仮にパクセー行きの国際バスが満席だったとしても、ウボンのバスターミナルからローカルバスでチョーンメック(タイ側国境)に行き、ワンタオ(ラオス側国境)からパクセーまで乗合バンで移動することも可能。ウボンはバスと同じバスターミナルからの出発、パクセーはダオフアン市場に到着する。

【ウボン⇒パークセー ローカルバス情報】
・ウボン⇒チョンメック(タイ側国境) 100バーツ
・ワンタオ(ラオス側国境)⇒パクセー 20,000Kip
・後に貼る画像をご確認あれ。ただし、ワンタオからの乗合バスは満席になるまで待たされるし、日が落ちる前にはなくなるので、要注意。

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バスの出発は09:30だが、満席になる事を恐れて07:00にホテルをチェックアウト。チケットを確保してから空港近くのワット・ノーンブアにでも行って時間が潰せるし、まぁしょうがないかなと。どうせ早起きしたし。市街地北部にあるバスターミナルへは2番、3番、10番のソンテオで10Bとのことなので、ピックアップを改造して造った乗り合いバスに乗り込んで市街北部にあるターミナルを目指す。

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ウボン市街から空港横の幹線道路を一路北に進み、30分ほどで南国風のバスターミナルに到着した。やはりシーサケートやカンターララックと比べて人もバスも多く、規模が違うし、国境が近いからだろうか、どこか旅情に溢れている。

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屋台類も充実。朝飯は焼き鳥(3本30B)にフレッシュオレンジジュース(一杯10B)。麺やチャーハンなども供されていたが、焼き鳥の芳ばしい匂いに抗うことが出来ず、結局いつも鳥や豚の串焼きに手を伸ばしてしまう。

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写真左は国際バスのチケットカウンターで、右はウボン⇒チョーンメックのバスの時刻表。ウボンからチョーンメックへはピブーンマンサハーンでの乗り換えが必須との情報が多くみられるが、2014年10月時点ではウボン⇒チョーンメックの直行バスも頻繁に出ているようだ。

さて、チケット売り切れが怖くて早めに来てはみたものの、空席情報を問い合わせると逆に空席だらけでキャンセルにならないか心配なくらい。1時間以上空き時間が出来たので、地味なウボンの町が誇る派手なブッダガヤ風の仏教寺院であるワット・ノーンブアへとバイタクで向かう。往復60B。空港から近いのは近いが歩いていくには微妙に遠い距離。タクシーの方が安く上がりそうだったが、そもそも寺院待機は出来かねるとのことだったので、バイタクに跨ることに。


ワット・ノーンブア参拝を済ませて時間10分前にバスターミナルへと戻ってきた。こちらが気になる本日のバス、銀河鉄道999を意識してなのか、国際バス999。国際バスだけあってクーラー完備の立派なメルセデスで、運転手はいかにも飛行機のキャプテンかのようなユニフォームを着飾ってる。乗客層としてはラオスからタイに買出しにきているのであろう大量の荷物を抱えたローカルの方々が10名ほど、白人家族旅行者4名、白人バックパッカー1名という構成だ。

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チョーンメックまではウボンラチャタニから約90キロ、バスで約1時間半。メコン川の支流であるムーン川を越え、19億6650万立方メートルの貯水が可能な巨大なシリントン・ダムが右手に見えると、まもなくチョーンメックに到着する。途中、関所のようなところでパスポートチェックが行われた。他の乗客の身分証明証は念入りに確認していたが、小生は水戸黄門の印籠よろしく日本国旅券を差し出すと、ニコッと笑顔で中も見ずにスルーされた。日本国旅券、凄まじい威力である。


チョーンメックのイミグレに到着すると貴重品を持参の上で人の流れに沿って歩き、タイからの出国とラオスへの入国手続きを行う。国際バスはラオス側の出入国 事務所の近くまで行って停車しているので、徒歩で国境を越え、ラオス側で国際バスに再乗車することになる。

【国境開放時間】
06:00-18:00


出国カウンター。写真撮っても構わないというスタンスで管理ゆるゆるのイミグレだ。

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難なくタイの出国手続きを済ませた後は、今度は地下トンネルを通ってラオス側へと移動する。観光客の姿はほとんど見ないが、大量の物資を背負った飛脚のような地元民が大量の汗しぶきを飛ばしながら往来している。


トンネルを抜けた先にある、くるぶしの高さ程の柵が国境らしい。


拡大。ほんと、申し訳程度の簡易なもので笑えてくる。下手したら存在にすら気づかずに歩いていて足を引っ掛けてしまいそうなレベル。

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ラオス側の出入国管理事務所は国境の柵を越えてから150メートルぐらい先にある。徒歩で2分程度の距離で、その間には免税店や露店が広がっている。


遂にやってきました、未知の国・ラオス。


これは…免税店??前方にはラオスの出入国管理書前に国際バスが待機していて、ラオスへの入国を終えた者から順番にバスへと戻っていく流れだ。

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【ラオスへの入国】
観光目的で15日間以内の滞在の場合、日本人はビザ不要。他国の観光客がビザの取得に戸手間取っているのを尻目に我々は気にせずに窓口でアライバルカードを記入するだけで入国手続きを終えることができるので、国境側に広がるラオスの市場探索であったりラオスキープへの両替する時間が出来る。

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入国カードと出国カード。パスポートにスタンプを押してもらうのに手数料か賄賂か入国税か使途不明な40Bを請求され不審に思ったが、周りを観察していると現地人も一様に支払っていたので右に倣えで40Bをお支払い。公的な場所での支払いなのに領収書のようなものは発行されないのは訝しく思うところである。

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手続きを済ませ、国境横にあるラオス大手商銀行のPhongsavanh Bankでバーツからキープへ両替。一応パークセーではタイバーツも流動しているが、レートが悪くぼったくられること必死なので、飯代やパークセーでの移動費用のキープを確保。


1000Bが248,000LAKになって返ってきた。概ね今朝グーグルで調べていたレート通りで安心するも、古びれた札束から発せられる悪臭で鼻がもげる

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25万キープが懐に入り大金持ち気分になったので、気を良くしてラオス側の商店街へと繰り出してみる。

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おこわのお櫃やシルバーアクセサリー、巻きスカートなどラオスの民族衣装などからサッカーユニフォームのレプリカなどが安価で売られれている。腐っても国境なので結構吹っかけた値段を言ってくると思いきや、タイでは100B(300円)はしそうなシルバーのブレスレットが150円程度と言っている。仏教国ラオスの商人が正直をモットーでぼったくりをしないのか、ラオスではマージンを乗せてもそれだけ物価が安いのか未だ測りかねるが、少し値切ってみると120円になったので、多分後者なのだろう。土産用にアジアンテイストのシルバーアクセサリーを購入。


階段を下ったトタン屋根の下にもスラムと見間違えかねない貧相な商店街が広がっている。

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こちらはスーツケースや財布やリカちゃん人形の偽ブランド品などラオスとは関係の薄い代物ばかりだったのでスルーしてバスへと戻る。結局韓国人一家が戸惑いやがった関係で足止めを食らってしまったので、もう少し国境周辺を探索すべきだったか。

【ワンタオ⇒パクセー】
パクセーまでは、ラオス側の国境の町ワンタオから距離にして約50キロで、1時間程度で市内中心部から若干離れた専用のバスターミナルへと到着する。


バスを降りようとしたらアジア特有のこれ。真っ黒い肌のバイタク運転手がステーションの手前からバスに並走して我々乗客にウインクを熱いウインクを投げかけてきてましたからね。下車するなり腕をつかまれたり抱擁されたりと手荒い歓迎が待っています。汗でねちょっとするからやめてくれよ!

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市内までは50Bもしくは15,000キープ。これ以上は下がらない。少しでも早く投宿してワットプーに向かいたいので50Bで手を打ってパークセーホテルへと移動。ウボン→パークセー移動の後のワットプー日帰り移動はバイクを自分で借りて運転すれば時間的にできないこともない計算だが果たしてどうなるか。

観光客にはスルーされがちな地味な町 ウボン・ラーチャターニー

シーサケートからカオプラウィハーンの最寄町・カンターララック経由でタイ国鉄で行ける最東部の町・ウボンラーチャターニーへとやってきた。タイ、カンボジア、ラオスの3国にまたがるこの地域は自然の多いことからエメラルド・トライアングルなどとも呼ばれているが、見所はいずれもウボン郊外になるので観光客にはスルーされがちな地味ーな田舎町だ。私もウボンに何の期待もしていないし、先史時代の壁画が残るとされるパー・テムやラオスのパークセーに行く為の拠点としてしょうがなく数泊するだけの用である。名前はかっこいいんですけどね、ウボンラーチャターニーって。声に出して言いたくなるタイの町ランキングならピッサロヌークと一~二位を争えると思う。

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カンターララックからのバス。ピンクのパンツにピンクのポロシャツ、ピンクの眼鏡のイヤーフレームという奇抜なゲイファッションの旦那が運転するバスで1時間半、ようやくイサーンの東の果て、バンコクから575km東方にあるウボンの町へと辿り着いた。まだまだ今回の旅行の折り返し地点までもいっていないが、残りヒットポイントは既に半分以下に低下している。


バスはこのまま市街地北部のターミナルまで走っていくとのことだったので、勘に任せて市内のちょうど良さそうな場所で下車。


バスを降りていきなり驚かされたのはごごごぉおおおおと轟音を上げて飛ぶ飛行機。市街地に空港がある為、唸りを上げて離着陸する飛行機を真近で拝むことができるのだ。

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こちらはウボンでの宿泊先・ラーチャターニーホテル。すぐ前がナイトマーケットになっているという最高の立地条件が売りのB級ホテルだ。


ウェブサイトでは部屋やロビーの綺麗なところばかりがクローズアップされているが、水回りは相当に古く残念ながら清潔感に欠ける。まぁ立地条件を考えると一泊これで2000円ちょいなら文句は言えないし、どうせ寝るだけだからと割り切って考える。

チェックインを済ませた後はホテルの隣のアンティーク雑貨店でチャリをレンタルし、ウボンの町を探索する事に。

【レンタサイクル料金】
12時間60B、24時間100B、2日180B、3日250B。
明日は朝一で国際バスに乗ってラオスのパークセーに向かうので、とりあえず12時間レンタル。
サドルにスプリングが無い為に長時間運転した場合はケツを痛める恐れ有り。ウボンの町は見所が少ないくせに無駄に広範囲に広がっているので、チャリとソンテオ(乗り合いバス)を上手く組み合わせて街探索をする必要がありそうだ。

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先ず向かったのはメコン川の支流・ムーン川。コラート高原のサンガムペーン山地に源を発し,東流してブリーラム、マハーサーラカーム、スリン、ロイエット、シーサケット、ウボンラーチャターニなどの町を経てコーンチアムにて雄大なメコン川に注ぐ。メコン河とムーン川の流れが合流するポイントでは濁った泥色をしたメコン河と緑色の川水のムーン川が二色のままで流れるメーナム・ソーン・シー、通称「二色の河」が見られるそうだ。


ムーン川の深緑色の水とメコン川の泥色の水の二色の川筋が続いていく。


季節の関係だろうか、今日のムーン川はメコン川同様に相当濁っているのだが…


橋の上ではおっさんが一人で竿を5本も6本も置いて投げ釣り中。団子のような練り餌を使って奮闘しているが今日はからっきしのようで、カッカしているのか縄張りを侵された犬のように獰猛な感じで威嚇してくるので橋を渡るのは諦めた。そういやメコン川では重さ300Kg近い巨大ナマズ(通称メコン大鯰!って、ネーミングそのまんますぎ!))が捕獲できるなんて聞いたことがあるが、やっぱり狙いはナマズなんだろうか。流れが比較的緩やかなので鯉なんかも揚がるのかもしれない。

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ムーン川の主を気取る親父に行く手を阻まれたので、渋々ウボン市中心地方面へと引き返す。ウボン・ラーチャターニーはラオス入りのタイ側の基点となる町なのだが、やはり見所が少なく観光客は立ち寄らずに素通りする場合が多いようで、外国人観光客の姿は殆ど見かけない。ただ、交通量は比較的多く、広く整備された大通りを大型バスや新旧自家用車、ソンテウ、トゥクトゥクが多く行き交い、人力リキシャも現役で走っている。

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町の中心にあるトゥン・シー・ムアン公園へとやってきた。


こちらの立派な黄金像はロウソク像のレプリカだと。はて、ロウソク像?ここウボンでは毎年7月にスリンの象祭り、スコータイのロイクラトン・フェスティバルと並んでタイの三大祭りの一つに数えられるキャンドル・フェスティバルが開催されるようだ。仏教僧が寺院からの外出を禁止される安居入りの時期に、各寺々がロウソクで山車を作って技巧を競い合うのだという。
[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=ck2CanCo70g[/youtube]
祭りの様子。本当にレプリカ像のような立派で精緻な蝋燭アートが作られるようだ。

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王女様のドデカいポスターや寺院が公園になるのもタイらしい。

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公園内ではエアロビをしたり少林寺したりランニングしたり、思い思いに過ごしている。

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夜になると授業を終えた学生達がどこからともなく集まってきて、サッカーやスケボー、バスケットなとに興じるようになる。


公園近くのナイトマーケットも夜になると大繁盛。道行き交う車からモクモクと吐き出される排気ガスも通りすがりの人の視線ももろともせずひたすら箸やスプーンを動かす人たち。

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色々と屋台が並んでいるが、一番人気は寿司に串物。特に甘辛いタレに漬け込んだ豚肉を串刺しにして炭火を使ってじりじりと時間を掛けて焼く店は芳ばしい匂いで大量の客を引き付けている。小生も草の葉に包まれたもち米と焼き豚でシンハービールを一杯いくことに。


さんざん食った挙句、ホテル横の屋台で串焼きをもう一本。

国境紛争地帯の世界遺産カオ・プラ・ウィハーン

本日はシーサケートを離れ、世界遺産カオ・プラ・ウィハーンの最寄町・カンターララック経由でウボンラーチャターニーへと移動する。


カオ・プラ・ウィハーン(カンボジア名=プリア・ヴィヒア)はタイ東北部のカンボジアとの国境に連なるドンラック山脈に残るクメールの山岳寺院で、2008年にはカンボジア名のプレアヴィヒア寺院で世界遺産にも登録された名所である。ただ、皮肉にも世界遺産への登録が同地に於ける紛争の引き金となってしまった。国境沿いに建つことから遺跡周辺4.6Km2の土地の帰属については係争中であったのだが、カンボジアによる単独での世界遺産登録が発端となり、2008年7月には紛争が発生、2011年2月と4月には両国軍の戦闘で計28人の死者が出るほどの戦闘が繰り広げられた。そんな一触即発の臨戦状態なもんで、2014年現在でもカオ・プラ・ウィハーン遺跡へは立ち入ることができないとされているが、まぁ折角なんで入れたら儲けもの程度の気持ちで行ってみることに。

*結論から言うと、タイ側からはやはり遺跡一歩手前までしか入ることができなかった。嗚呼無念。シェムリアップの旅行会社がツアーを組んだりしているし、カンボジア側からなら入ることができるとの噂もあるので、時間のある方はカンボジア側からのアタックを試してみられると良いかもしれない。

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世界遺産のくせしてカオ・プラ・ウィハーン遺跡への公共交通機関は整備されておらず、シーサケートもしくはウボンラーチャターニーからタクシーを2000B前後でチャーターするか、最寄りの町・カンターララック(Kantharalak)までバスで近づいてからタクシーをチャーターする移動方法が一般的のようだ。小生は後者を選択し、シーサケートのバスターミナルで朝飯の焼き鳥を食べてから意気揚々とローカルバスに乗り込んだ。

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カンターララック行きの5232番のバスは、どういうわけか小便の匂いが充満している。運賃は40B(≒120円)だが、壺を持って乗車してきた物乞いの方が運賃の回収係かと勘違いして40Bを寄付する痛恨のミス。

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シーサケートを出発したバスは国道221号線の一本道をひたすらひたすら南東へと進む。

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生温い風を浴びながらイサーンの景色を楽しみ、約90分でカンターララックのバスターミナルへと到着。世界遺産への基点となる町なのに、予想を下回る小さなバスターミナルで拍子抜け。

ひだり みぎ
町自体も真白い巨大なストゥーパがあるくらいで、他には見所が無い平凡な寂れた一地方都市といった印象。カオプラウィハーン遺跡がクローズしているからだろう、バイタクの運ちゃんも商売あがったりといった感じでご機嫌斜め。


「遺跡には入れないが、遺跡近くの断崖絶壁から見渡すカンボジアの大地は絶景だよ。」とのことで、とりあえずカオプラウィハーンの近くまで行ってみることに。ここから遺跡付近への往復の移動はバイタクで400B、トヨタの新車だと600B。荷物も持っているし日差しが強いので、こちらの車にお世話になる事に。


小学校の時の塾の先生にそっくりな運転手。良い人臭が顔から滲み出ている通りに良い人で、タイ語さっぱりの私にタイ語オンリーで積極的にガイドなども務めてくれた。日本語で「いや、分からないよ。」って困った顔で言われた時点で察してくれればいいのに、律儀に最後まで付きっきりで遺跡近くの絶景ポイントなどを案内してくれた。600Bはガイド料込だったのかな。

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カオプラウィハーンは国立保全森林地域にも指定された広大な森林地帯にあり、途中で入場料として100Bを徴収される。森林局管理料云々を支払うなどという情報もあったが、行きも返りも払ったのは支払ったのはこの100Bのみ。


遺跡への道はここで封鎖されているので、近くの駐車場にて渋々車を降りる。


駐車場横に建つこじんまりとした博物館。ここまで来ながらも遺跡へとは入ることができない悲しい観光客の為を思ってか、遺跡の写真なんかも展示されている。

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タイの東北部とカンボジアは東西に延びるドンラック山脈を境として南北に隣り合っているのが良く分かる。カオプラウィハーン遺跡はちょうどこの山脈の稜線付近に位置する為、長くカンボジア・タイ両政府の間でその所有権が争われてきた。俯瞰図を見る限り国境を形成するドンラック山脈はタイ側になだらかに傾斜する一方で、カンボジア側には崖となって切れ落ちた格好となっているが、1962年、国際裁判所によってカンボジア領と裁定されている。

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カオプラウィハーン(丘の上の尊い寺)というのは現在の呼び名であり、遺跡に刻まれた古文から、かつてはSri Sikharisvara(栄光なる山の支配者)と呼ばれるシバ神を祀る神殿であったことが分かっている。遺跡を構成する建築物は断崖の頂に建てられた大宮殿と塔,そして4つの楼門、これらが北から南へと一直線に伸びる長さ900メートルの砂岩を敷き詰めてできた参道の上に配置されている。最奥部の中央祠堂背後の絶壁は高さ約650メートルで、その下にはカンボジアに平原が広がり、 東にはラオスの山並みを望むことができるそうだ。

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カオプラウィハーン(ここではタイ側の呼称で統一する)の創建者はアンコール朝の創始者でもあるヤショヴァルマン一世。9世紀に寺院の基礎が築かれ、その後11世紀のスールヤバルマン1世が今日の寺院の規模まで改築したとされる。大平原を一望に見下ろせる戦略的要地の為にカンボジア内戦時にはこの地で激戦が繰り広げられ寺院は荒廃したとされる。ああ、こんなの見せられたら余計に行ってみたくなるわ。すぐ近くにあるんだし。

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博物館を出て遺跡方面へと進んでみると、長袖で暑そうなのについてくるドライバー。もしかしたら黙って国境を越えないよう私の見張りも兼ねてるのではと勘繰ってしまうほどぴったりとマンマークされていて、要所要所でタイ語で何かを話しかけてくる。

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こんな紛争地帯にも仏像が。


流石に領土を巡る紛争地帯だけあって軍人やら有刺鉄線やらの姿が目に入るが、軍人達は至ってフレンドリーで、やれ何処から来た、やれタイはどうだと笑顔で世間話をしてくるくらい。


遺跡に一番近いタイ側の高台はタイ軍の小さな駐屯地になっている。

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軍の駐屯地ではあるが、観光客WELCOMEオーラが凄い。No Photoと書いてあるのに、写真を撮るよう逆に勧められたり、軍用レーダー(?)を使ってカオプラウィハーンを見るよう促されたりと、おせっかいなくらいに良い人が集まるタイ軍には紛争による緊張感など関係無し。


遺跡はまだまだ先のようで、肉眼で僅かに捉えられる程度。


軍用レーダーで遠くに臨むカオプラウィハーン遺跡。遺跡まで向かう方法をダメ元で軍人に尋ねてみるも、やはりタイ側からはこれ以上先に進むことはできないし、いつになれば問題が収束するのか見通しもつかないとのことだ。代わりにカンボジアの平原を楽しんで帰りなさいと諭される。


カンボジア平原の絶景ポイントへと続く階段で崖を下る。


断崖絶壁から見下ろすカンボジア平原。「地球は緑だった!」とでも叫びたくなる美しい風景だ。これだけ美しい絶景にある山岳寺院だからこそ多くの旅人がカオプラウィハーンを目指すのだろうが、それがまた不毛な国と国の争いを増長させる。皮肉なものだ。