チェンマイっ子の精神的支柱 ワット・チェディルアン

数百あるチェンマイの寺院の中でも随一の格式の高さを誇るとされるワット・チェディルアン。チェディ=仏塔、ルアン=最も大きなという名が表す通り、創建当時にチェンマイ一の巨大仏塔が築かれ、その偉容を今なお半壊状態ながら見ることができる。また、チェンマイ王朝建設の基礎となった「国の礎の柱(サオ・インタキン)」も境内に安置されていて、1年に1度だけ守護柱が開帳されるサオ・インタキン祭には毎年大勢の参拝客が国家の安寧と繁栄を願い、お花やロウソク・聖水・お線香などを持って参大挙して押し寄せるそうだ。なんだろう、チェンマイ的には日本で言うところの皇居くらいの扱いなんだろうか。とにかくチェンマイっ子にとっては由緒正しき重要な寺院なのである。


一歩境内に踏み入れると、宝石が散りばめられているかのうような派手派手な本堂に圧倒される。日本人的には何となく「由緒正しき」というと地味で控えめながらも自然とオーラを身にまとっているようなイメージだが、ところ変われば考えも変わる。ここで重要なのは一に派手さ二に派手さ三に派手さとなっているようだ。

元の始まりは1391年にメンラーイ王朝第7代セーンムアンマー王が亡くなった父を偲んで建立したと伝えられている。父子家庭で育ったのだろうか、なんという父親思い。泣かせます。
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中も金箔ぺったぺたで、目が痛くなるというか色彩の感覚が麻痺する程の豪華爛漫さ。

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封筒に願いを書いてお布施を包ませたり、天井から吊るされた帯みたいなの買わせたりと、様々な形でチャリーンとお金が落とされるマネタイズの仕組み作りがしっかりと構築されている。


こちらは本堂の西に建てられた女人禁制、男限定の祠堂。

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壁面びっしりに仏教の世界観が描かれていて、どこか神秘的な空間。ただ、特にいかがわしい表現が描かれている訳ではなく、何故女性の入場を禁止するのか分からない。よほど神聖な場所のようだが、もしかしたらこの祠堂にサオ・インタキンが保蔵されているとか。


本堂の裏手にある高く聳える仏塔。残念ながら1545年の大地震の際に部分崩壊し、近年になってタイの文化庁やユネスコなどの主導で一定の修復がなされたが、当時の姿を取り戻すには至っていない。それでもその存在感たるや、凄まじいものがある。


半壊とはいえ近くで見上げると凄い迫力だし、仏塔を支える巨大な四角形の基壇(1辺が約60m)の大きさから考えても如何に往時の規模が大きかったか伺える。なんというか、仏塔というよりは、神殿とか城のようにも見えてくる途轍もないスケール感。天国の御父上もさぞかし満足されたことでしょう。

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仏塔の上部四方にはナーガ的な像に護衛された仏像が安置されているようだ。陰に隠れながらもニコっとしたお顔がチラリと覗く。

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「あぁー、食った食ったー」みたいな感じでお腹をさすってるようなB級感満点の脱力系仏像も。格式高い仏塔とのギャップに萌える


僧房の脇では旅行者に仏教に関して正しい知識を身に付けてもらおうという趣旨で始まったモンクチャットが絶賛開催中。旅行者が仏教や僧のライフスタイルやタイの文化などについて自由に若い僧に英語で質問することが出来るこの「教えて僧侶さん」的なコーナー、大人気を博しているようだ。僧の皆さん、普通に英語ぺらぺらでワロタ。ほんと、そこらへんの大学生を僧侶コスプレでバイトさせてるのかってくらい流暢な方もいらっしゃった。これはナイス試みだが、煩悩まみれの白人旅人なんかと接触することで欲望を抑えつけてきたであろう若い僧侶が変な道に進まないか心配だww

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夜もライトアップされて偉容を誇る。

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パンチパーマのこいつもバッチリとライトアップ。


【Wat Chedi Luang】
住所:103 Road King Prajadhipok Phra Singh, Muang District, Chiang Mai
電話:+66 53 276 140



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【2014年チェンマイ旅行記】














渋さ際立つワット・パンタオ

今さらだけど、昨年末のチェンマイ旅行記の続きを思い出したように書いてみる。

ラーンナー建築センターからチラっと見えたワット・パンタオへと向かう。チラリズムの魔力に魅了されたのか、チラッとしか見えなかったことから俄然ワット・パンタオへの興味が湧いてきた。さっそく手持ちのガイド本に情報を求めると、チェンマイで一、二を争う格式高き名刹ワット・チェディルアンの隣にポツリと建つ、ラーンナー様式のこじんまりとした寺院とのことだ。 パンタオとは「千の窯」という意味を持つそうで、お隣にあるチェディ・ルアンに奉納する為の仏像がこちらの窯で鋳造されたことから「ワット・パンタオ(千の窯の寺)」と命名されたそう。窯の寺なら分かるが、本当に千もの窯があったのか突っ込みたくなるところ。窯屋かよ。


小さいながらも細かな出来栄えの良い彫刻が施された門をくぐると、その正面に見える建物が本堂になる。


こいつ。屋根が重なり合うラーンナースタイルの本堂は木造建てで、「渋い」という表現が合う、ダンディーな寺院という印象だ。煌びやかで豪華絢爛の上座部仏教寺院とは一線を画した趣あるシックな木造建築で、日本人には親しみ易いというか、何となくしっくりくるかと。戦国時代の幟旗みたいなのは大晦日のイベント用だろうか、無数の旗が風に揺られてなびいている。


うん百年の歴史が刻まれた重みある木造の壁。窓の部分は木がくり抜かれて連子状になっている。


他のお寺と同じように靴を脱いで上がると、地味な木目の背景のなかに、うっすらとライトアップされた金色のおっとりとした表情の御本尊の姿が目に入る。 フロアは絨毯とかではなくて暖色系のタイルだったのが新鮮。 座るとヒンヤリして、暑いチェンマイの気候に合ってる。 気持ちよくて、ずっと座っていたくなる心地よいタイル感だ。

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托鉢の壷が無数に並べられており、小銭を入れていくのが参拝スタイルのよう。残念ながら小銭を持ち合わせてない小生は唯一持ってた10バーツ硬貨3枚を投下したところでストップ。30バーツ分の御利益は期待したいところ。


タイでは頻繁に目にするのだが、お母さんお婆さんくらいの年齢の方が未成年の僧侶に拝む絵。


本堂の裏手にあるチェディと僧院もやっぱりどこか控えめな作り。

中庭にある釣鐘に赤い傘。風情あるよなー。

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豪華一辺倒な上座部仏教寺院にはない落ち着きようで、どこか日本のお寺のような侘び寂びじ通じる雰囲気を感じさせてくれる。

夜に再訪。というか、たまたま前を通りかかったw


夜空に浮かび上がるライトアップされた本堂は昼間より神々しさを増している。仏教徒でもないのになんだかその場にひれ伏したくもなってくるぐらいである。

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静寂が支配する本堂内部にひっそりと笑みをたたえて鎮座するご本尊。この御尊顔を眺めていると心なごむわー。

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夜風にあたって涼んでいるのか、境内には多数の僧侶が仲間内で語らいあっている。

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仏教が暮らしの中に強く根付いているチェンマイでは、タイの他の都市以上に若い僧侶の姿を目にする印象だ。若くして煩悩、世俗の様々な誘惑を断ち切って修行に励んでいるんだもんな。すごいよ僧侶。



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【2014年チェンマイ旅行記】














チェンマイの激安日本食@ごはん亭

文化芸術センターで紹介されていたチャーンプアク門を目指して旧市街の北の端に向かう途中、「ごはん亭」と書かれた暖簾や赤提灯、そして何故か鯉幟が下がる何とも怪しい料理屋を発見。

とりあえず日本を連想させる飾り物をテキトーに並べてみました的な感じがしてしまうのだが、巷の日本食ブームにあやかって物は試しと始められた似非日本食屋だろうか。多分レストランの名前も自分で発案したのではなく、「ごはん亭」と書かれた暖簾が手に入ったから成り行きでごはん亭にしたのではないかと、余計な所まで勘ぐってしまう。門構えだけで経営者は日本人でないと断言出来てしまうが、メーサイの日本食堂では縁が無くて和食を食い逃して残念な思いもしたので、いっちょ入ってみることに。

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疑心暗鬼になりながらも入店し、ファンの風が良く当たる出入り口に一番近い机に着席。メニューが無かったので、壁に展示されている料理の写真の中からヒレカツっぽい揚げ物の定食を指差し注文する。ウェイターは寡黙なタイ人のオッサンで、厨房から出たり入ったりと忙しそう。ウェイター兼シェフなのだろうか。

すると、タイ人カップル2組が入店し、厨房から出てきたおっさんがカップルにメニューを渡す。あんのかよーメニューー。私は常連だと思われたのか知らんが、あるなら私にもはじめに出してくれよーー。

既に定食を注文してしまっているので後の祭りだが、参考までにメニューを拝見。中学生の提出用課題かのように、クリアファイルにガッサリと纏められている。

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なんだこれ!凄い安い!

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海外の日本食屋って似非も含めて基本は高級路線で攻めるのが定石となっているようだが、ここは真逆の超低価格路線を行っていて凄い。タイ人のタイ人によるタイ人の為の日本食堂なのだろうか、そういや入ってくる客は皆タイ人。もちろん厨房の奥で腕を振るうのも日本人の板前さんではなく、褐色の肌をしたタイ人だ。放映されているテレビも勿論タイのドラマ。何だか日本人が来ることは想定されていないような雰囲気で、日本食屋なのにアウェー感を感じてしまう。

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ちゃんと文字のメニューもありました。天婦羅蕎麦、トンカツ蕎麦など、蕎麦、うどん類は一律50バーツ。ラーメンもあるようだが、ラーメンは流石に地雷臭がする。他にも丼ものやカレー、寿司、手巻き、焼き鳥や枝豆などのツマミ系の単品もかなり豊富にメニューが取り揃えられている。でも安さには理由があるだろうからなぁ。


注文から10分程、家庭料理のような定食がやってきた。メインに日本の白米、味噌汁、もずくサラダとスイカ2切れというラインナップ、これで100バーツだ。多分ヒレカツだろうとこちらの揚げ物を頼んだのだが、揚げ物の正体はヒレカツではなく、イカだった。イカフライ。写真だけじゃ揚げ物の中身まで把握することはできなかった

それでもまぁ食べれるのは食べられる。タイ米じゃないし、衣もまぁサクサク。味噌汁も中国の似非和食料理屋よりは薄められておらず、普通にオイシイ。これで100バーツならB級グルメとして全然アリだと思う、100バーツなら。後は他のメニューだな。天丼・かつ丼・牛丼が50バーツ(150円)っていうレトルトより安いお値段が衝撃で、ネタとして是が非でも試してみたくなる。逆に価格バランス的には高くて牛丼などと同じ値段のおにぎりやお茶漬けなんかもどんなんだか気になってくる。また腹が減ったら来てみよう。

夜、再訪。提灯もちゃんと光ってます。

が、残念。外の机までびっしりで空席無しよ、と。やっぱりこれだけのコスパなんで、繁盛してるんですね。ただ、食欲ではなく好奇心につられて再訪しているので、待ってまで食べたいとは思わない。また別の機会に来てみるか。



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【2014年チェンマイ旅行記】














激動の時代の貴族の館 ラーンナー建築センター

ワット・チェディ・ルアンの東隣り、ラチャダムヌーン通りに面してラーンナー建築センター(Lanna Architecture Center)がある。先日宿泊したシャングリラチャンの受付嬢に、「どうです?ラーンナースタイルのホテルも良いものでしょう。」なんて聞かれた際に気取って「ええ、良いもんですね。」なんて答えたが、自分の中でラーンナー様式の建築物がどのようなものなのか全く持って具体的イメージが湧かなかった。ムーミンではないが、優しさに包まれた感じが心地良かったのだが、はてはてラーンナー建築とは一体どのような様式の建築なのか。ラーンナー建築センターに行けば分かるだろうとのことで、密かに楽しみにしていた場所なのである。

入館は無料。門を入ると広い芝生の庭に建つ二階建ての一棟がラーンナー建築センターで、想像していたよりもこじんまりとしている。というかショボイ。シャングリラみたいな上品で優雅な華やかさがある建物を想像していたが、目の前にあるのは半石工、半木工の二階建ての小さな邸宅だ。元は貴族の館と聞き及んでいたので、シャングリラまでとはいかないまでも、もうすこし豪奢な建築物を想像していたというのが率直な印象だ。他の参観客もまるでいないし…

一階は煉瓦がモルタルで塗り固められた造りで、石造の白い回廊に黒いチーク建材が二階に載る形で建てられている。一階と二階で色と様式の二重のコントラストが凄く遊び心があるというか、独特のスタイルだ。唯一シャングリラとの共通点を見いだせる個所といえば、赤みのかかった色合いの屋根かな。派風があり、寄棟屋根になっている。確かシャングリラもこんな風の屋根だった。

建物1階の玄関にあたるところまで進むと、女医のようなインテリ風お姉さんが声をかけてきた。係員のようだ。話に拠ると、この建物はタイ人貴族の為に1889-1893年に英国企業が建てたものだそうで、今はチェンマイ大学の建築学部により管理されているそうだ。英国会社は木材関連企業であり、チェンマイでチークの伐木権を得るための土着貴族層への贈与品だったのかもしれない。1階は受付、事務室、土産物屋になっていて、主に2階がランナー建築の展示会場になっているそうだ。入場料などは特になく、寄付金を求められるようなこともなく、凄くウェルカムな雰囲気だ。………といっても旧市街のド中心にあるにもかかわらず、入場者は私一人しかいないんですが)


靴を脱ぎ、二階へと上がらせてもらう。立派な黒光りするチークとテラスの手すりに施された細工が美しい。昔はクーラーなど無かったから、風が吹き抜けやすいように計算された造りになっているのかな。


味のある建物だ。木造住宅独特の安らぎ・安心感に満ち溢れていて癒される。アユタヤのクンペーン・レジデンスでも感じたことだが、やっぱり無機質素材だけの家より木の温もりがあった方が気持ちが和む。


19世紀の貴族の館のテラスから古都チェンマイの名刹からワット・チェディー・ルアンとワット・パンタオを眺めていると、否が応でも19世紀の貴族の生活ぶりに思いを馳せずにいられない。チェンマイ芸術文化センターで習ったところに拠ると、19世紀後半のチェンマイといえばタイ北部のチーク木材を目当てに西欧人が流入し始めるのと同時にバンコク王朝への結びつきが強まった激動の時代である。妄想癖がるもんで、色々と当時の町の様子とかを想像しては楽しんでしまう。


展示室。しょぼっ!!展示内容ははっきりいってショボイ。幾つかのパネルと模型がある程度で、説明書きも不十分。

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建築模型。あー、確かにこれをみたらシャングリラっぽさも少しは感じる。シャングリラはこれを更に大きくした感じか。

はっきり言って、ラーンナー建築に関して学ぶには展示品が余りに不十分ではあるが、19世紀後半の激動の時代に建てられた貴族の館に立ち入れること自体が貴重な経験なのかと思う。まぁでも勝手気ままに歴史のあることないこと想像膨らませて一人で楽しんでしまうような妄想癖のある人でなければ余り面白味を感じないかもしれないな。

【ラーンナー建築センター】

住所:117 Ratchadamnoen Rd.
電話:0-5394-2806
開放時間:08:30-16:30



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【2014年チェンマイ旅行記】














チェンマイ市芸術文化センターで北タイの歴史文化を学ぶ

チェンマイの旧市街を見て回る前に、市内のド真ん中にある芸術文化センターでチェンマイの町に対する理解を得ておくことにする。学生時代に一単位だけ興味本位でアジアパシフィックのクラスを受講してみたりもしたが、タイ北部の歴史など一分一秒たりとも取り上げられることすらなかったので、事前知識は皆無。逆に偏見や下手な先入観も無くまっさらな無地状態で訪問出来て良いのかもしれない。

こちらは芸術文化センターの前に建つ三人の王像。左からパヤオ王国のカムムアン王、ラーンナー王朝の創始者メンラーイ王、スコータイ王国のラームカムヘーン王と、北部タイの歴史の大御所揃い。それぞれがチェンマイ王国の建国及び町の強力に協力を誓い合っている場面とのことだ。チェンラーイのメンラーイ王像でもそうだったっが、歴史上の王様が現代でも崇拝対象になっているようで、ひっきりなしにご年配の参拝者が訪れ、王像の前でひれ伏している。3王それぞれがチェンマイの歴史的に謂れのある人物で、チェンマイの歴史を語る大きな意味を示す大切な記念碑なのだろうが、観光スポットとしては地味な感が否めない。説明書きもタイ語のみで読めないし。

背後にある白壁の優雅な建物がチェンマイ市芸術文化センターになる。1924年に建設されたもので長らく県の役所として使われてきた建物が使われている。

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入館料は90バーツ(≒300円)。入園料を払うと、先ずは序論として、暗がりの部屋でチェンマイ市の歴史や文化に纏わる簡単なビデオを鑑賞することになる。どこぞやのお国の博物館と違って自分たちの主観・価値観をゴリ押しする洗脳的内容ではなく、館内の展示物も含めてニュートラルな紹介に徹しようとしている姿勢が見て取れて好印象。どう感じ取るかは見る側が判断するので、博物館に主観のゴリ押しは不要です。

続いて、考古学の世界へといざなわれる。

散在する石器の分析結果に拠ると、人類の祖先が70万年も前に北部タイを放浪してとされている。メーホンソンの神霊の洞窟なる場所では1万2千~7千万年前の石器や縄文土器、鹿・猪・牛・猿・リス・ジャコウネコなどの動物の骨や爪、ビンロウジ、豆などの植物の破片なども発掘されているそうだ。

この岩にへびりついた血痕にも似たシミは何でしょうか。

石灰石の絶壁に描かれたランパーン県プラトゥーパーの壁画だそうです。決してシミなんかではありません。数千年物前のアーティストにより、人間の男女の姿、猿・牛・リス・爬虫類の画や石弓を持った人間、動物を捕えた人間、動物を調教する人間の画など、2千もの絵物語が描かれているそうで、荒れて険しい環境の中で生活していた先住民の生活の様子を忍ぶことができる。オブルアン町のバーチャーンという場所の岩壁にも壁画が残されているそうだ。

◎一つの文化二つの谷間

森林地帯や険しい山々の間に流れる川の周辺が昔の農耕民族の生活の基盤である、そこが現在の北部タイとして発展の舞台となってきた。考古学者や歴史家の間では、タイ族やユアン族は11世紀に中国の雲南省から南下し、ラワ族などが既に住み着いた土地に移住してきたと考えられている。そこに、この地域の歴史上初のタイ人支配者が出現する。雲南省の景洪のタイルー族の有名な支配者の親族と考えられている、ランナー王朝の創始者・マンライ王である。チェンライを王都としてランナー王朝を創建したマンライ王は徐々に南に勢力を伸ばし、モン族が多く住んでいた仏教の町ランプーンを支配下に置いた。その後、拡張した領地の中心になる新しい町をつくることにし、建造されたのがチェンマイである。


彼は新しく作られる町の予定地を決める為、懇意にしていた二人の近隣国の支配者(建物前の王像で見たカムムアン王とラームカムヘーン王)に相談した。その結果、新しい町は西側が山で守られていたピン川の畔に決定された現チェンマイに決定されたのだ。

◎新しい町の創造

マンライ王即位パレードの様子。新しい王は町の北門から即位式に向かった。王の行列はラワ族などこの地域の先住民への情け深い素振りを見せながら門を通っていった。

占星術師たちはチェンマイの町の頭を東北の方角に置き、この方角に白象門(チャーンプアク)という特別な城門を造り、城門の前には守護神ライオンと像の彫刻が飾られた。町の西側は学問の区域で、東側は産業の中心地、そして南側は混乱と死のサインを表したたので、南門の外に町の火葬場が設けられた。

インタキンという町の柱は街の真ん中に置かれた。俗世界と超俗世界を繋ぐその柱はアミニズムとヒンドゥー今日の信仰を表している。 チェディールアン寺に祀られているインタキンの柱は慰安でも信仰の対象になっていて、5月から6月には特別な儀式の為に北部タイの至る所から信者が集まり、この聖なる柱にお供え物をする。


チェンマイの骨格を成す四角い城郭は今なお残る。現在の城壁内には寺院やチェディ、庁舎、学校、ホテルから市場、商店、住宅にいたるあらゆるもので埋まっている。


ワット・チャンマンの石碑のレプリカ。チェンマイの創立正確な日付が刻まれている。

◎環境と文化
チェンマイを中心とする北部タイの町の複合体はランナー(百万の田)と呼ばれていた。ランナー地域の黄金時代は強い王と組織化された政府が統治した1400-1525年であった。小道や赤土の道路、灌漑用の溜池、水路、水車などのインフラがこの地域を発達させた。

熟練の職人や建築家たちが樹脂や木材など地元の天然資源を活かし、北部タイの様式特有のスタイルを開発した。漆細工や化粧漆喰細工、ブロンズ製の仏像などが有名である。
若い男性の多くが出家して修行していたので知識能力も高かったと思われる。医療や法律の専門家もいた。

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同時に、城内にはお寺が沢山作られ、チェンマイは仏教文学やパーリ語教育の中心地となった。特にティロカラート王が仏教の僧侶を集めて小乗仏教の経典(三蔵)の編集をした後は宗教教育が広い範囲で支持されてきた。ランナー地域の僧侶たちは小乗仏教の発祥地スリランカへ勉強に行き宇宙の条理の新しい解釈を学んだ。

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ランナー地域はチェンマイの下で独立している自治体の集まりであり、各村々ではバーンという村文化が根を下ろした。稲作農家で形成された村にはそれぞれの村長がいて、お寺がそのコミュニティーの中心となった。村の集まりが地区で、更に大きい町はウィアンと呼ばれた。王室の町はチェンマイやチェンライのように、チェン○○という地名になる。

◎前世紀の変わり目に

20世紀のチェンマイの課題は交通と通信であった。
鉄道が初めてチェンマイにできたのは1919年。バンコクから路線を敷設するのは至難の業だった。テナッセリム山脈の西側の一部を形成するクンターンの山に長さ1362メートル、最大高さ5.75メートルのトンネルをつくるのに数千人の労働者により3年半もの時間が費やされ、鉄道敷設工事は10年かかった。工事中にたくさんの労働者がマラリアや熱病、酸欠や落盤事故で命を落とした。 鉄道がチェンマイへ来る前はチェンマイの人たちがバンコクへ行くのに船で根気のいる長い旅をしなければならなかった。その船はサソリ尾の船と呼ばれ、船底が平らになっていて走行するときに船尾がサソリの様に高く上がるのでその名がついた。

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↑馬やロバに荷を負わせて旅する人たちの姿に、象がチークの森の伐採現場で働く様子。
チェンマイは天然資源に恵まれていて自給自足の出来る町だった。鉄道が来る前にも昔からの交易ルートであったミャンマーからのシャン族の商人と雲南省の中国人の商人が牛やラバ、馬のキャラバンで塩や魚の干物、鉄製の道具を運ぶルートの他に新しい交易のパターンが始まろうとしていた。
19世紀の後半には遠くの大国との交易が加速した。シャム(タイの旧国名)とバウリン条約を結んだイギリスはイギリス製の商品を売ったりチーク材の森の伐採権を取って、丸太を運ぶのに像を使っていた。英国ボルネオ社が1864年にチェンマイの周辺の木の伐採権を取り、1889年にはボンベイビルマ社が同じ権利を取った。チェンマイの西洋人の会社や住宅はピン川の東側に作られ、今でもその面影がまだ残っている。

中国人の商人たちは川の両側特にターペー通りの周辺に住み着いて、酒造業の所有者をしたりした。扶南から来たホーと呼ばれた中国の回教徒は陸路交易でチェンマイと長い間取引をしていた。20世紀の変わり目より少し前に彼らはモスクを造った。

チェンマイにとって新世紀に入って一番大きい変化はシャムとの合併であった。これはヨーロッパの植民政策への対応で、その結果として法律や行政に関する変化が色々と起った。

◎歴史的な建造物

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チェンマイ美術文化センターは1924年に建てられた素敵なデザインのビルの中にある。このビルは宮殿の跡地に建てられたが、この地を寄贈してくれたのはダーラーラサミー王女だった。建物は最初、中央行政事務所として使われていたが、その後チェンマイの県庁になった。チェンマイ市当局は観光客に北部タイの歴史や文化伝統を理解してもらうために1997年にこのビルを修復して市立美術文化センターにする許可を申請し、1999年にようやく許可が下り、芸術文化センターとして一般開放された。

◎チェンマイの支配者たち

マンライの王朝は162年間チェンマイを治めていた。その後ミャンマーに216年もの間占領されたが、チェンマイは建国500年を迎えようとする大切な年に地元の人間の手に取り戻された。 その時活躍していたのはバンコクの支援を受けたランプーンのカウィラ王子であった。バンコクの政府は当時ミャンマーを追い出し、ランナー地域を敵国との緩衝地帯にしようとした。
ランナー地域はある時、政治的混乱に陥った。村や田畑は捨てられ、土地は草ぼうぼうになって荒れていた。南には虎、北には像がいる。国は安定していない、と当時のある年代記編者は書いた。 チェンマイの町は20年もの間、無人状態にあった。町全体が木や草、葦で覆われていて虎や熊、サイ、象、野生の牛、ライオン、猪、鹿など野生動物の棲家と化した。 カウィラ王子はそんなチェンマイの町の再建に取り掛かった。
彼は防備工事や寺院の建立をしたが、完全にミャンマーを町から追い出すまで数十年かかった。チェンマイはその後100年余りの間バンコクの属国となったが、実際の行政権はチャオルアンと呼ばれたチェンマイの王とその王室のメンバーと地元の役人たちの手にあった。

◎川の両側の暮らし

農作業をしている人、魚を取っている人、船で行き来をしている人、それはランナー地域の日常生活の風景である。
土地は豊かで川には魚がいっぱい泳ぐ。平和なときは良い生活が約束されていた。農業は天候に頼るものであった。時には人々はインフラ工事に駆り出されていた。
ランナー式家屋の先方は部分的に屋根のあるポーチになっていて、家全体は虫に食われないようチーク材の太い柱に支えられている。梯子がポーチにかかっていて、壁は竹を平らに伸ばしたものかチーク材の板、窓は上開きやスライド、横開きのものなど。屋根の材料は葉っぱ、草、木片が主流だが、最近は瓦葺の家も増えた。家の下で豚や鶏を飼い、外でバナナやいろいろな果物、野菜などを作る。水は大きな素焼きの水亀に入れられ、照明はガスランプ、蝋燭など。農家の人たちは主にお米を作っているが野菜や果物も小規模で作る。小さな村にも日用品や仏具などを売る小さな雑貨屋がある。井戸が各村にあって、時々水牛が井戸から水をくみ上げるのに利用される。
灌漑用の水車が重要な発明で、川の風景にアクセントをつけている。川に建てられた竹製の水車は水の流れで動き、水車の外側に短い竹筒が土手より高いところに水をくみ上げて田畑につながる放水路に流す仕組みになっている。水車は雨期の満ち潮の前に取り外される。

◎古都での生活ルーム

昔のチェンマイでは人の観察が一つの楽しみであった。扇風機やエアコンのない時代には食べ物を作る人たちや修理屋の人たち、大工さんたちなどがお店の中でも外でも仕事をしていた。道を歩くと活気のある共同社会に入った感じがする。夕暮れ、涼しくなって人々は仕事の手を休まる時にはガスランプが点され、スパイスの入った料理の匂いが空気に漂い始める。この時間帯は一番雰囲気が良いとされている。

ひだり みぎ

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古都での生活の様子の再現。

20世紀の変わり目に町の人間模様に新しい人たちが加わった。人々の教化を目的に教会や病院、学校などを作ろうとして沢山の西洋人がチェンマイを訪れたが、タイムマシンに乗ったマンライ王朝時代の人たちがチェンマイの市場に行ってもそれ程ショックを受けないであろう。売っている食べ物や織物、手工芸品などが昔のままで熟練の職人さんがまだ銀細工やピューター製品、竹細工や木箱などを作っている。織工は北部独特の麻やコットン織物を作っている。チェンマイの人たちはこの地域の民族と同じような服装を着て同じ技術で織物を作っている。
この地域の主な天然染料の一つは藍である。赤の染料は一種の昆虫の排泄物、黄色はウコン、黒はマクルアの葵から取る。
シャン族から伝わってきたと思われる漆細工はランナー地域の伝統工芸品である。舞踊や音楽は伝統文化の重要なもので、北部タイにはハムという儀式的な歌や、ジョイという求愛の歌がある。後者は弦楽器のサローやスン、ピンピア等の伴奏が付く。

タイ語以外を話す山岳民族は正式に6種の部族に分類される。カレン族、モン族、ヤオ族、ラフ族、リス族、アカ族だ。彼らは元々現在のタイ王国の領土外に定住していたが、ランナー朝と周辺地域の度重なる合併併合により、タイの管轄下に住まうことになった。人口は少ないが、同じ境遇の少数民族としてはルー族、カム族、シン族もいる。この地域はいつの時代にも強い文化的アイデンティティと吸収能力で、開拓移民と訪問者を色彩豊かな人種のモザイクの中に溶け込ませる。

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建設中のアカ族の村の様子に、機を織るカレン族の女性。高床式のアカ族は床下で馬やラバ、水牛など大型の家畜を飼っている。二階は前方後方の二区画に分けられていて、前室は男性用の部屋兼応接室、後室は女性用の部屋になっている。機織はカレン族の母から娘に伝えられる伝統で、娘が家族や客のために織った掛け布は家族の誇りとされている。

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脱穀するカレン族。チェンマイはモチ米を主食とする北部インドから南部中国やベトナムにつながる地域に属している。この地域の人たちは指で食べる習慣を持っている。稲作りにおいても精霊の力を借りることになる。タイ語を話す稲作農家は田圃の真ん中に竹で編んだターレオ(鷲野眼)を差し込む習慣を持っている。それが作物を害する悪霊を追い出してくれると信じられているのだ。この地でよく食べられるのは竹筒で炊くカーオ・ラームや、ゴマと椰子糖で蒸すカーオ・ヌック・ンガーなど。米はヌードルの原料としてもつかわれる。


多民族な北部タイ。
展示物はジオラマやレプリカばかりで実際に発掘された価値あるお宝・財宝などは殆ど無いが、サクサクと北タイの歴史や文化を学ぶにはもってこいの博物館かと思います。場所も良いので、チェンマイ探索の前に立ち寄られることをお勧めします。

【チェンマイ市芸術文化センター】

住所:Phrapokkal Rd.
電話:0-5321-7793
URL:http://www.cmocity.com/indexEng.html
営業時間:火曜日~日曜日 08:30-17:00
入場料:90バーツ



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【2014年チェンマイ旅行記】