ジョグジャカルタからスラカルタ(ソロ)へ

ジョグジャカルタでの7泊があっという間に過ぎ、ジョグジャを離れる日がやってきた。次なる目的地はジョグジャカルタと共にマタラム王国の王位継承争いにより分裂した王家が拠点とし、マタラム王国の宮廷文化の中心を担ってきたスラカルタ(ソロ)。今では消滅してしまったマタラム王国の王都として栄えた古都で、バティック、ガムラン音楽、影絵芝居、ジャワ舞踏など伝統文化の中心地としてインドネシアの伝統芸能を育んできた文化都市である。ジョグジャカルタやバリなどに比べてソロは観光地としては目立たない存在だが、観光地化してしまったジョグジャカルタに比べ、ソロはまるで忘れられた土地のように古都としての姿をそのまま残して独自の発展を遂げてきたそうだ。ジョグジャとソロは京都と奈良の関係に似てるのかな。

移動はジョグジャのトゥグ駅からローカル列車にて。ジョグジャからは1時間程度で着くようだ。小心者の小生は当日券が買えないことを危惧し、出発前日にソロへの乗車券を買い求めにトゥグ駅北口の主玄関へと向かった。
ひだり みぎ
1887年開業と非常に歴史のある駅だ。


立派な洋館のような駅舎で、小さいながらも電光掲示板まで付いている。


カスタマーサービスで入手した時刻表。ジョグジャからソロまでは一日13便も出てるじゃないですか! これなら乗りっぱぐれる心配はないだろうが、折角来たので明日の乗車券を押さえておくことに。
チケットカウンターにて乗車したい列車の出発時刻を伝えると、発券は出発3時間前からとのこと…
「満席にはならないからさ!ドンマイ」的な慰めを受け撃沈。完全なる徒労に終わる。

翌朝。

チェックインを済ませ、ホテル前に待機していたヤル気の無さそうなベチャ運転手に駅まで送ってもらうことに。思いっきり悪人面だけど、一応はホテル専属のベチャだし安心だろう。

しかも、ベチャステーションにはフェニックスホテルから主要目的地への運賃が明記されているし、これなら法外な運賃を吹っかけられる危険性もないだろう。

ここまで安心要素があっても簡単に裏切ってくれるのが当地のベチャ運転手。トゥグ駅まで50,000ルピアとか、全くもって訳の分からぬ商売話を持ち掛けてくる。マリオボロまで20,000ルピアなのにマリオボロの手前にあるトゥグ駅まで50,000ルピアとは一体どういう了見だ。抗議をするとあっさり20,000ルピアに訂正するあたりも許し難い。地理感覚の分からないであろう外国人を狙ったあからさまなボッタクリ、朝から感じ悪いなぁ。

坂道をスイスイと走る悪徳運転手に運ばれ、5分程でトゥグ駅へと到着した。が、ソロ行きの発券窓口と改札口は線路の反対側の南口ですよ、と。…昨晩チケットを買おうとした時に時に教えてくれよ。

南口は洋館造りの北口と比べたら大分見劣りする大きさで、大観光地とは思えないほどこじんまりとした駅である。

駅の入り口脇の小屋にあるチケットカウンターで何も言わずにお金を出すと、何も言わずに切符とお釣りを返された。まるで自動販売機のようだ。

ジョグジャから70キロ離れたソロへの鉄道運賃は8,000ルピア(≒70円)。ホテルからトゥグ駅までの数百メートルで50,000ルピアと吹っかけてきた運転手の強欲さを強調するかのような良心的価格設定だ。

入口で駅員に乗車券を見せて構内へと進む。

思ったより全然立派な駅構内。プラットホームは1-6番線の計6つで、1-3番線と4-6番線の間にATMやキオスクが設置されている。

ひだり みぎ
入線してきた09:10ジョグジャ発のPRAMEKS276号。ジョグジャ―ソロ間は今回乗るPrameks号とSriwedari号がピストン運行しているようだ。頻繁に運行しているので乗車券を事前購入する必要も無い(というか、できない)。

ひだり みぎ
清潔な車内には4人かけボックスシートが並び、端っこだけ2人かけ席が向かい合って並ぶ。時間には正確なようで、定刻通りに出発した。


トゥグ駅では空席も目立ったPrameks号だが、次のルンプヤンガン駅とマグウォ空港駅であっと言う間に満席となった。 満席も満席で、地べたまでもが座席といった有様だ。


大量の乗客が乗り込んできたタイミングで車掌と短剣を腰に据えた警察によるパトロール。


ジョグジャを出て一時間、古き良きインドネシアの王朝文化が息づく古都ソロ・バラパン駅に到着する。ジョグジャのトゥグ駅もそうだったが、ホームの床は大判のタイルが張ってあり非常に清潔で、キオスクなんかも出店してる。

ひだり みぎ
やってきましたスラカルタ。


駅を出た瞬間に運転手軍団に囲まれる。


駅前にはベチャが並び、地方都市の佇まいを見せるソロ駅。出口で積極的に営業をするような強欲・強面系はもう勘弁なので、奥まったところで行儀良く座っている控えめなオジサンと交渉すると、滞在先のMギャラリーホテルまで20,000ルピアで行ってくれることに。

ここのベチャは人力で移動速度は時速10km程なので、街を見学するには便利な交通手段。バイタクとも違って前方に座る形になるので、日常より目線が低く視界が開けるのもゴーカート感覚で楽しいし。

守りたい、この笑顔。

鉄道駅から20分くらい走っただろうか。お爺さんに漕いでもらったので、途中で何度も健脚なベチャ運転手に抜かれながらもMギャラリーホテルに到着した。炎天下の中を1回りも1回りの年が上の長老に20分も漕いでもらい恐縮だったので、少し多めに運賃を支払ってサヨナラする。すると、ホッコリ笑顔でチップを謝絶して、言い値の20,000ルピアだけ受け取ろうとする誠実なお爺さん。ソロ到着20分でいきなりこの町が好きになりました。



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【2015年ジョグジャカルタ・ソロ旅行記】












プラウィサタ劇場でのラーマーヤナ舞踊劇

トゥグ駅で翌日の鉄道の乗車券を買うのに失敗した後は、ベチャに乗ってラーマーヤナ舞踊劇の会場であるプラウィサタ劇場へと移動する。ラーマーヤナはマハーバーラタと並ぶ古代インドを代表する長編叙事詩で、ヒンドゥー教の広がりとともに東南アジアへと伝わり、その土地土地で様々な形の芸術や芸能として育まれてきた。

カンボジアのアンコール・ワットの浮き彫りやバリのケチャダンスなど、現代でも定番観光地で様々な形態のラーマーヤナ芸術が披露されているが、ここジョグジャカルタではインドネシアの民族音楽ガムランの調べにのせた舞踊という形でラーマーヤナ物語が表現されている。

舞踊会場は町の東にあるプランバナンと南にあるプラウィサタ劇場の2箇所。トゥグ駅からであればプラウィサタ劇場の方が近いので、今宵はプラウィサタ劇場でラーマ王子とそのシーター姫を中心に展開される愛と冒険の物語を鑑賞することに。

トゥグ駅からの道中、王宮北広場の一角でジョグジャギャラリーというアート作品の展示会場を見つけたので立ち寄ってみる。

自動車にまつわる芸術作品が展示されているようだ。


真っ白い壁に真っ白い天井真っ白いタイルという真っ白な空間にポツンポツンと置かれた作品たち。

ひだり みぎ
主要な展示品は車のガラスにエナメルを塗ったアートのようだが、やたらとアレな感じの革命家ばかりが描かれてるのは何なんだ。ヒトラーなんかちょっと優しそうなパパみたいなテイストで描かれてるし。


勿論、偉大なる毛様もいらっしゃいます。前髪の後退具合や嫌らしいニヤケ面がよく表現されているが、自動車用ガラスに描くアート作品の題材として彼を選定する意味はやっぱり分からない。


道草を食いながらジョグジャ市内を南下し、開演20分前に到着したプラウィサタ劇場。300,000ルピア(≒2,500円)チケットを支払い入場する。


大邸宅の中庭のような劇場内広場の一角ではディナーパーティーが催されている。入場料以外に+120,000ルピア(≒1,000円)を払うことで開演前にビュッフェを楽しむことができるようだが、食事を済ませてきた小生はショーのみを楽しませてもらうことに。

ひだり みぎ

ショー会場は野外ステージなんで開放感に溢れ、吹き抜ける爽やかな夜風が気持ち良い。激しい戦士の舞、優雅な女性群舞、闇にきらめく瞑想の舞…多様な舞と壮厳なガムランの音色により演出される古代インドの愛の叙事詩が目の前で繰り広げられると思うと自然と気持ちが昂ってくる。

半円形の劇場内部は三方向からステージを見られるよう階段状の椅子席が配置されていて、舞台に向かって左手奥にはオーケストラ・ピットさながらにガムラン楽団が陣取り今や遅しと出番を待っている。

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定刻になると照明が大きく変わり、アナウンスと共に開演する。客入りは2割程度か。殆どがディナーを終えたばかりの白人団体客で、ディナー不参加の小生は一足早く会場入りしたことから上席を確保することができた。

舞台袖で奏者達が奏でるガムランの独特の音色にのって艶やかな化粧に身を包んだ踊り子たちが踊り、ガムラン・バレエといった趣でゆっくりゆっくりとストーリーは展開されていく。
ひだり みぎ
ぎこちないカクカクとしたマイムを見せる悪党一味。


バレエの公演のようにセリフは無いが、何も語らずとも悪党顔。

ひだり みぎ
そこに登場、ラーマ王子。紀元前6世紀頃のコーサラ国の王子として生まれたラーマ王子はガンジス川流域にミティラー国の王女シーターと結婚。その後12年の間、二人は幸せで平穏な日々を都で過ごしていた。

ラーマ王子、ラーマの義弟ラクシュマナ、シーター姫。

コーサラ国のダシャラタ王からラーマが王位を継ごうとした時のこと、ラーマではなく自分の息子を王位につけたいと考えた第二王妃の陰謀によりラーマは国を追われることとなり、ラーマ、シーター、ラクシュマナの3人は人里離れた森で暮らすことを余儀なくされる。

ひだり みぎ
素晴らしい美貌の持ち主のシーター、その美しさはランカー島の魔王ラーヴァナの目にとまり、シーターを我が物としたい魔王はシーターの誘拐を画策。魔王に説き伏せられた誘拐実行犯は金色の鹿に化け、無邪気な鹿に気を許したシーターは拉致監禁されてしまうことに。ラーヴァナ魔王さん、手口が強引だなぁ。クッパとマリオとピーチ姫のストーリーかよ。

ひだり みぎ
悪党に捉えられたシーター姫、ラーヴァナ魔王の求婚を頑なに拒否。

シーターを助けるためランカー国へ向かうラーマは、猿族の国を通過。猿の王スグリーヴァはラーマの身の上を聞いた上で悪党制圧に加味する事を約束するが、スグリーヴァは兄のヴァーリンと王位を巡って戦争中で、直ぐにランカーへの派兵をすることができない状況にあった。どこの国も王位継承問題ばっかりw

猿王スグリーヴァと兄ヴァーリンが互角の戦いを繰り広げていたところ、ラーマは背後からヴァーリンを討ち取ることに成功する。ラーマに感謝したスグリーヴァはは猿の軍勢を預けることに。この猿の軍の将軍がかの有名なハヌマーンである。

1つ1つのエピソードが詳細に描かれており、登場人物の衣装も華やかにすることで見物客を飽きさせない工夫をしているようではあるが、ここかへんから旅疲れと眠気を誘う音楽、暗い照明により、眠気を断つのに必死。


一足先に単独でランカー国へ偵察へ向かった勇敢な将軍ハマヌーン、ラーヴァナの一団に囚われるも命辛々ランカー島を逃げ出すことに成功する。

ひだり みぎ
ハマヌーンからの偵察情報を得たラーマは、自らランカー島へ行き魔王ラーヴァナと決闘することに。戦闘シーンでは役者が屋根から塀から登ったり飛び降りたりと舞台を目一杯に使ったアクロバティックな演技が展開されるが、自分は眠気との戦いで一杯一杯。

魔法の武器でラーマを攻め立てるラーヴァナに対し、追いつめられたラーマは起死回生の必殺の矢を放ち、大激戦の末にラーヴァナを倒して羅刹の国ランカーは滅亡する。

遂にシーター姫と再会したラーマ王子。単純な勧善懲悪劇で王子が姫を取り戻してこれでハッピーエンドかと思いきや…

魔王の国に長く捉えられていたシーターの貞操を疑い懊悩する王子、なんと姫に対して無情にも「火の中に飛び込め」と言い放つ。

最後にまさかの展開が待っていた。


葬送の火を準備するラーマの弟ラクシュマナ。シーターは火に近づき、火神アグニにこう呼びかける。
「もし私のラーマへの愛がまったく純潔でありますならば、私をこの火焔より守らせたまえ」
シーターは火を一巡し…
結末は自分の目でお確かめ下さいw


劇終了後、主役達との記念撮影タイムが設けられ、我先にと舞台に上がる見物客。劇の中では気にならなかったけど、王子も姫も近くで見たら結構なご年齢で…

正直、一回見れば十分な内容かな。旅行も終盤で疲れていたのもあったのだろうが、演者の技術の練度もまだまだだし、芸術と言うより衣装の凝った村芝居、学芸会に毛が生えた程度くらいの印象しか残らなかった。少なくとも300,000ルピアの観賞料金には値せず、かな。市内中心街から離れているし、無駄にストーリーが長いので一晩まるまる使うことになりますしね…



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【2015年ジョグジャカルタ・ソロ旅行記】






























ディエン高原の不思議なカルデラ湖

神々の聖所・ディエン高原には火山活動により地盤がなべ状に陥没して形成されたカルデラ湖や池が多く点在し、中には湖面の色が七変化する不思議な湖もあるらしい。
その名もワルナ湖。ワルナとは『色』の意味で、天気や時間帯、光の当たり方によって湖面の色が七変化するとのことなので、日本で言うところの五色沼といったところだろう。

ワルナ湖一帯は自然公園的な観光地になっていて、中に入るのに入場料を徴収される。それがなんとまぁ100,000ルピア!最初、聞き間違いだと思ってシレーっと10,000ルピア札を渡したところ、思いっきり苦笑いされて100,000ルピアと訂正される。湖ごときに100,000ルピアとか…引き返そうかとも考えたが、「迷ったらGo!」が旅の掟。渋々入場料を払って中へと進む。

ストリートミュージシャンの奥に顔を出すエメラルドグリーンの湖水を湛えたワルナ湖。

見物客は2-3人程度なのにテーマパーク化してるのか、世界的有名人がお見えになっていた。ジャワ島中部の人里離れた山奥でも営業活動とは!手広くやってんなー、○ッキー!でも、顔がどこかお疲れ気味で、目が死んでいる。高山病にでも罹ったかな。

通常、着ぐるみは子供たちの夢を壊さないように中の人は声を出さないのが暗黙の了解であると思うのだが、ここの着ぐるみは普通にインドネシア語で何か喋りかけてくる。くぐもったおっさんの声で。


○ッキーによる演出はさておき、美しい段々畑の丘に囲まれ美しい花々が咲き乱れるワルン湖畔は中々に神秘的。シキダン地熱地帯での泥湯が煮えくり返る地獄の釜の光景と神秘的で美しく幻想的な湖の趣、その対比がまさに『天国と地獄』のようである。

ひだり みぎ
あれ?どの角度から眺めてあんまり湖水の色が変わらないようだんだが。自分の色彩感覚が鈍いのか?それとももう少し近づいたら良いのか?水面近くまで歩いてみる。すると…


ずぼぉぉぉ!!!?????。


最悪。水の通り道的なところを踏んでしまったのか、地面が思いっきり陥没してスニーカーが硫化水素臭まみれでお釈迦になる。片足だけで済んでラッキーだったと考えよう。


入り口脇の有料公衆便所(1,000ルピア)で泥を洗い落としてからワルナ湖の奥へと進んでいく。うっすらと霧が立ち込める中、硫化水素の匂い漂う森と湖は今にも妖怪が出てきそうで、西遊記やら妖怪道中記の雰囲気を楽しめる。


稲のようなカヤツリグサ科の植物が生い茂る奥に鏡の湖と呼ばれるプギロン湖がある。


視界が開けたところに出現したモスグリーンのプギロン湖。風による細波のせいで鏡のようではなかったが、緑に縁どられて美しい湖である。澄んだ青空、湖の美しさ、自然の緑…ここも中々のパワースポットだ。

プギロン湖からワルナ湖に戻る途中、湖畔の一角に幾つかの火山性の竪穴型洞窟を発見。その昔、ヒンドゥー教の僧達やジャワの歴代王達が修行・瞑想に使用したと云われる聖なる洞窟が点在するようだ。
ひだり みぎ
井戸の洞窟と馬の洞窟。こんな人里離れた高原の山の中で古代から人は静かに瞑想していたのかと思うと妙に感慨深くなる。古代の人は自然や天への畏れあるが故に、神聖な場所やパワーのある場所を見分ける力に優れていたのだろう。


故スハルト元大統領も瞑想に訪れたとされるセマル洞窟。残念ながら柵があり中に入り込めないようになっている。
しかしまぁ、最高の富と権力を30年以上掌握していた一国の巨人がこれだけアクセスの悪いディエン高原の更に奥の奥にあるこんな狭っ苦しい洞窟で瞑想するという意味は何だったのだろうか。スハルト元大統領は霊や妖精を使って独裁政治を保ったなんて噂が立っているが…


柵越しに覗き込むと奧が深そうで、独特な雰囲気の中で一人静かに瞑想出来るだけの狭い空間になっていて、ご丁寧に御座まで敷かれてる。


マジャパヒト朝の宰相・ガジャマダの像。


触れたら子供が文字を読めるようになる奇岩。

ひだり みぎ
湖畔を離れ、高台を目指す。虹色に輝くといわれるワルナ湖を違う角度から見てみたかったのだ。

ひだり みぎ
道が悪く、傾斜もキツイ。結構つらいぞ。


最後のひと踏ん張り。


頂上からはカルデラ盆地の絶景が広がる。手前がプギロン湖で奥が緑味を増したワルナ湖。

ジャワ最古のヒンドゥー聖地、地獄が如く煮え滾る地熱地帯の硫黄泉、七色に変化する神秘的な湖、修行用の洞窟、山の斜面にビッシリ広がる美しい棚田…山岳崇拝の聖地と言うだけあってパワースポットの連続で、ディエン高原は別世界、別の惑星かとすら思えるような美しい場所だった。ジョグジャから一日かけてでも行く価値アリです。

聖地の中の地獄谷・シキダン地熱地帯

ディエン高原は巨大な火山地帯にあり、高原全域がカルデラ盆地になっているので、所々で噴気孔からモクモクと白煙がたなびく様子が観察できる。ジョグジャから来る途中に見た煙も焼畑によるものではなく噴気孔からの蒸気煙だったんだろう。火口原ならではの現象で、ディエン高原には地中から噴出する蒸気で直接タービンを回し発電機を駆動して電気を得る地熱発電所まで有るらしい。生きた火山にいることを実感させられる。

アルジュナ寺院群から車を走らせること10分ほど、先ほどの自然美とは打って変わって何とも荒涼とした奇観地で車を降ろされる。

何だろうな、霊場みたいというか、三途の川みたいというか屍の河原みたいというか。辺り一帯は鼻を劈く硫化水素の腐卵臭と二酸化硫黄の強い刺激臭が立ち込めていて、車を降りるなりマスク売りが声をかけてくる。使い捨てマスクが1つ2,000ルピア。周囲の生態に影響があることを考えれば人体にも有害な火山性ガスが発生しているのだろうということで、マスクを一つお買い上げ。日本でも火山ガスによる死亡事故があったし、何より小学校の社会科クラスかなんかで火山ガスは地球の屁だと習っているからな。オナラ臭が充満する所には最低限マスクくらいの装備が必要不可欠だ。


何と荒れ果てた場所だろう。舗装された道路以外は地盤が緩くなっていて熱湯の温泉が噴き出ているので注意が必要だ。なんの変哲もない畑に地割れが生じて 噴気が現れたりすることもあるみたいだし。

ひだり みぎ
方々で噴気孔から泥湯や白煙が吹き出す様は日本の地獄谷こと大涌谷を彷彿とさせるが、管理度合いが日本と違い過ぎて、普通に温泉が湧き出るエリアまで侵入していくことができる。当然、地盤が緩くグシャァァァって地面に足が突っ込んでしまうこともあるので、いつか地面が裂けて温泉が吹き出てきやしないか・・何て心配しながら奥のほうへ。


足元の様子。日本では地獄めぐりと言われる火山帯独特の風景で、あちこちでポコポコ・ボコボコ・フツフツと泥湯や温泉が噴出してる。耳慣れない音が響いてあの世にでも行ってしまったような気分になる。

ひだり みぎ
足下に気を付けながら歩を進め、辿り着いたのがグツグツと泥湯と火山ガスを噴出する直径5-6メートルの噴気孔。煙・水蒸気が立ち込める中でゴボゴボと轟音を上げながら黒灰色の泥湯を煮え滾らせる姿はなんとも地獄の釜の様。白煙を噴き上げる噴気孔で沸き立つ湯、何ともダイナミックな火山活動をこんな近くで観察できるとは。

さすがに沸き立つ湯釜の源泉には怖くて触れんが、少し下流では手ごろなお湯になっているので、ここに穴を掘れば即席の露天風呂になりそうで、日本なら温泉旅館が建ちそうなもんなんだが、ここインドネシアではお湯の風呂に浸かるという習慣がないせいか、温泉施設は皆無。何とももったいない話である…なんて思いながら駐車場へと引き返す。


訪問客は少ないものの、一応は観光地なので駐車場脇に土産屋を兼ねた市場があったので、ディエンの名産であるジャガイモを使ったチップス二袋を10,000ルピアで購入。運転手のアントニオ猪木と食べたけど、普通に美味かった。



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【2015年ジョグジャカルタ・ソロ旅行記】






























神々の聖所に残るヒンドゥーの聖地跡・アルジュナ遺跡

ジョグジャカルタから車で4時間かけてやってきた神々の聖所・ディエン。周囲を取り囲む3,000m級の山々、霧けむる沼、硫黄・熱水を吹き出す源泉、斜面びっしりに広がる棚田等々で彩どられた神秘的な高原である。

ディエンの歴史は古い。7世紀頃には土着の山岳信仰とインドから伝わったヒンドゥー教が融合した文明が発達していたとされている。その後、ジャワ島において栄華を誇ったヒンドゥー王朝のマタラム王国によってボロブドゥールやプランバナンに先立つ7-8世紀頃に200もの寺院と高原都市からなるヒンドゥーの聖地が築かれたと考えられていて、現在でもアルジュナ寺院群と呼ばれるジャワ島最古のヒンドゥー寺院遺跡が残っている。

そのアルジュナ寺院群が本日第一の目的地。どんな寺院が出てくるのかと思っていたら、だだっ広い高原の真ん中の何でもないような農地の辺りで車を降ろされる。体感温度は22~23℃程度だろうか、昼間であっても肌寒さを感じて身震いする。
ひだり みぎ
これだけ素晴らしい自然の美に囲まれていると、この地が数多の寺院に覆われていた頃がどれほど見事な絶景だったか創造力を働かせずにはいられない。


イヤリングのような赤紫色をした園芸品種フクシャやトランペットのような黄色いキダチチョウセンアサガオ(毒草!)が咲き誇る遊歩道を10分程歩いた先に寺院群を発見。

山間部に広がる棚田に囲まれた田園風景の中にひっそりと素朴ながらも異彩を放つ寺院5基群が寄り添うように残されている。寺院群周辺は畑が取り巻き、かつて寺院を囲んだであろう僧侶や巫女の家々は微塵も残されていないが、イスラム教が浸透する前にヒンズー教や仏教が勢力を伸ばしていた事実が伝わってくる。インドからヒンドゥー教が伝わった7世紀頃多くの巡礼者が訪れ、祈りを捧げ、瞑想した聖域・ディエン。この美しい人里離れた自然豊かな場所が人々の身体と心を浄化し純粋な状態に導いてきたのかと思うと自分の身も心も洗われる気分になる。

石に彫られた芸術的、宗教的意匠が1,000年以上の時を経てなお幽玄な趣を静かに保っている。これらの寺院群には右から順にスマル寺院、アルジュナ寺院、スリカンディ寺院、プントデウォ寺院、スンボドロ寺院とそれぞれ個別名称が付けられているが、これらの名称は全て19世紀になって古代インドの宗教的、哲学的、神話的叙事詩・マハーバーラタの中の登場人物から付けられたものであり、本来の名前は不詳らしい。


別アングルから。アルジュナ、スマル、スリカンディの3つの寺院は7世紀終わりから730年頃までに建設され、プンタドゥワ、スンバドラは8世紀半ばから後半にかけて造られたと推測される。どれもジャワ最古のヒンドゥー寺院というだけあって非常にシンプルで小さく、寺院と言うよりはこじんまりとした祠堂といった感じだが、基壇・堂・屋根(尖塔)という基本建築構造はこの時代から確立されていたようだ。この基本構造の延長線上にあり集大成となったのがプランバナンのような壮大で華美な祠堂なんだろう。

ひだり みぎ
アルジュナの妻の名前に由来したスンバドラ寺院。入口の破風に厳めしい表情の鬼面の護り神・カーラが設けられている。


ブンタディワ。ここにも入口の破風にはカーラが設けられている。


こじんまりとしたスリカンディ寺院。


一際立派なアルジュナ。ジャワ島における宗教建築の原型なもんで、プランバナンやボロブドゥールの寺院と比べると小粒感は否めない。

ひだり みぎ


内部にはシンプルなヨニが一基、悲し気に残されている。


アルジュナの前に残る付属施設のスマル寺院は他とは異なる建築構造で、長方形の箱型となっている。プランバナンみたいに本堂に対するヴァハナのような役割を果たしていたのだろうか。

ひだり みぎ


カーラ等の彫刻は殆ど風化されておらず、1,000年以上も前の物とは思えない。ここだけ復元されたものが使われているのだろうか。


スマル寺院の内部。リンガの台座だけが残され寂寥感を漂わせる。

ひだり みぎ
アルジュナ寺院群からもう少し離れたところにも遺跡が点在しているが、基壇以外は木造だったのか、殆ど土台しか残されていない状態のものばかり。

うーん…遺跡単品を見学するには少し物足りないが、ジャワ最古という歴史的意味合いや学術的には貴重なサイトだし、遺跡周囲の雰囲気も一体で考えれば実に味のある遺構だと思う。火山群に四方を囲まれ、モスクからのイスラム音楽が響き渡る中を羊の放牧が行き交ったりする長閑な田園地帯のど真ん中に1,000年以上も前の建築物があるんですから。標高2,000mという高原に古マタラム王国が聖地を築いたのも思わず納得してしまう神聖な空気に包まれていて、一度は来る価値のある特別な場所だと思うんだがなぁ。天気にも恵まれてたのに見物客が私一人というのが寂しかったわ。

続いて、ディエンの次なる観光名所へと移ります。



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【2015年ジョグジャカルタ・ソロ旅行記】