福州 ぶらり途中下車 レンタサイクルでヒャッハー2 三坊七巷

前回の続きで、引き続き福州の町をレンタサイクルでヒャッハーしていきます。
今回は福州のレトロ街こと三坊七巷を攻めてみます。

三坊七巷


んん?福州きっての観光名所(栄光のAAAAA級旅游景区!)の入口としてはしょぼい気がするが…ここでレンタルチャリを乗り捨て、内部へと入っていきます。

白壁に囲まれた細い路地が複雑に入り組む内部。
ひだり みぎ
晋・唐時期に建てられた士大夫の集合住宅をベースに清・民国時期に発展した歴史ある市街地で、3つの通り(三)と7つの路地(巷)に広がっていることから三坊七巷と呼ばれているそうな。英語だと“Three Lanes and Seven Alleys“と、そのまんますぎてダサい。


上から見たらこんな感じらしい。ベースが晋の時代ということで色々と現代人には分からない事情があるのでしょうが、腐るほど土地があるのに何もこんなに詰め詰めにしないでもと思ってしまいますw
出典元:人民網日本語版

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そんな三坊七巷には今でも約270軒の古民家が残っていて、その一部が博物館や文化施設として一般開放されています。内部が工事中で、入ったら半裸の作業員に怒られるトラップも混ざってたりもしますがね。


○○の故居と紹介されている建物も多かったですが、中には入れたり入れなかったり。有名どころでは、中華民族の英雄・林則徐の母の家もありました。いや、本人ではなく母かいっ!ってなりますが、林則徐ご本人も福州生まれなので、この家に住んでいたことがあるかもしれません。そう勝手に想像を膨らませて楽しんでみます。


博物館もあるにはあるのですが、私設の記念館のような小さな規模のものが殆ど。個人的には「党員政治生活館」というところだけ気になっていましたが、残念ながらクローズでした。


お目当ての場所が閉まっていたのでトボトボとあてもなく歩いていると、三坊七巷の中心を南北に貫くメインの通りに出ました。


古民家風の飲食店が並んでいます。文化的な場所というよりも、それらしい雰囲気の中で飲食を楽しむ観光地という位置づけのような感じがします。


KFCも古民家風。サンダース氏の顔面ロゴは周囲の景観を損ねてしまうという配慮からか、ファサードには配置されていませんでしたw

珍しいところでいくと、福建伝統の佛跳牆(ぶっ飛びスープ)のお店も。

ひだり みぎ
あとは茶文化館という名のお茶屋さんや…



レトログッズのお土産屋さんなんかが軒を並べます。

インターアクティブな文化施設なんかもあったので、中国語を話せたらもうすこし楽しめたのかなぁと思ったり。

【三坊七巷】

福州 ぶらり途中下車 レンタサイクルでヒャッハー1 西禅寺、西湖公園

東シナ海から吹き付ける湿めった風がなんともまったりとした気分にさせてくれる土曜日の昼下がり。南方特有ののんびりとした雰囲気の福州の町を歩いてみる…いや、レンタサイクルでヒャッハー!してみることにしました。


文字通り吐いてすてるくらい至る所で乗り捨てられてるレンタサイクル。30分1元で乗れちゃいます。


古い町並みに自然と溶け込む古樹・大木。緑が天然の日よけになってくれていて、探索するのに気持ち良い街並みです。町中にガジュマルの木(榕樹)が多くあることから、福州は榕城とも呼ばれるくらいなんだとか。

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ロータリーの中央島がガジュマルだったりしますからねw 巨木が交通整理の為の設備として何気なく街並みに溶け込んでいるあたりに古都・福州の風情を感じます。そして、チャリやバイクがロータリー内を逆行してたりするあたりに、中国ならではの風情を感じます。

西禅古寺(西禅寺)


まずやってきたのは西禅古寺。元々は唐代の876年に建立されたという長い長い歴史のある寺院で、福州五大禅寺の一つとされているそうです。入り口には「八閩名刹」との縁が掲げられているので、福州では五指に、閩南地方(福建省南部)というスケールで見ても8大名刹の一つということなのでしょう。

お寺ですが、中に入るのに20元の入場料を徴収されます。現地物価からしたら相当な額かと思いますが、なにせ福州五大ブランドですからね。
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中に入ると風情爆発。これぞ都会のオアシス、さすが名刹と唸りたくなるような風情のある空間が広がります。

ひだり みぎ
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人口の湖を中心に、きれいに整えられた江南スタイルの庭園が広がります。江南スタイルと言っても韓国のアレではなく、長江以南ということで、蘇州の拙政園や上海の豫園に代表される江南式の庭園がありますよーということですね。

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ワイ凡夫の煩悩で汚れきった心も綺麗さっぱり洗われるような気がします。って思った矢先に食欲の権化みたいな丸々と肥えたお坊さんが大量のスープを一気飲みする姿を目撃。ワイより煩悩に対して正直に生きてそう。

ひだり みぎ
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古刹アピールが凄かったですが、敷地内で現存する建物の殆どは文革以後に建てられた新しいもの。古寺ならではの詫びや寂びのある雰囲気を期待していくと、面食らってしまうかもしれません。

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15層で高さ67mのランドマークである報恩塔も1990年に建てられたばかり。
この日は報恩塔に登れるというブログ情報を見てやってきたのですが、コロナ対策なのか門が堅く閉ざされてしまっていたので、トボトボと引き上げることに。

【福州 西禅古寺】
所在地:福州市鼓楼区工業路455号

続いて向かったのは、町のシンボルである西湖公園。

2.3km離れた西湖公園までチャリで1元。チャリを止めた段階で消費したカロリー数まで表示してくれるデブに優しい機能も付いてますw

西湖公園


先ほどの西禅寺といい、歴史ある名所の多い福州の町。ここ西湖公園もその歴史は非常に古く、282年に農業灌漑の為に作られたのが始まりとされているそうです。

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ここは無料ということもあり、市民の憩いの場となっているようです。
家族でボート漕いだり、バードウォッチングを楽しんだり、太極拳で鍛錬に励んだり、新聞を読みふけったり、仲間との囲碁の勝負に興じたり、釣りをしたり、ひたすら痰を吐き続けたり、それぞれが思い思いの時間を過ごしています。平和って良いなぁとしみじみ思う。


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ノホホンっ。なんか仏像やらモニュメントまで福建特有の緩~い感じを出してて癒されますw

福州博物院


公園の一角に福州博物院があったので、パスポートを提示して中に入ってみます。


中に入るなり聞こえてくるドリル音w うるさいし危なすぎワロスw こんな状態で博物館が平常運転とか、開館日には絶対に閉じない皆勤賞マンの鏡っすなw

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福建鄭成功。台湾をオランダ人支配から解放した民族的英雄として称えられていますが、お母さん日本人の日中ハーフさんなんですよね、この人。その点には触れられてませんでしたが。

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海のシルクロードの東側の出発点として古くからお宝を満載した貨物船が往来していたという歴史があるので、福建省の周りの海底には船と共に沈んだ財宝なども多く、水中遺跡の宝庫だそうです。ロマンありますよね。上の写真に沈没船があるであろう地点が示されていますので、トレジャーハンターの皆様、いかがですか?

【福州 西湖公園】
所在地:福州市鼓楼区湖滨路71号

大晦日の天安門広場と 故宮博物院 時計館と珍宝館を楽しもう

年明けに北京を発つ前に、北京のランドマークである天安門広場と紫禁城(故宮博物館)を再訪してきました。


今にも銅鑼の音が聞こえてきそうなこのザ・チャイナな風景。ここ天安門広場から北京半日観光をスタートです。

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毛さん、今日もバッチリ映えてますね!

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故宮の表玄関となる天安門広場を抜けると、真正面に故宮のシンボルカラーともいえるベンガラ色の城壁と黄瑠璃瓦が見えてきます。こいつは故宮端門。紫禁城の外にある端っこの門からしてこのサイズとか、大陸の規模感バグってます。

北京の旅行サイトから拝借したこの画像が位置関係を把握するのに分かりやすい。南北の中心軸の一番南に位置する天安門→二番目が端門→次いでコの字にせり出した午門。この午門より先が故宮博物院となります。

ただ、博物院といっても絵や彫刻が陳列してあるだけの美術館や博物館とはわけが違います。明清代の歴代皇帝が住んだ紫禁城自体まで屋外展示物として見学できちゃうわけですから。


映画ラストエンペラーで溥儀が城外に出ようと「オープンザドアァァァ—!」と門扉を叩くシーン、あれの舞台となった午門っすね。もうここまでいくと「門」じゃなくて、これ自体が城といった規模w


気分はエンペラー。かつては決して庶民が入城を許されることのなかった禁地、紫禁城内部へと入っていきます。


紫禁城に入るなり目の前に現れるのはいきなりのメインディッシュ。ラストエンペラーの即位のシーンにも出てきた太和殿、故宮の象徴ともいえる建造物です。創建は明代の1420年。その後数度にわたって焼失し、現在の建物は清の時代の1695年に再建されたものになるそうです。

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途方もなく広い空間に敷き詰められた石畳、その上に左右対称に建てられた巨大な建築物の数々。めまいがするほどの圧倒的人工感とスケールの大きさに何度来ても圧倒されてしまいます。
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建物一個一個の説明は省きますが、やっぱ一番すごいのは太和殿へと続く皇帝専用の中央階段。なんと重量200t以上の一枚岩を彫り込んで作られています。どうしてここまで大きくする必要があるのだろうと思っちゃうけど、ここまで突き抜けてると、ただただ驚き、畏れ、そして感動してしまうレベルです。

家具館

故宮博物館には中国文化の神髄ともいえる珍宝文物が大量に収蔵されています。超ド級の国宝は台湾に持ち出されていますが、それでも今なお186万点という途方もない数の文物が収蔵されていて、その一部がテーマ別に一般公開されています。
今日は、時間が無いので家具館、時計館・珍宝館に絞ってみて回ることにします。
ひだり みぎ
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清朝王室家具コレクションが並びます。数百年物のお宝アンティーク家具が小綺麗なモデルルーム風にセットされててちょっと違和感を覚えますねw なんかもう展示品にプライスタグ付いてそうな勢いというかw

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こだわり抜かれた特注の家具が並ぶ中、ワイ的最高傑作は枝角と象牙で作られた椅子。まず、「うーん、枝角と象牙で椅子作ってみよっか!」ってならないでしょ。しかも実用性ゼロというか、強度が足りずに、皇帝が座ったら椅子の脚が折れてコントみたくなりそうだしw

鐘表館(時計館)

続いて時計館では、清朝の歴代皇帝が集めた時計のコレクションが展示されています。え?時計?テーマとしてはちょっとしょぼくない?もっと他にテーマあったでしょと思いましたが、宝飾時計の最高傑作の数々は見る価値十分にありました。
ひだり みぎ
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清の皇帝のもとには交易の便宜を求めてヨーロッパから多種多様な時計の贈物があったようで、代々皇帝さんが時計にドハマりしてしまった模様。精巧で華やかなだけでなく、機械仕掛けでカリヨンが曲を奏でたり、鳥が嘴を動かしさえずったりするような凝ったからくりも施されていて、なんとなくコレクションしたくなる気持ちも分かります。



18世紀の太陽計儀。皇帝様からしたら、現代の子供が天体模型を欲しがったり天体マニアがステラムーブメント買うくらいの感覚で調達されたのでしょうが、18世紀にこの特注ゴールデン太陽計儀は凄いw 時計館って懐中時計のコレクションくらいに想像してたんで、良い意味で想像を裏切られて良かったですw

ひだり みぎ
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遊び心満点で、意匠性に優れた時計の数々。流石に皇帝様、ロレックスを集める小金持ちのコレクションとは次元が違います。

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実績と信頼の中国製時計も並んでいます。自分で買い集めるだけでは飽き足らず、自国でも優れた時計を作れるよう技術者を育て産業を育むというところまでやったというから驚きの熱の入れようです。

珍宝館

続いて中国歴代皇帝の秘宝が陳列されている珍宝館へ。

太陽計儀に続いて天球儀もこれまた凄くて、星に見立てた真珠を金の球体に埋め込んで作ったとかw 勿論ちゃんと機能して、球を回すことで星座の動きも確認可能。皇帝さん、天体マニアだったんでしょうねw


表面に龍雲と蝙蝠を彫り込んだ桃の実?。これは大したことないのかな?と思ったら、なんとこいつ珊瑚なんだとw ネックレスとかピアスとか用に加工された小さめの珊瑚はみたことありますが、このサイズwww

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皇后が行事に出席する時に着用した帽子やら冠。真珠の養殖もない時代のものだろうに、真珠5,000個&宝石100個で装飾されてるとかwww 真珠5,000個は流石に盛ってるでしょ、というか5,000個も要らんでしょw 規模感だけでなく価値観も崩壊してしまいますw

ひだり みぎ
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国宝級のお宝の多くは台湾に持っていかれてしまったとはいえ、歴代の皇帝達が繰り広げた栄耀栄華の暮らしが連想できる元祖故宮のコレクションも中々のもの。色々と感覚が崩壊してしまいますが、目の保養にはなりますね。



重量4,500kgという超ド級の翡翠モンスター。これは流石に国民党も台湾に運び出せませんわw

北京の故宮以上に中国文化の粋が凝縮された場所って中々ないんじゃないですかね。文化財の多くは失われてしまっているとはいえ、まだまだお宝満載突っ込みどころ満載。北京に来たら一番に行って、北京を離れる前にもう一度行く。一度じゃ見切れないくらいの大きさの場所ですし、それくらいの価値のある場所です。

※故宮博物院のホームページも謎に充実していて、こちらに保管されている文物のうち80,000点以上は同ホームページの“デジタル書庫”で見ることができます。暇つぶしにお勧め!

【北京故宮】

所在地: 北京東城区景山前街4号
電話:+86 10 8500 7421
ホームページ:https://www.dpm.org.cn/Home.html

チュニスからカルタゴとシディ・ブ・サイドへ日帰り旅行

チュニジア二日目、朝一でカルタゴ遺跡へと向かいます。

「悲劇の通商国家カルタゴ」「地中海の覇者フェニキア人」「名将ハンニバル」「(ローマ)救国の英雄スキピオ」「タカ派の大カトーw」などなど、世界史の授業でロマン溢れるワードが次々と出てきてワクワクが止まらないぃぃ!って興奮した学生時代の記憶がよみがえります。
他にも「ラティフンディア、ラティフンディウム」の言葉の響きもたまらなく好きでしたね。やばいセンター試験受けたくなってきた世界史だけ。

チュニスからカルタゴへは、Tunis Marine駅から出ている郊外列車で向かいます。チュニス市街地からの日帰り旅行も全然余裕な距離にあるっすね。


マリーン駅まで、地中海リゾート感たっぷりの小洒落た通りを突き進む。チュニスではUberとGrabは使えませんが、エストニア発の配車サービスアプリ・Boltが使えるようになったみたいです。ぼったくりなどのタクシートラブルが多いらしいので、これで悪徳ドライバーが駆逐されてくれれば良いですね。


Tunis Marine駅で下車し、TGMという郊外列車に乗ってカルタゴへ。チュニジアンブルーの駅舎がマリーン感を出してるけど、ひどく廃れていて想像とは全然違った。見事なヤシの木通りで上がりすぎた観光客の期待値をここで調整しにかかったのか?期待値コントロール、大事ですからね。

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一大観光都市であり世界遺産にも登録されているカルタゴへの起点となる駅なのに、駅構内も洒落っ気なし。なんか、インドネシアあたりも通ずるイスラム圏独特の厳かな空気感が漂ってます。ラマダン期間中で、皆さんピリピリしてるのかな?


手動でドアをこじ開けて…


ドア開けっ放しで力走する郊外列車。地中海から吹き付ける風が心地良いですからね。風通しを遮るのは罪。


20分ほど列車に揺られ、かの名将の名を冠したカルタゴ・ハンニバル駅(Carthage Hannibal Station)で下車。ラマダン期間中だからか、世界遺産ど真ん中なのに人っ子一人としていない。


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看板や案内があるわけでもなく…とりあえず古代カルタゴの中心市・ビュルサの丘の方角へと向かう階段を上っていくと、住宅街の向こうに爽やかな地中海が見えてきた!緑の木々、青い海に空、白い家々…インスタ映えマックスですよカルタゴさん!

ビュルサの丘

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三面を海に守られたカルタゴの街を見下ろすビュルサの丘が悲劇の部隊。フェニキア人はここを中心に要塞を築き、スキピオ率いるローマ軍に対して徹底抗戦。最後まで丘の上の神殿を拠点に戦い続けたものの、一切の望みが潰える悟ると、神殿に火を放って自決したそうな。生き残ったカルタゴ市民は奴隷として売り払われ、町は完全に焼き尽くされ浄土と化し、フェニキア人国家のカルタゴは完全に滅亡した。紀元前146年のこと。

ひだり みぎ
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ローマとの三度のポエニ戦争の後に滅びたカルタゴ。ぺんぺん草すら生えない廃墟と化し、二度と復興しないよう呪いまでかけられたとされるカルタゴですが、戦後から1世紀も経つと、帝政ローマの属州として再び繁栄していくことになります。
今日のカルタゴで見られる遺跡は、主にローマ属州時代に作られたもの。モザイクタイルや石柱などが野放しで無造作に散らばってたりします。

アントニヌス共同浴場

ローマ属州として再編されたカルタゴは、北アフリカ支配の重要拠点としてローマ、アレクサンドリアに次ぐ帝国第三の都市にまで発展。ローマ式の共同浴場や劇場なんかが次々と作られていきました。

こちらはオーシャンビューの共同浴場跡。146年から162年頃にグランドオープンしたと推定されており、その規模は当時のローマの属州内で最大クラス。残された支柱や基礎部の大きさからして迫力満点で、当時のローマ人の浴場に対する熱湯ばりに熱い想いを感じます。

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断面図と一階の平面図。2階建てで、召使の待機室、更衣室、高温浴室、微温浴室、冷水浴室、プール、ジムやサウナ、垢すり室(?)など現代の温泉施設顔負けの設備が整っていたらしい。ワイらの祖先が水田がぁぁなんて言ってる頃に、こんなくっそでっかい健康ランドで植民地ライフを謳歌してたローマ人さんホント大正義。

ひだり みぎ
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床には色とりどりのモザイクアートが敷き詰められ、壁には美しい彫刻が施されていたそう。古代ローマ人さん、現代を生きるワイより優雅な生活送ってそうですわ。

円形劇場

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浴場だけでなく、古代ローマンタウンの定番施設・円形劇場だってありますよ。浴場と同じく2世紀に建てられて、音楽イベントや詩の創作コンテスト、哲学のディベート大会なんかで使われてたんだと。今でも現役の文化的イベントやコンサートの会場として活用されているらしい。観客先がコンクリで補強し直されていたり、明らかにローマ時代のものでないステージの土台やら柵やらが設置されていて、浴場と比べると遺跡感は薄いですかね。

ローマ人の居住地跡


浴場と劇場を見下ろせる小高い丘には、ローマ人の居住区跡も残ってます。オーシャンビューで、主要エンタメ施設まで徒歩圏内。整然と区画整理されていて各住居の敷地面積も広いですし、ローマから派遣されてくる高級官職向けの物件だったのでしょう。

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遠く地中海に浮かぶシチリア島まで見渡せるバルコニー付き高級住宅は、石材が積み直され当時の姿が再現された状態となっている。地中海からの風を浴びながらワイン片手に人生論を語る腐敗官僚の姿が想像できます。

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奢れるものも久しからず。ポエニ戦争は、カルタゴ絶対滅ぼすマンことカトーおじさんが願った通りの結果となったわけですが、皮肉にもローマの没落はこの戦争の勝利から始まると評価する歴史家も多いみたいです。後付けの解釈なんで、こじ付け的な解釈もあるんでしょうが。

ローマが競争相手であるカルタゴを完全に滅ぼし、陸海の全てを手に入れようとしていたその時、運命は狂い、混乱をまき散らした。危険を危険とも思わないような人間にとって、普通の安寧などは苦痛でしか無い。彼らは諸悪の根源である金や権力への欲望に従い、それらは信義や美徳を驕慢と暴虐に塗り替え、神をも怖れぬ彼らは何でも金で買えると思い上がった。…これらの悪徳はついには市民に蔓延し、帝国を最良のものから最悪へと変えてしまった。
—サッルスティウス、『カティリーナの陰謀』11

結局、帝政ローマは395年に東西に分裂。7世紀にはイスラム世界に取り込まれることとなっていきます。ああ、諸行無常。

シディ・ブ・サイド

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遺跡探索を終え、ローマ人居住区跡のある丘を下って海辺を散歩してみます。

海岸線に沿って北の方へと歩いていくと、チュニジアで一番美しい街とされるシディ・ブ・サイドが見えてきました。地中海を望む高級住宅街のようで、漆喰の白とチュニジアンブルーのコントラストがエキゾチック。サントリーニ島みたいっすね。
ひだり みぎ
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せっかくなんで海鮮プラッターでもあれば食べたいなーと思って一通り探索してみましたが、ラマダン期間中につき飲食店はほぼクローズ。残念ながら今日はここいらで引き揚げます。

オールドドバイを見て回る バールドバイ地区、デイラ地区に三大スーク

最新技術を駆使して造られた近代的高層ビル満載の大都市と知られるドバイですが、たかだか数十年前まではクリークという運河沿いに開けた小さな小さな漁村でした。

ただ、もちろん、とんでもなく高くとんでもなく奇抜でゴージャスな高層ビル群が町を覆いつくす前にもドバイの地を基盤として生活を営んでいた“原住民”はいたわけで、ドバイにも下町と呼ばれるエリアがあるわけなのです。今日は、そんな下町情緒が残されたドバイ発祥の地と呼ばれるオールドドバイというエリアを歩いてみることにします。

グーグル先生にお伺してみると、ドバイ発祥の地とされるのは、クリークを挟んで南北に広がるバールドバイ地区デイラ地区。このクリークの両岸にはゴールドスーク・スパイススーク・オールドスークというドバイ三大スークに代表される伝統的な下町が残されていて、近現代的成金タウンとは違ったアラビアンな風情を感じ取ることができるそうです。ありがとうグーグル大先生!

クリークの東側がデイラ地区、西側がバールドバイ地区となっていて、両地区間の移動はアブラと呼ばれる渡し船で5分ほど。ここら一帯はオールドドバイの中心地区とされるだけあって、クリークの両岸には観光スポットが集まってます。

【バールドバイ地区の主な見どころ】
ドバイ博物館
アル・ファヒディ歴史地区(アル・バスタキヤ)
オールドスーク

【デイラ地区の主な見どころ】
スパイススーク
ゴールドスーク
ヘリテージハウス
アルアハマディアスクール


宿泊先近くの歩道橋からの景色は完全に未来都市なんですが、タクシーで15分も走ればドバイの下町が見えてきます。

バールドバイ地区(Bur Dubai)

先ずはドバイ建国初期に形成された市街地を起源とする歴史地区・バールドバイへ。

ドバイ博物館:
バールドバイ地区の中心にあるのがドバイ博物館。

伝統的な木造航海船のモニュメントと、1761年に建てられた要塞を基にした古めかしい建物が目印。

下町風情溢れる街並みに溶け込むようにして建つドバイ博物館は、元々フォートとして建造された歴史ある建物だそう。その後、刑務所や首長の住居として使われてきましたが、1971年にドバイ博物館として一般開放されることになったそう。


激込みのドバイ博物館。入場料はAED3(JPY≒100)と激安なんだけど、お釣りが一切貰えないのでウザかった。おいインド人BBA、お前の腕の横にお釣り用の小銭が山ほどあるやんけ!と突っ込みたかったが…何を言っても仏頂面で「No Change!!!」の一点張り。
お釣りが無いというより、お釣りを渡さないルールということだったのかな。そうならそうと、プライスリストに「AED3(但し、ノーチェンジ)」と書けば良いのに。あれだとがめつい悪徳BBAが小銭をせしめてるようにしか見えんかったわ。


結局、近くのキオスクで飲料水を買うことで小銭を調達してインド人BBAの関所を突破。
関所の奥に広がる中庭には、古代アラブ世界でアラビア海・インド洋を舞台に活躍した伝統的な木造帆船や伝統家屋が控えめに並んでいる。せっかく難攻不落のBBAを頑張って突破して入ったのに、はっきりってパッと見は激しくしょぼい。

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日干し煉瓦の壁とヤシの木で作られた家屋、その周りに石油が発掘される前の庶民の慎ましやかな生活に関する展示物が展示されてる。炊事場跡やベッド、日用品などなど、今のドバイの発展ぶりから考えると信じられないような、小さく質素な家屋に観光客の群衆が押し寄せていた。

地上の展示物ははっきりいってしょぼくてDh3の価格相応なのでサラッとやり過ごし、地下の展示コーナーに時間をかけるのが得策っすね。外は暑いですし。

地下の展示室は古い外観とは反対に中はクーラーも効き、近代的な内装となっています。ここでは、漁村から近代的都市へと変貌を遂げたドバイの近現代史をドヤるための映像やパネル、石油が出る前のアラブ人の伝統的な暮らしぶりを再現した小部屋や蝋人形、有史以前のアラビア半島の遺跡の再現模型などが並んでいます。
最初に持ってきがちな古代の展示を最後尾に回し、近現代の発展ぶりで最初にドヤってくるあたりがドバイっぽい。

さあいきますよ、ドバイの発展ぶりに刮目せよ!

こちらは1822年時点でのクリークですが、本当に何もありません。

そんな何もない僻地の漁村でしかなかったドバイは、第二次世界大戦後にオイルマネーで確変モードに。超急速な発展を遂げていきます。
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1980年にはたかだか28万人ほどだった人口は95年には70万人に、2018年時点の人口は314万人へと膨れ上がった。
ドバイ世界貿易センターや経済特区を設立して海外資本を誘致し、海外に広く門戸を開いて石油だけに頼らない国づくりを行ったのが功を奏した形となったのですが、僅か30年~40年ほどで僻地の漁村がここまでの大変革を遂げるものかと、年代ごとのパネルを追ってみていくと、改めてその異常な発展ペースに改めて驚かされます。

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ドバイがドヤる凄まじい発展の歴史に目を見張ったところで更に順路を進んでいくと、お次はドバイ発展前のアラブ世界の街の様子が再現される薄暗いコーナーに入ります。当時のスークの再現や、遊牧民・ベドウィンの人々の暮らしの再現、伝統衣装の紹介などなど。キモいぐらいにリアルな蝋人形が並びます。

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更に時代を遡り、お次は遺跡コーナー。紀元前の石器や人骨、遺跡の再現などなどが並んでいますが、正直、ここらへんは近現代史のオマケ程度の内容っす。歴史の浅い国の博物館アルアルなのかもですが、歴史を遡っていくにつれて展示品の内容が弱くなっていきます。


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最後はきらびやかな土産物屋で締め。

速足で見れば1時間足らずで見て回れます。正直、わざわざ博物館で見る必要もないかな程度の展示品ですけど、外がっこまで暑いので、クーラーで冷やされた室内に入って休めるだけAED3.0の価値はあるかと思います。

【ドバイ博物館(Dubai Museum)】
所在地:Opposite of Grand Mosque-Al. Fahidi St., Dubai
営業時間:08時30分-20:30(金 14:30分-)
入場料:大人(6歳以上)AED3、子供(5歳未満)AED1

アル・ファヒディ歴史地区 Al Fahidi Historical District(アル・バスタキヤ):
続いて、ドバイ博物館のすぐ近くに広がるアル・ファヒディ歴史地区(アル・バスタキヤ)へ。

こちらは超近代的な成金リゾート都市に変貌を遂げる前のドバイになる以前の昔ながらの街並みが保存された歴史地区で、まさにドバイの原点とも言えるような場所。既に人は住んでおらず、歴史的建造物が観光客用のレストランやアートギャラリーなどの商業施設として再開発されたらしい。上海でいうところの田子坊みたいな?

約31,000㎡の敷地に、19世紀中頃から1970年代まで使われていた約60棟の建物が並ぶ。
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今でこそ高層ビルの林立する超大都市となったドバイですが、ちょい前のドバイの街並みはこんな素朴だったんすね。狭ーい路地の両側にベージュ色の建物が迷路の様に延々と続いてます。これぞ砂漠の町!と思えてくる乾いた黄褐色の世界です。

ひだり みぎ

サンドベージュ色の高い壁に囲まれた細い路地に迷い込むと、まるで古き良きアラブ世界にタイムトリップしたかような気分になってくるようなこないような…ただ、如何せん規模も小さければ店も少なすぎる。ちょこちょこっとしたギャラリーやオシャレカフェが数店舗あるくらいで、田子坊の規模には到底及ばないっす。


外に出されたギャラリーの作品を見て回るくらいであれば、30分もあれば十分。ちょっと小綺麗に保護・整備されすぎてて、情緒満点というわけでもなかったっすね。

ドバイオールドスーク(テキスタイルスーク):
アル・ファヒディ歴史地区からグランドモスクの方角へと歩いていくと、こちらもアラビアンな雰囲気のアーケードが見えてきます。
ここら一帯はオールドスーク(テキスタイルスーク)と呼ばれる生地屋街。インドなど南アジアの民族衣装やアラブ装束の仕立て屋が並んでいるようで、カラフルな生地が各商店の内外に並んでます。

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生地屋や仕立て屋が密集するエリアを抜けると、更に雑多な雰囲気になってきて、オリジナル香水を調合できるフラグメントショップや、シーシャ、トルコランプ、アラブ雑貨、アラジンパンツなどなど、中東土産を取り扱う小さな店舗が増えてくる。
ここら一帯は観光客をカモにする強引な客引きや粗悪品を掴ませようとする悪徳業者も多そうっすね。
いかにも胡散臭い風貌の店主が「このランプは絶対壊れないよ!」とかいって無理やり手に取らそうとしてきたけど、手に取った瞬間にぶっ壊れたのには草も生えなかったわw また、ランプを手に取らせようとするだけでなく、腕を引っ張って店内に引き込もうとしたり、いきなり頭にショールをかぶせてきたりしてきてウザ度は高い。

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ニホンゴ!ガリガリクン!ルルブ!ナンデヤネン!ミルダケ!ヤスイヨ!タカイヨ(ダメじゃんw)などなど、細い通りの両サイドの店からのアピールが激しすぎて、ゆっくりと買い物を楽しむという雰囲気ではありません。
無関心を装って無視しても武力行使で強引に腕を引っ張ってきたりするので、かなりヤバい。面白い人達なんだけど、腕掴んで店内に連行したり、スカーフ巻き付け逃がさないようにしたり、後ろから羽交い締めでロックオンしたりするのはやり過ぎですわw

アブラ乗り場⇒デイラオールドスーク

スークのすぐ隣には雄大なクリークが流れているので、オールドスークの強引な客引きから逃れるようにアブラに乗船して対岸へ。エキゾチックでアラビアンなバラ撒き用土産を探したかったのに…
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アブラは対岸へ渡る渡し舟。アブラ乗り場はクリークを挟んでバール・ドバイ地区とディラ地区それぞれ2箇所ずつの計4箇所。現地の方も多数利用しているので、ひっきりなしに多数の渡し船が往来してました。

乗り場はバールドバイ、デイラ側それぞれ二箇所ずつ
【バールドドバイ側】
・バールドバイ渡船場(テキスタイルスークの西北端付近)
・ドバイオールドスーク渡船場(南東の端付近)

【デイラ側】
デイラオールドスーク渡船場(スパイススーク付近)
アルサブハ渡船場(バスターミナル付近)

ひだり みぎ
運賃は対岸に渡るだけであればAED1で、乗船後に船頭に支払う仕組み。また、30分あたりAED60のチャーターフィーを払うことで船を貸切にして川沿いに運航してもらうことも可能。明朗会計なので助かります。


出発は満席になり次第ですが、あっという間に満席になるので一番に乗り込んで2-3分待っただけで出航となりました。

ひだり みぎ
近未来的な超高層ビルが並ぶドバイ市街地とは別世界で、一昔前のドバイへとタイムトラベルしてきたかのよう。豪華船でのクルーズも良いですが、吹き付ける風を感じながらドバイの大自然クリークを堪能できるアブラも旅行の思い出としては良いかと思います。

デイラ地区(Deira)

アブラで渡った先の対岸にはスパイススークが広がっていて、ターメリックやサフラン、クローブにペッパー、ドライレモンにメースなどなど、細い路地の両側にところ狭しと色鮮やかなスパイスの山が置かれてます。
スパイススーク:

ニーハオ!匂ってみろよー!味見も良いぞー!なんてフレンドリーな声がかかったが、オールドスークの強引な客引きがトラウマになってしまったのか、ここは通り抜けるだけでスルー。

ゴールドスーク:

スパイス・スークの隣に広がるのは、これまた異世界感たっぷりのキンキラキンに輝くゴールドスーク。金製品を取り扱うお店が300店以上も立ち並ぶアーケードの商店街っす。ここでは変な客引きもなく、急かされることなく自分のペースで品定めができる雰囲気で一安心。ばらまき用土産として気軽に買えそうなものは無さそうですが…

眩いばかりに金金金!ホームセンターの切り売り品が如く金が売られてる。
ひだり みぎ

リング、ブレスレット、ネックレス、ピアスなどなど、まばゆいくらい金だらけ。ありとあらゆる金製品が売られてます。まぁ金のレートなんて世界共通相場なんで、日本と比べて驚くほどお得って感じでもなかったすけどね。加工賃と税金の分だけ安いくらいなんで、値段だけを求めてくると失望するかも。

ショーケースに入ってたアラブ風なデザインのリングに惹かれたけど、結局ここでも買わず終い。三大スークを見て回ったのに戦利品無しという戦果に打ちひしがれながら、次なる目的地のヘリテージハウス、アルアハマディアスクールへと向かいます。

ヘリテージハウス:
ドバイの伝統様式の住宅を再現した博物館。

アルアハマディアスクール:
1912年に設立されたドバイで最も古い学校を再現した博物館。


ひだり みぎ
グーグル先生の情報を頼りに迷路のような細い路地を歩いていく。途中、徐に路地の上に絨毯を敷き始める男衆に遭遇。どうやらお祈りタイムが始まったようで、近くのパキスタン系の仕立て屋やバングラデシュ系飲食店から一人また一人とムスリムの方々が集結。アザーンがかかるころには路地裏の小さな広場があっという間に祈りを捧げる方々で埋め尽くされました。この行事が日課として生活の一部に組み込まれてるって、ほんと凄いっすよね。

ヘリテージハウス、アルアハマディアスクール:

ひだり みぎ
細い路地にアザーンが響き渡る中を歩き、ようやく辿り着いた博物館。…無情にも改装中につきクローズとなってしまっていました。無情なるアッラー!

ということでオールドドバイを歩いてみましたが、軽~く見て回る分には半日もあれば十分すぎるくらいの小さな規模でした。買い物したり食事したりしても1日あれば十分じゃないっすかね。

ドバイ博物館:1時間
アル・ファヒディ歴史地区:30分
オールドスーク:30分
スパイススーク:15分
ゴールドスーク:30分