大晦日の天安門広場と 故宮博物院 時計館と珍宝館を楽しもう

年明けに北京を発つ前に、北京のランドマークである天安門広場と紫禁城(故宮博物館)を再訪してきました。


今にも銅鑼の音が聞こえてきそうなこのザ・チャイナな風景。ここ天安門広場から北京半日観光をスタートです。

ひだり みぎ
毛さん、今日もバッチリ映えてますね!

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故宮の表玄関となる天安門広場を抜けると、真正面に故宮のシンボルカラーともいえるベンガラ色の城壁と黄瑠璃瓦が見えてきます。こいつは故宮端門。紫禁城の外にある端っこの門からしてこのサイズとか、大陸の規模感バグってます。

北京の旅行サイトから拝借したこの画像が位置関係を把握するのに分かりやすい。南北の中心軸の一番南に位置する天安門→二番目が端門→次いでコの字にせり出した午門。この午門より先が故宮博物院となります。

ただ、博物院といっても絵や彫刻が陳列してあるだけの美術館や博物館とはわけが違います。明清代の歴代皇帝が住んだ紫禁城自体まで屋外展示物として見学できちゃうわけですから。


映画ラストエンペラーで溥儀が城外に出ようと「オープンザドアァァァ—!」と門扉を叩くシーン、あれの舞台となった午門っすね。もうここまでいくと「門」じゃなくて、これ自体が城といった規模w


気分はエンペラー。かつては決して庶民が入城を許されることのなかった禁地、紫禁城内部へと入っていきます。


紫禁城に入るなり目の前に現れるのはいきなりのメインディッシュ。ラストエンペラーの即位のシーンにも出てきた太和殿、故宮の象徴ともいえる建造物です。創建は明代の1420年。その後数度にわたって焼失し、現在の建物は清の時代の1695年に再建されたものになるそうです。

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途方もなく広い空間に敷き詰められた石畳、その上に左右対称に建てられた巨大な建築物の数々。めまいがするほどの圧倒的人工感とスケールの大きさに何度来ても圧倒されてしまいます。
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建物一個一個の説明は省きますが、やっぱ一番すごいのは太和殿へと続く皇帝専用の中央階段。なんと重量200t以上の一枚岩を彫り込んで作られています。どうしてここまで大きくする必要があるのだろうと思っちゃうけど、ここまで突き抜けてると、ただただ驚き、畏れ、そして感動してしまうレベルです。

家具館

故宮博物館には中国文化の神髄ともいえる珍宝文物が大量に収蔵されています。超ド級の国宝は台湾に持ち出されていますが、それでも今なお186万点という途方もない数の文物が収蔵されていて、その一部がテーマ別に一般公開されています。
今日は、時間が無いので家具館、時計館・珍宝館に絞ってみて回ることにします。
ひだり みぎ
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清朝王室家具コレクションが並びます。数百年物のお宝アンティーク家具が小綺麗なモデルルーム風にセットされててちょっと違和感を覚えますねw なんかもう展示品にプライスタグ付いてそうな勢いというかw

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こだわり抜かれた特注の家具が並ぶ中、ワイ的最高傑作は枝角と象牙で作られた椅子。まず、「うーん、枝角と象牙で椅子作ってみよっか!」ってならないでしょ。しかも実用性ゼロというか、強度が足りずに、皇帝が座ったら椅子の脚が折れてコントみたくなりそうだしw

鐘表館(時計館)

続いて時計館では、清朝の歴代皇帝が集めた時計のコレクションが展示されています。え?時計?テーマとしてはちょっとしょぼくない?もっと他にテーマあったでしょと思いましたが、宝飾時計の最高傑作の数々は見る価値十分にありました。
ひだり みぎ
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清の皇帝のもとには交易の便宜を求めてヨーロッパから多種多様な時計の贈物があったようで、代々皇帝さんが時計にドハマりしてしまった模様。精巧で華やかなだけでなく、機械仕掛けでカリヨンが曲を奏でたり、鳥が嘴を動かしさえずったりするような凝ったからくりも施されていて、なんとなくコレクションしたくなる気持ちも分かります。



18世紀の太陽計儀。皇帝様からしたら、現代の子供が天体模型を欲しがったり天体マニアがステラムーブメント買うくらいの感覚で調達されたのでしょうが、18世紀にこの特注ゴールデン太陽計儀は凄いw 時計館って懐中時計のコレクションくらいに想像してたんで、良い意味で想像を裏切られて良かったですw

ひだり みぎ
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遊び心満点で、意匠性に優れた時計の数々。流石に皇帝様、ロレックスを集める小金持ちのコレクションとは次元が違います。

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実績と信頼の中国製時計も並んでいます。自分で買い集めるだけでは飽き足らず、自国でも優れた時計を作れるよう技術者を育て産業を育むというところまでやったというから驚きの熱の入れようです。

珍宝館

続いて中国歴代皇帝の秘宝が陳列されている珍宝館へ。

太陽計儀に続いて天球儀もこれまた凄くて、星に見立てた真珠を金の球体に埋め込んで作ったとかw 勿論ちゃんと機能して、球を回すことで星座の動きも確認可能。皇帝さん、天体マニアだったんでしょうねw


表面に龍雲と蝙蝠を彫り込んだ桃の実?。これは大したことないのかな?と思ったら、なんとこいつ珊瑚なんだとw ネックレスとかピアスとか用に加工された小さめの珊瑚はみたことありますが、このサイズwww

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皇后が行事に出席する時に着用した帽子やら冠。真珠の養殖もない時代のものだろうに、真珠5,000個&宝石100個で装飾されてるとかwww 真珠5,000個は流石に盛ってるでしょ、というか5,000個も要らんでしょw 規模感だけでなく価値観も崩壊してしまいますw

ひだり みぎ
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国宝級のお宝の多くは台湾に持っていかれてしまったとはいえ、歴代の皇帝達が繰り広げた栄耀栄華の暮らしが連想できる元祖故宮のコレクションも中々のもの。色々と感覚が崩壊してしまいますが、目の保養にはなりますね。



重量4,500kgという超ド級の翡翠モンスター。これは流石に国民党も台湾に運び出せませんわw

北京の故宮以上に中国文化の粋が凝縮された場所って中々ないんじゃないですかね。文化財の多くは失われてしまっているとはいえ、まだまだお宝満載突っ込みどころ満載。北京に来たら一番に行って、北京を離れる前にもう一度行く。一度じゃ見切れないくらいの大きさの場所ですし、それくらいの価値のある場所です。

※故宮博物院のホームページも謎に充実していて、こちらに保管されている文物のうち80,000点以上は同ホームページの“デジタル書庫”で見ることができます。暇つぶしにお勧め!

【北京故宮】

所在地: 北京東城区景山前街4号
電話:+86 10 8500 7421
ホームページ:https://www.dpm.org.cn/Home.html

リスボンから日帰りでシントラとロカ岬へ3 地の果てで大航海時代に思いを馳せる

シントラ王宮の見学を終え、いよいよ巨大なユーラシア大陸の西の果てにあるロカ岬へと移動します。


別に陸路で巨大なユーラシア大陸を横断してきた訳ではないけれど、極東から無駄に何度も何度も飛行機を何度も乗り継いできただけあって、西の最果てに到達したという感激もひとしお。こうして地図を改めて見てみると、確かに遠くまできたもんだなぁと。


王宮前のワインバーで飲んだ20年物のトウニーポートのお陰で、より一層感慨深く思えてきますね。ポートワインはアルコール度数が高いくせに、甘くてついグビグビといっちゃうんですよ。

景気づけの一杯(三杯)を飲み、いよいよシントラ駅前からロカ岬行きのバスに乗り込みます。
やはりポルトガルでも屈指の観光地ということもあって、世界各国からの老若男女がバスに集結しておりました。いよいよ来たなーといった感じでテンションが上がりますね。ポートワインのお陰で余計に。

シントラからロカ岬へは403番のバスで40分ほど。くねくね道を少し走ると、さっそく緑の大地の奥に真っ青な大西洋が見えてきました。


おー、着いた。大量の観光客とともにバスから吐き出され、大西洋から吹き付ける強めの風を受けて最西端のポイントに向け歩きます。もっと観光地観光地してるかと思ったら、記念碑と小さな観光案内所があるぐらいで、他は全く何もないんすね。観光客が多い点を除けば、本当にただの岬ですね。良い感じです。

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ロカ岬周辺はシントラ・カスカイス自然公園となっていて、岬一帯には色とりどりの花が咲き乱れてます。楽園かな?


そして、ついにやってきたユーラシア大陸の終わり。広々とした花々の絨毯が敷かれた大地の突端が高さ140mの断崖となって大西洋に落ち込むと、そこから先はどこまでも広がる大海原。
いやー、すごい。穏やかなモルディブの海とも違ければ、爽やかなエーゲ海とも違う、どこか荒々しいイメージの海。確かに、「この荒れ狂う大海原の行き着く先には一体、何があるんだろう?」という好奇心が湧いてくる気がしますね。

大航海時代に名を馳せたポルトガルの船乗りたちも、かつてはこういった海を眺めて未だ見ぬ新大陸に思いを馳せていたのかもしれません。この先に大陸がある保障もないのに見渡す限りの大海原に飛び込んでいったわけですから。

地球球体説が有力になりつつあった時代とはいえ、地球の淵まで辿り着いたら真っ逆さまに落下しちゃうんじゃね!?みたいな得体のしれない恐怖心だってあったろうに。世界の果ては滝になっているだの、妖怪が口を開いて待ち構えてるだの言いたい放題の迷信が跋扈していた時代ですからね。

なんて大航海時代の覇者ポルトガルの英雄たちに思いを馳せながら岬の中心へ。

北緯38度47分、西緯9度30分の地点には、ポルトガルの英雄的詩人カモンイスが詠んだ叙事詩の一句が刻まれた石碑がぽつんと建ってます。

Aqui…Onde A Terra Se Acaba E O Marcomeca – ここに地果て、海始まる。

うまいこと言ってる感あるけど、海ってわりとどこもそういうもんだよね…意外と薄っぺらい言葉なんじゃね…なんて突っ込みたくもなってくる絶妙な名句。


因みに、ユーラシア大陸の東端・南端・北端はそれぞれロシア・マレーシア・ロシアにあります。いつかそれぞれの端を制覇したいですね。

デジニョフ岬 – ロシア・チュクチ半島にあるユーラシア大陸最東端の岬。
タンジュン・ピアイ – マレーシア・マレー半島にあるユーラシア大陸の最南端の岬。
チェリュスキン岬 – ロシア・タイミル半島にあるユーラシア大陸の最北端の岬。


さて、この記念碑の奥の遊歩道をもう少し奥まで歩いててみると…柵も無く、足元がすくむほどの地の果て感が味わえます。

まぁぶっちゃけ言ったらただの岬っちゃただの岬なんですけどね。ただ、それでもやっぱり遥々来てよかったなとは思います。特にここまで来て何をしたとか何を得たってわけでもないですが、大航海時代へのロマンは感じることができましたね。このテンションのまま、同様に大航海時代に縁のありそうな町・ベレンへと移動します。

リスボンから日帰りでシントラとロカ岬へ2 シントラ王宮

ダンジョン感たっぷりだったレガレイラ宮殿での冒険を終え、お次は山の向こうに見える王宮を目指して山道を歩いていきます。


でもあれ、本当に王宮で間違いないかな?なんか老朽化した地方のアパート感あるけど…。レガレイラ宮殿から一緒に歩いたイギリス人夫妻なんかは、王宮はショボそうなのでスルーしてムーアの城壁までハイキングを楽しむと言っていたくらいだし。そう、王宮なのにどうもパットしないというか、シントラの観光スポットの中でも人気の序列でいうと再開なんですよね。
ペーナ宮殿≧ムーアの城壁>レガレイラ宮殿>王宮といった感じの扱いになっていて、シントラを訪れる旅人には軽視されがちというか。王宮なのに。


山道の途中でイギリス人夫妻と分かれて直ぐに視界が開け、広場の正面に真っ白な外壁と2本の円錐型の塔が特徴的な王宮が見えてきた。アパートとまでは言わないにせよ、ヨーロッパの宮殿にしては、確かに意外と地味というか質素な外観でした。

では、王宮王宮と言ってるけど、一体どの王朝時代に建てられたものなのか。
その歴史は古く、元々はイベリア半島を支配していたイスラム勢力のムーア人支配者が住居として建てたものらしい。それを12世紀にポルトガル王アフォンソ1世がイスラム勢力を駆逐した際に収用。13世紀にはディニス王が居城として整備、その後ジョアン1世やマヌエル1世が増改築を繰り返していったという歴史があるんですと。

歴代の王族がそれぞれの趣向に応じてアレンジを繰り返してきたため、イスラムのムーア様式をベースにゴシック、ルネッサンス、マヌエルといった様々な建築様式がごっちゃになった特徴ある建物になったのだと。

入場料は10ユーロ。早速中に入ってみましょう。部屋ごとにそれぞれ独自の世界観が表現されているみたいですよ。

白鳥の間:
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先ずはポルトガル王国アヴィス王朝の創始者であり、“大王”ことジョアン一世(在位:1385年 – 1433年)の時代に作られたという白鳥の間。宮廷舞踏会場として使用された大広間で、天井には首に王冠を付けた27羽の白鳥が描かれています。なぜに白鳥?それにはきっとジョアン一世なりの深い訳があったのでしょう。

あと、どうでも良いですが、ヨーロッパ特有の〇〇王という二つ名はポルトガル国王にもあったんですね。
ジョゼ1世=改革王、アフォンソ4世=勇敢王、ルイス1世=民衆王とか、王の成し遂げた偉業に相応しい威厳たっぷりの愛称が並ぶ中…

アフォンソ2世=肥満王。

肥満とか、身体的特徴やんけw まぁ世の中には禿頭王と呼ばれるやつもいるくらいだから。涙拭けよアフォンソ2世。

カササギの間:

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話が逸れてしまいましたが、続いても大王時代に作られた大部屋。壁にイスラム風のタイル装飾を施されたこの部屋はカササギの間という名前で、当然、天井にはカササギが元気よく舞っています。

カササギって縁起が良い鳥ですからね。
え?違う?

鵲のくちばしにはpot bem(善意で、という意味)と書かれた紅バラがくわえられている。これには逸話があり、ある時、ジョアン1世は女官にキスしているところを王妃フィリパ・デ・レンカストレに見つけられた。王は『善意でキスしたのだ。』と弁解し、フィリパは何も言わなかったが、噂が女官たちの間で広まってしまった。王は、「おしゃべり」という意味のある鳥である鵲を部屋の装飾に用い、かつまたフィリパの実家ランカスター家の紋章である紅バラを描かせた。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/シントラ宮殿
ちょっと意味が分かりませんが、深い訳がありましたね。クリントンもこれくらい突拍子もない謎の打ち手を講じてくれれば良かったのに。

紋章の間:

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王宮の最上部にあるひときわ派手に彩られたこちらの部屋は、“幸運王”ことマヌエル一世(在位:1495年 – 1521年)の統治時代(1495年から1521年まで)に作られた紋章の間。ドーム天井にはポルトガル王侯貴族の紋章が描かれています。

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壁にも狩猟の光景を描いたアズレージョでびっしりと装飾されていて、ポルトガルならではの芸術が詰まった空間となっています。


ポルトガル王室が誇る偉大なる国王たちにより作られた華やかな広間の数々!…だけではないんですよね。当然、中には官位にそぐわぬダメダメな性格や能力の王様もいたわけで。その最たる人がアフォンソ6世。

いや、ね。実際お会いしたわけではないんですがね。現代に残された資料などによると、どうも情緒不安定で粗暴な人間で、ヌムール公女だった妻からは「この無能で不能なヤツ」とこき下ろされた挙句、実の弟により実権を奪われて島流しに遭ってしまうという。で、ようやく本土に戻れたと思ったら妻は実弟と結婚して子供産んでるし、結局は狭い部屋の中での幽閉生活が待ってるしわという。

で、この部屋こそがアフォンソ6世が50にして亡くなるまで軟禁されていたという座敷牢。冷の中でぐるぐると歩き回っていたのであろう、絨毯が擦り切れていたりするのが生々しかった…

涙拭けよ、アフォンソ6世!なんてネタにもできないくらの悲劇的な人生ですね。無能で不能は男として同情しますよ。合掌。

【シントラ王宮】

所在地:Largo Rainha Dona Amelia, 2710-616 Sintra.
電話:+351 21 923 7300

リスボンから日帰りでシントラとロカ岬へ1 ダンジョン感たっぷりのレガレイラ宮殿

リスボン2日目。いよいよユーラシア大陸の西の最果て・ロカ岬へと向かいます。

リスボンからロカ岬への移動経路は、シントラ経由とカスカイス経由の2パターン。

リスボン⇒シントラ:列車で40分、シントラ⇒ロカ岬:バスで40分
リスボン⇒カスカイス:列車で35分、カスカイス⇒ロカ岬:バスで25分

ロカ岬だけを目的として行くならカスカイス経由の方が移動時間が短くて良さそうだけど、シントラはシントラで世界遺産にもなってるくらいに見所が豊富な町みたいなので見逃すのはもったいない。更には、リスボンとカスカイスの間にあるベレンも大航海時代に因んだモニュメントがあるので行ってみたいし…
うーん。ここはちょっと駆け足になってしまうけど、リスボン⇒シントラ⇒ロカ岬⇒カスカイス⇒ベレンと日帰りで周ってくることにしましょうか。

朝8時に列車でリスボンのロシオ駅を出てシントラ駅へ。レガイラ宮殿とシントラ王宮を見てからバスでロカ岬へ。
帰りはロカ岬からバスでカスカイスへと移動し、カスカイスからリスボン行きの列車に乗ってベレンで下車。ベレンからはバスまたは列車でリスボンへ。

この行程を一日で消化する。計画上は一日あれば十分に見て回れるはずなのですが、果たして。

リスボン⇒シントラ

リスボンからシントラ行きの列車はロシオ駅(Estacao Ferroviaria do Rossio) とオリエンテ駅(Estacao do Oriente)から出てますが、今回は滞在先からのアクセスの良いロシオ駅を利用。

郊外行きの列車ですが、時刻表を見たら朝からバリバリ走ってますね。日帰り旅行で使い勝手が良いのは06:56、07:11、07:26、08:11、08:26発あたりでしょうか。運賃も2.25ユーロとゲロ安いです。
参照:ポルトガル鉄道公式サイト

おっしゃ!朝一で出発したったるか!と気合入ってたんですが、昨晩夜更かししちゃった自分は案の定の寝坊。08:41発の列車で移動することに。

あ、そうそう。ここでシントラ行きの片道券を買うのではなく、15.5ユーロのシントラ周遊パス(Bihete Train & Bus)を買った方が絶対に良いっす。シントラ内のバスだけでなく、シントラ⇔ロカ岬・ロカ岬⇔カスカイスのバスや、リスボン⇔シントラ・カスカイス駅の列車が乗り放題になるという神周遊パスなので。

リスボンからは40分ほどでシントラ着。

駅前の観光案内を見たら、主な見どころだけで5カ所もあるやんけ…。
ペーナ宮殿 (Palacio Nacional da Pena)
ムーアの城跡 (Castelo dos Mouros)
レガレイラ宮殿 (Palacio e Quinta da Regaleira)
シントラ王宮 (Palacio Nacional de Sintra)
モンセラーテ宮殿 (Palacio de Monserrate)

可処分時間の限られる社畜ワイ、取捨選択を迫られ泣く泣くレガレイラ宮殿とシントラ王宮のみに絞って周ることに。

ただ、腹は減っては戦は出来ぬ。観光を始める前に、駅前にあったコンフェイタリアで糖分を摂取することに。あ、因みに、Confeitariaはポルトガル語の名詞Confeito(砂糖菓子)の派生語ですが、このコンフェイトの派生語が日本語にもあるって知ってました?

それは…
金平糖。コンフェイト→コンペイトー。いや、ワイのこじつけとかではなくれっきとした歴史的事実で、カステラなんかと共に16世紀に宣教師によって日本にもたらされたとか。ポルトガル語由来の日本語って地味に他にもあって、パンやカボチャなんかもそうですね。知ってて得しない豆知識です。


金平糖やカステラを生み出したスイーツ大国だけあって、地方都市の無名コンフェイトであっても品揃えが凄い。エッグタルトもチョコがのってたり、キャラメルがコーティングされたのがあったりとバリエーション豊富で、ついつい目移りしてしまいます。

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何が良いのか分からなかったので、店主っぽいオッサンが勧めてきたtraveseiro(トラヴェセイロ)を注文。どんな品が来るかと楽しみにしてましたが、砂糖がまぶされたサクサクパイがやってきました。中にはカスタードが入ってトロトロ。そう、外サク中トロ。ポルトガルスイーツはエッグタルトだけにあらず!食べて思わずにっこりするような美味しさで、嬉しそうなワイを見た店主が「美味いだろ?」とばかりに笑顔でサムズアップしてきましたw

レガレイラ宮殿

お腹を満たしたところでレガレイラ宮殿へと向かいます。歩いても20分ほどで行けそうですが、乗り放題のパスを買ってたこともあるのでシントラの列車駅前から435番の循環バスを利用することに。

坂道をうねうねと上ること10分ほど、廃墟となった中世のドラキュラの館みたいな建物の前でバスを下ろされました。ちょっと想像してた宮殿と違う。いや、だいぶ違うか。

入場料は8ユーロ。
中に入ると、廃墟感のある宮殿や塔だけでなく、くっそ広い敷地内の庭園には鍾乳洞みたいなものまであったりして、秘境内のダンジョン感が凄い。ゴブリンとかドラキー系の雑魚キャラ的モンスターが異常に湧いて出てくるという生易しいレベルでなく、ロマサガ2の七英雄が出てきそうなガチダンジョンの雰囲気です。
ひだり みぎ


懐かしの七英雄。これだけロマサガ2のボスキャラが出てきそうな場所は、世界広しといえども他にそう無いと思う。ここにいる間、ずっとクジンシーとの闘いのBGMが脳内再生されてましたもん。

こんなモニュメントだって、ロマサガっぽいじゃないですか。

中世の怪物やギリシャ神話の神、テンプル騎士団・フリーメーソンのシンボルなどが至る所に掘られていたりと、謎で満ちた魔宮・レガレイラ宮殿。元々は12世紀にポルトガルの王族の別邸として建てられたという歴史ある建物だそうで、その後も所有者が移り変わってきたりしたために、様々な建築様式や意匠が一体混然となった奇妙で怪しげなテーマパークみたいになってしまったようだ。

ひだり みぎ
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塔の上からは深い緑に覆われた山中に広がるシントラの街並みが一望できたりと、優雅なる宮殿としての一面も。イギリスの詩人・バイソンが「この世のエデン」と形容しただけあって、町としての雰囲気はひっそりとした古都然としてて良いですね、シントラ。

お次は山を少し下って、シントラの王宮を目指します。

【レガレイラ宮殿(Palacio e Quinta da Regaleira)】

公式サイト:http://www.regaleira.pt/en/mapa
所在地:Quinta da Regaleira, 2710-567 Sintra, Portugal
電話:(+351) 219 106 650

ポルトガル第二期黄金時代の超大作 サン・フランシスコ教会

老舗ワイナリーでのワインテイスティングでご機嫌気分になった勢いで、ポルト観光の目玉の一つであるポルサ宮を見にいくことに。


ドウロ川を指し示すポルトの英雄・エンリケ航海王子の像、その背後に見えるのがポルサ宮。


夏季は18:30までと聞いてたので18時前に訪問したところ、残念ながら英語でのツアーは17:15が最終だったという。また、個人での見学は受け付けていないとのことで打ちひしがれる私に係員が一言、「隣の教会はまだ入れると思うので行ってみたら?」と。

オブリガード!

クレリゴス教会カテドラルに続き、また教会か…と内心思いつつも、ボルサ宮のお隣りにあるサン・フランシスコ教会へと向かうことに。
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ドウロ川の沿岸に威容を誇るバロック式建築のサン・フランシスコ教会。サン・フランシスコという名前のとおり、イタリアのフランシスコ会を本部とする由緒正しき教会です。建立は13世紀。その威厳ある佇まいに、長い歴史を感じられずはいられません。

入場料

内部に入るには、7ユーロの入場料が必要。入場料を払い、チケットセンター併設の博物館とカタコンベを見てからメインの教会へと移るという順序になっているようです。
2018-2019年度版の最新ガイドブックには4ユーロとあるので、上り幅だけでみたら結構の値上がりっすね。

博物館

ひだり みぎ
博物館はキリストをモチーフにしたアートの展示が中心。サンフランシスコ会の教会なので、キリストと聖フランチェスコをモチーフにした作品が多くみられました。

ひだり みぎ
布教活動に精を出される聖フランシスコ氏ですかね。これじゃない感が半端ないですが、これくらい親近感湧くテイストの方が見る者の心に訴えるんですかね。

カタコンベ

地下はカタコンベになっていて、18世紀から19世紀にかけての教会関係者の石棺が並んでいます。地下に埋葬された無数の遺骨が見られるよう床の一部が透明のアクリル板になっていたりと、非常に厳かな雰囲気でした。

教会


博物館でのウォーミングアップを終え、いよいよ教会内へと突入します。


重厚なゲートをくぐり教会内へ入ると、そのあまりの神々しさに鳥肌が立ちました。もしかして異世界に来てしまいましたかね?ちょっと他に類いの無いようなユニークな教会です。

祭壇だけでなく、壁、柱、天井に至るまで眩いばかりの金泥細工がびっしりと施されています。ところどころ金箔が剥がれて下地の木目が露出している箇所もあったので、木彫りの彫刻の上に金箔が塗りたくられてるんですね。よくもまぁこれだけ細かい細工にまで金箔を塗りたくったなと。カトリックの中でも特に清貧を旨とするフランシスコ会のイメージが脆くも崩れ去りました。
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これらの金箔細工は、18世紀前半に作られたそう。ちょうどブラジルのゴールドラッシュにより大量の金がポルトガルに流入した時期ですね。金箔なので金の重量ベースでの使用量はそう多くないはずなのに、なんと600kgもの金がフランシスコ教会の改修工事に用いられたのだとか。当時の相場は分かりませんが、今は1トロイオンスの国際相場がUS$1,600くらい。円建てグラム当たりに直すと5,600円。当時とは条件が何もかもが異なるのを承知の上で乱暴に現在の相場に基づき計算すると、600kgの調達にかかる資金は33億6000万円…。奴隷に採掘させた金を強奪してきた…

まさに南米植民地政策が支えたポルトガルの第二期黄金期の栄華とカトリックの権威の強さを語り継いできた教会といえるでしょう。

こちらはキリスト聖者のオールスターが総出演のエッサイの樹。いわゆるユダ王国の12人の王たちとイエスの家系図で、ダビデ王の父エッサイからイエスキリストにいたる系図を一本の樹に表した作品で、バロック装飾の大傑作だそうだ。

いやー、凄い。細かくみていけばここだけで軽く1時間はかかります。教会というよりも、どちらかといえば美術館といった感じの教会内で、見応えでいえばグレゴリス教会やポルト大聖堂よりも遥かに上でしょう。ポルサ宮のプランBとしてたまたま来た程度だったのですが、むしろポルサ宮に行ってたより楽しめたかもしれません。

【サン・フランシスコ教会(Sao Francisco Church)】

所在地:Rua do Infante D. Henrique, 4050-297 Porto
電話:+351 22 206 2125