オスマントルコ歴代スルタンの夢の跡 トプカプ宮殿

いよいよイスタンブール観光のメインディッシュとなるトプカプ宮殿へ。


世界を代表する世界遺産だけあって、チケット売り場からして激込み状態。人口密度でいったらディズニーより高いくらいで、入場前からゲンナリですわ。怪しい輩も多数湧いて出てくるし。

列に並ばずに入場する方法を知っているとか、私はプロのガイドであるとか。最初は面白がって相手してた怪しげな日本語使い達ですが、こうも多いと流石にうんざり。面倒くさいので中国人ぶって無視する作戦に打って出たら、相手も中国語に切り替えて話してくるというねw その言語能力、コミュ力、ゴリゴリの積極性を他に活かせよw と思ったけど、トルコでそういった才能を活かそうとすると観光客相手の怪しげな仕事をするのが一番儲かるんでしょうね。

激込みの上にウザったい輩に付きまとわれ、テンションだだ下がりの中でトプカプ宮殿へ。

小さな部屋が連なった建物と数多くの庭園で構成されるトプカプ宮殿。歴代のスルタンが増築に増築を重ねた為、異った時代の建築様式が混ざっているそうです。当時は約4,000人もの従者らが暮らしていたといわれていて、宮殿というよりは一つの町といった感じっすね。ヨーロッパのギンギラギンでゴージャスな宮殿と比べると全体的に質素な造りだし。

人が多すぎて辟易しつつも、人の流れに沿ってトプカプ宮殿一の見所である宝物館へ…と思いきや宝物館は改装中につきクローズ。エメラルドとダイヤがちりばめられたトプカプの短剣や、86カラットのダイヤモンドなど、オスマン帝国の栄華の歴史を伝える財宝の数々を見ることはできませんでした。もう一つのハーレムも激込みで入れなかったし…

ひだり みぎ
ひだり みぎ
失意のまま奥へ奥へと歩いていくと、庭園の木々の奥にひっそりと佇む離れへと辿り着いた。あの最強の帝国・オスマントルコの宮殿にしては地味でヨーロッパの豪華爛漫な宮殿と比べると物足りなさはあるけれど、これはこれで遊牧民族の宮殿らしくて良いのかね。庭園も多くて自然との調和も感じられるし。

オスマン帝国の栄華に思いを馳せるには、ちょっとゴミゴミしすぎてました。観光客の多いイスタンブールにあっても、ここだけは段違いの集客力があるようなので、人の少ない朝一に行った方が良いかと思います。

【トプカプ宮殿(Topkapi Palace)】

所在地:Sultanahmet, Fatih, Istanbul
公式サイト:https://millisaraylar.gov.tr/en/palaces/topkapi-palace
営業時間:
冬(10月30日-4月15日):09:00-16:45
夏(4月16日-10月29日):09:00-18:45

ビザンツ時代からの歴史が詰まったアヤソフィアと大宮殿モザイク博物館

続いては、イスタンブールの歴史の象徴・アヤソフィアへ。

知名度でこそトプカプ宮殿には劣るかもしれませんが、歴史的重要性という意味ではイスタンブール屈指の存在の建物です。キリスト教世界とイスラム世界との激しい覇権闘争の舞台として壮絶な歴史を辿ってきたイスタンブール、そのの為政者に翻弄され続けながらもイスタンブールの町の中心に立ち続けてきたわけですからね。

アヤソフィアの歴史、さらっとおさらいしておきましょう。

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360年 コンスタンティヌス帝が当方正教会の大本山として建造
404年 火災で焼失
415年 テオドシウス2世が再建
532年 反乱で崩落
537年 ユスティニアヌス帝が再建(現在のアヤソフィア)
1453年 コンスタンティノープルを征服したオスマントルコ帝国のメフメト2世がモスクに改装
1935年 トルコ共和国が無宗教の博物館として一般開放
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元々はコンスタンティノープル(今日のイスタンブール)を征服したコンスタンティヌス大帝によりそう当方正教会として建てられたのが、オスマン帝国が当地を統治することになりモスクとしてリニューアルオープン。20世紀になりトルコ共和国が建国されると世俗化され、無宗教の博物館として利用されることになりましたよ、と。

イスタンブールの長く壮絶な歴史の中で、為政者や宗教が変わっても常に信仰の中心で有り続けてきたわけですから、まさにイスタンブールの歴史の生き証人っすね。

アヤソフィア


トプカプ宮殿の入り口脇に威風堂々と建つアヤソフィア。尖塔の1本だけが赤いのは、この1本のみがメフメト2世により建てられたオリジナルのものだから。この1本のみが赤レンガで建てられて、後代に追加された3本の尖塔は石灰岩と砂岩で作られている為に白くなっているそうです。

ひだり みぎ
恐る恐る身廊へと歩を進めてみると、キリストとイスラムが融合した独特の厳かな雰囲気にただただ圧倒されます。

ひだり みぎ
メフメト2世がコンスタンティノープルを攻略すると、アヤソフィアの十字架は取り除かれ、キリストのモザイク画は漆喰で塗り潰さた。ギリシャ正教の大本山が格式高きモスクへと姿を変え、難攻不落と言われたビザンツ帝国千年の都がキリストの都からアッラーの都へと転換した。そう考えると、遥か昔から続くキリスト世界VSイスラム世界の争いの象徴ともいうべき存在ですよね、アヤソフィア。そう考えると、なんか鳥肌が立ってきます。


頭にショートケーキがのっかってますよ、でお馴染みビザンツ絶対倒すマン・メフメト2世。彼の名が語られる際には「破壊者」「キリスト教最大の敵」「血にまみれた君主」などおどろおどろしい枕詞がずらりと並べられますが、実際にはヨーロッパ文化への造詣も深い文化人で、町の攻略後の略奪行為を最小限に食い留めたり、捕虜となったビザンツ貴族の身代金を自ら払って解放を保障するなどの慈悲も示していたらしい。
総攻撃前には降伏開場も呼び掛けてるわけだし、更にはコンスタンティノープルを落とした後もキリスト教やユダヤ教も認めたり、破壊者というよりは逆に有能な文化人っぽい印象があるんすけどね、メフメト2世さん。現代でも貴重な歴史遺産をぶっ壊して回るテロリストがいるわけですし、真に野蛮で無知な暴君だったらアヤソフィアなんか、いの一番に破壊されていたことでしょう。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
ミフラーブ上部の半ドーム屋根の部分に、黄金に輝くキリストと聖母のモザイク画を発見。メダリオンに描かれた装飾アラビア文字の煌めきと同居する黄金のモザイク画が、イスタンブールの歴史の変遷と歴史の重みを感じさせてくれます。


熾天使の絵もバッチリ。



身廊の前室には10世紀のモザイク画“キリストと皇帝”。キリストを囲むように大天使と聖母マリアのメダリオンが描かれ、左には膝まづく礼拝中の皇帝の姿が。

ひだり みぎ
壁面には漆喰の下から出てきた金地のモザイク画が多数。モザイクを剥がさずに漆喰で覆い隠すだけに留めたオスマン帝国グッジョブ!


イスラム的幾何学模様の中に埋もれるように残る『聖母子、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世』のモザイク画。

ひだり みぎ
手すりの幾何学模様や金色に輝くアラビア文字が描かれた巨大なメダリオンがイスラムを感じさせるが…モスクのようでモスクではない、教会のようで教会ではない不思議で神秘的な聖なる空間。東洋であり西洋でもあるイスタンブールならではの博物館、個人的にはトプカプ宮殿より印象に残りました。

土産屋も、キリスト的な物とイスラム的な物が共に揃っています。


キリストグッズメインと見せかけての…

ひだり みぎ
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イスラムグッズギャラリー。街角の個人商店ではみかけないような、かなーり上質な品々も揃ってます。

【アヤソフィア(Ayasofya)】

所在地:Sultan Ahmet Mahallesi, Ayasofya Meydanı, 34122 Fatih/Istanbul
電話:+90 (212) 522 17 50
公式ホームページ:http://ayasofyamuzesi.gov.tr/en

大宮殿モザイク博物館

また、モザイク繋がりで言うと、アヤソフィアの近くある大宮殿モザイク博物館なる小さな博物館も見逃せません。
“大宮殿”と名前にあるのは、コンスタンティノープル時代に東ローマ皇帝が住んでいた宮殿跡地に残されたモザイク画が公開されているかららしいっす。

宗教的な意味合いは殆どなく、日常生活の一場面や神話の一部をモチーフにしたものばかりで、アヤソフィアのモザイク画とは違った魅力が味わえます。

7500万~8000万個のガラス粒やテラコッタ(1㎡あたり40,000粒!)を詰め込んで作られたビザンツ職人渾身の力作。


顔一個を表現するだけでも膨大な作業量を要することが分かります。


ヤシを取るオッサンの姿もこの通り忠実に再現。

ひだり みぎ
生々しい弱肉強食の世界。

ビザンツ宮殿跡!という点を楽しみにいったら失望すること必至ですが、当時の社会の雰囲気を味わうにはアリっすかね。20分くらいでサクッと見て回れる小さな博物館です。

【大宮殿モザイク博物館(Museum of Great Palace Mosaics)】

古代のお宝ざっくざく イスタンブール考古学博物館

続いてはイスタンブール考古学博物館へ。

世界でも十指に入る博物館だとトルコさんが自画自賛してるので、期待値は高いのだが果たして…。

世界でも十指に入るかはさておき、東西の十字路に栄えた全盛期のオスマン帝国の版図はメソポタミア、アラブ、エジプトという肥沃な三日月地帯も含んでいるので、ギリシャ・ローマ・ビザンティン時代の出土品だけでなく、シュメール、ヒッタイト、アッシリア、パルティアなど東西の貴重な美術品も多く収蔵されているのは確かでしょう。


元々は1891年にオスマン帝国の文化遺産を保護するための帝国博物館として勅令によって創立したという歴史もあってトプカプ宮殿の外庭という一等地にあるのだが、観光客で溢れ返っているトプカプ宮殿やアヤソフィアと違って訪問者は殆どいない。世界でも有数の博物館、やはり看板倒れだったか?

ただ、膨大な数の発掘品が収蔵されているのはやはり確かなよう。オスマン帝国が没落していった時代にイギリスやフランスによって貴重な遺産が略奪される姿に見かねたスルタンによる命令で、オスマンの威信をかけ各地からの出土品を収集して囲い込んできたみたいっす。

敷地内に入ってみると、建物の中に陳列し切れないのか、中庭にまで2千年前の貴重な遺産が規制線やガラスケースもなく無造作に置かれてましたw ゆるいなー、この感じ。まぁ遺産の国外散逸を防ぐという目的は果たせてるんで、これはこれでトルコ的には良いんすかねw

ひだり みぎ
残念ながら考古学博物館の本館は改装中でしたが、敷地内には3つの博物館が共存しているようです。

考古学博物館(本館・分館)
古代オリエント美術館
イスラム装飾タイル博物館

考古学博物館のチケットで3つの博物館が楽しめるので、ちょこっとだけ得した気分になりますね。

古代オリエント美術館


先ずは、古代オリエント博物館へ。

ひだり みぎ
古代オリエントというだけあって、アラビア半島やエジプト、メソポタミア、アナトリアからのシュメール、バベル、ヒッタイト文明など、イスラム以前の古代文化にかかわる展示品が中心。貴重な展示品も多いけど、床にゴロンと置かれてたりとラフな感じがまた堪らんっすねw

結構なお宝もあるんですけど、お宝をお宝と感じさせないあたりがトルコっす。古代オリエント美術を我らが遺産!とばかりにアピールして大事に展示する大英博物館やルーブル博物館とは大違い。

ちな、ルーブル博物館に展示されているオリエント美術の収蔵品リストはこちらのルーブル博物館公式ウェブサイトルーブル博物館公式ウェブサイトルーブル博物館公式ウェブサイトで確認できます。

古代オリエント博物館で最初に視界に入ったのは、古代アッシリア時代、アッシリア帝国の首都ニムルドで発掘されたティグラト・ピレセル3世の横顔。この二次元感とパンチパーマ感が古代メソポタミアっぽくて堪らんっす。


シリア北部のユーフラテス川の畔で見つかったアッシリア人の石碑。これは残虐行為で知られた恐怖のアッシリア人ですわ。めっちゃ強そうで悪そう。

ひだり みぎ
更に時代を遡ってシュメール文明の遺産。イラクのアッシュール遺跡で見つかったシュメールの守護神・ラマッスとシャルマネセル3世の未完成の像。

そして、シュメールと言えばギルガメシュ。ギルガメシュと言えばギルガメッシュナイト。

こいつこそはギルガメシュ!?と思ったけど、こちらはアッシリアの御仁。ピレセル3世~シャルマネセル5世の時代の政府高官で、Bel Harran Beli Usurという方らしい。
いくらマイナーキャラクターの遺産とはいえ、2,700年前の貴重な出土品が床に適当に置かれてるのに驚きを禁じ得ません。


こちらはバベルの塔やユダヤ人の捕囚でお馴染みバビロンにあるイシュタル門の施釉タイルの像。お宝もんがゴロゴロと並んでます。


妙に写実的で商人のように腰の低いおっさんはシュメール人によるアダブ王朝の統治者。今にも動き出しそうなくらいリアルです。

メソポタミア文明だけでなく、エジプト文明もカバー。

ひだり みぎ
古代エジプトといえばミイラ。木の箱の中に身体の一部分をミイラ化したものを入れ、セケルセケル鳥を上に載せる。こうすることで死人が不死になると信じられていたそうな。まさかトルコでミイラを見ることになろうとは。

紀元前13世紀にはエジプト新王国のラムセス2世がシリアに進出。ムワタリ2世率いる小アジアのヒッタイトと現シリア西部のカデシュで激突、史上初めて成文化された平和同盟条約が結ばれました。
条約は全18条。国境の明確化、領土不可侵、第三国から攻め入られた場合の相互軍事援助、政治的亡命者の引き渡しなどなど。エジプト側ではカルナック神殿にヒエログリフで刻まれた条約文が見つかり、ヒッタイト側では楔形文字で条約文が記された粘土板が当時のヒッタイトの首都で見つかってます。

これがその粘土板。お宝中のお宝なので、流石にこちらはガラスケースに納められてました。

『古より、神々はエジプトの王とハッティの大君との間に敵対関係を生じさせる事はしなかった。ところが、ハッティの大君、わが兄弟ムワタリの治世に、偉大なファラオ、ラムセス・メリアメンとの間に戦争があった。しかし、今日この日より、ハッティの大王ハットゥシリはラー神とセト神がエジプトとハッティの間に今後、永遠に戦いが起きないようにするために築いた条約に同意する。
我々の間に平和と友愛は永遠に守られるであろう。ハッティの子らとその子孫は偉大なファラオ、ラムセス・メリイアメンの子らとその子孫の間も平和であろう。なぜなら彼らも平和と友愛を守って生きているからである。』

エジプト側でもヒッタイト側でも記された条約の内容はほぼほぼ同じようですが、ヒッタイト側の文章では「エジプトが請うて講和に至った」と書かれ、エジプト側では逆のことが書かれているなど、互いに都合良く解釈された部分も散見されるそうなw

去年、韓国による日本製バルブへの反ダンピング課税に関するWTOの決定に対して日韓共に大々的に勝利宣言してましたが、どの国のどの時代でも為政者って本質的な部分は変わらないんすねw

イスラム・装飾タイル博物館



お次はイスラム感満載のタイル博物館へ。


ここでは、セルジューク朝~オスマン帝国時代の陶器やタイルが年代や産地別に展示されています。乾いた土色の出土品ばかり見てきたので、タイルの色彩が艶やかに映ります。


キュタフヤ、イズニク、チャナッカレの陶磁器を中心に約2,000点が展示されていますが、博物館というにはやや規模が小さすぎますかね。

考古学博物館

考古学博物館のメインホールは改装中でしたが、一番奥の別館的な建物には入ることができました。ギリシャ、トラキア、ビザンツ、シリア、パレスチナあたりでの出土品をメインに展示しているようです。
ひだり みぎ
暗がりの中に無造作に置かれた古代文明の権力者たちの石棺コレクションがいきなり目の前に広がり、お葬式会場のような独特の雰囲気。


お休みのところ失礼致します。精細な彫刻がびっしりと施された棺桶だけでなく、リュージュをしてるようなタイプの物も。何千年も前のものとは思えない程つるつるした棺で、かなーり不気味です。

棺の歴史に唸りながら奥へと進んでいくと、更に意味ありげな墓石が。

トルコ西部のアイドゥンで見つかった2世紀の剣闘士Mentor氏の墓石。
“私メンターは数々の名門スタジアムで皆を打ち破ってきた、そして、運命によって死を迎え、この墓に眠る”。
これだけ立派な墓石が遺されるわけなんで、ローマからやってきたスター剣闘士が遠征中に客死したとかなのかな。想像力が駆り立てられます。


トリポリで発見された2世紀の石棺。古代によくこんな精巧なものを作ったものだと感心しますわ。お目当てのアレキサンダー大王の棺や立像は改装中の建物中にあるらしくて見られなかったすが、それなりに楽しめました。


敷地内の土産物屋もなかなか内容が充実してました。ポストカードや栞も1枚40円程度と良心的な値付けですし、外の土産物屋で売ってるものよりクオリティが高かったです。

ひだり みぎ

ソクラテス先生とエロスの夢の競演。ソクラテス時代のアテナイはトルコ関係ないだろ!という突っ込みは無し。

ヨーロッパ大陸とアジア大陸とに跨り、太古の昔から東西大国の影響を受け続けてきたトルコ。その考古学博物館だけあって内容は非常に充実してました。
古代ギリシア~ローマの古典美術から、メソポタミア、エジプト、アナトリア各地の遺跡で見つかった数千年前の発掘品まで、東西で見つかった様々なお宝を鑑賞できるのはトルコの博物館ならではじゃないですかね。人気無いみたいですが、個人的にはお勧めの博物館です。

【イスタンブール考古学博物館(Istanbul Archeology Museum)】

所在地:Cankurtaran, Alemdar Cad. Osman Hamdi Bey Yokusu Sok, Istanbul
電話:+90 212 520 77 40
入館料:50リラ(≒860円)
開館時間:09:00-20:00(4月~9月)、09:00-18:00(10月~3月)
休館日:月曜日

スレイマニエモスク、ブルーモスクと日本語を話す詐欺師たち

さて、いよいよガラタ橋を渡ってイスタンブールのヨーロッパ大陸側旧市街地へと入ります。

旧市街地にはスレイマニエモスク、ブルーモスク、トプカプ宮殿、アヤ・ソフィア聖堂とイスタンブールが誇る観光目玉のオールスターが目白押し。世界史の授業でも出てきた歴史の大御所たちを目の前に、否が応でもテンションが高まります。

空気がガスってて残念ですが、金閣湾に架かる橋の上からもスレイマニエモスクの巻き糞シルエットもくっきり!いよいよ旧市街地に上陸じゃ!

スレイマニエモスク

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うっかり巻き糞のようなフォルムしてるなどと言ってしまいましたが、スレイマニエモスクは泣く子も黙るスレイマン大帝の命令によりトルコ史上最高の建築家が設計したイスタンブールを体表するモスクであり、オスマン建築の最高傑作ともいわれているとか。

ひだり みぎ

残念ながら礼拝の時間と被ってしまった為にモスク内部には入ることができず。しょんぼりとモスクのある高台からの絶景を堪能していると…

ここでも、日本語で話しかけてくる怪しい輩がどこからともなく大量に湧いて出てきました。もうね、ちょっとバタくさい顔した日本人ですか?って思えてくるくらい皆さん普通に日本語しゃべってましたよw

俺ならお前をモスクの中に入れてやれる!と言いだす不届き者や、日本語で勝手にモスクの説明をしだす強制ガイド、写真を撮ってくれないか?一緒に食事をしないか?といったトルコの田舎から出てきた観光客を装う系詐欺師、観光客向けにリーズナブルなプライスの土産物屋を営んでるとホラを吹いてぼったくる極悪商売人などなどが次から次へとやってきて、トルコ式コントなのか?と思ったり。

イスタンブールに滞在した2日間で、誇張なく20人以上の輩から話しかけられたと思う。一々カウントする気にもなれないくらい、怪しげな男たちがイスタンブール十に大量発生しております。

そんな輩たちにもパターンがあったので、グルーピングしておきます。

初級:ガイド、土産物屋系
1、「日本人ですよね?」「イスタンブールは初めてですか?」と気さくに話しかけて来る
2、  日本好きをアピール
3、「イスタンブールでは、知らない人に着いていったら危ないよ」と、親身アピール
4、「オフィシャルガイドなんだ」「土産物屋を経営してくるんだ」と誘ってくる

日本人利用客による手書きの感謝状的な小道具を持ち出す輩もいるけれど、基本、こいつらは戦闘力低めの雑魚。テキトーにあしらっておけばあっさりと諦めてくれる。
知らない人に着いていっては危ないと語りかけつつ話し始めてから1分で土産物屋に誘いこんでくるあたり「いや、お前も知らない人やん!」と突っ込んでほしいとしか思えないですが、イスタンブールで一番多いパターン。

中・上級:手の込んだ観光客装い系
1、「観光客ですよね?一緒に写真撮りません?」と自然な感じで話しかけてくる
2、「私もちょうど今日イスタンブールに着いたばかり。イスタンブールは歴史があって良い町だよな!」などと観光客を装い、共感を得て警戒心を解こうとする。
3、「ちょっと今から一杯どう?一人で行ってもつまらないし。」と誘ってくる

ここでのポイントは、「別に強制じゃないし、もし時間が合えばどう?」くらいに、ヤンワリと控えめに誘うことで客引き感を抑えようとするテクニックを駆使してくる点。あくまで、観光客を装い同じ立場で話すことで警戒心を解くという巧妙な手口で、あわや気を許しそうになります。

日本アピールも「日本に行ったことがある」とか「日本に親戚」がいるといった典型的なパターンではなく、軽~くサラっと日本好きアピールをして友達になろうとしてくるんで、真心から友達になりたいと思ってる人との判別が付かないのが難しいんですよね。
「2020年のオリンピックでは東京とイスタンブールが最終候補に残ったけど、俺は東京が勝って良かったと思ってるよ!」とか。でも、こうやって話し始めたとしても、話の行き着く先は決まって「Let’s go drinking!」。

現地の人と仲良くなるのは旅の醍醐味の一つでもあるので、難しいところなんですけどね。でも、こういう輩があまりに多すぎて、話してて途中から「あー、きたー、型にはめようとしてきてるー。クロージングかけてきてるー」なんて思っちゃうわけですよね。で、そこから繰り出される案の定の「Let’s go drinking」w

いや、普通に友達になりたいと思って話しかけてきてる可能性も微レ存ですが、バーに着いていった人の中では十万円単位でボラれたり、睡眠薬を入れられたりって被害に遭った方も多いみたいなので、着いていかないにこしたことないっす。

旧市街地にはこういった輩が多く潜んでおりますのでお気をつけください。

【スレイマニエモスク】

所在地:Sleymaniye Mah, Prof. Sıddık Sami Onar Cd. No:1, 34116 Fatih/Istanbul

スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)

続いてブルーモスクことスルタンアフメットモスクへ。

オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世の命によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造されたブルーモスク。当時のイスラム世界の暗黙の了解では総本山のメッカ以外のモスクでは通常4本までしかミナレットを立てられないことになっているそうですが、ここブルーモスクのミナレットは掟破りの6本。

流石、大正義オスマン帝国のスルタンの名を冠したモスクだけあって型破りなことするなーと思いきや、スルタンアフメトモスクが6本のミナレットを持つ唯一のモスクとなった理由はまさかの設計ミスw 「アルトゥン(黄金)のミナレットを作れ」とのアフメト1世の指示を、「アルトゥ(6)のミナレットを作れ」と設計者が聞き間違えたことによる偶然の産物なんだそうです。

ミナレット6本は流石のスルタンでもバツが悪いと思ったのか、当時、同じく6本のミナレットを有していたメッカのモスクにミナレット1基を寄贈したのだとかw

あ、因みに、エルドアンさんが支援して造られたというトルコのモスクで最大規模となるチャムルジャ・モスクが2019年に完成しましてね。こちらも見たらミナレットが6本になってましたw 流石、オスマン帝国時代の栄光を取り戻すべく立ち上がった漢、下手したらオスマン帝国の君主よりやりたい放題やってる感ありますよねw


そんな発注側と受注側の意思疎通不足により生まれた特徴あるブルーモスク。ブルーモスクというくらいだからクアラルンプールのピンクモスクやブルーモスクくらいのインパクトを期待してたんですが、ブルー感は極めて希薄。内装にはイズニックタイルと言うトルコ製の青いセラミックタイルが使われてるみたいですど、外から見るぶんにはどちらかといえばグレーモスクといった控えめな佇まいっす。


ブルーモスクのオフィシャルサイトを見ても、ブルー感は控えめ。なんだったらスレイマニエモスクの方がブルーモスク感あるくらいっすわ。

【スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)】

開館時間:公式サイト参照
所在地: Sultanahmet Mah At Meydani Cad No: 7, Istanbul 34122

神聖なはずの歴史的モスクも、怪しげな日本語使いの狩り場みたいになってて幻滅です。

欧米か! イスタンブール ヨーロッパ大陸側新市街

アジア大陸とヨーロッパ大陸にまたがって広がり、ローマ帝国・ビザンティン帝国・オスマン帝国と3代1600年に渡って大帝国の首都として繁栄した世界的大都市・イスタンブール。

来てみたは良いけれど、長ーい歴史と広ーい都市圏とで、正直、どこからどう歩き始めてみて良いのか見当もつかんのだが…。
とりあえず、ボスポラス海峡の東側に広がるアジア大陸側と西側のヨーロッパ大陸側に町が大きく二分され、更にヨーロッパ大陸側が南の旧市街地と北の新市街地に分かれるというとこまではなんとなく理解できた。

新旧・東西交わるイスタンブール。一口にイスタンブールと言っても、エリアごとに全く違う街並みが広がっているのだと。ふむ。

大雑把に言ってこんな感じすかね。
アジア大陸側:
ごみごみガヤガヤ庶民的。観光資源はあるのだろうが、まだまだ未開。

ヨーロッパ大陸側旧市街地:
ビザンツ帝国時代から栄え始めた“オリジナル・イスタンブール”。オスマンオスマンした歴史街で、歴史的観光スポットが豊富。
イスタンブールの観光の目玉となるトプカプ宮殿・アヤソフィア・ブルーモスク・地下宮殿・グランドバザールなども旧市街地内の狭い範囲に密集。

ヨーロッパ大陸側新市街地:
18世紀頃から開拓され始め、主に19世紀以降に開発された“モダン・イスタンブール”。オシャレでスタイリッシュな洋風カフェやレストラン、各種ショップが広範囲に点在。ヨーロッパ的な街並みが広がっていて、アジア大陸側との対比がビビッド。

今回のイスタンブール滞在では、ヨーロッパ大陸新市街地⇒旧市街地に絞って走破することにします。
ひだり みぎ
先ずは滞在先のACホテルが位置する新市街地のベシクタシュから。ここら辺は、パっと見は欧米か!と突っ込みたくなるくらいのシャレオツな洋風街。若くてイケイケなトルコ人カップルや上品なベシクタシュマダムがオシャンティな洋風カフェやレストランでワイワイガヤガヤ楽しんでます。ただ、そんな洋風な街並みの奥にモスクの姿がちらりと見えたりして、スタンブールならではの風情も楽しめます。

このベシクタシュを起点にボスポラス海峡沿いを旧市街地側へと歩いていると、いきなり厳つい時計台が目の前に現れました。ドルマバフチェ宮殿のエントランスに建つ時計台のようです。

ドルマバフチェ宮殿は、オスマン帝国の皇帝がトプカプ宮殿から引っ越すために建てられた宮殿で、言わば近現代版トプカプ宮殿。当時の年間税収の1/4もの大金が注ぎ込まれて築かれた超豪華な宮殿とのことで内部も見てみたかったんですが、残念ながらこの日は入場者数制限の為か門番的なおっさんより門前払いを喰らってしまう。

ひだり みぎ
仕方なく、宮殿の脇にひっそりと佇むドルマバフチェモスクでオスマン風情に浸ってから新市街地の中心地を目指すことに。

【ドルマバフチェ宮殿】

公式サイト:https://millisaraylar.gov.tr/en/palaces/dolmabahce-palace
開館時間:09:00-16:00
定休日:月木(1日3,500人の入場制限)
入場料:30リラ(セラムルク)、20リラ(ハーレム)、40リラ(セラムルク+ハーレム)


ひだり みぎ
ここからは足腰との闘いで、狭く険しい坂道を上って新市街地の中心でありトルコ共和国の象徴・タクシム広場(Taksim Meydani)を目指します。

タクシム広場

イスタンブール新市街地の中心・タクシム広場。中心と言っても交通の中心というだけで、実際にはどでかい広場がででーんとあるだけでしたw せっかく心臓破りの坂道を上り切ったのにw
ひだり みぎ
正直なんの見どころもない普通のだだだだっ広い広場のようではありますが、トルコ共和国にとっては非常に重要な広場であり、その中心にはトルコ建国の父ケマル・アタテュルク等の勇ましい銅像と巨大な記念碑がばばーんと建ってます。

アジアだと“広場”って聞くと面白そうなイベントがありそう!なんてドキドキワクワク感で気持ちが高ぶりますが、イスラム圏やらロシア圏やらの大都市だと広場で催されるイベントは専ら政治的なデモ。ここタクシム広場も観光的見どころがあるかというとそうでもない。どちらかというと、とりあえずタクシム広場まで出てきて、ここから真っ直ぐ伸びる目抜き通り・イスティクラルストリートを旧市街地側方面に下っていくという観光ルートの起点的な存在っすね。

歩行者天国になっているイスティクラル通りは歩くのも良し、ノスタルジックトラムという赤い路面電車に乗るのも良し。自分は前者を選択。ゆっくりと歩いて旧市街の方向へと歩いていきます。

イスティクラル通り



タクシム広場から南へとのびるイスティクラル通り(İstiklal Caddesi)は、オシャレなカフェ、軽食スタンドやトルコのアパレルショップなどが建ち並ぶイスタンブール新市街地随一の観光地。いつ来ても観光客やトルコ人の若者たちで賑わってます。

ひだり みぎ
出店やカート販売の飲食店も多くて何を食べようか迷う中、とりあえずトルコといえばコレ!というトルコアイスを選択。凍傷になりかけの手で全身震わせながら食べるアイスは美味いっす。


この儀式もやられました。ほんと2分くらいしつこくやられるもんなんすねw 最初は面白がって見てたけど、最後の方はもう早く食べさせろよ、とw インド人が群がってきて動画撮られるしw


他にも、インディアンのような謎の原住民系の人が消え入るようなか細い声でフォークソングを披露してたり、幼児連れの白人お母さんが江南スタイルを熱唱してたり、明らかにド素人で失敗しまくりなジャグラーが小道具で戯れててたり…ユニークな路上パフォーマーが等間隔で並んでて歩いてて飽きません。

ひだり みぎ
フルーツの生絞りジューススタンドも多く、ルビーのような真っ赤な実が美しいザクロの生絞りジュースを2杯一気飲み。リラが安くなって暴飲暴食が捗ります。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
土産物屋も多い。絨毯にタイル、ランプなどなど。センスの良いエキゾチックな工芸品も多く並んでいて、ウィンドウショッピングだけでも楽しめるっす。

ひだり みぎ
ターキッシュソープが安いしバリエーション豊富で土産にお勧め。


途中、一様に濃い顔をした土産物屋の店主達にしつこく絡まれながらも旧市街地に向け歩いていると、前方に塗り壁のように立ち塞がるガラタ塔(Galata Kulesi)が見えてきました。

ガラタ塔


イスタンブール新市街地のランドマーク的存在のガラタ塔が建造されたのは6世紀の始め。元々は灯台として利用されていたのが、ビサンツ帝国時代に監視塔としてモデルチェンジ。以来、監獄、倉庫、天文台などなど様々な役割を果たしつつイスタンブールを見守り続けてきたランドマークですが、現在は展望台として一般客に開放されているのだと。

ちな、ヨルダン博物館で見た有人ロケット飛行に世界で初めて成功したとされるオスマン帝国の飛行士ラガリ・ハサン・チェレビの実兄にあたるヘザルフェン・アフメト・チェレビが、この塔からボスポラス海峡の対岸のアジア大陸までぶっ飛んだらしい。ライト兄弟が世界で初めて有人動力飛行に成功する271年も前の1632年の話。

こいつはアンマンのヨルダン博物館で紹介されてたラガリ・ハサン・チェレビ氏。ウ〇コ出す勢いを動力にして空を飛ぶ狂人ではありません。

【ガラタ塔】
公式サイト:http://www.galatakulesi.org/
営業時間:09:00-20:30
入場料:25リラ


このガラタ塔のすぐ奥が金角湾になっていて、この奥がビザンツ帝国軍が守りを固めていたコンスタンティノープル旧市街。オーパーツかよ!ってくらいの強固な城壁と金閣湾に囲まれたコンスタンティノープルに対し、ここら一帯からオスマン帝国軍が伝説の軍艦山越え作戦を仕掛けていって攻略したのかーとか思うと、妙に感慨深い気持ちになってくる。


金閣湾に無理やり軍艦を進める強引な作戦が的中。コンスタンティノープル軍の人員が金閣湾に割かれたところで城壁を突破し、コンスタンティノープル1,000年の都が陥落に至ったという流れ。


そんな鉄壁の城壁を誇ったコンスタンティノープル側へは今では橋が架かって楽々と上陸できちゃうのですが、その橋の上では皆さんほのぼのと釣りしてる。しかもめっちゃ小魚連れてるしーなんて眺めていると、オスマン帝国政府高官みたいな井出達の、どっからどうみても詐欺師みたいな男が胡散臭い日本語で声かけてきたw

カーペット(絨毯)は要りませんか?

詐欺師面した胡散臭い髭オヤジから繰り出されるアイスブレークもないド直球な質問に、思わず吹いてしましましたw 濃いのは顔だけじゃなくキャラも濃いよと言わんばかりの対応やめてくれませんかねw せっかくの雰囲気ぶち壊しですわw

いやー、ほんと謎の日本語で話しかけてくる胡散臭い野郎が多いっす、イスタンブール。