カムペーンペット国立博物館

とりあえずカムペーンペット市内の見所というべき遺跡は隈なく全て見回ったので、仕上げとしてカムペーンペット国立博物館を見学することに。本当だったら先に博物館で予習をしてから遺跡回りした方が得る物の多い観光になったのだろうが、遺跡回りをし終えてからこの博物館の存在を知ったので仕方がない。
ひだり みぎ
敷地内ではワット・チャーンロムで発掘された16-17世紀のアンティークシンハと像がお出迎え。中々の演出じゃあないですか。


白亜の建物にジャワ建築を彷彿とさせるオレンジ煉瓦の屋根が青空に映える。流石は国立だけあって一地方都市の博物館にしては非常に立派な造りである。


流石は古都、博物館の手前に普通に遺跡が残されてるというね。


ちゃんと名前もありますよ。Wat Semangamというらしい。ただ、礼拝堂も仏塔も基壇しか残っていないので、遺跡としての見所には欠けるかな。像や獅子の像と同じで博物館的雰囲気を盛り上げる為の演出の一種くらいのものである。

ひだり みぎ
博物館の中は意外と良く整理されている。カムペーンペットの原始時代⇒ドヴァーラヴァティー文明時代⇒スコータイ朝時代⇒アユタヤ朝時代⇒バンコク朝時代と各時代の発掘物が時代ごとに展示され、その後、現代カムペーンペットの文化や民族の説明へと続く順序となっている。コンパクトで分かり易い博物館だ。

ひだり みぎ
考古学調査によれば紀元前1500年頃までにはモン族が今のタイに到達していたという。カムペーンペットにも早くから人類が定住していたようで、西暦1-500年前後のものとされる青銅器や陶器が多く発掘されているようだ。


モン族によるドヴァーラヴァティ文明がタイの仏教を導入した後、タイに上座部仏教が普及し始め、カムペーンペットの出土品にも仏具が多く含まれるようになってくる。

ひだり みぎ
6世紀から11世紀まで東南アジアで広く繁栄したドヴァーラヴァティー文明。タイ東北部のナコーンサワンでは7-11世紀のものとされるドヴァーラヴァティー文明の化粧漆喰アートが多く見つかっている。


カムペーンペット県で発掘された仏陀の頭(7-10世紀)。モン族が遺した仏陀の姿や建物の壁面レリーフの特徴からドヴァーラヴァティー文明では主として上座部仏教が信仰されていたと推定されている。

ひだり みぎ
カムペーンペット県で発掘されたロップリスタイルの仏具とダンベルだか枕だか(11-12世紀)。

スコータイ朝時代。
ひだり みぎ
カムペーンペットのWat Bo Sam Saenという寺院の装飾品であったマカラとナーガに、Wat Yaiの基壇の階段部分にあった装飾品。いずれも15-16世紀の物らしいが、非常に細かい装飾が施されていて、そのクオリティの高さに驚かされる。


Wat Kru Si Hongの敷地内から出土した15-16世紀のものとされる仏像。やはりスコータイの遺跡公園で見た仏像同様ように、妙に体のラインがフェミニンでセクシーな造りとなっている。

続いて時代はアユタヤ朝の治世へと移る。スコータイ朝時代後期からアユタヤ朝時代にカムペーンペットの町は対バルマ・ランナー朝の要塞として重要な拠点として発展し、この時代に数々の寺院が建てられた。
ひだり みぎ
テラコッタだな。16世紀の物らしいが明らかに装飾が複雑化していて技術の進歩を見て取れる。


16-17世紀の仏像コレクション。随分と表情のバリエーションが豊かになってきた。


17-18世紀の物でWat Sadetの僧院長像という説明書きがあるが、なんだって僧院長の像が…。


こちらがこの博物館で最も名高いプライスワン(シヴァ神)像。1510~11年にカムペーンペットの統治者が町に安置したものらしい。怒らせたら敵を徹底的に殺戮し尽くし死体の上で勝利の破廉恥ダンスを繰り広げ破壊神とは思えぬ落ち着いた井出達だ。

現バンコク朝時代。


バンコク朝時代の茶器や食器も多く展示されている。

良く纏まった分かり易い博物館であるが、如何せん規模が小さく1時間とかからず見学を終える。
ひだり みぎ
一応、土産物屋もあったので、小銭入れ用に幾つかイカした巾着袋を頂いた。


最後に、博物館に展示されていたシヴァ像のレプリカが博物館近くに安置されているというので立ち寄ってみると、大木の足下で神妙な面持ちで正面を見据えるシヴァ像を発見。


シヴァ像だけじゃなくヒンドゥーの神々がお揃いになられてる。


なんか適当にヒンドゥーやらクメールやらと思われる物を置き散らかしてみました的なチグハグな祈り場だが、参拝客は絶えないようだ。

【カムペーンペット国立博物館】

【2016年スコータイ・ピサヌローク旅行記】







ワット・プラケオとワット・プラ・タート

カムペーンペット遺跡公園での見学を終え、町のもう一つの見所である古代の城壁へとバイクを走らせる。

城壁内は広くはないのでバイクを停めて徒歩で見て回ることに。城壁内の中学校にバイクを停め一息つこうとしたところ、何やら視線が…。
恐る恐る視線の先に目をやると、城壁内に住み着いているのであろう野良犬が近距離から私を凝視してるではないか。こちらが少し離れると離れた分だけ距離を詰めてきて、こちらが少し近づくと吠えてから少し遠ざかり、アウトボクサーみたいに微妙な距離を保ってこちらの様子を伺ってきやがるではないか。吠えられるのも噛まれるのも勘弁だし、どうすりゃ良いのか分からず睨めっこしながら一進一退の探り合いを続けていたら、気付いたら遺跡の敷地内に足を踏み入れていた。

どうやらここがワット・プラケオらしい。神聖な場所だからか、犬も遺跡の中までは追ってこず、諦めて敗走していった。

ここは名前の通り王宮寺院跡で、カムペーンペットの寺院の中でも最大級の規模だったそうだ。

南北に長いワットプラケオの一番北側に回ると、ラテライトの組み合わせで造られた祭壇の上で静かに座禅を組む一帯の仏像と対峙する。

仏像は表面が風化しきって黒ずんでしまっている上に両手は破損し、首も後から取って付けたようだ。顔なんかただの丸っこい石同然で表情も何も無いが、それでも悠然と座禅を組む御姿はむしろ清々しく見える。


転げ落ちてた生首を胴体に繋ぎ合わせたんだろうな。首だけ真っ白いブロックが使われてる。

坐像の背後には比較的新しめの仏像3体の姿が見える。寝仏1体と座仏2体である。スコータイの仏像とは明らかに異なった造りをしていて、角張った顔と大きめの顔のパーツ、絶壁後頭部が特徴的だ。

セクシー要員と思えるほど色っぽい寝姿を披露する涅槃仏。半眼に薄~く開いた目とわずかに口角を上げた口元が全体として穏やかな表情をたたえているように見えるが、顔が余りに大きすぎて、最終的には顔のデカさしか印象に残らない。


彼等仏像3兄弟の裏手にも漆喰が完全に剥がれ落ちたボロッボロの御姿をした坐仏が数体並ぶ。


森の中でも修行僧のような仏像がポツンと修行に励んでいる。


仏像群の南側には煉瓦造りのベル型ストゥーパが聳え立つ。


ワット・チャーンロムと同様に基壇の最下部には半身の象が、 その上部には仏像を祀った龕が塔を取り囲む。

ひだり みぎ
仏塔の更に南側には細長い基壇がある。どうやらここは本尊仏を祀った高い祭壇の跡のようで、ここにプラケーオ仏が祀られたのではとも考えられている。とくに面白味のある遺跡ではないが、山賊の基地みたいでカッコいい。


細長ーいワット・プラケオ。ここで発掘された各種仏像や金銀、陶器等はカムペーンペット国立博物館に展示されているそうだ。

隣にはワット・プラ・タート。ワット・プラケオとの境界線は無く、気付いたらワット・プラ・タートの敷地内に足を踏み入れていた。

八角形の台座をもち、上部に漆喰による装飾が施された大小の仏塔が建つ。


随分とずんぐりむっくりした感じの仏塔だな。他の観光客が一切いないのでひっそりとした森の中に佇む神聖な遺跡の雰囲気を存分に味わうことはできるが、なーんか、ワットばっかり見てきて流石に飽きてきたなw。スコータイからは距離あるし、旅行に充てられる時間が少ない方はスコータイ+カムペーンペットORシーサッチャナーライで良いかもしれん。

【2016年スコータイ・ピサヌローク旅行記】







涅槃寺 ワット・プラ・ノーン

カムペーンペット遺跡公園のトリを飾るのはスコータイ朝後期に建てられた仏教寺院ワット・プラ・ノーン(タイ語で涅槃仏寺の意味)。こんなネーミンなんだから、きっと涅槃仏が祀られているのだろう。

立ってたり、座ってたり、寝てたり、歩いてたりと仏像には様々な姿態があるが、中でも涅槃仏は私のお気に入り。なんだろうな、優雅に横たわる涅槃仏の御姿を想像するだけで居てもたっても居られないような気持ちに駆り立てられてしまうのだ。右脇を下に横臥されているのだろうか、それともまさかの仰向けであろうか…。そんな他愛ないことに思いを馳せるだけで楽しみになってくる。

そんな涅槃仏寺を正面東側入口から眺めてみると、背の高い樹木に覆われた中にひっそりと残る基壇が見える。何やら木々に混じってラテライトの柱も乱立しているようで、なんかランボーが立て籠もってそうな独特の雰囲気を醸しだしている。


ラテライトのブロックを八角柱に積み上げた後で漆喰を塗って造られた武骨な感じの列柱が並ぶ。他の寺院と比べて骨太で迫力がある。


石柱の林立する広間跡の中に入り彼方此方を探し回ってみるものの、右も左もブロックの残骸だらけで、肝心の涅槃仏を思わせるような遺仏は何処にも見当たらない。

ひだり みぎ
本堂跡の奥にはクメール建築のようにスリットを設けた壁が見える。壁面のスリットから中を覗き込むと大広間らしき空間が広がっているのが見えるので、どうやらここがかつて涅槃仏が安置されていた礼拝堂であるようだ。

ひだり みぎ
御堂内部には直径1メートルはあろうかという周囲の木より遥かに太い柱が残っている。柱の上部には梁を組み込んだ臍穴や凹みなんかも確認できるが、一体どのような建築物だったのだろうか。


しかしながら、やはり涅槃仏の御姿は見ることができない。全くもって涅槃仏の原型を留めてないが、壁に面して残るブロックの山がもしかして…。無造作に積まれたブロックの残骸でしかないのだが、他に涅槃仏の跡と思えるようなものもないし、残念ながら仏像は何世紀も経てブロックの残骸に成り果ててしまったのだろう。


御堂の奥には八角形の基壇が積み重ねられた上に釣鐘部がのっかる重厚なチェディーが聳え立つ。

うーん…。ガイドブックに載っているのと、涅槃寺という名前に期待してしまうと肩透かしを食らうだろう。涅槃寺なのに肝心の涅槃仏が不在で、焼肉屋に来て肉が無かったというか店主不在で肉が食えず仕舞いに終わったというか…。ちょっと消化不良で終わってしまった。

【2016年スコータイ・ピサヌローク旅行記】







ワット・プラ・シー・イリヤーボット

続いて一風変わった名前のワット・プラ・シー・イリヤーボットへ。寺院の名であるイリヤーボットというのは4体の仏像という意味を表した言葉だそうで、その名の通り境内には座仏・涅槃仏・立像・遊行仏がセットになって祀られているみたいだ。よう分からんが、4体合体ロボみたいな感じなんだろうか。


入り口を入ると最初に目に飛び込んでくるのは高さ2mはあろうかという柵つきの立派な礼拝堂跡。基壇の上から生い茂る木々が何とも時の経過を感じさせる。


ここも御多分に漏れず屋根は跡形もなく土台と柱の根元、そして、本尊様が祀られていたであろう祭壇が辛うじて原型を留めているのみ。でも、いいんです。この遺跡のウリは礼拝堂跡ではない。


ワット・プラ・シー・イリヤーボットの最大の見せ場はこの部分。大きな煉瓦造りの四角柱の4面にそれぞれ異なった姿態で背中合わせに祀られた4体の仏像だ。正面(東面)に遊行仏、北面に涅槃仏、西面に立仏、南面に座仏が背中合わせで祀られている。


正面の東向きの壁面には大きな遊行仏の姿が辛うじて見て取れる。


ラテライトのブロックで成形された後に漆喰で体裁が整えられているようだが、残念な事に体の大半は崩れ落ちてしまっている。


時計回りにということで南側に回ると、恐らく座仏だったと思われる膝っぽい残骸と台座が残っている。北側の涅槃仏に至っては背面の壁に痕跡が残るのみで姿形は全くもって確認できず。


唯一まともに残っているのは西側の立像くらいのもの。やたらと肩幅があって不格好というか不均等な体つきではあるが、それでも品のある表情で優美な立ち姿を見せてくれている。

見所はこれだけでこじんまりとした遺跡ではあるが、個人的にはカムペーンペットで3本の指に入る面白遺跡だと思う。

【2016年スコータイ・ピサヌローク旅行記】







ワット・チャーンローム(カムペーンペット)

次はスコータイ朝後期~アユタヤ朝前期に建てられた“ワット・チャーンロム”へ。スコータイやシーサッチャナーライにも同じ名前の象に囲まれた寺院があったが、ここのワット・チャーンロームも同じような構造になっているようだ。


遺跡がある小高い丘に着くと、まずはその大きさに驚かされる。須弥壇の奥に一辺30メートルはあろうかという正方形の基壇があり、そこから半身を出す無数の象たちの姿が見える。当地の支配者がスコータイ朝からアユタヤ朝へと移り変わる時代に造られたというと14世紀末から15世紀頃に建造されたのだろうが、野晒しでここまでの状態が保たれるもんだな。


スケールが盛り込まれてないので規模感は測れないが、こちらが遺跡の復元図。池は干からび、礼拝堂も須弥壇と列柱を残すのみとなっているので、見所はやはり象に護られた仏塔だろう。

ひだり みぎ
仏塔の基壇を見てみると、四方の階段の左右にそれぞれ8頭と四隅に1頭ずつ、合計8×8+4=68頭もの象が基壇を取り囲んでいるのが判る。なんとなーくピラミッドみたいというか、得体の知れない古代文明への入り口みたいで興奮してくるんだよな。ここ数日間はワットばかり見てきてマンネリ気味だったんで、こういう風変わり系な遺跡の方が楽しめる。


象はブロックで大凡の形が作られ、その上から漆喰を塗り彫刻を施して細部が整えられている。かなり崩壊しているが、一部の残された漆喰の部分から何らかの微細且つ複雑な模様までもが造形されていたことが見て取れる。いかんせん体の上部が消失してしまっているので、見ようによっちゃ鎧を身に纏い斬首された戦士の像のようにも見えてくる。


四方から伸びる階段を登り、釣り鐘型の小さなチェディーを乗せた門をくぐると、メインの仏塔跡が残る基壇の上部へと出る。


基壇の上の上層部にある仏塔は八角形の基部に円形の層が乗っているが、その上は残念なことに全て損失してしまってる。基壇の大きさからして相当な大きさだったことが伺えるが、ビルマ軍の侵攻により破壊されてしまったそうだ。


基壇の上から周囲を見渡してみる。メインの仏塔を囲む小仏塔は基盤だけを残して姿が無く、階段脇に立つ獅子も顔から上が全て捥げてしまっている。風化により崩壊した感じには見えないので、こちらもビルマ軍の仕業なのかな。


池も完全に枯渇しちゃってる。

いやー、面白い。何が凄いって、もちろん遺跡の雰囲気もそうなんだが、世界遺産のくせして他の観光客が殆どいないっていうのがね。この独特の雰囲気を独り占めできるという贅沢は他の世界遺産では中々味わえんぞ。

【2016年スコータイ・ピサヌローク旅行記】