高原の避暑地・ボゴールの巨大植物園

オランダ統治時代に栄えたという高原の避暑地ボゴールにある唯一といっていいほどの見所がボゴール植物園。東洋最大規模・最大栽植種を誇る巨大植物園だ。ボゴールという街自体がオランダ人居留地として発展した歴史があり、この植物園も元々は蘭印総督府の庭園だったそうだ。その後、ナポレオン戦争後に一時的にジャワ島支配が英国に移るも、オランダの所管に戻った1817年、正式に植物園として開園し、1822年までに47ヘクタールの敷地に約900種の植物が栽植・整備された。当時は欧州各国の植民地経済を支えるために商品作物の栽培ブームが起きており、他のヨーロッパ諸国に先駆けて有用作物を見つけ出し,栽培に適した品種に改良し,他の植民地に提供して世界市場を制覇するビジネスモデルの確立が求められていた。その役割を担うために植民地に植物園が開設されたのだろう。開園後も植物園の拡張は進み、現在は80ヘクタール超の敷地に212科、1242属、33383種類以上、13000個体以上の植物を鑑賞することのできる一大植物園となった(2001年の植物目録に拠る)。オランダという狭小・資源貧国の植民地経営がもたらした、アジアにおける輸出産品・育種研究の歴史的遺産の一つであり、タバコ、コーヒー、キャッサバ芋等の普及はボゴール植物園なくしては語れないとまで言われている歴史的意味のある場所なのだ。この他にも天然ゴムや茶,コーヒー,コショウ,サトウキビ,綿花,オイル・パームなどはこの植民地戦略に基づいて世界各地で栽培されるまでになり、20世紀の後半にり多くの地域が独立国家となった後も商品作物の栽培はそれぞれの国の経済を支えている。


前方に臨む美しい白亜の建物は蘭印総督府。現在はボゴール宮殿とも呼ばれるこの建物では、初代インドネシア大統領のスカルノが二代目大統領のスハルトのクーデターにより実権を剥奪されてから、死ぬまで軟禁されていた。現在、内部は見学不可となっているが、毎年6月のボゴール市制記念日限定で一般に公開されている。


ボゴール宮殿の庭園にはどういうわけか奈良公園の鹿の数をあきらかに上まわるほどの鹿の群れが優雅に歩き回っている。


笑っちゃうほど、うようよといます。

ひだり みぎ
路肩で売っている餌をやると、フェンス越しまで来てくれる。因みに餌は鹿せんべいではなく、ニンジンですwww

ひだり みぎ
いや、おまえらここで何やってんだよ!と思いますが、ごっつい可愛いw遠くから見ても近くで見ても癒されます。


庭園内の巨木。こんなもん絶対神様が宿ってるだろ。凄まじい存在感の大木に、植物園への期待が膨らみます。


ようやく到着。

【ボゴール植物館】
開園時間:08:00-17:00
入園料:26,000ルピア。

ひだり みぎ
園内はたいへん手入れが行き届き、奇麗。そして、湖や川まであったりする。さっき降った大豪雨が打ち水となってか、確かに避暑地ボゴールの植物園は熱気まみれのジャカルタ市街部と違って涼しく感じる。びしょ濡れの中クーラーガンガンのマックにいた為に寒気がすることを考慮しても、植物が多い環境の影響でだいぶ気温が違っているようだ。


こちらはシンガポールの建設者として知られるラッフルズ総督の夫人、オリヴィア・マリアンヌの記念碑。ボゴール植物園の創設者は公式には1817年ボゴール植物園開園時の農工業技術総監・ラインヴァルトとなっているが,実際は後にシンガポール総督となるラッフルズ卿により整備されたという前史がある。時は19世紀初頭、フランス革命から台頭したナポレオンがヨーロッパ大陸の勢力地図を大きく塗り替え、オランダがナポレオンに屈すると,オランダ支配の植民地はフランス植民地となる。これを好機とみたイギリス東インド会社が1811年にバタビアを制圧、1811-1816年の短期間ではあるが、ここバタビアも英国の支配下に入り、その際にラッフルズ卿が派遣され、蘭印総督府の庭園を植物園として整備したのだ。オリヴィア・マリアンヌも英国より草本を取り寄せて植物園の整備を図り、この地で客死されたそうだ。


カナリアノキなど、立派な板根に支えられた高さ30メートルはあるだろうという熱帯高木の存在感の威容と空をめざして伸びていく樹形に見惚れてしまう。熱帯植物の保存庫としての機能はたいへん充実しており、園内には有名な鑑賞植物以外にも熱帯多雨林の植物がまんべんなく収集されている他、世界最大の花で、ただでさえデカくて気持ち悪いのに、汲み取り便所の匂いに喩えられるほどめっちゃ臭いという他に類を見ない個性派フラワー・ラフレシアもあるそうだが、ラフレシアは3年程に一度、しかも花が咲いたら2-3日程で枯れてしまうとのことで、まぁ残当(残念当然)ながら今日は満開のラフレシアにお目見えする事はできなかった。

余談ではあるが、こちらのラフレシアはラッフルズの調査隊により初めて確認された植物とされる。同行したメンバーは「うわぁ、色が死肉っぽいし、すげえ臭ぇえええ!!人食い花に違いない!」と恐れたが、ラッフルズはそんな非科学的な考えを意に介さず、花に触って無害である事を証明したらしい。

ひだり みぎ
モンステラやポトスが着生。他にも見渡す限り熱帯植物のオンパレードになっている。樹齢数百年という常緑大高木の間を歩き公園に内部に進んでいくと、とても静かで虫や鳥の鳴き声が聞こえてくる。確かに避暑地と言うだけあって涼しいし、常にクルマやバイクのクラクションが鳴り止まないジャカルタの喧騒から逃れるには絶好の環境だ。

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中央広場。高台テラスにはオシャレなCafe de Daunanというカフェがあるが、残念なことに現在、改装休業中。


直径2mはあろうかというオオオニバス。アマゾン流域など南米に自生する巨大水生植物で、葉脈の間にたまった空気が浮き袋の役割を果たしているので、20Kg程のものが乗っても沈まないほど浮力を持つスイレン科最大の植物。こうして大きい葉を水面いっぱいに広げて太陽の光を受けることで厳しい生存競争を勝ち抜いてきたオオオニバスは、やはり最大で直径2m程に育つという。


こちらはタコノキコレクションの一つ。初夏には白色の雄花と淡緑色の雌花をつけ、夏に数十個の果実が固まったパイナップル状の集合果をつけるという。


ヤシ科のラタニアだと思うのだが、やたらと巨大。インド洋南西部に浮かぶマスカリン諸島に生息する植物で、Verschaf Feltii Lem (Arec)と書かれている。


こちらの斜めった植物は熱帯アメリカ、アフリカ、マダガスカル、およびアジア南部を原産とするマメ科ツルサイカチ属のフスカピエール。


前方の立派な幹の木はヒメナエア・コウルバリル。板根に寄ると、三~四人程の人がすっぽり隠れてしまう大きさ。


東南アジアでも良く見るカポックの木。アオイ科セイバ属の落葉高木で、樹高30mにも達すると言う。枝に垂れ下がるように生る紡錘形の実を包む綿毛状の繊維は弾力、断熱性、防水性に優れている為、エコロジーな天然植物繊維として枕や布団、クッションなどの詰め物として使われている。戦時中は救命胴衣にも利用されていた名残からか、競艇業界や海上自衛隊では救命胴衣のことをカポックと呼んでいるらしい。

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見学を終え、正門近くの駅でミニバンを改造したアンコタと呼ばれる市バス(3番)に乗り駅へと戻る。乗車賃2,500ルピア。

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市外地まで迂回して駅に向かったようで、植物園から30分程かかってしまった。駅に着くとチケット売り場もプラットホームも朝の東西線顔負けの超大混雑!もみくちゃにされながらジャカルタへと戻りました。

ジャカルタから電車に乗って隣町ボゴールへ

前回のジャカルタ出張時、取引先からジャカルタ近郊に手軽に足を延ばすことができる避暑地があるという貴重な情報を入手した。ジャカルタから南に60km,標高2,211mのサラクと同2,958mのゲデという両火山の裾合谷に位置するオランダ統治時代に開発された高原の避暑地で、ボゴールという小都市らしい。何となく名前は耳にしたことがあるような無いような…ただ、調べてみると高原と言っても標高260m。気温減率的には海抜0〜2,000m付近では標高が100m上がるごとに気温が0.65℃低下するという反比例の関係があるとされているので、計算上260mはほぼ平地のジャカルタに比べて1.5℃ほど気温が下がるだけであるが、きっと森林緑地による避暑効果がある為に「避暑地」として確固たる地位を保てているのであろう。なにせ、街の地図を見てみると、市街地総面積の半分を占めようかというドでかい植物園がボゴール中心部をジャックしている。他にもボゴール農科大学や国際林業研究センターなんて機関もあるので、きっと自然溢れるクールな高原都市に違いない。自然の懐に抱かれながら、ジャカルタの衛星都市として都会の便利さも享受したい・・・ボゴールはそんな欲張りな要求に応えてくれる町で、近年ではジャカルタの郊外住宅地としても定住する人が増えているそうだ。

電車で1時間ちょいという距離とのことなので、土曜日の休みを利用してちょいとボゴールまで行ってみることにした。宿泊先のスイスベルホテルからバジャイにてマンガブサール駅へ向かい、チケットを購入。料金はKARTU INI ADALAH MILIKと書かれたSUICAのようなICカード代込みで10,000ルピア。以前はジャカルタ国電エコノミークラスはドアを開けっぱなしで走ったり、屋根に乗客を満載したりと野趣満々だったが、このほどエコノミークラスは廃止され全車エアコン付になったそうで、面白味は無くなった。
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自動改札にて手動で検札を済ませ(何のための自動改札だ!)動かないエスカレーターを階段代わりに使って2階にあるプラットホームへ上がる(何のためのエスカレーターだ!)。因みに電気も付いていない為に薄暗く、時計も動きを止めていた。酷いありさまだ。

コタ駅とボゴールを結ぶKRLジャボタベックボゴール線は1時間に2-3本運行しているので、これに乗る。ここで注意は同じプラットホームでもボゴール以外へ行く電車も走っていること。何本かの電車をスルーした後、インドネシア語のアナウンスの中に「ボゴー」という固有名詞を拾ったので、念の為に信用できそうな比較的身なりの良い人を探して確認。ボゴール? Yes!テリマカシッ(ありがとう!)との流れでボゴール行き京葉高速鉄道に乗車(苦笑)。


電車内はなかなかの混雑ぶり。でも大音量でテレビ見たり大声で電話する乗客が殆どの中国と違い、みな静かに行儀良く振る舞っています。ボゴール線は100万人都市ジャカルタと近郊都市を結ぶ通勤路線として朝夕は非常に込み合うとの事で要注意。


夜のボゴール駅。帰りのホームは足の踏み場もないほどの混雑となっていて、これに加えて各駅から乗車客が入ってくるのでそりゃ大変。スリにも注意が必要です。

ひだり みぎ

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さて、マンガブサール駅を出発した電車はモナスを過ぎ、20分も走ると南国風の景色が広がってくる。デポック駅を過ぎたあたりから徐々に徐々に標高を上げ、景色を眺めているうちに1時間ほどでボゴールに到着した。


こ、これは…外れドアのようです。下車しようと思ったら1メートル下に落下…なんてことにならないよう足元に注意。


ボゴール線終点のボゴール駅にはJRや都営地下鉄など、何だか見たことがある列車が多く待機していて鉄道博物館さながらだ。

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駅前の建物には確かにオランダにより開発された都市としての名残が感じられる。

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駅前のバザールは買い物客やチップ狙いのアマチュアミュージシャン達で賑わっている。ボゴールは軽井沢のような静かな避暑地と聞いていたが、交通量も多く、けたたましいクラクションや排気ガスに満ちた空気は想像してたイメージとちょいと違う。

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交通機関は現役バリバリのリキシャや、ピックアップを使ったバス、それにミニバンを改造した市バスなどが主流のようだ。他には馬車なんかも普通に我が物顔で車道を走ったりするwww


昼飯はKFCならぬCFC(California Fried Chicken)で。チキンバーガー・ポテト・ペプシがセットになったAstaga 5にアボガドフロート。〆てIR50,000ちょい。このアニメチックな幌馬車をロゴにしたお店、コタ駅にもあったしやたらよく見ると思ったら、インドネシア全土で200店舗以上を展開している大手ファーストフード店とのことだ。KFCを意識してか分からぬが、ロゴのインドネシア語は「Not Just Chicken」を意味するらしい。因みに上の写真にも写っているが、CFCのすぐ側にKFCも出店していますwww

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早めの昼食を摂り、駅前探索をしているとマーケットの混沌に埋もれてモスクを発見。


祈る人2割、座って休む人6割、完全に横になり爆睡する人2割といった感じ。まぁ、日本で言うところの公民館的な、地域コミュニティーみたいな機能もあるのでしょう。彼らとは全く異質な私が入ってもフレンドリーに接してくれました。

ひだり みぎ

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駅の東側に線路沿いに伸びるPermas通りには狭い路地に露店がぎっしりと並び、主にミカンや竜眼、ココナッツ、パパイヤなどの果物がっさりと量り売りされている。他にも衣類や偽DVDのお店が並ぶが、ジャカルタで買えない物は見かけなかったのでスルー。


場末感漂う廃れたボロブドゥールデパートメントストア。看板が今にも風に吹かれて飛ばされそうな布切れ一枚といった無様な格好で、中に入っても見所は無し。

ざっくりと駅前の探索をした後、地図を見ながら植物園を目指して歩いていたところ、突然のスコールに見舞われる。年平均降水量が4,200mmと多く乾季でも雨が多く降ることから「雨の都」なんてクールな二つ名でも呼ばれているようだが、早速「雨の都」・ボゴールの洗礼を受けることになってしまった。

写真ではなかなか伝わらないが、こんな強烈な雨。バケツをひっくり返したどころではすまない豪雨である。びしょ濡れになりながら避難場所を探し、目の前に現れたマクドナルドへと避難。2時間たっても雨脚は弱まらず、マクドナルドのwifiを使い情報収集に励むも、びしょ濡れのワイシャツに容赦無く吹き込む冷気で寒気を起こす。さてどうするか。植物園を前に引き上げるか…とも思った矢先、雨が弱まってきた。既にびしょ濡れでテンションは低いが、折角なので植物園まで行くことにする。