大連開発区から日露戦争の最激戦区・旅順へ
今日は早起きして朝一のバスで旅順へと向かう。 日露戦争の最激戦地として歴史の教科書に登場する旅順は、海外情報に詳しくなくとも名前だけは聞いたことがあるという方も多いと思う。旅順は遼東半島の最南端に位置し、現在は大連市旅順口区として大連...
浮浪癖持ち30代社畜系出張族による世界百国(予定)漫遊記。出張記やら旅行記やら搭乗記やら
今日は早起きして朝一のバスで旅順へと向かう。 日露戦争の最激戦地として歴史の教科書に登場する旅順は、海外情報に詳しくなくとも名前だけは聞いたことがあるという方も多いと思う。旅順は遼東半島の最南端に位置し、現在は大連市旅順口区として大連...
大連の中山広場はかつて日本の統治時代には大広場と呼ばれた大連を象徴する場所であり、どのガイドブックにも載せられる大連の定番観光スポットだ。 大連国際貿易中心ビルの展望室から撮られた写真を見るとよく分かるが、直径213メートルの円...
時は遡り20世紀後半、帝政ロシアは遼東半島南部の租借に成功し、今日の大連となる当時の漁村を「遥か遠い」という意味のロシア語「ダリーニ」と名付けてパリをモデルとした都市開発に着手した。ヨーロッパとロシアの伝統的な設計に倣い、大連をヨーロッパ区...
広州から飛行機で4時間かけて大連に到着。こんな長距離のフライトでも国内線というのが何とも超大国中国である。今回は土曜日夕方に大連入りし、夜は大連市内の街歩き。明日日曜日の朝には旅順へ行き、夜には大連市内で客先と会食というキツ目の計画だ。 ...
遼東半島の南端にあり、『北海の真珠』『北方の香港』とも称される美しき港町・大連。19世紀末に帝政ロシアの租借地となり、1904年の日露戦争以降は日本がロシアの都市計画を引き継いだ。現在の大連駅から東側の区割りとごく一部の建築物ができた状態だ...