20世紀最大の発見 始皇帝が遺した兵馬俑

1974年、突如として世界の考古学界を揺るがす20世紀最大の発見が発表された。中国史上で初めて中国全土を統一した中国皇帝の先駆者・始皇帝が遺した8,000体にも及ぶ兵馬俑が秦の都城近くの平原で発掘されたのである。

始皇帝(紀元前259~210)は圧倒的武力でもって中国を割拠していた戦国を次々と征服、戦国時代に終止符を打ち中国大陸初の統一国家を築き上げた初代皇帝である。統一を果たした後は中央集権化を進め度量衡・貨幣・漢字書体の統一を行い、焚書・坑儒を行い自身への一切の批判を封じ込めるなど、強権的政治体制により全国統治を推し進めていった。度量衡の統一・文字の統一・貨幣の統一…いずれも世界史に残る難事業であり、その難易度たるや郵政民営化などの比ではないのだが、始皇帝はこれらのビッグプロジェクトを全て、しかも極めて短い期間に一人で成し遂げたのである。まさに伝説のエンペラー。そんな彼の肝いりプロジェクトとして作られたのが兵馬俑であり、中国史きっての大物に関する歴史が紐解かれるだろう発見に考古学会に激震が走った。
ひだり みぎ
兵馬俑遺跡へのアクセスは西安駅からのバスが一番楽。西安駅の出口を出て、左手に100メートル程行った場所が出発地点となる。他の観光客がぞろぞろそちらの方向に歩いていきますので迷うことはないかと思う。チケットも事前購入の必要は無く、乗車後に係員に運賃7元を支払う仕組みである。

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「国営游5(306)路」という中型バス。満席になり次第出発する。

バスを降り、兵馬俑のチケット売り場に向かう道中でワーッと四方八方から人が集まってきて、100元!120元!と日本語・中国語で数字をぶつけてくる。物売りや即席パーソナルガイドの連中で、一様に顔は笑っているが獲物を逃さまいと声は殺気立っていた。そんな十数人の山をかき分け、兵馬俑の入り口を目指して歩いてゆく。
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発見後40年以上が経過した今もなお調査が続けられている始皇帝陵では、兵馬俑だけでなく地底宮殿やその周囲を取り囲む水銀で造られた人工の川の存在も明らかになりつつある。なんと盗掘を防ぐための弓矢の自動発射装置まで設置されていたんだとか。自分の中ではピラミッド級のロマンで、兵馬俑は「生涯の中で必ず訪れるべき場所リスト」の一つとして挙げていた。それだけにようやく訪問が叶い大興奮である。


観光客の流れに合わせて歩いていると、兵馬俑第一号坑が見えてきた。1974年、農民が井戸を掘る際に偶然見つけた総面積約1万4260㎡の1号坑を皮切りに、2号坑、3号坑が次々に発掘され、死後の秦始皇帝を永遠に守る為の近衛師団として地下に配された総計8,000点もの兵馬俑が発見されたのである。それも、全ての像が当時の仮想敵国があったであろう東の方角を向いて…。因みに世紀の大発見をした農夫は兵馬俑サイトで有料サイン会を催し生計を立てるなど、今でも慎ましやかな生活を送っているらしい。

秦の始皇帝を死後の世界で守るために副葬された夥しい数の素焼きの兵士像。現在も発掘の最中であるが、一号坑には剣や槍、石弓など青銅の兵器を携えた歩兵隊を中心に兵士6,000体・戦車45両程の俑が出土している。服の皺や髪の毛といった細部まで入念に作り込まれたそれら兵馬俑たちは、実際の武器を手にした状態で地下に約2000年眠っていたと言われている。そのクオリティの高さにも驚かされるが、更に驚愕なのは、それらの像が型ではなく手作りのカスタムメイドで作られたもので、髪型・表情・衣服・姿勢のどれ一つとして同じ像がいないということである。

戦国時代の最強部隊がほぼ等身大の兵俑となり軍律正しく東方の敵地へ今にも行軍しようとしているようで、方陣の隊列を組んだ兵士の表情は逞しいが緊張感に包まれたような重苦しいものとなっている。古代ギリシャやローマの彫刻のように芸術として追求されたのではなく、写実そのものを目的としたとしか理解できないような、何とも言えないピリピリとした緊張感が伝わってくるのである。この場に来れて、もうただただ感無量。

戦国末期の秦の兵力と言えば歩兵百万・騎兵一万・戦車千両ほどと推量されている。ちょうど戦さで歩兵が重視されはじめた時代で、兵馬俑の兵士像も将官・歩兵・鎧を着た下級兵士・弓矢で武装した歩兵など幾つもの兵種に分かれて軍陣が組まれてる。
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1号兵馬俑坑の前方に配置された前衛部隊は殆どが鎧のない軽装歩兵俑で固められ、その背後に騎兵隊や指揮官である軍吏俑が続く。更にその後ろには重厚な鎧で身を固め、槍や矛など長い柄の武器を手にした重装歩兵俑の部隊が控えるといった陣形である。戦端が開かれるなり身軽な軽装歩兵部隊が真っ先に展開して敵に矢を射かけ、指揮車が率いる重装歩兵部隊が敵陣めがけて突入する…。どこまでもリアルが追及された兵馬俑は隊形まで実戦仕様で、兵馬俑1体ずつの造形・装飾・装備にそれぞれ意味があるように、兵馬俑全体の配置にも写実性が貫徹されているのである。

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兵俑は足から上の部分は中空で、別に作られた顔と手足を後から接合して組み立てられているようだ。全国から選りすぐられて腕の立つ陶工が塑像の作成彫刻を担当し、その後に彩色まで施されたらしい。実に精巧な出来栄えで、とても2,200年前の作品とは思えない。


兵馬俑の製造に携わった3,000人とも言われる職人は秘密を守るために別の穴に閉じ込め始末されたらしい。始皇帝、これが本当ならゲスすぎる。

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続いて見学する二号坑は一号坑の半分程度の面積で、射撃部隊の兵馬俑約1,400体、戦車89両の埋蔵が確認されている。

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兵馬俑を見学できる建物は相当に大きく、建物の外周沿いの見学ルートしか歩けない為、建物中央の兵馬俑まで確認したい方は望遠鏡の持参をお忘れにならぬよう。

二号坑には各階級の兵馬俑が展示されている。兵馬俑はリアリズム彫塑の先駆であり、歩兵は痩せ気味で将校の腹が出ているというくらいに写実的。秦の時代にタイムスリップして当時の軍人と対峙しているような気にすらなってくる。
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重装歩兵部隊の跪射俑(左)と中級軍吏俑(右)。それにしても躍動感あるよな。残念ながら木で作られた武器は既に朽ち果ててしまっているが、跪射俑なんて今にも矢を放ってきそうだわ。

高級軍吏俑と鞍馬騎兵俑。
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面長の顔に立派なひげを蓄えた貫録十分な将軍は冠をかぶり、鎧も他の兵士のものと比べて防護性が高く豪華。思慮深い眼差しと筋骨逞しい両腕に百戦錬磨の武将ならではの威厳と風格が漂う。

三号坑は兵俑68体・兵馬四頭・戦車一両のみの出土と規模は小さく、指揮・作戦部隊と確定されている。

また、遺跡だけでなく兵馬俑に関する博物館も設置されている。

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始皇帝陵の墳丘近くで地下8メートルの地点から御者の像と共に出土した二台の彩色銅車馬。金銀で飾られた青銅製の馬車二両はそれぞれ30,00もの部品から構成されている。装身具を纏い生き生きとした河西馬も実に見事であり、今には走り出しそうなリアリティに圧倒される。


死後も生前の生活そのものを来世に持って行き、皇帝として永遠に世界の支配を夢見ていた始皇帝の野望が強烈に感じられる。人物の階級や役割の違いまで忠実に俑に表わし副葬品とすることで、皇帝を頂点とする統一後の秩序を完璧に来世に移植しようとしたのである。前例のない大事業を成し遂げた始皇帝ならではの豪快な設計思想と行動力である。


遠くに見える丘が秦の始皇帝陵になっているのだが、残念ながらここでタイムアップ。フライトの時間が迫っていたので、ここからタクシーをチャーターして空港へと向かうことに。

絶大な権力を手中にした始皇帝だったが、後世では「老い」と「死」を極度に怖れ、不老不死を求め迷走したそうだ。仙人の境地に達する神仙思想に傾倒し、不老不死の薬を部下に探させたり、自身も不老不死を祈る儀式を行ったりと…。そして遂には不老不死の霊薬と信じた水銀を飲んでみたりもしたらしい。そんな彼の晩生のエピソードを聞いてると、世の常識を超越した死後の軍団である兵馬俑も、不老不死を求め続けた始皇帝の生への執着心が造らせた哀しき夢の跡という気がしてきた。ひたすら生に執着し、死の影に脅え、不老不死を求めて国庫を傾け、病的なまでの恐怖を心に抱いたまま死んでいった中国のファーストエンペラー・始皇帝。そんな晩生は迎えたくないなぁなんてしみじみと思ってみたり。

【兵馬俑】

所在地 : 陝西省西安市臨潼区西楊村
入館時間 :08:30-18:00(3月16日—11月15日)・08:30-17:30(11月16日—3月15日)
入館料:150元(3月1日-11月)・120元(12月1日-2月)



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【2017年新疆・敦煌・西安旅行記】











シェラトン西安賽瑞城北(シェラトン西安ノースシティ)宿泊記

ウェスティンソフィテルとマットレスランのバトンを繋ぎ、西安での最後の宿・シェラトン西安賽瑞城北(シェラトン西安ノースシティ)へと御引越。


宿泊に際して持て余していたスイートナイトアワードを申請していたものの敢え無く撃沈。その上にチェックイン当日の朝にシェラトンから凄く微妙な日本語で電話がかかってきて、曰く、「大きな部屋は準備できない。申し訳ない。」と。


流石に今回はスイートアップは諦めていたんだけど、ホテルに移動中ウェブでカンニングしたら85-100 ㎡のエグゼスイートが準備されてることになっているが果たして…。

場所は市内北部の観光名所・明宮国家遺址公園近くにあり、西安鉄道駅へも3km程度というアクセスで立地条件は悪くない。
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SPGカテゴリー=2・1泊519元~のホテルにしては非常に立派な建物。487室の大型ホテルでスイートも52室あるんだからアップグレード間違いなしだろと高を括る。

ロビーも立派だし、チェックインするなり先に電話をくれた日本語を話せる女性スタッフとマネージャーが搭乗して熱烈歓迎を受ける。
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更に小生がお腹を空かせていると知るなり、前述の日本語が話せるスタッフがホテルから徒歩五分の所にあるオススメ麺屋までエスコートしてくれるなど、やたらと丁重に扱って頂いた。極寒の雨の中の対応ですからね。「雨降ってるし一人で大丈夫ですよ」と伝えているのにわざわざ付き添って頂いたんですから何とも献身的で感動ものの対応である。

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掃除が行き届いておらず埃の溜まった場所がゲストの目の届く範囲にあったけど、ハード面も大理石張りで豪華な造り。ドアも何だか高級感あってテンションが高まりますしね。

部屋:エグゼクティブスイート

部屋は25階のエグゼスイート。先述の通りスイートナイトアワードが却下された上でのアップグレードだった為、アワードチケットが消費されないという神対応である。

ドアを開けると正面がリビング。なんて言うかな、キャビネットの木の温もりや柔らかな照明もそうだけど、ソファやカーペットの質感も合わせて凄く優しく温もりのある印象を受ける部屋である。


テレビ正面にふかふかソファととパーソナルチェアが配される他、一番奥の窓際にも一人掛けソファとワークデスクのチェアが配置されている。幅が狭く奥に長い造りだからか、敷地面積程の広さは感じない。

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ミニバーの準備は大したことないが、ウェルカムフルーツはガッサリどっさりで、僅か一泊の滞在ではとても食べきれない。

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お次はリビングのお隣にあるベッドルーム。こちらもリビング同様の温もりあるモダンエレガントなデザインで、非常に居心地は良いのだが、ベッドが少しヘタってしまっているのはどうしてだろう。いつも思うのだが、リネン類の質とかも含めてシェラトンのスイート・スリーパーベッドは場所によって質がマチマチな気がするんだよな。

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西安総ラブホテル化?何気無くベッド脇の引き戸を開けたら陝西省衛生計画生育委員会無料提供と書かれたコンドーム二個とエイズ予防に関する啓発本が収納されていた。エイズ対策に躍起になる官庁から西安の各ホテルにお達しが下されているらしく、中国共産党のサービスによるものらしいが…。


窓際からの展望は少し残念かな。25階なので見晴らしにも期待できるかと思いきや、周りも軒並み高層なので無機質な高層ビルビューだった。流石は大都市西安である。

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バスルームもバスタブの足下にミラーテレビ化した鏡がはめ込まれるなど豪華な造り。

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ただ、全てを台無しにしてくれるこの錆水ね。

湯を出し続けても延々と放出されてくる錆水が醜すぎる。バスタブが純白だから余計にグロさが際立つわ

クラブラウンジ

営業時間は06:30-23:00で、朝食・カクテルアワーのサービスを受けられる。
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高級感あるレセプションで、タンクトップ・バスローブ・スリッパでの来訪客はこちらで入室拒否にあうので要注意。

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自分の好みのダークブラウンを基調にした高級感ある大人の雰囲気だ。

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カクテルアワーは味は冴えないが酒の肴になるような多数のホットミールの他、フルーツ・ナッツ・チーズ・サラダバー・ペストリー・寿司・各種デザート・スープも揃うなど驚きの充実ぶり。17:00-20:00と開催時間も長く、独り飲みの居酒屋かのように長居する洋中サラリーマンの単独利用客が多し。確かにウェスティンと比べると格は落ちるけど、カテ2にしては十分すぎる内容である。



ドリンクの種類は最低限レベル。

朝食


ラウンジではなくロビーフロアにある朝食会場のFeastへ。

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特筆すべき点は特に何もない平凡な内容だけど、強いて挙げるとしたら中華セレクションに強みがあり、西安風ハンバーガーこと肉夹馍も取り放題。まぁ、ザ・凡庸な内容なので、優雅で豪華な朝食を期待すると失望するかもしれないな。

所感

近所でバンバンと建設工事が行われていたので、近所の水道工事の影響かもしれないけど、錆水だけがちょっとね…。他はSPGカテゴリー2のプロパティにしては十二分過ぎる程に頑張っていたただけに、水質だけが勿体なかったかな。城壁の西側にもシェラトンがあるけれど、プロパティ的には城壁の北側にあるこちらの方が高級感があってお勧めできると思う。

シェラトン西安賽瑞城北


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住所:中国西安未央路32号
電話:86 29 8886 6888
SPGカテゴリー:2


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【2017年新疆・敦煌・西安旅行記】











西安近郊で感じる歴史ロマン 半坡遺跡と半坡博物館

黄河中流域に於いて紀元前5000年から紀元前3000年の新石器時代に栄えた仰韶文化。仰韶文化の史跡といえば仰韶遺跡が本家本元であるが、1953年に西安郊外で発掘された半坡遺跡も、その環濠集落跡と彩文土器等の出土品から仰韶文化に属するものと考えられている。

せっかく西安まで来たのである。観光地としての知名度は高くないみたいだが、世界四大文明の一つである仰韶文化時代の遺跡を見に行かないのは勿体ない。

ということで生憎の天気だけど603番のバスで半坡村まで向かってみることに。

ローカルバスに1時間程揺られて到着した。

耕作中の農民により1953年に発見された悠久の黄河文明跡で、中国内で唯一完全な形で現存する原始人社会遺跡。紀元前5000~4500年の環濠集落で、部屋遺跡46・成人墓174・子供墓73・陶窯遺跡・及び多様な生産用具や生活用品も多数発掘されている。規模的には5万㎡程度、最盛期で人口500~600人程の規模の集落であったようだ。

天候的な要因も関係しているのだろうか、殆ど来訪客は殆どいない…。
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新石器時代の後期に生きた半坡人が、この地に初期の人類文明を築き上げた。人類文明の揺り籠と言っても過言ではない歴史的な場所なのである。


遺跡の手前に建つ半坡博物館なる建物に入ってみたところ、いきなり半坡人の顔の復元像にビビらされる。科学的推測が加えられたもので考古学的価値はないと思うがインパクトは絶大だ。


今にもラップバトルを仕掛けてきそうなワイルドでヒップホップな男性陣の像が展示されているが、半坡文明は他の多くの仰韶文化と同様に母系制社会であったと推定されている。

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展示品を見ると、どうやら狩猟採集や土木作業は男性が担い、女性の仕事は農業や土器作りといった社会的分業も行われていたようだ。


人類創成期の住居の再現。住居は円形と方形の二種類あり、一般的には円形の方が古いものとされている。方形平面の竪穴住居は12m×10mという大型の物で、浅い穴を掘り地面に出た部分を覆って屋根代わりとした。それが後期になってようやく地面に壁を築き、木の柱で屋根を支える形式になったようだ。このような垂直な壁と傾斜した屋根という後の中国の伝統的建築物と同様の構造が5000年も6000年も前からあったというのは驚くべき事実である。


住居近くの貯蔵穴からは穀物のアワ・白菜・コウリャンなどの種子や牛・豚・馬・羊などの動物骨も発見されており、当時の人々がアワを主体とした原始農耕や狩猟に頼る生活を営んでいたことが解き明かされた。

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石器は農具・工具・すり石等が出現。打製石器も多いが、石斧は精巧な磨製品となっている。仰韶文化で発展した農耕文化を忽ち黄河流域に広がりを見せ、後に続く竜山文化の源流となった。

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農耕生活の遺物には、耕地を切り開くのに必要な鍬・銛・鏃等の石器が約1000点出土した。石鋤や石斧は森林を伐採し、開墾して耕地にする為の道具として用いられていたようだ。この一帯は黄土地帯なので農具自体に大がかりなものは必要なく、簡単な農具で簡単に土を掘り起こすことができたのだろう。


ロクロが使用されていた形跡は無く、泥質の土を輪にしてそれを積み上げていく巻き上げ法手法で匠の技で作られた精美な土器。広口で浅底の平らまたは丸っぽい盆のような飲食器や鉢・瓶・甕が多数出土する中、底の尖った壺のようなものも見つかっている。

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晩期の文化層から出土した土器には彩陶も多く含まれていて、赤地に黒色顔料で幾何学文様や人面、魚などなどが表層に描かれている。

奇妙なのはこの魚と土偶のような実写的で呪術的な人面がドッキング人面魚の模様である。千葉ロッテの謎の魚マスコットもだいぶ奇妙だが、ここの人面魚も気味の悪さという点では負けてない。
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春秋戦国時代の『詩経』『周易』に、魚には隠喩として「男女の交わり」の意味があるとされていることから子孫繁栄を望む意味があると推測されている他、シャーマンのマスク説、権力の象徴説、トーテム崇拝説などなど諸説あるが、模様の意味するところについてははっきりとしたことはなに一つ解明されていない。ただただ言えるのは、半坡遺跡に生きた人々は農耕を行いながら、漁撈も盛んに行っていたということだ。他に魚だけの文様が施された土器もあったりと、半坡遺跡の彩文土器はどれもモチーフ的に面白く独創的である。

…ということで、ここいらで博物館での事前学習を切り上げ、満を持して敷地内突き当たりの小高い丘にある半坡遺跡へと向かう。

建物内に入るとそこは6000年前の異次元の世界。長期間に渡り生活が営まれていて、4つの文化層が確認できる大集落跡となっている。

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産河東岸の段丘の上に築かれた集落は不規則な円形を描いていて、深さ5m程度の環濠に囲まれた居住区が中央に、その北側からは集団墓地、東側からは窯址がそれぞれ出土している。


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家が三層に重なった環濠集落の住居址。


壕の目的は定かではないが、猛獣や外的の侵入を防ぐ為のトーチカ説が有力とか。今でこそ黄土の荒れた大地が広がる半坡遺跡一帯だが、仰韶文化が育まれていた当時は今より更に温暖湿潤な気候であり、森林に覆われていた為に樹木や竹が群生していたと考えられている。付近にには河が流れ、沼沢地も多くあり水源が豊が故に水草が繁茂し、魚などが多く棲む自然環境であったのだろう。だからこそ、環濠集落として河を巡らせることができたのである。

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こちらは墓地址。成人は仰向けの伸展葬の形態で共同墓地の土坑に埋葬され、一部の未成年は甕棺の中で住居の床に埋められていた。原始共産制社会で平等な生活を営んであろうに、一部の用事が特別手厚く埋葬されているというと、特別な地位をもつ長の存在があったことも考えられる。となると、もしかしたら既に原始母系制社会が崩壊し、ある種の身分或いは階層が芽生え始めた時代だったのかもしれない。

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ファイヤープレースらしい。中国語ではめっちゃ説明書きあるのに、英語版はただFireplaceと一文字だけ書かれててシュール。


氏族の公共倉庫的に使われていた貯蔵穴は住居の周囲に約200基見つかっている。すげーなー。5-6000年前のタイムカプセルみたいなもんですやん。見つかったのは粟の種子とかだけど。

秦の始皇帝が遺した兵馬俑史跡よりも前に築かれた原始文明の遺跡、もっともっと観光地として認知されても良いと思うのだが…。中国の歴史や人類学に興味のある方、西安にお越しの際には半坡遺跡への訪問もお忘れなく!

半坡遺跡博物館

住所:西安市半坡路155号
電話 : 029-351-2373



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【2017年新疆・敦煌・西安旅行記】











ソフィテル西安オン レンミンスクエア プレステージスイート宿泊記

ボンジュール!本日のお宿はソフィテル西安 オン レンミンスクエア(西安索菲特人民大厦/Sofitel Xian on Renmin Square)。昨日はウェスティンで明日はシェラトンというローテの中、気分転換でSPGの間にアコーを一発挟んでみた次第である。

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城壁内のほぼ中心にあるレンミンスクエアに位置し、鐘楼やイスラム人街のある繁華街からも歩いて15分程度という立地なんだけど、ホテル近辺は省政府の並びだけあって非常に閑静。


面白いことに、アコーの西安要塞ことレンミンスクエアには他にメルキュール・グランドメルキュール・ソフィテルレジェンドも絶賛営業中。一つの敷地の半径数百メートルの中に系列のホテルが4ブランドとか世界でもあまり例のない密集ぶりで、ここだけフランスの飛び地かよと思えてくる。


メルキュール:4,800円~
グランドメルキュール:6,200円~
ソフィテル:9,700円~
ソフィテルレジェンド:29,000円~
いずれも税サ抜き価格。
1953年に国の迎賓館として開業した歴史ある人民大厦をホテルとしたソフィテルレジェンドだけ飛び抜けて高い。今回は一日中ホテルに籠るのであればソフィテルレジェンドにしたのだが、今回は半坡遺跡の訪問で昼間は出ずっぱりだったので、それならソフィテルでも十分だろうと判断でレギュラーソフィテルを予約した。

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側面が階段状になった世にも珍しいこちらの建物が2005年オープンのソフィテル西安オンレンミンスクエア。全178室と中国にしては小ぶりな規模感のホテルである。

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間接照明をふんだんに採り入れたロビーはモダンでスマートだし、フロントスタッフは皆笑顔を絶やさず親切な対応をしてくれ癒された。やっぱ200室以下の高級ホテルだと従業員の皆様も余裕のある対応ができるのかな。同じソフィテルでも大型ホテルだとフロントスタッフが忙しない感じでやっつけ仕事に終始しちゃってたし。

結局、フロントスタッフがラウンジまでエスコートしてくれクラブラウンジでチェックイン。ロビーを出発した段階でラウンジスタッフに連絡が行ってたのだろう、ラウンジスタッフも準備万端満面の笑みで待ち受けていてくれた。
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ウェルカムドリンクだけでなく大気汚染対策のウェルカムマスクまで配布されるオマケつきw。

部屋:プレステージスイート

込々11,000円の最安値スーペリアルームを予約していたが、アコープラチナ効果でソフィテル西安の中で最上級のプレステージスイートにアップグレードされていた。謝謝。
ひだり みぎ
総敷地面積は70㎡。リビングはブラウンとベージュを基調に赤のソファーがアクセントに使われるなどフランス系らしいセンスが良い感じ。エントランス横には来客用のお手洗いも備わっている。

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クラブ特典としてはラウンジアクセスの他、2ピースのアイロンかけ・朝刊・無制限ローカルコールなどなどまぁ平々凡々とした内容。まぁクローゼットがスイートにしてはスペース的なゆとりに欠けるくらいで、全体的な印象としては悪くない。

ベッドルームも全体的に暗く暖色メインで落ち着いた設えで、ソフィテルマイベッドも寝心地良し。個人的にはこれくらい落ち着いたライティングの方がしっくりくるんだけど、人によっては暗すぎると感じるかもな。
ひだり みぎ
クラウンプラザみたくピローメニューが6種類あったんで今回初めてFeather Down Pillowなるものをリクエストしてみたんだけど、良いっすねコレ。他にもミストサービスやリラックスドリンクなどホテルステイをより快適に過ごす為の有料無料の各種サービスが準備されていた。流石はソフィテル、これぞフランス式「art de vivre(生活の中の美)」体験である。

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バスルームは独立したシャワーブースもあり大理石もふんだんに用いた豪華仕様。アメニティもランバンのフルサイズで高級感あり。

クラブラウンジ


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営業時間は06:00-22:30。06:00-10:30の間は朝食がサーブされ、17:30からの二時間はもちろんカクテルアワーも楽しめる。バーカウンターからチェアー、大衆食堂風な椅子などシートオプションも多く気分やシチュエーションによって使い分けることができるのもポイント。空いてる時にカウンターに一人で座ればラウンジスタッフ兼バーテンダーのお姉さんが話し相手になってくれますよ。

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ソフィテルのカクテルアワーは17:30-19:30。ホットミールはショボいけど、ドリンクはラウンジスタッフがその場でカクテルなんかも作ってくれたりと満足いく内容。

朝食

朝食はラウンジも利用できるけど、客室数も少なく落ち着いたホテルということもありロビーフロアの朝食会場で頂くことにした。
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中国のホテルの朝食会場はカオスになる確率も高いのだが、ここは利用客も少なく且つ客層も洗練されている金持ち中国人だったので、特に不快に思うようなこともなし。

ひだり みぎ
キャロット・青りんご・ジンジャーから作られ朝からビンビン元気が出る「パワードリンク」、セロリ・胡瓜・蜂蜜・アーモンド・レモンを成分として各種ビタミンが豊富な「デトックスジュース」、トマトとパイナップルの「アンチエージングジュース」などなど気の利いたノンアルカクテルが充実。朝からフレッシュジュースのガブ飲みを最近の日課としている自分はここぞとばかりに全種類制覇でビタミンチャージ。

いやー、たまにはソフィテルも良いね!
ひだり みぎ
チェックイン前には頂いていたドリンククーポンを使うべくロビーのBAR BAMBUを攻める。

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ドリンククーポン用のメニュー内容は会員等級ごとに区別されていて、プラチナだとヴーヴクリコ等の泡・ドイツビールや黒ビール・高級カクテル等が注文できるようである。会員クラスごとにウェルカムドリンクのメニューを分けているのもこれまた珍しい。

モダンな作りで古都風情は感じられぬが、静かだし高級感あるしスタッフの対応は良いしとソフィテルの魅力を再確認させられた滞在となった。宿泊費も手頃ですし、西安城内での滞在先としては悪くない選択肢かと。

ソフィテル西安 オン レンミンスクエア/西安索菲特人民大厦


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住所:東新路319号 钟楼商圈新城区西安市, 中華人民共和国
電話:+86 29 8792 8888
チェックイン:14:00
チェックアウト:12:00


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【2017年新疆・敦煌・西安旅行記】











小雁塔と西安博物館

大雁塔で佛の心を会得した後はローカルバスで次なる目的地・西安博物館へと移動する。メジャーどころの兵馬俑博物館・碑林博物館・陝西歴史博物館あたりの影に隠れた地味な存在ではあるものの、比較的新しくてそれなりの展示物を収蔵する穴場的博物館らしい。

地図を見ると西安の中でも有名な観光地である小雁塔の敷地内にあるようなので、ついでに小雁塔にも立ち寄ることに。なんでも小雁塔は玄奘が持ち帰った経典が大雁塔に保管されたのに対し、小雁塔には単身海路でインドに渡った義浄三蔵が持ち帰ったインドグッズを保管するために建てられたらしい。なんかこんなネーミングだと義浄が格下の小者みたいだが、こいつも中々のキワモノで仏教を愛すが余りインドに25年も滞在し、玄奘同様に大量の経典を持って帰国した後に経典の翻訳作業に没頭した仏教界の大物のようである。
ひだり みぎ
最寄りのバス停「小雁塔」で下車すると、円錐形の屋根が宇宙線のように格好良い西安博物館の建物が目に入る。穴場的な博物館とのことではあるが、西安の名を冠しているだけあってそれなりにデカい。

強烈な毒霧に覆われて霞んでしまっているけれど、博物館と同じ敷地内に建つ小雁塔も目視で確認できる。大雁塔に遅れること約50年、707-710年に建てられたそうだ。当時の塔は15層だったものが地震で崩れ、今は13層で天頂部は崩れたままの姿になっている。

高さ43mと大雁塔より若干程度小ぶりなので、サイズ的な理由で小雁塔と呼ばれているのだろう。決して義浄が格下という訳ではありませんのでw

層の数は13と多いものの各層の間が狭く、全体に曲線的で柔らかな印象だ。

どうせ登っても大気汚染に包まれた西安の街並みは見渡せないのだから、塔の上までは行かずに敷地内を散歩することに。


こちら、突くのに金を取られる有料の鐘w。入場無料のしわ寄せが鐘突きに来てるのか、鐘を突くのに10元かかるのだとw。外国人観光客は暫し突くべきか思案し、結局皆様10元を渡して鐘を突いていた。…鐘突くだけで金を取られるのは理不尽に思う自分はもちろんスルー。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
敷地内には色々と古風な建物が他にも並んでいるが、西安市古代建築工程公司が建てたアンティーク風に再現された建物だと思うとゲンナリだ。


さて、小雁塔周囲の散歩を済ませ、満を持して博物館へと入場しよう。

ひだり みぎ
入って直ぐ、先ずは平安京のモデルにもなった100万人都市・唐代長安の碁盤目状の街並みの模型に目を奪われる。唐の長安城は南北が8651m・東西が9721mという巨大なもので、北辺の中央に大極殿を中心とした宮城があり、碁盤目状の道路で東西南北に区画されていた。こいつを大雁塔から俯瞰したかったんだよな。

他にも西安に都が置かれた時代の遺物や西安関連の芸術品が多く展示されているのだが、個人的に楽しめたのは壁画レプリカのコレクション。

東普時代の墓石内部に描かれた農耕に従事する人達の絵。鍬みたいな農具を使ってせっせと耕してたり、天に祈りを捧げたりしてる。東晋といえば西晋が匈奴の侵入を受けて滅んだ後に漢族の司馬氏が江南で再建した国家。華北の北方民族(胡人)の文化とは異なる漢民族の牧歌的な生活ぶりが一幅の絵に見て取れる。

ひだり みぎ
後漢時代(25年-220年)末期の屋台と厨房。被写体が生き生きとかつ鮮明に描写されていて、最強古代王朝・後漢当時の場面が頭の中で再生できそうだ。


華やかな晩唐の結婚式。


思い悩む馬夫と、心配そうに馬夫を見つめる馬。一体何があったのか気になるところであるが、西安博物館では作品に対する説明書きが殆ど無いので想像力豊かに思いを巡らせるしかない。

俑コレクションも保存状態の良い展示品が揃っていて面白い。
ひだり みぎ
色鮮やかで優雅な服装や新しい髪型、精巧な装飾など女性の美に関する文化が大きく花開いた唐代。その遥か千数百年前の花咲ける女性たちの姿が俑を通じて観察できる。

ひだり みぎ
唐代の豊満な女性像。唐代の人々の審美眼的には豊満なポッチャリ系女性が美人とされていたようで、唐代の作品ではやたらと「おふくよか系女子」の出現率が多い。因みに…絶世の美人とも形容される楊貴妃も60キロ超の豊満ボディの持ち主だったと考えられているようだ。

ひだり みぎ
こちらは漢代のモノクロ文官像。表情や仕草まで細かいタッチで表現されている。


盾を持った北魏の戦士。やはり北方の遊牧騎馬民族である鮮卑の国の兵士だけあって顔立ち体つきが完全に北方系。

ひだり みぎ
隋代になると白い素地に灰釉をかけ高火度で焼成する白磁が出現。

ひだり みぎ
唐代の武官・文官。この時代まで来ると白磁に複数の色釉をかけ合わせた鮮やかな唐三彩が生まれるなど技術力が飛躍的にアップした。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
当時の世界一の大帝国の都である長安には突厥やソグド人・アラビア・ペルシャ・インド人方面からやってくる行商人も多く、明らかに漢族じゃない人たちの像の種類も豊富。


馬の上でふと人生に疲れちゃった人。こういった落ち込み系の人の描写が多いというのは何を示唆しているのだろうか。

こ、これは!?一人の直立した男の頭の上に6人もの男が乗っかっているのだが、雑技団だろうか。6人の男による荷重を支える土台の男の足腰の強さと、頭の上で真っ直ぐに立つ二層目以上のバランス力…これはウルトラA級の難易度の技である。

一番上の男の子がちょっと怯えた感じなのもリアルだわ。

いやー、どうだろうな。楽しめたけど、正直なところ陝西歴史博物館の内容とも被っているので、陝西歴史博物館に行くなら西安博物館の訪問は省いても良いかもしれん。入場無料だし時間が余ってるならアリだけど。

【西安博物館と小雁塔】

住所:中国西安碑林区友谊西路72号



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