この週末は滞在先の河北省省都・石家荘から邯鄲に日帰りで出かけてきます。
邯鄲は知名度の低いマイナーな地方都市ですが、隠れ基地感たっぷりな石窟や奇峰連なる山脈なんかがあり、ひっそりとした隠遁生活を営むのに最適な田舎町といった感じ。週末をゆっくり過ごすのに良さそうです。
人も物も過密で窒息死するくらい退屈な河北の大都市・石家荘の喧騒を離れ、俗世間から切り離された山奥の秘境へ。
さすがは河北省の省都のターミナル駅。銀河鉄道の終着駅感すら醸し出す巨大駅のスケールたるや、端っこが見えないくらいです。
「汽車はいま、万感の思いを込め…」あー、やばい脳内再生される999ロマン…からのカー、ペッ!! 隣のオッサンの痰吐きで見事に現実世界に引き戻されました。
列車に乗ってもコレ。ワイの座席で見事にエコフラットを決めてやがる。ここら辺は野生の中国人がとても多く、皆さん欲望むき出しで生活されてるなーと思うことがしばしば。自分の欲望を抑えながら息苦しくも社会の一員として生きてる自分には、ある意味羨ましく思える一面もあるんですがねw
石家荘から鈍行列車に揺られること1時間半、邯鄲駅に着きました。
邯鄲は紀元前の中国・戦国時代の七雄・趙の都として栄えた古都。戦国時代の史跡が町中に現存していたりと歴史・文化遺産の豊富な町で、「邯鄲の枕(邯鄲の夢)」等この地に因んだ故事成語も多く伝えられています。
人生とは何ぞやという哲理に悩む青年・盧生が趙の都・邯鄲の里に宿泊し、道士・呂翁から借りた不思議な陶器の枕で一睡。夢の中で帝王の位に昇って五十余年の栄華に酔うが、目覚めてみると寝る前に火に掛けた栗粥がまだ煮上がってさえないくらいの僅かな時間しか経っていなかった。全ては夢の中の束の間の出来事であり、世俗の栄達がいかに儚いものなのかを悟ったという。
邯鄲の夢
唐代の伝奇小説・枕中記が元ネタみたいです。
現代でも急に人生達観モードに入るふとした瞬間ってありますよね。ワイもたまに自分の人生は仮想現実で、誰かのコンピューターシミュレーションの中で踊らされてるだけだからと夢うつつな感じになることありますもん。
さて、そんな歴史ある町・邯鄲。町中には趙王城の遺跡だったり宮殿建築群の基壇だったりと中国有数の史跡が普通に残されていて、知名度こそ低いものの中々の観光地となっているようです。
ただ、今回は史跡より大自然に癒されたいムードだったので、駅前で声をかけてきたウェイ系のドライバーと1日チャーターの交渉をし、郊外の山などを回ってもらうことにしました。
太行山
向かった先は邯鄲駅から車で2時間弱、河北省・河南省・山西省の省境に広がる太行山脈。
2,000m級の山脈で、観光ガイドブックにも載ってないくらいのマイナースポットですが一応は観光地化されているそうです。
涼を求めて太行山へ
— ポンズ (@Worldtravelog) June 25, 2020
絶壁に沿うように設けられた中国製のガラスの桟道を見て、さっそく背筋が涼しくなりました。肝もよく冷えます pic.twitter.com/l1enxFlkBo
ガラス床にはこんな過激なひび割れエフェクトもあるみたいなのですが、残念ながら本日は作動していないのか、見つけることができませんでした。
荒々しい断崖絶壁に架けられた木組みの遊歩道が見渡す限りに続く様はただただ圧巻。肝が良く冷えて避暑にはちょうど良い場所でしたが、ちょっと寿命が縮まったかもしれませんw
しかも、26㎢という広大な範囲に渡って開発されているというスケール感でございます。これぞ偉大なる中国共産党の成せる技w
危険そうな足場を進んだ先には大自然の絶景が待っています。張家界みたくニョキニョキっと大量の奇形岩が無造作に立ち並ぶ様も豪快で見応えありますが、広大な大地に控え目に一本だけ生えてる姿も奥ゆかしくてまたいとをかしw
奇岩が見渡せるスポットには見世物小屋的ルームまで設置されていました。いきなり黄金伝説の企画にあったスケルトンハウスのリアル版かな?外の景色を眺め放題なのは良いですが、自分も眺められ放題なのはちょっとNGですね笑
奇岩の先をさらに進んでいくと、フォトジェニックな滝までありました。こんなにも絶景がてんこ盛りなのにどうして観光客が全然いないのか…。
滝から見渡す万里の長城もどきの城壁。
なんでもこの太行山が山東省と山西省の名前もこの山脈が由来になっているのだとか。観光地としては微妙な評価なのか観光客はほとんどいませんでしたが、地理的には古来から非常に重要な山みたいです。
京娘湖
続いてドライバーのおススメスポットである京娘湖という場所に連れてこられました。なんとも意味ありげな名前の湖ですが、京劇のテーマでも有名な趙太祖千里送京娘という故事に由来する湖だそうです。
後に北宋を建国することになる若き日の趙匡胤は、諸国を放浪中に偶然出会った趙京娘を賊の監禁から解き、同じ趙氏のよしみから兄妹の縁を結び、千里離れた彼女の故郷まで送り届けたという。
趙太祖千里送京娘
送り届けた後に婿にと請われたが謝絶。京娘はその後に湖に身を投じて自害、趙匡胤は帝位につき北宋を興した後に京娘を祀る祠を建てて夫人に封じたという後日談があるそうです。
確かに京娘湖の景区内には京娘祠もあるようです。きっと見どころ満載で楽しめる場所ではあるのでしょうが、太行山の山登りで体力ゲージがゼロ近くまで落ちてた自分はここの観光は断念。
切り立った絶壁の合間を流れる川とダムだけ拝んで京娘湖を後にしました。
広府古城
邯鄲市内に戻って石窟群を回ってみるも、どこも閉まるのが早いみたいで既にクローズ。仕方なく最後に広府古城というところで降ろしてもらうことにしました。
古城は古城ですが残念ながらキングダム時代の史跡ではなく、明代の古鎮の景観を復元して建てられたレトロスポットだそうです。
城壁に上って古城の中心を貫くメインストリートを見下ろしてみましたが、実に長閑。観光地というよりも、普通に住民が生活を営む城壁都市といった感じでほのぼのとした雰囲気が漂ってます。
ワイの頭蓋骨くらいの大きさのスイカが一玉2元とか信じられない安さ。外では1斤1元で売ってると言っていました。大都市・石家荘から150km離れただけで全く別の国・別の世紀というくらい隔世の感があります。
通りでは将棋大会が大盛り上がり。いやー、本当に明代なんじゃね?って思える長閑な雰囲気、最高でした。願わくばここで一泊したかったのですが、外国人が泊まれるホテルが見つからず、しぶしぶ石家荘まで引き上げることにしました。
やっぱ動車はすげーな。石家荘までの170kmを40分弱。往路で2時間かかった快車とは瞬発力が全然違うし、走りも滑らか。北京原人かのように食い散らかしながらウホウホ大声で騒ぎ立てる輩もいませんし pic.twitter.com/gOvlGAD3qh
— ポンズ (@Worldtravelog) June 25, 2020
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