アンマンの街に残るローマ遺跡 アンマン城(シタデル)とローマ劇場

ローマ帝国の支配下時代にはフィラデルフィアというおしゃれな名前で呼ばれ、デカポリス(十都市同盟)のひとつとして繁栄したヨルダンの首都アンマン。
残念ながら度重なる戦乱により今日まで残されている史跡は少ないようですが、町の中心地にはローマ時代の円形劇場と、ローマ時代の神殿・ビザンティン時代の教会・ウマイヤ朝時代の宮殿などから成るアンマン城がデデーンと遺されている。

これがまた結構イケてる遺跡だったのですわ。歴史の割に観光資源に乏しいアンマンですが、この2箇所だけは足を運ぶ価値があります。

アンマン城(シタデル)

先ずはアンマン城から。

本家ローマと同じく、複数の丘がまたがる起伏の激しい丘陵地帯に開かれたアンマン。アンマン城は町のシンボルだけあって、標高850mと町の中でも一番高い丘であるジャバル・エル・カラに建てられています。

キングアブドゥッラーモスクから直線距離にして2.5km。歩けない距離でもないけれど、既にアップダウンの激しいアンマンの町を歩いて足がパンパンだった為、「町の一番高い丘」という言葉にビビって流しのタクシーを拾っていくことに。
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坂道をグングン駆け上ってアンマン城へ。この丘は3方が崖、1方が細い尾根という自然の要塞の為、アンマンの町を見下ろすパノラマポイントとしても良い。

ひだり みぎ
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見渡す限りに続く四角いライムストーンの家屋。アザーンが各方面から鳴り響き、景色と相まって幻想的な雰囲気が醸し出されています。


谷の下方を見下ろせば、アンマンの街並みに埋もれるように残るローマ劇場が真下にその威容を広げている。33列6,000人収容という堂々たる造り。当時、10あるデカポリスの内、このフィラデルフィアの円形劇場は最大の規模を誇っていたそうだ。幕張メッセで9,000人とかなんで、その規模の大きさが分かって頂けますかね。

そうこうしているうちに坂道を上り終え、アンマン城の入口へと到着した。運賃は3ディナール弱、3ディナールを支払うときっちり小銭のお釣りが返ってきたのには驚いた。ここヨルダンは中東のエアポケットと例えられるくらい周囲の国と比べて治安が良く、人も誠実でフレンドリーな人が多い印象を受けた。n数40-50くらいですけど、ホテルスタッフからレストランのウェイター、スークの店員やタクシーの運転手まで、接した人はみな素晴らしく良い人。

入場料は3ディナール。入口を抜けると、見晴らしの良い広大な敷地にポツポツと小ぶりな遺跡が点在するのが見える。街の下から見上げるのに比べて、実際に上ってみると意外にも広いのが先ずびっくり。ぐるりと丘の上を回るだけでも1時間ほどはかかりそう。

ちな、アンマン城の主要な遺跡は下記の通り。これだけ見所が揃っていて、更には博物館への入館料も含まれているので入場料の3ディナールは安い。
・青銅器時代の洞窟
・ローマ時代のヘラクレス神殿跡
・備讃陳時代の教会跡
・ウマイヤ朝時代の宮殿跡
・ヨルダン国立考古学博物館

ヘラクレス神殿跡


数多くの遺構が残るアンマン城の中でも存在感が際立つのは、ローマ皇帝アウレリウス(121~180)の統治時代に建設されたヘラクレス神殿跡でしょう。周囲の丘からアザーンを響かせる中東然としたアンマンの町をバックに古代ローマ時代の遺跡が聳え立つ圧倒的な異世界感!ついついこの独特の世界に引き込まれていってしまいます。

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かつてのローマ帝国領の最果ての地フィラデルフィアに今尚そびえ建つヘラクレス神殿。柱の高さだけで10mはあろう高さで驚きを覚えるのだが、160年頃に建てられた当時は、高さ12mにもなる大理石製のヘラクレスの彫像が立っていたとみられているそうだ。4階建ビルの高さのヘラクレスの像を1860年も前に最果ての領地に建てちゃうとか、やっぱり大正義ローマ帝国ですわ。

ビサンチン教会跡


こちらは6世紀に建てられたとされるビザンチン時代の教会跡。コリント式の円柱が遺る程度でヘラクレス神殿と比べるとパッっと見のショボさは否めないが、逆に遺跡感が強く出ていて味わい深い。


丘の上に張り巡らされていた水路や貯水庫の跡も多数残る。


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こちらは小市民の居住地区跡。

ウマイヤ朝の宮殿跡
ローマ帝国衰退後、中東の地はイスラム世界に席巻され、現在のシリア・バグダッドを都とするウマイヤ朝の覇権がこの町にも及び、アンマン城にもイスラム風の建物が建てられていった。

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そのほとんどは崩れた廃墟として残されているだけだが、中でも8世紀に建てられたウマイヤ朝の宮殿はほぼ原形をとどめる形で復元されている。当時の統治者の住居として使われていた宮殿だそうだが、ビサンチン時代の建造物の上に築かれたのか、正門入口が十字形になっていたりとビザンツ様式が取り入られているのが興味深い。

そういや、レバノンのアンジャルに残されたウマイヤ朝遺跡も町が十字形に設計されていたし、ウマイヤ朝はビザンツが残したインフラを上手く活用しながら発展していったんでしょうね。破壊しつくして一からスクラップアンドビルドする余力も無かったのかもしれませんし。

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宮殿の敷地内にはモスクの跡もひっそりと残っていた。ウマイヤ朝が衰えた後はキリスト教勢力とイスラム勢力との力のシーソーゲームが繰り広げられ、力の均衡はイスラムの英雄サラデイーンの登場で一気にイスラム勢へと傾いていった。

そんなヨルダンの歴史をヨルダン各地の出土品から軽ーくまなべるのがヨルダン古代博物館。
ヨルダン古代博物館
敷地内には周辺遺跡の発掘で出土されたお宝の数々を展示する博物館も建つ。
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考古学的価値の高い所蔵品の大半は新たに建てられた国立博物館に移動してしまったので…と謙遜されていたが、後期青銅器時代の石像が無造作に床に直置きされてたり、グレコローマン期の展示品が雑に扱われていたりと、公民館規模の展示室にしてはなんだかんだで見所がある。世界最高の人型の像とされるアイン・ガザルの双頭の胸像も良い状態のものが展示されてますし。

いやー、たかだか400円程度でここまで楽しませてもらえるとは思ってもいませんでした。アンマン観光ではアンマン城は欠かせません。もろにメインディッシュです。

【アンマン城(Amman Citadel)】
開放時間:08:00-18:00(冬季は-16:00)
入場料:3ディナール

ローマの円形劇場


アンマン城がメインディッシュなら、ローマ劇場はデザートか。続いて、坂道を下って谷底に築かれたローマ帝国時代の円形劇場を目指す。徒歩で30分弱ほどですかね、全然歩ける距離にありやす。

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こちらはローマ皇帝アントニヌス・ピウスの時代(138〜161年)に建てられたそうだ。上部には家並みがあり、沢底の淵を掘削して劇場が築かれたことがよく分かる。1,800年も前のローマ遺跡が旧市街地のド真ん中に静かに佇んでいて、歴史が折り重なるように現在に息づいているのが実にアンマンらしい。


真正面までいったらもうそれはそれは大迫力。西はポルトガルから東は中東まで、広い広いローマ帝国の版図の主要都市に建造されたローマ劇場。その中でも最大規模であり、且つ、最も保存状態の良いローマ劇場として知られているそうだ。


どこかの国の国立競技場と違い、建造は元ある岩の掘削で、尚且つ残土は街づくりの資材としてもリサイクル可能。1800年も前のデベロッパーの高い経済的観念にはただただ脱帽である。

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入ってみると、天然の丘の斜面を彫り込んで作っただけあって階段の傾斜は強烈。当時の人も、四つん這いで登っていたのかなーなんてローマ時代に思いを巡らせると自然と一人笑みがこぼれてくる。

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ちな、こちらでは演劇や合唱、演説などが催されていて、後部座席のオーディエンスにまで音がいきわたるよう音響効果を高める作りになっているそうだ。しかも、丘の北側斜面に作ることで観客席には日が当たらず、陽が沈むまで演劇を楽しむことができるような設計配慮もなされていたのだと。昔のローマ人凄すぎ。

ヨルダン民族博物館・ヨルダン民衆伝統博物館
また、ローマ劇場の一階部分の西側と東側にはそれぞれヨルダン民俗博物館とヨルダン民衆伝統博物館という小さな博物館があり、ローマ劇場の入場チケットで入ることができる。
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ベドウィンの日常品や、マダバで見つかったモザイクアートのコレクションなんかの展示がメイン。ローマ劇場と関係ないし、まぁオマケ程度のものっす。

また、ローマ劇場の脇には2世紀頃に建てられたとされるオデオン(コンサート会場)もあり、こちらもローマ劇場のチケットで入場可能。
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こちらの収容人数は500名でだいぶ小ぶり。幕張メッセのイベントホールとコンベンションホール的な?

いやー、それにしても凄いよローマ人。今日でも劇場は現役で音楽祭や公的な演劇公演に使用されているらしいし。1,800年前の建造物ですよ?古代ローマ人が領土の南の果ての中東で作った社会インフラが1,800年後の今日でも使用できるとか凄すぎるでしょう。ローマ帝国万歳!

【ローマ劇場(Roman Theater)】

開放時間:08:00-19:00(10-3月は-16:00)
入場料:2ディナール

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