駆け足で巡るミハイロフスキー城とストロガノフ宮殿

前回のエントリー(血の上の救世主教会)からの続き。

こんな感じで歩いていきます。

血の上の救世主教会からミハイロフスキー公園を東に突っ切ってミハイロフスキー城へ。
ミハイロフスキー城から南下し、ネフスキー大通り経由でカザン聖堂・ストロガノフ宮殿へ。
ストロガノフ宮殿からホテルへ。

17:55発のロシヤ航空運航便でモスクワへと飛ぶことになっているので、ここからは駆け足でパパパっと行きます。

ミハイロフスキー城(Mikhailovsky Castle)

血の上の救世主教会からミハイロフスキー公園を突っ切ると、正面にミハイロフスキー城の姿が見えてきた。

ミハイロフスキー城は、ロシアロシアロマノフ朝第9第皇帝のパーヴェル1世の宮殿として1797-1801年に建設された。どうやらパーヴェル1世は幼き頃から実母であるエカテリーナ大帝から疎まれており、母帝や臣下の手により暗殺されるのではとの恐怖に苛まれるあまり、政敵から自らの身を守る為要塞として、この城を建設したのだと。

ただ、偉大なる皇帝にして偉大なる母であったエカチェリーナ2世も寄る年波には勝てず、1796年に御年67にして崩御。大帝の跡を継ぎ即位したパーヴェル1世は自身の母という脅威から解き放たれたことで、ここぞとばかりに母帝の政治を全否定。エカテリーナ二世からの反動政治路線への舵取りを進めていった。戴冠式の日に男系男子による帝位継承のルールを定めて女性天皇を禁じてるくらいですからねw 「前任者による押さえ付けが厳しく今まではくすぶってたが、俺ちゃん皇帝になったからもう無敵!誰にも何にもいわせない!」独裁的創業者が死去して一気に態度を変貌させる中小企業二代目跡取り社長かw

こうした流れから建造が始まったミハイロフスキー城なのだが、やはりエカテリーナ二世派から刺客が送り込まれるのではとの疑心暗鬼が解けなかったのでしょう。時代錯誤にも四方を川と水濠で固め、跳ね橋まで付け守りが固められてるw 窓や扉には当然ながら鋼鉄製の格子が張り巡らされ、胸壁まで設けるほどの防御意識の高さw まさかこの頑丈な防備が身内に対するものだとはwww しかし、貴族の立場を強化した前帝とは反するパーヴェル1世の政治路線が貴族の反感を買い、この城に住み始めて40日後の1801年5月12日、城内の寝室にてパーヴェルの存在を良しとしない近衛将校により謀殺されてしまったそうだ。なんで、パーヴェルの息子でありエカテリーナ二世の寵愛を受けていたアレクサンドル1世も、パーヴェル1世の暗殺劇に噛んでいたとかいないとか…
ひだり みぎ

パーヴェル1世の死後は帝室一家はエルミタージュの冬宮に戻り、ミハイロフスキー城はパーヴェルの亡霊が出るとせず20年以上の長きに渡り放置。その後は工兵学校の校舎などに使われるなどしてきたが、現在は国立ロシア美術館の分館として利用されている。

と、いいますことで、早速、国立ロシア美術館との共通チケットでミハイロフスキー城へと入城したいと思います。

ひだり みぎ

四方に砲台を設置するなど外は立派な城なんだけど、内部はフェミニンな感じのデザインで流石に皇族の宮殿っぽい。悲惨な死を遂げたパーヴェルの幽霊がいまだにミハイロフスキー城に出没すると信じられているそうだが、果たして…

ひだり みぎ
ひだり みぎ
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生活感のある展示品が多いのだが、王が実際に使っていた私物?説明の大部分はキリル語で、英語による説明は殆どない為、内容はよく分からない。


絵画コーナーもあるが、エルミタージュ美術館新館と国立ロシア美術館を巡ってきた後だとがっかり感しか味わえない。すまん、パーヴェル。


因みにパーヴェル1世のご尊顔はこちら。ロシア皇帝って浮世絵離れしたイケメンが多い印象だったが、パーヴェル氏にはなんか妙に親近感を覚えるというかw

ひだり みぎ
うーん、この…。

ミハイロフスキー城の見学を終え、霊に取りつかれても困るので足早に立ち去ることに。

【ミハイロフスキー城】

所在地:Sadovaya St, St. Petersburg.

ネフスキー大通り(Nevsky Street)

ここからはサンクトペテルブルクの目抜き通りであるネフスキー大通りを通って宿泊先の近所にあるストロガノフ宮殿へと向かう。

旧海軍省とアレクサンドルネフスキー大修道院間の約4.5kmを結ぶネフスキー大通り。華やかな道の両側には、百貨店やオシャレなレストランだけでなく、カザン聖堂やストロガノフ宮殿を始めとする歴史的建造物も多く建ち並ぶ。銀座に宮殿や聖堂要素をプラスしたような感じといったところか。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
まるで建築物の博物館と言わんばかりに重厚感溢れる建物が次々と並び、どこを切り取っても絵になるインスタ映えストリート。


凄い高級なブティックなんだろうなーと思いきや、案外ZARAとかだったりするw

カザン大聖堂(Kazan Kathedral)

ひだり みぎ
ネフスキー大通りに面して半円状に弧を描くように建てられたこちらの迫力ある建物はカザン大聖堂。例のパーヴェル1世が聖母カザンのイコンを納める為に建てたそうだ。血の上救世主教会イサク大聖堂が博物館と化しているのに対し、カザン聖堂はサンクトペテルブルクに於けるロシア正教会の総本山。ガチの聖堂の為に内部の写真撮影は禁じられていて写真は無いが、現役の祈り場だけあって、内部は血の上の救世主教会やイサク大聖堂とは比べ物にならない緊張感がありました。

【カザン大聖堂】

所在地:Kazan Square 2, St. Petersburg.

ストロガノフ宮殿(Stroganoff Palace)


さらに通りを進んでネフスキー大通りの西側の終点も近づいてきたあたり、モイカ川の手前左側にピンク色をしたストロガノフ宮殿が見えてきた。

え、ビーフストロガノフのストロガノフ?と思ったが、ビーフストロガノフは本当にストロガノフ宮殿の主に由来するらしく、当時のロシア帝国の伯爵であるストロガノフ家一族が来客もてなし用の馳走として考案したのがビーフストロガノフということらしい。宮殿内にはちゃっかりレストランまで運営していて、ストロガノフ宮殿で元祖ビーフストロガノフが食べれるらしい。
ビーフストロガノフとか、名前からしてロマンたっぷりで格好いい!なんて思ってのだが、田中家の牛肉見込み的な名前なのかと思うとちょっと幻滅。

宮殿自体は、伯爵であり大富豪であったストロガノフ一族の為に1753年から1756年にかけて建造され、1988年からロシア美術館の分館として使用され、我が家はビーフだけではないとばかりに様々な丁度品が披露されている。
ひだり みぎ
大きなゲストルームやダイニングルーム、ダンスホールなど、帝政ロシア時代の特権階級でブイブイ言わせていたストロガノフ伯爵の権威の片鱗が見て取れる。

ひだり みぎ
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壁の絵柄のセンスからして非凡。

ひだり みぎ
ロシアの偉人の肖像画付きの食器類。趣味悪い感じですが、当時は流行ってたんですかね。それとも、特権的立場を保つ為のごますりで、王朝の偉人グッズを買い集めてたんですかね。

じっくりと見て回る時間はありませんでしたが、特別に時間を取って来る場所でもない気がした。これならもう少し国立ロシア美術館で時間を取った方が良かったかもしれんと後悔しながら空港へと向かう。

【ストロガノフ宮殿】

所在地:Nevsky avenue 17, St. Petersburg.


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