龍門石窟 洛陽・鄭州・開封旅行4

洛陽での宿泊先・ホリデイインエクスプレス洛陽シティセンターで荷物を下ろし、身軽になってから今回の旅行の目玉の一つである龍門石窟へと向かう。

龍門石窟は敦煌の莫高窟・大同の雲岡石窟と並ぶ言わずと知れた中国三大石窟の一つ。
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三大石窟の中で着工は一番遅く、北魏の孝文帝が大同から洛陽に遷都した494年に掘削が始められ、以来400年以上をかけ、一応の完成に至ったとされている。


2016年末~2017年年始にかけての旅行で敦煌の莫高窟に行ったきり、ずっと龍門石窟も訪問したいと思い焦がれてた場所なんですわ。



今日の洛陽市街地から南に13キロ程離れた石龍石窟へはホテルからタクシーで20分(運賃=20元)。順調に走っていたのだが、だだっ広い駐車場で強制的にタクシーを降ろされた。GPSの地図を見たら石窟へはまだまだ距離があるのだが、ここでチケットを買ってから歩くか自分でシャトルバスに乗っていきなさいと。どうやらタクシーや一般車両はこれ以上先に入れないようだ。


チケットは伊水河の畔に遺る「西山石窟」「東山石窟」「香山寺」「白園(白居易墓園)」という4箇所の見所に入れる共通券となっていて、金額は100元。ここから一番近い白園まで1.6キロもあるが、ここからは自力で川沿いに石窟方面まで歩いて行くかシャトルバスで向かうことになるようだ。

黄河の支流・伊水河両岸の龍門山(西山)と香山(東山)に築かれた石窟に向け、川面を流れるように吹く涼風を受けながら、遣唐使の活躍や古代に想いを馳らせのんびりと歩く。
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紀元前770年に周の都が置かれて以来、北魏・隋・唐など九つもの歴代王朝が王都として定めた中原の都・洛陽。地図で見ると広い盆地にあるが、実際は山中や川沿いの狭い道からしか侵入できない地形になっているようで、この防御性の高さから歴代王朝の王都として栄えたのだろう。特にこの石窟は伊水河と石灰石の山塊で作られた天然の城門のようで、火力・飛び道具なしでここを攻め落とすのは難しそう。


香山の琵琶峰に第一の見所・白園の入り口を発見。世界史の教科書にも出てきた唐代の名詩人・白居易の御墓が山腹に残されているんだと。


白居易とかあまり馴染みのある歴史人物でもないけれど、せっかく入場券があるので入ってみると、中は厳しいハイキングコースになっていた。木々が天然の日傘になってくれているとはいえ38℃で山登りはきつい!

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御墓と名歌が刻まれた墓石の数々を発見。白居易は現代の行政区分け的にはお隣の鄭州出身だが、晩年はここ龍門の香山寺で隠居していたそうだ。特に白居易に思い入れがある訳でもないし、あくまで目指すは石窟なので墓参りだけして先を急ぐ。


川の向こう岸に石窟を発見!遠すぎて心が折れそうになる…

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渡り船があったら疲れず楽に移動できるのにもっと風情を感じられるのに…と思いつつ伊水河に架かる大きな龍門橋を渡って龍門石窟の西山を目指す。石窟自体は川の両岸に展開されているが、先ずはメインである西山を見学してから川の下流に架かる橋を渡って今度は東山を見ながら出発地点に戻ってくるというのが一般的な観光コースらしい。

白園から歩くこと20分、汗びちょびちょうになりながら辿り着いた世界遺産の龍門石窟。冬に訪問した莫高窟がマイナス20℃で、この日の龍門は38℃。中国の広さを感じさせてくれるわ。
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山の斜面の岩盤を蜂の巣のように穿って築かれた石窟の数は文献により数字に若干の差異があるものの、1,000以上あることは間違いないようで、仏像の数に至ってはなんと10万体超!小さいものは小指サイズから大きいものは高さ17メートルの仏像が入り口から1Kmに渡ってびっしりと掘られているんだと。三大石窟の中でも屈指の規模だ。

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一見してそのゴツゴツした岩質が分かるように、龍門山は雲岡石窟の粗い砂岩質と比較して硬くて緻密な橄欖岩で構成されている。その為、雲崗の様な巨大石窟の開削は技術的に困難で、その代わりに数センチ単位の精緻な仏像を中心としたスタイルに落ち付いたそうだ。別に大きけりゃ良いってわけではないと思うのですが、やっぱり大きくて強い物大好きな中国人は古の時代から物の大きさに価値を見出してたんですかね。でっかいの作れないから致し方なく小さい仏像スタイルに活路を見出したらしい。

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高温多湿な大陸大陸の川の畔にあり湿気が高く石窟が保存されるのには過酷な自然条件にあり、砂漠の中で乾燥しきった敦煌の莫高窟のように当時の壁画は残っていない。極彩色の絢爛壁画の莫高窟、彫刻美の龍門といったところか。


また、敦煌と比べて後の首都となる南京や北京からも距離的に近いからか、文革被害で多くの仏像が破壊されてしまったそうで、見るも無残に破壊された像が多いのも龍門石窟の特徴の一つ。

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潜渓寺の石窟に鎮座する菩薩像と、賓陽三洞の中洞にいる釈迦牟尼像。金ぴかに装飾されたエビスさんなんかより余程有難味が感じられる。

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龍門石窟の造像の中で、痩身こそが美とされた北魏の時代の造像は約1/3、逆に豊満なワガママボディが美しいとされた唐代の造像は約3/2を占める。一体一体がユニークで、時代ごとの審美眼により形成された異なる造形を味わうことができる。



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唐の時代に造られた万仏洞。高さ6メートル程の洞内に夥しい仏像が刻まれ、中央に豊満な顔立ちで静かな眼差しの阿弥陀仏が鎮座。一つ一つの洞で独特な世界観が表現されている。


洞頂に大きな蓮の花が彫られた蓮花洞は北魏第八代皇帝・孝明帝の治世に造られたもの。


この階段の先には龍門石窟の象徴的存在である奉先寺洞の盧舎那仏が待っている。唐の三代皇帝・高宗と中国史上唯一の女帝・則天武后が資力にモノ言わせて造り上げた唐代中国仏教芸術の超大作だ。

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大仏坐像を中心に左右に仏弟子・菩薩・天王・力士の巨像が迫力の表情で迫り、今にも石の中から飛び出してきそうな迫力だ。


美しい眉、しっかり通った鼻筋、穏やかな目、ひきしまった口元…高宋の勅願で造られた中央の廬舎那大仏像は清楚にして艶やか。豊満で叡智と慈しみに満ちた表情で、唐代の芸術らしくなんとも曲線的で女性的な造形となっている。

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盧舎那大仏の左右に立つ力強い金剛力士像や気高く優雅な菩薩にも十分な躍動感があり、盧舎那大仏と呼応して完璧な石窟群を形成している。これぞ唐代仏像芸術の集大成。奉先寺の大仏群像の大半が文革の難を逃れたのも、この大きさ・美しさの気迫が破壊する者の胸に迫ったからかもしれない。

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続いて、川を渡って則天武后の時代から玄宗にかけての時期に開削された東山の石窟へ。


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東山の石窟は更にアップダウンが激しく、小規模な石窟が山の斜面に窮屈に彫られている程度。 洞は浅く、風化してしまっているものが殆どで、見所は殆ど無い。


高平郡王洞。

看経寺は唐の武則天から玄宗の時代に開削された皇家の石窟で、東山石窟最大の見所。長年秘窟とされ謎に包まれたままだったが、2016年になって一般公開された。

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唐代の羅漢雕像とか初めてみたわ。こんな活き活きした唐代の高層が29体も刻まれている。


ハイキング気分を味わうには良い東山。38℃の猛暑日にへとへとになりながら見て回る価値があったかと言えばそうでもなかったかな…。

ほんとはココにもう少し時間を割きたかったんだけど、今回は2時間でギブアップ。敷地内には殆ど日影が無いので、真夏に行かれる方は日焼け止めの塗布とお飲み物の持参を忘れずに。思い焦がれてた場所なのに、訪問から半年経った今になり思い返してみると、石窟を見た感動よりも暑さでしんどかった思いが込み上げてくるという。たまたま異常気象的に気温が上がった時期だったということもあるのだが、本当にきつかった。

【龍門石窟】

入場料:100元
ウェブサイト:http://www.lmsk.cn/


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