アジア文明博物館エンプレス・プレイス

今回のシンガポールまったり旅行で唯一足を運んだ観光地がベイエリアにあるアジア文明博物館。その名の通りアジアに的を絞った博物館だけど、アジアと一口にいってもシンガポールのある東南アジアをはじめ、南アジア・西アジア・東アジアなどなど、それぞれ深い歴史と文化を持つ広範な地域が含まれる。本当に博物館の看板に偽りなしであれば、シンガポールを含む東南アジアだけでなく、インドやスリランカなどのディープな南インドから西アジア、そして中国等の東アジアまでを対象とした守備範囲の広ーい博物館ということになるが…。しかも、西アジアなんてワールドカップ予選のアジア枠基準で考えたらサウジやバーレン、イラン・イラクあたりの中東まで含まれてしまうからな。とにかくアジアといっても括りがデカい。

という訳で、アジア文明博物館がどんなものなのか、無性に気になったので見てみることにした次第である。

場所はシンガポール川沿いのエンプレスプレイスエリア。フラートンホテルからカベナ橋(Cavenagh Bridge)という吊橋を渡って直ぐの所にある。

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近くには金融街の摩天楼を感慨深げに眺めるラッフルズ卿記念像も。ラッフルズ上陸の地にある白いラッフルズ卿記念像ではなく黒い方。

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ヴィクトリアシアターやアートハウス美術館など、周囲の建物は全てコロニアル調。なんだかノスタルジックな空気に包まれていて、まるでシンガポールがテイクオフする前の海峡植民地時代の街並みが目の前に立ち現われたかのようである。

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そんなお洒落なリバーサイドに建つこちらの建物がアジア文明博物館。この建物は「エンプレス・プレイス・ビル」という名称で、元々は植民地政府の役所として建てられた。それが改築を繰り返し20世紀初めに移民局として活用され、21世紀になり2003年からアジア文明博物館として一般開放されるようになったそうだ。

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入り口を入ると目の前が受付。ここではアジアの文化・宗教などの歴史が7のギャラリーにギュッと詰まっていて、5,000年に渡るアジア各地の芸術品や文化財が集結、その展示物の数は1500点以上なんだとか。ロッカーもあるので大きめの荷物を持ってきても心配なし。

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残念ながらこの日は東南アジアのギャラリーが改装中につきクローズとなっていたが、そんなのお構い無しに入館する。ケチな利用者としては、できれば改装中の分だけ入館料を値引いてほしかったところではあるけれどな。


広々とした館内。インド要素満点の仏教美術があると思えば、一方でギリシャの神やアラビア文字があるイスラミックな展示品があったりと、アジアと一言で言っても背景は様々。アジアだけでも多様な文化・宗教があるんだなぁと改めて実感できるくらいの展示規模にはなっている。

先ずはジャワ海で1998年に引き揚げられた9世紀唐時代の沈没船で発見された陶器等の展示から。船内から発見された木材や有機物の放射性炭素測定や日付が彫られた陶器や硬貨の年代により、沈没の時期は830年代から840年代であろうと推定されているのだとか。難破船の宝飾展なんて聞くだけでロマンがあって胸躍るわい。1,000年以上もの時を超え海から引き揚げられた品々ですからね!しかも、貨物は深い厚手の貯蔵甕かめにコイル状に重ね入れられ、隙間には緩衝材が詰め込まれていたので殆どが無傷のままに海底から引き揚げられたようだし。
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船はアラビア半島から中国へ航海した帰路、中国から貨物を満載のままジャワ海で沈没し、その後約1160年に渡って海底で眠っていたと考えられている。引き揚げられた船の中からは60,000点を超える色彩豊かな唐朝の陶器やアラブ人が好む模様が施された金銀財宝が発掘され、東アジアの巨頭・唐と西のアッバース朝ペルシャとが陸のシルクロード以外に海路でも盛んに貿易していたことが裏付けられた。ここでの展示品も陶磁器がメインになっていることから、陶磁器等の容積重量のある貨物は船乗りシンドバッド達が操る帆船により船便送りとなっていたのだろう。

二階に上がるとシリアやイランでの発見されたイスラムな展示物が並ぶ。そうだよな、サッカー協会は正しいんだ。シリアやイランだって地理的枠組みで言うとアジア枠なんですよ。
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パキスタン・インド・バングラデシュあたりで見つかった展示物も多い。まぁ8世紀とかには中国とイスラム世界が直接衝突してたくらいだから、南アジアにも古くからイスラムの影響があったんだろう。「なぁ(7)、タラス湖畔まで来い(51)ったら、紙持って。」という高校生時代の古い暗記術が呼び起されますわ。751年に勃発した唐とイケイケなイスラム国アッバース朝が対決したタラス河畔の戦いでは、唐軍に属していた非漢民族系が反旗を翻したことにより唐軍が大敗を喫し、中東に連行された中国人によりイスラム世界に製紙法が伝えられた。高校時代の暗記術、覚えてるもんだな、しかし(こんな知識、社会人になってから役立った例は無いが

続いては古代宗教ギャラリー。

このギャラリーでは各地の宗教が周辺地域へ影響を与えながら伝播していった様子が展示品を通して紹介されているのだが、アジアが誇るメジャーな仏教である仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教あたりは全てインド発なので、必然的にインドギャラリーと呼んで良いくらいインド色の濃い内容になっている。

こちらは4世紀ガンダーラ(現在のパキスタン・アフガニスタン)の菩薩で、口髭あご髭なんかまで蓄えちゃってるし。顔立ちやカーリーな髪に西洋の影響が見て取れるのは、ガンダーラがギリシャやローマの影響を受けていたから。ガンダーラの地はシルクロードの要衝として栄えたもんで、インド系・ペルシャ系・ギリシャ系・中央アジア系といった多くの民族が入り込み、様々な文化の交流が起こっていた。

古代ギリシャの石像の顔や身体+インド要素というのがガンダーラ美術ということなんだろう。

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もはやアジアの宗教じゃなくギリシャ神話の神だけど、3世紀のガンダーラで見つかったアトラースの像も展示されている。


時代は変わり、こちらは3-4世紀グプタ朝の菩薩。グプタ朝時代にはギリシア文化の影響が色濃かったガンダーラ美術にとって代わり、純インド的なグプタ様式の仏教美術がメインストリームになっていった。世界史でも習うアジャンター石窟寺院の壁画もグプタ式なんだとか。

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5-6世紀グプタ朝時代のリンガ等々。グプタ朝時代には仏教やジャイナ教に圧倒されていたバラモン教が復興し、その後のヒンドゥー教発展へと向けた素地が作られていった。

ということで、以降はヒンドゥー教に纏わる展示物が多くなる。
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12世紀、ヒンドゥー王朝・チョーラ朝時代のインドのハヌマンと18世紀のガネーシャ。

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12世紀南インドのものとされるシヴァファミリーと、14-15世紀にチベット・ネパール近辺で作られたとされる金剛力士と菩薩像。

他にも盛り沢山。

アヴァローキテーシュヴァラ、つまりは観音菩薩。10世紀前後、大理国時代の中国・雲南省で作られたもの。

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9世紀チャンパ王国のLokeshvaraと6世紀東魏時代の石碑。仏陀が講義をする中国の文人かのように描かれているのが興味深い。

中国での仏像展示も増えてきた流れで、締めは中国の文人に関するギャラリー。儒学的知識を中心に漢学・史学・芸術など幅広い知識を有し、人文的教養をベースに詩文・書画など風雅の道を究めた知識階級である文人は、太古から一般市民の尊敬を集める理想的人間像みたいな存在だったらしい。
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文人の存在には古く周の時代の書物にも記載があり、西洋向けの輸出品にも文人の姿が盛んに描かれてきた。

中国に於いては文人の書斎から詩書画を中心とした文化が発展したことからも、文人の歴史的重要性が窺える。
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世俗に疲れた文人は筆墨硯紙の四つから成る文房四宝コレクションを持って辺境の地へと身を移し、大自然の中の書斎で音楽や絵画、詩などの文芸活動に励んだそうだ。今でいうご隠居だな。反俗性・孤高性が高く、隠逸志向の強い方々だったらしい。

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ワインを飲み、オピウムを吸いながら文芸を楽しんでいたのだろう。

うん、中々楽しめた。
極小文字が刻まれたカラフルなコーラン、1,100年以上も海底に眠っていた難破船の金銀財宝、ギリシャとインドが融合したガンダーラの西洋風仏陀、メコンデルタの大乗仏教像などなど、西は中東から東は中国までシンガポールが大きな影響を受けてきたアジア地域の美術品が一同に集まっているし、ガンダーラ時代から20世紀のものまで年代的な多様性も豊か。東南アジアギャラリーがクローズだったのが痛恨の極みだけど、それでも中継貿易地シンガポールならではのアジア全域に亘る展示を存分に楽しめた。ただ、テキストによる説明が多いわけでもないので、展示物を見るだけで楽しめるような感性の人にしか楽しめないとは思うので、下記に案内する日本語ツアーに参加するのも手かもしれません。

【アジア文明博物館】

住所:1 Empress Place, Singapore
TEL:63327798
営業時間:10~19時(金曜は~21時)
日本語ガイドの時間:<火-金> 10:30~ <毎月第二土曜日>13:30~
公式サイト:コチラ
入館料:SG$8



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