リトルインディアに広がる濃厚で芳醇なインド世界を楽しんでいる最中、MRTリトルインディア駅近くにインディアンヘリテージセンターなる手頃そうな民俗博物館を発見したので入ってみることに。中華街にあるチャイナタウンヘリテージセンター、アラブ・マレー人街にあるマレーヘリテージセンターに対抗して出来たインド人版ということだろうな。インド人だってシンガポールでは華人・マレー人に次ぐ第三に大きな民族集団ですから、インド人のヘリテージセンターだってあっても不自然ではない。
印度人街の中でこの建物だけ妙に近代的で違和感あるなぁと思ったら、2015年5月にオープンしたばかりだと。立派は立派な建物だけど、インドのヘリテージセンターなのにインド要素が薄すぎて興ざめだ。…と思いきや、中のスタッフに聞いたら一応はインドの階段井戸をイメージして建てられたんですよ、とのこと。どうせならタージマハールだろー。知らんよー、階段井戸なんて。
館内には440の展示物が並べられているらしいが、440とか数字だけ聞くとちょっとショボい。立派な建物なのに、中身はインドマニアな男爵のパーソナルコレクションレベルとか勘弁してくれよ。
中に入ると、暇そうに宙を見つめる警備員と受付担当2名のみ。ご丁寧にインド関連の書籍や雑貨を売るギフトショップも用意されてるけど、肝心の店員は居ないとか。出た~。こりゃあヤル気無い系か~。
妙なところに凝っててお手洗いの標識が面白い。8人の男の内7人が髭にターバンのインド人セットを装備してるのに、髭もターバンも無い右側上から二番目の彼はインド人なんだろうか。
受付にて入館料(S$4.0≒JPY320)を支払い、これまたインパクトのあるエレベーターで4階へと上がる。ドアが開くとオッサンの顔が真っ二つに割れるとか趣味悪過ぎだろw。神様の御顔で遊んだるなよ。
入館時に手渡されたパンフレットを見ると、こちらのヘリテージセンターはシンガポールへ移住したインド人の歴史と文化に関する説明を軸に、5つのサブテーマが設けられているそうだ。
THEME 1: EARLY CONTACT: INTERACTIONS BETWEEN SOUTH AND SOUTHEAST ASIA
THEME 2: ROOTS AND ROUTES: ORIGINS AND MIGRATNT
THEME 3: PIONEERS: EARLY INDIANS IN SINGAPORE AND MALAYA
THEME 4: SOCIAL AND POLITICAL AWAKENING OF INDIANS IN SINGAPORE AND MALAYA
THEME 5: MAKING OF THE NATION CONTRIBUTIONS OF INDIANS IN SINGAPORE
インドらしからぬといったら失礼かもしれんが、中は空調が効いていて快適で、もの凄く綺麗。逆に一般的なインドの方が来たら清潔すぎて居心地が悪いんじゃないかってほどの衛生レベル。流石はシンガポールだ。
音声ガイダンスやタッチパネルの紹介ボードはもちろん、3Dゲームやバーチャルガイドもあったりと、ハイテクなデジタルサイネージを駆使した展示も流石はシンガポール。
参観ルートに入り、先ずは10分程の短編ムービーでインド移民に関する予備知識を植え付けられる。
映像を立体的に見せたりとエンターテイメントショーかのようにアレンジされていて、観客を飽きさせぬ工夫が随所に散りばめられている。観客と言っても小生一人だけでしたがw。
では、展示内容を見ていこう。最初のギャラリーは南アジアと東南アジアの“コンタクト”に関してで、両地域の宗教的・商業的結びつきにスポットライトが当てられている。
15世紀前後のものとみられる奉納用の仏具や仏陀の頭なんかが展示されている。東南アジアと南アジアとの接点の始まりは、現存している美術品や碑文などの研究結果から1世紀前後にまで遡ることができると考えられている。当時は仏教やヒンドゥー教の石像や、古代インドのラーマーヤナやマハーバーラタという叙事詩にまるわる芸術作品などが数多く流通していたそうだ。
インドやマレーシアで発見された碑文に、1世紀から南インドとスリウィジャヤ王国のコンタクトがあったことが書き残されている。その後、チョーラ朝(9-14世紀)の間に両地域の関係性が急速に深化、主に貿易商・僧侶・使節団を通じて両地域間の交流が深まっていったそうだ。
こちらは12-13世紀のタンジャーヴールで作られたシヴァとパーヴァティー夫妻の像(左)に11世紀の聖仙アガスティヤと12-13世紀のガネーシャ(右)。アガスティア程のマイナーキャラの像は初めて見たわ。微妙にアゴ髭ややるせなさそうな表情が再現されてて感動したw。
東南アジアと南アジアの広範囲に及ぶ交易は何世紀にも渡って続いたが、アジア各地で列強による植民地争奪戦が激化した19世紀初頭に変化が訪れた。特に地理的条件に優れるシンガポールには劇的な変化が齎され、瞬く間に中継貿易港として発展していった。世界中の富が集まる港となったシンガポールには各国から商人や移民が押しかけ、インド南部のマドラスや東部のコルカタなどからも多くの移民がシンガポールに流入することになった。
ということで、テーマ二の舞台は19世紀。インドからの移民の歴史や、移民先駆者たちの生活や文化について。
19世紀から20世紀にかけ、インド・バングラデシュ・パキスタン・スリランカ・ネパールから船で渡ってきた初期移民の方々。ブリーフとターバンというシュールな井出達で渡来して来た彼等により南アジアの言語・宗教・食文化などがシンガポールに齎され、今日のシンガポールで見る文化的多様性の基礎が築かれていった。
当時の身分証明証やチェンナイから海峡植民地行きボートの運賃の領収証。
船で運ばれてきた移民の所有物。ゴールドやルビーを多用したゴージャスな装飾品なんかもあり、経済的余裕のある層も移り住んできたことが伺いしれる。英語教育を受け、親会社の大英帝国から派遣を命ぜられたエリート系インド人の物品かな。
艶やかな女性陣の衣装。ごめん、初期に移民してきたのって、農業従事者とか囚人とかの野郎どもばっかりだと思ってた。
遠い異国の地にいても決して信仰心は忘れない。こんな不気味なんが家に飾られてたら嫌だろと思うけど、彼らにとっては命よりも大事なくらいのものだんだろう。
巨大で不気味な迫真顔の頭像が平然と転がってたりするところにも、奥が深いインド文化の多様性が垣間見える。エレベーターのドアにも書かれてたオッサンで、こいつも神様。マハーバーラタに出てくるマイナーキャラらしいけど、ここの博物館ではやたらとゴリ押しされている。インディアンヘリテージセンターの推しメンだ。
第三のテーマの舞台は19-20世紀中葉。ペナン・マラッカ・シンガポールの英国海峡植民地成立後、インド、とりわけマドラスとカルカッタからの移民が急増した。ここでは19世紀から20世紀中盤までにシンガポールやマラヤに移民したインド人移民の生活が紹介されている。
19世紀後半からのプランテーション拡大に伴い大量のインド人農家が東南アジアに流入。英語教育を受けたインド人移民は警察・軍隊・医師・教育者など社会の中枢を支えることが多かったし、中には香辛料・日用品・生地の商人として名を馳せる者もいた。ただ、圧倒的大多数は低カーストに属し、建設労働者として連行されてきた南インドの囚人らしい。母国での地位も家族もない彼らは囚人労働が禁止されてからも帰国せず、建設・港湾労働に従事してきたそうだ。最近ではIT系のエリートインド人の移民も増えているとはいえ、今でもシンガポールでも建設工事で働く単純労働者の多くはインド系だわ。
20世紀に入るとシンガポールで成功を収めたインド人の政治的影響力も大きくなり、タミル語による新聞やラジオ放送なども登場した。ということで、第四のテーマも舞台は20世紀半ば。反植民地主義の機運が高まる中で出てきたナショナリストや改革者たちが取り上げられている。
アジア人初のノーベル賞(文学賞)受賞者であるラビンドラナート・タゴールとガンジー。まぁガンジーは鉄板も鉄板、インド近代史を語る上で外せませんな。
最後は1950年代から80年代。シンガポールの近代化に貢献したインド人が取り上げられている。
Jayamani選手が1977年の東南アジア競技大会女子800mで銅メダルを獲得した際の靴と、同選手が1980年にシンガポールのベストスポーツウーマン賞を獲得した際のトロフィ。
すっごい興味深いけど絶対に行きたくない国・インド。印度素人に対する印度文化へのインビテーションとして楽しめる非常に分かり易い展示内容となっているし、インドビギナーズコース程度の感覚でインドに行かずにインドを楽しめる点では面白い博物館かと。小さいですけどね、規模は。
【インディアンヘリテージセンター(Indian Heritage Center)】
住所:5 Campbell Lane
電話番号:6291 1601
料金:大人 S$4.00 、学生・シニア(60歳以上)S$2.00 、6歳以下 無料
Booking.com
コメント