スコータイ王都の中心的存在 ワット・マハタート

続いての目的地はワット・マハタート。城壁内のほぼ中央、王宮跡の真隣にあることからスコータイ王室の菩提寺であったと考えられている遺跡で、209基の仏塔や10の礼拝堂跡などからスコータイ王朝の栄華の名残を偲ぶことができる。

スコータイ遺跡公園の入り口で入場料100バーツとバイク持ち込み料(?)の20バーツを払い中へ進むと、直ぐに大規模な遺跡群が視界の先に現れる。コイツがワット・マハタートだ。

スコータイ王朝を吸収合併したアユタヤ王朝期にも増改築が繰り返されたとのことで、大小様々な構造物が背の高い榕樹と共に凄い集積度で林立してる。


干からびた御濠を歩いて渡る。やっぱりガジュマルの樹と煉瓦という冒険心をくすぐるコンビネーションに絶頂寸前。


タイ人初の独立国家の栄華は長くは続かなかったものの、クメール王朝との隷属的支配関係から脱して独立を勝ち取ったスコータイはタイ人にとっての聖地。自分はタイ人でもなんでもないけれど、それでもタイの基礎を築いたタイ人初の王朝が開かれた場所に立っていると思うと感慨深いものがある。


煉瓦の廃墟の四隅に鎮座する仏像はいずれも口角を上げ微笑まれているご様子。スコータイ時代の仏像は温和な表情と胴体の曲線美が印象的だ。


台座下には象やら獅子やら色々と配置され、スコータイ朝設計担当者の御茶目なセンスを覗わせる。


もう少し奥の方に歩を進めると、蓮の蕾型をした仏塔を中心に8つの仏塔が並ぶ不思議な一角に出た。

ひだり みぎ
中心の一際高い仏塔はクメール風、周りを取り囲む8つの仏塔はスリランカやランナー風の赤煉瓦仕立て。一見するとハチャメチャに乱立しているようだが、全体として左右対称で中央に行くほど高くなるように設計されていて、見事に均整がとれていることが判る。やりおるで、スコータイ王朝。


基部の台座には無数の遊行仏像が並ぶ。釈迦の弟子達らしいが、尿意を我慢してるかのような姿勢が何とも特徴的。


復元図によると往時はこのような設計だったらしい。

ひだり みぎ
更に奥に進むと、宮殿だか礼拝堂だかの跡であろう無数の柱が見えてくる。この界隈には黄衣を着けた僧侶や煌びやかな衣装を身に纏った女官たちが行き交ってたのかな。

ひだり みぎ
無残にも朽ち果て瓦礫と化した建物や風雨に晒され続けている仏像が印象的。柱も仏像も焼きレンガを漆喰で塗り固めた上で白の化粧漆喰が施されているが、白い漆喰は黒ずみ、剥き出しになった煉瓦が悠久の時の流れを感じさせる。

ひだり みぎ
周囲を壁に守られた狭苦しい場所に佇立した仏像。やはりこの仏像も腰のあたりの曲線がスコータイ時代の仏像らしく女性的で美しい。


独特の仏塔群や古びた煉瓦の列柱、女性的な立像などが醸し出す空間美はまさに圧巻だし、209基の仏塔、10の礼拝堂、8のモンドップに本堂から成るワットマハタートの壮大な規模感は圧倒的。いずれも廃墟となって久しいが、空高く伸びる仏塔や柔和な表情の仏像群が居並ぶ空間には熱烈に仏教を信仰した人々の思いが込められているからか、長く続いたクメール帝国の支配から脱し、新たに自分たちの国を築いた当時のスコータイの人々の気概が感じられる遺跡である。



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【2016年スコータイ・ピサヌローク旅行記】















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