シンガポールならではの民俗博物館 プラナカン博物館

シンガポール国立博物館のお次は歩いてプラナカン博物館へ移動し、多民族国家シンガポールの象徴のようなプラナカンの文化や歴史を学ぶ。東南アジア各国って強固な民族意識を形成して異民族を完全排斥するくらいの勢いのナショナリズムによる独立を達成したという語り方が定説のようになっているけれど、独立に至る過程をよくよく調べてみると、東南アジアのどの地域でも表舞台には出てこないけれど、民族的・文化的な混血者が結構重要な役割を果たしてるんだよな。プラナカン博物館がどのような切り口でプラナカンの世界を見せてくれるのか分からんが、非常に楽しみだ。


左右対称でパステルカラーが印象的な建物は、1912年に建てられた中国福建省系の小学校「道南学堂」の校舎が修復・改装されたもの。海峡植民地に設立された初めての華僑系の学校で授業も福建語で行われるなどコッテコテの中国系学舎だったそうだが、一見すると完全に洋館だわ。


エントランスを入ると吹き抜けのロビーが目の前に広がる。内部もまるでヨーロッパの瀟洒な美術館のような雰囲気で、大統領官邸から移設してきたビクトリア女王像なんかもお目見えしちゃってる。なんでも 女王の在位50周年を祝ってシンガポールの華人社会が女王への忠誠心を込めて当時の植民地長官に寄贈したものだそうだ。


お洒落な館内は3階建てで、9つのギャラリーに分かれている。

<ギャラリー1> プラナカンのルーツ
<ギャラリー2-5> 結婚式
<ギャラリー6> 服飾
<ギャラリー7> 宗教
<ギャラリー8> 生活
<ギャラリー9> 食べ物や饗宴

先ずは1階エントランス左手にあるギャラリー1へ。ここではプラナカンの今昔物語的な写真と共にプラナカン誕生の歴史的背景が紹介されている。彼らの写真を眺めていると、中華系・マレー系・インド系といった多民族国家であるシンガポールに、プラナカンが更なる多面性を添える存在であることが実感できる。実に印象的な空間だ。
ひだり みぎ
プラナカンというと中華系プラナカンを指す場合が多いが、そもそもプラナカンという言葉はマレー語・インドネシア語で「~の子」を意味するanakという言葉から派生した言葉で、広義の意味でのプラナカンは、東南アジアに渡来した他国人がシンガポールを含むマレー半島で定住し、現地人との間にもうけた混血の子供たちの子孫のことを指す。彼らの祖先は14世紀頃からマラッカ・ジャワ・スマトラ沿岸地域に移住してきた貿易商人。現地の女性と結婚した貿易商やその子孫は、自らの国の伝統を忠実に守りながらも現地文化やヨーロッパの影響を取り入れ、独特の混成文化を築き上げていった。その後、貿易拠点として発展したシンガポールに多くの労働移民たちが訪れるようになった時、古くから定住して富と社会的地位を築いてきた彼らは新たな移民たちとは一線を画し、「その土地生まれの子」であるという意味を込めて自らプラナカンと名乗るようになったそうだ。マレーシアなりインドネシアなりシンガポールなりさ、民族性を純化する力が強く働いた独立の過程では苦労はしたと思うけどね。プラナカンとしての生活様式を維持し、プラナカンとしてのアイデンティティを積極的に持っていこうとする人が今の世でどれくらいいるのだろう。

商人の子孫たちであるプラナカンは大変に手先が器用で、実に様々な工芸品を作り出していった。その中でも特に有名なのがビーズ細工と陶器だろう。
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精緻な刺繍でふちどられた華麗なケバヤやサロン(筒型のスカート)、細やかな刺繍が施されたサンダルはどれも手の込んだ超大作。ニョニャと呼ばれるプラナカンの女性達は元々中国の鮮やかな刺繍やインドの金糸や銀糸を使った立体的な刺繍の技術に優れていたが、それにイギリス人が持ち込んだクロスステッチの技術とヨーロッパからの極小ガラスビーズが融合して独特のプラナカン芸術が編み出されていった。

初期のプラナカンの社会では女の子は母親のもとで家事を学び、刺繍や料理などの手仕事を徹底的に教え込まれ花嫁修業を積んでいったそうだ。その修行の中の一つが、ビーズ刺繍。ニョニャが花嫁になる為には伝統技術であるビーズ刺繍を身に着け、嫁入りが決まると花婿のためにスリッパやタバコ用のニッパ椰子の葉を入れるケースなどをビーズ刺繍で作るのだそう。なんでも、ビーズ細工のデザインや配色からセンスの良さを、規則正しく揃ったビーズからは忍耐強く正確性のある女性であることを証明するものとして婚姻先の家族から見られるのだとか。

こちらは20世紀前半にペナンで100万粒以上の細かなビーズを用いて作られた巨大テーブルクロス。オンリーワンの品を好んだと言うプラナカンの人たち、手の込んだ刺繍が施された品々はどれも重みのあるものばかり。プラナカン全盛時代のニョニャ達は簡単に外出することが出来ず、人生の殆どの時間を家の中での花嫁修業に過ごすという窮屈な生活をしていたという。そんな箱入り娘達にとって身の回り品を美しくすることが生き甲斐になり、そのまま家具や雑貨などが華やかに進化を遂げていったのだろう。青春時代の生活スタイルとしては現代の感覚からは少し想像が難しいが、その分家族の絆がとても強く、結婚しても家と家の繋がりとして強く結びついていて現代には無い幸せもあったそう。

陶器も特徴的。
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緑・ピンク・黄色などのカラフルな上絵付けが施された磁器は、華やかな色彩の地に幸福や長寿の願いを込めて、鳳凰・牡丹・吉祥模様などが描かれている。誕生日・旧正月・結婚式のような慶事の際に用いられるそうだ。

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こちらは結婚式で花嫁が身につける金のアクセサリー。ズラリと並ぶ目を見張るほどの豪華な展示品からも、プラナカンにとって結婚式がいかに重大なイベントであったかが伺える。

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金銀・べっ甲、螺鈿(らでん)細工など豪華な装飾が施されたティーセットにシレーセット。シレーというのはマレーを中心とした東南アジアでの嗜好品で、どうやら噛みタバコのようなものらしい。キンマの葉で石灰ペーストと檳榔子のスライスを包みガムのように噛むようだ。


ウェディングベッドも豪華絢爛中華風。中国では赤がお祝い事の色なので、天蓋もシーツも椅子も赤をベースにビーズ細工や金の装飾品で華やかに飾られている。派手すぎて落ち着いて寝れやしないと思うのだが…

続いてプラナカンの宗教ギャラリーへ。プラナカンの家には通常2つの祭壇がある。1つは家の守り神の祭壇で、もう1つは祖先の祭壇。神々や先祖の霊が人の日常生活に深く関わっていると考えていたプラナカンの人々は、タブーを犯さぬよう信心深く生活し、願いを叶えてもらう為に供え物を欠かさなかったそうだ。
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中華系プラナカンの宗教観は中国の道教や仏教・祖先崇拝や民間信仰が融合した独自のものだが、ここでの展示は道教色が強かった。こんな道教寺院みたいな家に住んでるとか、信仰心厚すぎぃぃ。


1864年前後に作られたとされる祖先を祀る祭壇。銀食器で飾られた大きな祖先の祭壇に、その信仰の強さと経済的余裕が見て取れる。

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サンダルウッドを彫って作った道教の神々も芸術的。

プラナカン独特のカラフルな陶器ニョニャ・ウェア。ピンクやペパーミントグリーン、明るい黄緑やクリームイエローで彩色された陶器はまさにプラナカン芸術の象徴で、中国の陶器とも他のアジア各国の陶器なんかとは全く違った柔らかな雰囲気だ。これらの地の色までフルカラーの鮮やかな陶器が用いられる結婚式や正月などの特別な日を祝う饗宴のことをマレー語で「トクパンジャン」と言うのだそうで、その華やかなテーブルが展示品として再現されている。
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長いテーブルの上に並ぶピンクのお皿やお椀には幸福のシンボルである蝶の繊細な模様が描かれている他、鳳凰や牡丹が描かれたニョニャ・ウェアのコレクションもズラリと並ぶ。これで購買意欲を刺激して、博物館一階の土産物屋で似たような食器を売り込むんだから商売上手である。

因みに土産物屋にはニョニャ・ウエア以外にもカップやティースプーンといった食器類、筆記用具やレターセット、アクセサリーなど、プラナカンデザイン要素を取り入れた気軽なグッズが揃えられていて、シンガポール土産の調達先としても使えると思う。シンガポールならではの博物館だし国立博物館からも徒歩5分と近いので、国立博物館に行くならこちらもセットでの訪問をお勧めします。

プラナカン博物館

住所:39 Armenian St.,Singapore
電話:(65) 6332 7591
入場料:大人=S$6、60歳以上の旅行者=S$3
営業時間:月=13:00-19:00、火~日=09:00-19:00(金のみ21:00まで)



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