国民革命軍の黄埔軍官学校跡に行ってみた

今日は、前々から訪問したかった黄埔軍官学校まで遠出してみることに。

黄埔軍官学校は1924年に広州市黄埔で設立された国民党陸軍士官学校のこと。辛亥革命後の軍閥割拠状態になった中国において北伐による悲願の全国統一を果たすには、革命理論・政治意識を持った党独自の軍隊が必要不可欠と考えた孫文が開校し、初代校長の蒋介石や政治部主任の周恩来など、後に歴史に名を残す豪華教官陣により運営された。自らの政治理論で洗脳した独自軍隊を作って革命を起こしちゃうとか、凄い話だよまったく。遠い昔の話じゃなく前世紀のことですからね。

ここで養成された軍事戦略家や指揮官が台湾国軍と現共産党人民解放軍の基礎となった訳だし、歴史的には重要な場所のはずなんだけど、それでも観光地としては余り認知されていないのは、立地条件が一つの理由だろう。広州東郊の長洲島という、交通網が発達した現世でも非常にアクセスの悪い場所に建っているのだ。市内からだと地下鉄4号線で魚珠駅まで移動し、そこから市バス(またはバイタク)とフェリーを乗り継ぐ必要があるので何とも不便。

魚珠駅のD出口を出ると急に時代を遡った感じの街並みが眼前に広がった。時代の流れに取り残され廃れきった感じの街並みで、周囲一帯は張りつめたような荒んだ空気に支配されている。さながら清朝時代にタイムスリップしたような雰囲気で、辮髪のオッサンが街路脇で横たわってアヘン吸ってても違和感ないわ。

ひだり みぎ
地下鉄の駅前でタイミング良くやって来た348番の市バスに飛び乗り、2駅先の魚珠埠頭へ。そこからフェリーで中州にある黄埔軍官学校へ向かう。


バスを降りた先でもやっぱり前時代的な古ーいレンガ造りの家々が寄り添うように並んでる。ここから僅か数十分のところにある近未来都市・珠江新城の高層ビル群が嘘のような古い街並みだ。

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古風な街並みの中を突っ切って埠頭へと向かうのだが、周りに観光客が一切いないし村中が静まり返ってるのでちょっと不安になる。


村の広場かなと思ったが、黄埔区魚珠街党員服務駅と書かれてて、「婚育学校」「計画生育協会」など、いかにも共産主義圏の農村っぽいキーワードが並ぶ。下手にここらをうろついてたら党員に囚われ尋問されそうな怪しい雰囲気があったので、そっとこの場を立ち去ることに。

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珠江の方面に5分程進むと埠頭の桟橋が見えてきた。これでようやく軍官学校に辿り着くことが出来る…そう思ったのだが、この日は黄埔軍官学校行きのフェリーが欠航とかふざけた展開になってしまった。欠航なら欠航で結構だが、鼻くそを穿りながら言われると無性に腹が立つ。


フェリーの運航地図を見ると、中州の長洲埠頭まで渡ってから黄埔軍官学校まで歩けそうだったので、長洲埠頭まで乗船することに。

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手漕ぎボートとかポンポン船くらいの渡し船を想像してたのに、やって来たのはタコフェリーをちょこっとだけショボくしたような、案外立派なフェリー。


フェリーの到着と同時にどこからともなく湧いてくる現地の人民様集団。何故にこれだけ多くの一般人が中州に向かうのか不思議でならない。


奴隷輸送船かのように大量の人間を詰め込んで動き出したフェリー。この付近まで下ると川幅はかなり広くなり、コンテナバースもたくさん設置されていて大型船舶も多く停泊している。もしかしたらこの人民様は港湾関係者なんかな。どう見ても観光客という身形ではない。


フェリーで10分ほど揺られ、長洲埠頭に到着すると同時に吐き出されていく人民様たち。目的地である黄埔軍官学校は、ここから更に徒歩で30分の距離にあるという。学校への直行便が無いのはチョイ誤算。


風情あるなー。まるで映画のセットみたい。

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道中は特に見どころも無く、30分程歩いた末にそれらしき建物が見えてきた。

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んん?どうやらここは軍校跡ではないようだが、よく分からないまま博物館に通される。日本人は殆ど来ないのか、私が日本人だと伝えると皆さん宇宙人を見るような眼になるのが面白い。「東京ってどこだ?」「何で来たんだ?」とか皆さん興味津々。こんなところが広州にあるとか驚いたわ。

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人民解放軍の軍旗。1927年8月1日の建軍記念日に因んで「八一」と書かれてるんだけど、「は~」ってため息ついてるみたいで草生える。脱力系でやる気が感じられんw。

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博物館は適当に流して目的地である黄埔軍官学校跡へ更に進んでいく。通りには多くのミリタリーショップが並んでる。

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若い売り子が大声をあげながら手を叩いて一生懸命に客引きしてるけど、売ってる物はしょーもない。


敷地が大きくて結構歩いたが、やっと黄埔軍官学校跡に辿り着いた。入場料は無料とのことで、パスポートを見せて入場整理券を貰う。


有名な看板「校學官軍軍陸」ではなく「陸軍軍官學校」。1927年までに5,000名近い卒業生を輩出して北伐完成に貢献したが、歴史的使命を果たした黄埔軍官学校は1928年に軍閥の攻撃を受け南京に移り、日本軍の南京占領後は成都に移転。第二次世界大戦後の国共内戦で共産党に敗れた後は台湾へと敗走した。1950年には台湾の高雄で陸軍軍官学校として再建され、国民党軍の後身である台湾国軍の幹部養成機関として運営されている。


校門や校舎、孫中山の紀念碑や彼が暮らした部屋、倶楽部、プールなどが再現されている。

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清末の小学堂を再現した校舎。オリジナルは1938年に日本軍の爆撃に遭い全面焼失した。校舎は延べ床面積が10600㎡、ここに3,000名の学生を収容するとなると相当に窮屈な学校生活だったことは想像に難くない。

校舎内では孫文総理の執務室・蒋介石の校長室・自習室・図書室・会議室・宿舎などが再現されている他、簡単な展示品も並べられている。
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制服に教科書。軍事理論や世界戦争史などの専門課程の他、孫文の三民主義を徹底的にたたき込まれ、指導者への忠誠を毎日のように誓わされたそうだ。

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卒業証書。

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教授部部室(左)に図書室(右)。教授部副主任は後の中国人民解放軍元帥となる葉剣英。開校当時は第一次国共合作時代でしたからね。校長が超反共の人物だったが、当時の生徒には林彪など後の中国共産党軍の幹部として成長したものも多数いる。校長・蒋介石による上海クーデーターで国共が分裂した後は共産党系の教職員・学生たちは学校から引き揚げ、その後の国共内戦では青春時代に黄埔で机を並べた同級生同士が戦ったという。この学校が国共合作から国民党・共産党が袂を分かつまでの激動の時代の一大舞台だったといっても過言ではないだろう。


国民革命軍の思想工作で重要な役割を果たした政治部教室。

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自習室(左)に宿舎(右)。毎晩19:00-21:00が自習時間で、自習室には基本的に私物の本は持ち込みが出来ない規則になっていたが、社会主義・共産主義・マルクス主義に関する書物のみ持ち込みが認められていたそうだ。宿舎での生活は05:00起床、21:30消灯。


教官用の食事施設も非常に簡素。当時の黄埔軍官学校には格差も封建的な圧力もなく、飲食住全ての面に於いて誰も特別な待遇は受けない公平・平等さが徹底されていたことが偲ばれる。


全体的に質素な造りの校舎だけど、校長室だけはちょっとだけカラフルでファンシー。


校舎の傍に建つ黄色い西洋風の建物は「孫総理紀念室」。以前は港の税関として使われていたこの建物、黄埔軍官学校完成後に何度か孫文がここで宿泊していた為、今は孫文の記念館として開放されている。


中は驚いたことに孫文と梅屋庄吉の関係をテーマにした展示がメイン。愛国教育の基地であり、軍に関連する施設で中国人と日本人の友情に関する展示をするのは異例のことだと思う。

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1916年、清国に戻る孫文に対しアジア主義者の実業家である梅屋は軍事費用として57,000円を気前よく孫文に差し出した。この梅屋の無償の愛に対して孫文が梅屋に送ったのが「賢母」の二字をこしらえたシルクのガウンである。また、袁世凱に対抗して設立した中華革命軍に於いても、梅屋を東北軍の顧問として雇用した。実質はスポンサー役だろうけど。とにかく梅屋の孫文に対する金銭的支援は凄まじく、現在の貨幣価値にすると累計1兆円とも言われる途方もない資金援助をして辛亥革命をバックアップしたそうだ。

そんなところかな。展示内容は余り纏まってないし説明書きも不十分なので、中国近代史に興味がある人じゃなきゃ苦しいと思うし、わざわざ遠出して来る価値も無いと思う。

帰りは383番の市バスに乗って広州大学城まで行けば、そこからは地下鉄で移動できることを発見。これならちょっと遠回りになるけどフェリーに乗る必要も無いので移動難易度は低いので、中国に不慣れな方にはおススメの移動経路である。


一応、バス停の地図も張っておく。長洲埠頭に行く途中の金州北路まで出れば緑色のバスの看板が見えるので見逃すことはないかと思う。

【黄埔軍校旧址紀念館】
住所:中国広東省広州市黄埔区軍校路170号
電話:+86-20-8220-1082
市内からのアクセス:
①地下鉄4号線「魚珠駅」下車、D出口で市バスに乗り替え魚珠フェリー乗り場で下車し、フェリーで移動。
②広州大学城から383番の市バスに乗り、長州路で下車。



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【2015年広州旅行記】





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コメント

  1. 匿名

    2015年広州旅行記を拝見しました。私も同じ頃に広州に赴任していたので、懐かしく拝見しました。

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