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租界時代の洋風建築が並ぶ沙面島


シェラトン広州でチェックインして一息ついた後は、清朝を支配した列強諸国による疎開地跡が残る沙面島を見て回ることに。沙面(Sha-mian)という響きは美味しそうなパスタを連想させるような語感だが、実際には食べ物ではなく珠江に浮かぶ人工島の名前である。

広州は宋代・元代から南洋貿易の拠点として栄えてきた古都で、清代半ばからは対外貿易が許される清国唯一の貿易港として大いに発展した。当時は外国の公館の設置は広州にしか認められておらず、外国人の保護・隔離を目的として人工で造った沙面島に外国人居住区を設置した。その後、第一次アヘン戦争・第二次アヘン戦争(アロー戦争)を経て清朝はイギリスとフランスに租界地を設置することを余儀なくされ、租界となった沙面島には洋風の建築物が次々と建てられていった。


当時の清朝の状況を端的に表した風刺画。アヘン戦争から西欧列強の中国進出が加速し、日清戦争後の1898年には英仏露独日が租借地の獲得や鉄道敷設権・鉱山採掘権などの利権という形態で中国の国土を分割支配していった。清朝からしたらまさに勝手に俺のピザをシェアするなってばーーーーーみたいな状況だ。
時は流れ1943年に沙面はようやく中国に完全返還されることとなったが、租界時代の建物は補修・保存され、今でも租界時代に築きあげられた洋風建築物が島全体に並んでいるようだ。

シェラトンの最寄り駅である体育西路駅から地下鉄を乗り継ぎ、沙面の最寄り駅である黄沙駅へ。そこから学生らしい若い男女のグループに着いていくこと5分程、珠江の流れを利用して築かれた運河が見えてきた。異臭がキツいのはゲロ運河のせいかと思いきや、犯人は臭豆腐の屋台だった。何故に西欧風の街並みに臭豆腐なのか、理解に苦しむ。
ひだり みぎ
広州では西関や十三行路などのコロニアル建築群にも列強支配時代の名残を見ることができるが、ここ沙面は中洲全体が西洋建築の街になっているので規模が違う。ただ、小洒落たカラフルな低層建築が花百な環境の中に佇んでいるといった感じなので、上海の外灘のような見応えのある荘厳な歴史的建築群とはまた趣が異なる。


島の大きさは東西約900m、南北300mといったところ。中央を東西に横切るように沙面大街が走っていて、北に沙面北街、南に沙面大街が並行して伸びている。島の南部に設けられていた外国商船専用の埠頭は整備され、今では珠江に面した一角は沙面公園となっているようだ。

沙面租界の建築物は19世紀末から20世紀初めにかけて整備され、領事館・教会堂・郵便局・病院・電信局といった公共施設から、ホテルや住宅、クラブ・バー・プールなどのレジャー施設などが造られていったそうだ。
ひだり みぎ
今でも沙面島は町としての機能を果たしていて、中洋折衷の建物が医療施設や学校として利用されている。街角には洗濯物を干した住居も見られるけど、昼夜問わず観光客で溢れるテーマパークの中で生活するというのは居心地が良いものなのだろうか。見世物扱いっぽくて嫌だと思うんだけどなぁ。うかうかパジャマ姿で外もあるけないし…なんて思ったらステテコ姿で平気な顔して通りを闊歩するオバサン軍団をしょっちゅう見かけたので、当地に住まう人は余り観光客の目は気にしてないようだ。


税関や派出所だってこの通り、中国らしからぬ立派な洋館が利用されている。

ひだり みぎ
いわゆる中国らしいごちゃごちゃした雰囲気は一切なく、洋風の小洒落た中層建築物が整然と並んでいる。島であるために島内では異世界を感じさせる空気感とゆったりとした時間の流れを感じるが、建物がキレイに整備され過ぎて、古い町並みの情緒や歴史はどうも伝わってこない。

ひだり みぎ
観光客も多すぎて、アロー号事件から第二次世界大戦までの近代中国の激動の歴史の流に思いを馳せながら島内を歩くというよりも、テーマパークを歩いてる感覚に近いかな。

ひだり みぎ
旧日本領事館や旧ジャーディン・マセソン商会ビルなどは民間に払い下げられたのか、現役で利用されているのようで中に入ることは出来なかった。

ひだり みぎ
通りでは、10mおきに仲睦まじき新郎新婦が写真撮影に勤しんでいる始末。欧州列国による支配の象徴ともいうべき土地でヨーロッパの格好をして写真撮影…当人たちは楽しそうなんで良いですけれど。

ひだり みぎ
キリスト教の教会とカトリック教の礼拝堂も現役で利用されている。


猫糞珈琲もこの通り。「猫糞珈琲」漢字で表記された店名と店舗外観のミスマッチさと言ったら無いわ。コピ・ルアクのことなんだろうけど、漢字で「猫糞」と書くと日本人にはストレートに伝わってき過ぎて草生えるw


沙面島の南を流れる珠江。明の時代、珠江に面する岸の一部が陸から切り離され沙面島が造られた。珠江の対岸は普通の住宅街だし水も濁ってるので、リバービューの展望を楽しむというよりも、地元の人々の暮らしぶりを垣間見れる庶民的な場所のようである。

ひだり みぎ
老若男女が思いのままに太極拳・舞踊・剣舞・バトミントンを楽しんでいる。何とも庶民的で仄々した公園だ。


青空麻雀会場で盛り上がるご老人雀士たち。御年輩雀士専用なのか、牌がデカすぎてビビるが、更に驚かされるのは、洗牌から牌山を積んで配牌するまでのグッダグダな流れねw。1局なん時間かかるんだよというのんびりペース。こんな方々の為に、中国では電動麻雀卓がバカ売れしているらしい。

うーん、何だか何しに来たのか分からないまま沙面を後にすることに。観光スポットとしての人気は高いみたいだけど、是が非でも訪れるべきマストスポットではないと思うけどな。



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【2015年広州旅行記】





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