戦場に架ける橋とチョンカイの切り通し

映画「戦場にかける橋」

映画ファンならずとも一度はその名前を聞いたことがあるという不朽の名作クラシック映画である。
[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=83bmsluWHZc[/youtube]
名前は聞いたことがなくても、本作の代名詞とも呼べる主題歌「クワイ河マーチ」は耳にしたことがあるだろう。あの、「サル、ゴリラ、チンパンジー♪」でお馴染みの行進曲だ。

第2次大戦下の1943年、クウェー川に泰麺鉄道用の橋を架けさせる目的でタイ―ビルマ国境近くに設けられた捕虜収容施設が舞台。武士道をそのまま引きずって来たような一徹のちょびひげ日本軍人・サイトウと騎士道精神溢れる誇り高き英国将校の対立と交流を通じ、苛酷な労役と生活環境に厳しい刑罰が蔓延る極限の生活状態における人間の尊厳と名誉や戦争の愚かさを描き出したアカデミー賞受賞作品だ。

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収容施設所長のサイトウを熱演する早川雪州。ちょっとGG佐藤に似てるwww撮影時は既に日本人初の国際スターとして名を上げた後で、60代後半だったそう。建設が期限までに間に合わなかった場合は自決する覚悟がある程の責任感があり、武士道を貫く典型的な日本軍の軍人といった印象の役どころだが、ディナーに英国製のコーンビーフを食べ、スコッチ・ウイスキーや葉巻を嗜好するなどイギリスかぶれで洒落た一面も見せる。所長が宿舎で和服を着用したりするなど、???な演出も。

そんなクウェー川にかかる橋の建造を舞台にした名作映画により、川が流れるタイの地方都市・カンチャブリーは一躍観光大都市となったのだが、実際の映画のロケ地はスリランカというオチがある。しかも、実際に橋が架けられた当時はクウェー川ではなくメクロン川と呼ばれていたのだが、映画の影響力にあやかる為か「クウェー・ヤイ川」にひょっこりと改名、同様に「メクロン河永久橋」と呼ばれていた橋を「クウェー川鉄橋」としてPRするなど、町興しの為にカンチャナブリーは色々と活動しているようだ。

ひだり みぎ
さて、アルヒル桟橋の見学を終えた後は、終点から折り返してきた列車に乗ってクウェー川の下流に向かって進んでいく。クウェー川はタイ―ミャンマー国境地域の山を源流とし、カーンチャナブリーでメークローン川と合流、合流地点から上流側をクウェー・ヤイ(大クウェー川の意味)、合流する側はクウェー・ノーイ(小クウェー川の意味)と名前が分けられているようだ。因みに蛇足ではあるが、英語名のKwai Riverというスペルから「クワイ川」と呼ばれるケースもあるが、「クワイ」はタイ語でズバリ男の象徴「チ○コ」の意味なので、タイ人にクワイ・ヤイ(大きい)とかクワイ・ノーイ(小さい)とか言ったら眉間にシワを寄せられること必至である。

ひだり みぎ
谷を抜け、ジリジリとした日差しの下、タイの代わり映え無い農村地帯の中を南に向かって走る。乾季だからか砂埃が凄いこと!窓を開ければラテライトの砂埃責め、密封すれば熱気責めという悲しい2択を迫られる。

ひだり みぎ
1時間ほど走ると往路で見逃した地味な観光スポット・チョンカイの切り通しに差し掛かり、前方に線路部分の岩盤のみ切り取られた岩の塊が聳え立つのが見えてくる。たいした重機もない中、厳しい作業環境も相まって工事は大変に難航したそうで、鉄道建設の代償は大きかった。この近くには泰麺鉄道建設の為に犠牲になった約1750名の連合軍兵士が埋葬されたチョンカイ共同墓地が建てられている。


うおっ!車両幅ギリギリの岩肌剥き出しの切り通しは中々の迫力!でも泰麺鉄道の3大見所の一つの割にはあっけなく通り過ぎてしまう。こりゃあ往路で通った際に見逃すわけだ。同じ切通しでもヘルファイヤパスの方が規模が大きいし、他の二つの見所と比べて格下感は否めない。

そしてチョンカイの切り通しから10分弱、いよいよ戦場に架ける橋のモデルとなったクウェー川鉄橋に差し掛かる。

[youtube]http://youtu.be/axX7M_oz4EQ[/youtube]

ひだり みぎ
徐行運転で通過し、橋を渡った先にあるクウェー川鉄橋駅にて下車。


ここカンチャナブリーのクウェー川には、1943年2月にまず先線工事の為の資材運搬用木造橋が建築され、追って鉄橋が架けられた。全長約333m、橋脚と橋脚の間に小さい曲線のアーチを連ねて組み上げられている。建造後はしばしば連合軍の激しい空襲を受け、1945年には鉄橋中央部の3スパンが損壊して使用不能となるも、終戦から5年後の1950年に戦後賠償として日本の手で修復。現在でも再建された箇所以外は建設当時の橋脚と橋梁がそのままの姿で残っている。

ひだり みぎ
円弧型のトラス構造となっている部分が戦時中に建てられたオリジナルで、台形トラス構造で作られている中央2径間が戦後に新しく作られた修復部分。

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川沿いにはカフェ&レストランが並ぶ。


バンコクへと伸びる旧泰麺鉄道の路線。この鉄道によりミャンマーはタイと繋がり、さらに東のカンボジアやベトナム、南はマレーシア経由でシンガポールとが一つの路線で繋がるはずだった。無謀とも言える壮大な泰麺鉄道は一旦は全通を見たものの、戦後それは儚い夢と消えた。でも、いつか今度は経済的な理由でまた泰麺鉄道が復活する日がくるのではないかと思う。軍用じゃなくね。

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