オールドマラッカで見つけた白珈琲

トゥンタンチェンロック通りで海峡華僑達が築いた古き良きオールドマラッカの時代を感じた後も、引き続き異国情緒溢れる住宅街が立ち並ぶチャイナタウンの探索を続けてみる。しかし、残念なことに細い路地のくせして交通量が多すぎる。その上、歩道らしい歩道もないため、邸宅の美しい外観を眺めながらのんびり歩かせて頂けず、狭っ苦しい小通りに観光客と通過車両が錯綜するという醜い状態に陥ってしまっている。チャイナタウンはマラッカでも有数の観光資源なんだし、自動車に若干の遠回りを強いることになったとしても、通過するだけの一般車両の流入は制限すべきだろうと思うが難しいのだろうか。それが難しいのであれば、路肩に停まる車の数を制限して頂きたい。邪魔なうえに歩道も非常に狭く、散策を楽しもうにも興がそがれてしまうし、何より美しい町並みの景観を崩してしまっている。現状のまま放置せず真剣に対策に乗り出して頂きたい。
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洋館があると思ったら隣の通りには中国っぽい建物が並んでいたりするのが面白いところ。ここら一帯はチャイナタウンと銘打ちながら、キリスト教の教会にイスラム教のモスク、ヒンドゥー寺院などが集中している。しかも、単に寺院が隣接しているだけでなく、あろうことかイスラム寺院のすぐ傍らで堂々と禁忌の豚肉料理を販売したりと、長い歴史の中で培ってきた象徴に留まらない寛容さが垣間見られるのが微笑ましい。実際に多くの民族が隣り合わせながら暮らしているようで、異民族が平和に共存するマレーシアを象徴するようなエリアであり、通りの名前がハーモニー通りとなっているのも納得だ。

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それでもやっぱりこの町の主役は華人たち。福建会館や永春会館という華僑の同郷の為の集会所がある。永春とは現在の福建省泉州市の一地域のことで、かつて『海のシルクロード』の東の起点としてマルコ・ポーロの東方見聞録にも登場したほどの大港湾都市だったのだとか。土砂の堆積により港湾機能を喪失したのち、市民は活路を求めて東南アジアの各地に移り住んでいったらしいのだが、その末裔たちが同じく海上貿易の要衝地だったマラッカに根を張っているというのは面白い事実である。

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中国の道教寺院も発見。こちらは由緒あるチェンフーテン(青雲亭)。明の永楽帝の命を受けて大遠征を指揮した鄭和の功績をたたえて1646年に建立された、マレーシアに現存する最古の仏教寺院とのことだ。見ごたえの有りそうな寺だったが、生憎クアラルンプールへの戻りバスの時間が迫っているので本殿のみ拝んで見学を終了する。

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バスターミナルまで戻ろうと帰路についたのだが、途中で大量の中国人観光客が押し寄せる土産屋を発見。その名も三叔公。

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はちみつジュースとドリアンのカキ氷を試してみたが、これがなかなか美味しいということで、何かここで土産を買おうと店内を見て回ることに。

こ、これは…
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ホワイトコーヒー…??マレーシアの華人の間ではずばり漢字で「白珈琲」と呼ばれているこのお品、一体なんなのか。コーヒーはブラックであり、たとえミルクを入れたとしても、白みがかって褐色になるくらいで、まるっきり白くはならないだろう。思いっきり練乳を入れたくったミルクコーヒーだろうか?いや、でも試飲用のホワイトコーヒーを見ても白くないぞ…

『白くないじゃないか!!』聞くと、煎る時にマーガリンと砂糖を加えることで色が気持~ち程度浅くなり、その為に白珈琲と呼ばれているとのこと。コーヒー通をうならせる奥深さがありながら、コーヒーが苦手な人でもホワイトコーヒーなら大丈夫という人も多くいるというくらい、幅広く愛されているようだ。

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理屈は分かるがホワイトではないだろホワイトでは。でも色はさておき確かにクリーミーで飲みやすく、森永の甘ったるいコーヒー牛乳を愛飲していた私の味覚にはちょうど良い。

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お土産に買ってしまいました。

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