ルネッサンス+ソビエト風建築のハノイ鉄道駅

南北に長~い国土を持つベトナムの南北統一鉄道は、北は首都ハノイから南は商都サイゴンまでの1,726Kmを結ぶベトナムの大動脈。今年5月には南北統一鉄道で南の出発地点であるサイゴン駅まで行ったところ、レトロな車両についつい旅情が掻き立てられて、サイゴンからビエンホア駅までの旅行に出てしまった。今回は鉄道に乗って旅行に行く時間はないが、無性に北の出発地点であるハノイの駅も見てみたいという強い衝動に駆られた。

ハノイ駅はベトナムの首都であり人口650万人が暮らすハノイの陸の玄関だ。東南アジアでは珍しく街の中心地区に駅があり、根幹路線である南北統一鉄道だけでなく、4支線の列車が発着するターミナル駅になっている。いや、正確には、南行き(サイゴン方面)の南北統一鉄道が発着するハノイA駅と、北行き(ラオカイ、ドンダン方面)のラオカイ線、東方面のハイフォン行き列車、中国北京まで走る国際列車が発着するハノイB駅とがあるようだ。A駅とB駅は徒歩15分程離れているので注意が必要である。

2駅あるなぞ露にも知らなかった私は、タクシーで『ハノイ駅まで』とだけ伝えるも、無事に到着。まずは南方面行き列車が発着するハノイ駅だ。運ちゃんはA駅かB駅かとは聞いてこなかったので、通常ハノイ駅といえば南方面行き列車の発着駅のことを指すのだろう。
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レー・ズアン通りにあるハノイ駅駅舎はもともとフランス植民地時代の1902年に建築されたルネッサンス様式の建物だった。

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しかし、ベトナム戦争が勃発。鉄道による補給・兵站の良しあしが戦争の帰趨を決すると言われるほど戦争に於いて重要な軍事施設となる鉄道を米軍が見す見す見逃すわけがない。北ベトナム軍によってハノイから列車で南へ断続的に兵站補給がなされていたこを発見した米軍は、輸送路を遮断、後方連絡線を壊滅して補給線を断つことで前線基地の半孤立化を図った。そして1972年12月21日、米軍による爆撃を受け中央ホール部分が破壊されたのだ。その後、破壊された中央部だけが当時の北ベトナムに影響力があったソビエトに習って新たにコンクリートで再建されたそうで、その為、中央がソビエト風建築、左右両サイドがフランス風建築と、何とも風情がある(?)駅舎になってしまった。

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駅前広場は市バスの始点にもなっていてここからハノイ各地へ移動することができる。人とタクシーと圧倒的な数のバイクタクシーが密集し、朝早くからベトナムらしい活気で溢れている。

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駅舎の脇にはベトナム名物(?)のすっごい低いプラスチック椅子が並んでいて、皆さんベトナムコーヒーを啜りながらワイワイガヤガヤやっている。

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正面の入り口を入ると中央は待合室と改札になっていて、向かって左側が切符売り場、右側が待合室などになっている。もっと人でごった返しているかと思ったが、朝一の便は人気が無いのか意外にも閑散としてとこか寂しさすら漂う。

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プラットフォームにはサイゴンで乗ったソビエト風のレトロな列車が待機している。発車時刻が近づくと奥のガラス戸が開き改札が始まるというシステムになっているので、残念ながら無札の私はホームに入ることができなかった。1726Km南のホーチミン市まで走る鉄道は30時間弱かかり、エアコン付き1等で6000円弱の料金だ。
時刻表&料金表も画像に収めたが文字が小さすぎて判読不明なため、こちらのweb版時刻表 を参考にしてほしい。

ハノイ駅の西側にひっそりと佇むB駅なんて更に閑散としていたが、それは聞くところによると渋滞対策で北方路線ではハノイ発着を早朝深夜に限定しているからだそうだ。中心部に駅があるだけに、路線は市街地を堂々と南北に横断していて、深刻な踏み切り渋滞の原因となっているので、行く行くは改装して高架化する計画があるらしい。人口9000万人弱を抱える国の首都の鉄道駅と考えるとちょっと物足りなくは感じるが、銀河鉄道999に出てくるような中国の超近代的鉄道駅みたいしてしまったら風情ある街並みの景観が崩れてしまう。1000年都市ハノイにはこれからも歴史都市でいてほしいものだ。

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