アンコール朝第18代国王スールヤヴァルマン2世がアンコールワットを完成させてから30年余りの12世紀後半、アンコール朝は隣国チャンパ王国からの襲来を受け、危機的状況に陥る。しかし、徹底抗戦を貫いて都を奪還し、クメール人達を解放した。その時の王がアンコールトムを建造したジャヤヴァルマン7世だった。ジャヤヴァルマン7世はヒンドゥ教を信仰していた今までの王とは異なり、大乗仏教に傾倒。観世音菩薩のように四面に顔を彫った像を祀り、バイヨン様式と呼ばれる独特の建築スタイルを生み出した。
隣国からの侵攻を避ける為、都城の周囲は高さ8mものラテライトの城壁で囲まれており、その堅牢な城塞の四辺の長さは12Kmにも及ぶ。都城と言うより要塞のようなものである。内部は東西南北の4つの門からつながる十字の主要道路で均等に区切られ、ちょうど真ん中の心臓にあたる部分に、王の精神の礎となるバイヨン寺院が建設された。バイヨンとは“美しい塔”を意味するクメール語。内部は高さ40mを越える中央祠堂を中心に、四面体の菩薩像が彫られた塔が49あり、どこに立っても微笑みに囲まれるという不思議な空間だ。
当時は、城壁内に役人や兵士たちの住居もあったらしい。まさに帝都。
アンコールワットから北西に進むと、アンコールトムへの入り口の一つである南大門に着く。南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門が帝都への玄関口となっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に柔らかで穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩の彫刻が施されているが、破損が激しく、往時の姿を残すのは南大門のみとなっているらしい。
高さ23m、菩薩の顔面だけでも高さ3mにもなる巨大な門である。この都が外敵からの防御を意識して造られたことが分かる。但し、高いが狭く、車一台がぎりぎり通れるほどの幅であり、門の前で軽い渋滞を起こしてしまう。
バイヨンの入り口からの荘厳な偉容には誰もが目を見張る。遠目から見ると、岩山がゴツゴツしているだけのようにも見受けられますが、近づいてみるとその岩山が単なる岩山ではないことに気付かされる。
無造作に削られた岩山のように見えていたのは寺院の伽藍であり、その伽藍の上には、観音菩薩が彫りこまれているのが近づくと良く分かる。この観世音菩薩の四面塔はバイヨンだけでなく、プリア・カン、タ・プローム、タ・ソム、バンテアイ・クディなど、バイヨン様式の寺院に共通して見られるそうな。我々にもなじみのある仏教的な雰囲気があることや、全体を見渡せるヒューマンスケールの造形感からであろうか、何となく心和む雰囲気を感じないでもない。
クメールの微笑みをたたえた観世音菩薩の四面塔ばかりが注目されるバイヨンですが、第一回廊に施されたレリーフも面白い。宗教的、政治的な意味合いが濃いアンコールワットの壁画に比べ、バイヨンのレリーフは庶民生活や貴族の暮らしを描いた日常的なものが多く、見ていて飽きない。ただ、屋根が無く灼熱の日差しを直に受けることになるので長居は禁物だ。
戦いの勝利を祝う凱旋パーティーのための調理風景。中央で火力を調整しながら豚を茹で、右側でバナナを焼き、左側でご飯を炊いている?
商売の様子。何かを量り売りしている商人に対して買い手が何か文句を言っている?何だか一気にクメール帝国の人々に対して親近感が湧いてきた。
宮廷内病院?お産の様子みたいである。
こちらでは生贄にされる水牛が運ばれている。水牛の血の入った酒を飲むと戦に勝てると信じられていた。水牛の何かを悟った物悲しそうな表情を見ると居た堪れない。
階段を登り中央祠堂に入ると、四方八方から大きな顔がこちらを見て微笑みかけてくる。
う~ん、この微笑み、稲中卓球部か何かでみたような…因みに観音菩薩は人々の声を聞くことで、苦悩から慈悲を持って救済する菩薩様ですので、人々の悩みに応じて千変万化の相となることから、帝都にある200もの観音菩薩がそれぞれどれ一つとして同じ表情をしていないとのことだ。こんなような圧倒的存在感を誇る観世音菩薩の尊顔が200もあるなんて…四方八方どこを見回しても顔!顔!顔!確かに神秘的といえば神秘的だが、不気味と言えば不気味でもある。杏型をした目、扁平な鼻、厚い唇は光の当たり具合によっても笑いの表情を変え、不気味、慈愛、慈悲、柔和、峻厳、陶酔などなどあらゆる笑みに満ち溢れている。迫り来る巨大人面菩薩像が今日の夢に出てきそうだ。
菩薩の顔面だけでなく、まるで生きているかのように艶やかなデヴァターも印象的。
塔が林立する内部を上下左右に徘徊している内に方向感覚が麻痺して完全に迷ってしまった。なんてったったどこを見ても同じような顔だらけ…広大無比な宇宙空間に迷い込んでしまった感覚にすら囚われたが、ようやくお待ちかねの宇宙の中心・中央祠堂に到着。
中を覗いてみると…
仏像が有り、その横に座るおばさんに手招きされる。暗闇に白い歯と眼だけが浮かんでいるようで怖かったが、むげに断るのも悪いので内部に入ると、線香をあげるよう強制される。う~ん。神秘的。流石は宇宙の中心だ。
線香をあげ黙祷を終えて目を開けると、おばさんが賽銭皿を持って「さあ!」みたいな満面の笑みで迫ってきた。こりゃあ逃げ切れない(笑)1ドル札を置いていこうとしたのだが、生憎アンコールワットで悪徳ガイドにくれてやった1ドル札が最後だったようで、5ドル札以上の紙幣しかない。
賽銭箱をチラッと一瞥すると1ドル札が2枚…お釣り貰えるだろうか…
お釣りを頼むか頼まざるか暫し心の葛藤があったが、お釣りをもらうのも縁起悪そうなので黙って5ドルを置いたところ、ほっこり笑顔で何やら呪文を唱えてくれた。内容は分からない。ただ、最後にグッドラックと言っていた。運気上昇の呪文なのだろう。神を味方につけてしまったのかもしれない。今後の人生が楽しみだ。
*菩薩様の顔、誰かに似ていると思ったら稲中卓球部の田原君だ!!
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