ジャカルタ歴史博物館

ジャカルタ歴史博物館
入場料: RP 2,000 (20円)
開館時間: 09:00~15:00 (月曜日及び祝日は休館)

入館の際に15:00閉館って早すぎでしょ!って言ったらジャカルタの博物館は大体この時間に閉まると言われました。そんなに早く閉まられたら今日中に全部回ることができないじゃないか!各博物館をゆっくりと拝観したかったのに、ここから巻いて巻いて、大幅なスピードアップを余儀なくされました。

さて、入館してみて真っ先に視界に入ったのがこれ。
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処刑(締首刑)現場のディスプレイ。この建物はオランダ東インド会社(以後VOC)の市庁舎であると共に、監獄としても使われたそうで、収容者の処刑は見せしめの意味も含めて前の広場で行われました。『By paying off the prison guard they lived reasonably well in the prison (看守に賄賂を渡すことで収容者は監獄でもまぁまぁな暮らしができた)』と書いてありました。看守はインドネシア人が登用されていたのかな。

実はこの建物はオランダにとってジャカルタで3つ目の市庁舎になる。1つ目は1620年に跳ね橋付近に急ぎで建てられたが、6年後に今の地に移された。第二の市庁舎は平坦な屋根で一階建てであったこともあり、バタビアのような繁栄都市の市庁舎には適さないと判断され、1707年にバロック式建築である現在の建物に建て替えられた。全ての会合や議論がここで行われたことから『House of Talk』とも呼ばれていた。

この卑猥な大砲の説明もありました。
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元々はマカオで製造されたこの大砲はポルトガル軍が支配するマラッカに移され、1641年のマラッカ陥落後にオランダ軍によって現ジャカルタに運ばれたらしい。長さ3.81メートルで重さは3.5トン。手がブラウスから出ていること、また真珠のブレスレットを身に着けていることから女性の手だと考えられており、悪霊除けのサインであるとか、オランダ軍への侮辱を表すと言われていました。その後、女性にとって子授け効果があるという見識が広まり、今では神聖な大砲だと人々から崇拝されているらしい。

ヘルメス像
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当時バタヴィア在住で、後にオランダに帰化したドイツ商人カールさんの購入品。1920年にドイツのハンブルグで購入後、バタヴィアの自宅裏庭に持ってくるも奥様からはエロ作品扱いされて不評を受ける。1930年に奥様が他界された後にバタヴィアでも幸せな日々への感謝の意を表す為にVOCに贈与した。何だか夫婦間のイザコザが現実的過ぎて笑えます。本物はギリシャのオリンピア博物館にあると聞いているのでカールさんはレプリカ掴まされちゃったのかな。

ジャワ島最古のヒンドゥー国家であるタルマ王国の石碑レプリカ。
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ジャカルタの他、BogorとBantenで計7個のタルマ王国碑が発見されている。石碑にしっかりと刻まれている足跡は勇敢で強力なPunawarman国王の物であるらしい。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
当時の調度品。

ポルトガルのパージ船に容積80トンクラスのキャラベル船。
ひだり みぎ
1513年、ジャカルタの基となったパジャジャラン王国のスンダクラパ港にポルトガル人がやってきます。唐辛子などの香辛料交易目的でやってきたポルトガル人は1522年にはオランダを出し抜いてパジャジャラン王国と交易協定を結びます。

ポルトガルのガレオン船。
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16世紀に差し掛かると遠距離航海の必要性から小型なパージ船やキャラベル船は300トン級のガレオン船に取って代わられてしまいます。この当時でアジア⇔欧州の航海は18ヶ月かかったそうです。

ここからは2階。2階は東インド会社総督が愛用した豪華な調度品や家具が並べられており、往時の様子を偲ぶことができます。
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バタヴィアの執政官評議委員会の会合が週三回もこの部屋で催されました。殆どの家具は18~19世紀のインドネシア製です。

1748年に完成した本棚。上部には様々な神々が描かれています。
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一番右側に立っているのがGoddness of Justcie(正義の神)。左側がGoddness of truth(真実の神)です。

屏風も凝ったデザインになっています。
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ひだり みぎ
蛇を髪の毛として身に着けた醜いメデューサの頭が形取られた盾とアーマードスーツを装備した短足の少年。ギリシャ神話に基づいたデザインの家具が多い気がするが、これは何を意味しているのだろうか。

上部にはバタヴィアとオランダ東インド会社の6支社がある都市の紋章が浮き彫りにされています。
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左からデルフト・ロッテルダム・アムステルダム・バタヴィア・ミデルブルフ・ホールン・エンクホイゼン。

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こちらはジョクジャカルタ王国のディポヌゴロ王子が囚われる場面の油絵再生画。
ディポヌゴロ王子はジャワ島がオランダに侵略されていた19世紀、オランダに対する叛乱によりジャワ戦争を仕掛けた人物である。ディボヌゴロ軍はオランダの近代的な軍備の前に終止守勢となるもゲリラ戦を続けていたが、万策つきか休戦交渉に出向く際にオランダ軍に捉えられてジャワ戦争が終結する。この絵はジャワ戦争終結のワンシーンである。中央で捉えられながらも毅然と振る舞う王子と、その姿をうずくまって見守る周囲の民衆。非常に印象的である。

建物二階正面の窓から。
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広場での処刑が行われる際、お偉いさんはこのように二階から見下ろしたそうです。
さて、時間が無い。急ぎで他の博物館を回ります。

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