モンテの砦の頂きに位置するマカオ博物館では、マカオの歴史や文化が幅広い観点から紹介されています。
モンテの砦の頂上に位置しますが、麓からもエスカレーターで昇ってこれるようです。私は炎天下に徒歩で頂上まで上り詰めてからエスカレーターの存在を知りました。
15パタカを支払い入場すると、兵馬俑が厳つい顔でお出迎え。思わず引き返したくなるほどの威圧感。
『秦の始皇帝:兵馬俑』と書かれている。物凄く保存状態が良いのかレプリカなのか。
進行方向に少し進むと、話は一気にポルトガル人のマカオ漂着の時代まで飛びます。
1513年にJorge Alvaresという冒険家がポルトガル人で初めて珠江エリアに到着。ポルトガル人の種子島上陸の30年前のことです。
当時の航海図。日本の東北地方の形状が大変なことになっています。伊能忠敬的には喝!!。
1557年にはポルトガルがマカオの居住権を獲得。急速に南蛮貿易が盛んになります。
日本へ出向する船の荷積み。中央一番下の箱には物凄くはっきりとした片仮名で「シルバー」と記されています。当時は日中間の直取引が無かった為、ポルトガル人が仲介業として活躍、巨万の富を築きました。
中国茶。
中国のお茶もマカオ経由で世界へ輸出され、各国のお茶文化の礎となりました。
お茶文化会館の紹介でも書きましたが、世界のお茶という単語は中国語・福建語に由来します。
広東語のお茶の発音=『Cha』⇒日本語の『オチャ』・ヒンドゥー語、ロシア語の『チャイ』・アラビア語の『チャーイ』等。
福建語のお茶の発音=『Tay』⇒英語の『ティー』・オランダ語、フランス語の『テ』・、ドイツ語の『テー』等。
東洋の貿易拠点を抑えたポルトガルが大航海時代にスタートダッシュを切りますが、やがてマカオに目を付けたオランダの攻撃に晒されます。
1622年6月23日には13船、計1300人による激しい攻撃を受け、陸地への進軍を許してしまうが、この博物館横に据えられた砲台からの攻撃が見事に敵陣急所にヒット。逆転勝利を収めることになり、ポルトガルによるマカオ統治が継続される。
ポルトガルによる統治はマカオの宗教にも影響を与えることになる。
マカオには40を超える中国仏教と道教にまつわる寺が建立されるなど土着文化として根付いていたが、ポルトガル人のマカオ到着後はキリスト教が急速に布教されることになる。
宗教だけでなく住宅様式も変化していきます。
こちらはマカオで一番古いタイプの住居で、広東省・福建省から移ってきた方達の伝統的家屋。
清の時代の後半になるとポルトガル建築風の建築物が増えてきます。
19世紀になると爆竹業・茶業・漢方薬業・神像業がマカオの商業の中心となります。
当時の街の再現。石造りの高い建物も見え始めます。
漢方薬屋の再現。見る・聞く・触る・嗅ぐの四診後に漢方を処方する。
こちらはマカオの一般的な食卓。
住宅や宗教以上に外来文化の影響を受けたのが料理です。マカオ料理とはアフリカ・インド・中国・ブラジル等のスパイスが調合されたものが多く、異文化料理の集合体とも言えます。
こんな感じでマカオ博物館回りが終了。マカオの歴史や文化に関しての基本知識を取り込むには十分な内容でした。
澳門博物館 | |
住所: | 澳门博物館前地112號 |
電話: | 853 2835 7911 |
時間: | 10:00-18:00 |
定休日: | 月 |
料金: | MOP 15 |
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