歴史博物館【ホーチミン】 

土曜日の午後は時間が空いた為、ホーチミン市の博物館巡りに行ってきました。

先ずは歴史博物館。
以下は私が把握していた大雑把なベトナム史の流れ。
・紀元前から1000年以上に渡り支那の支配下。
⇒10世紀くらいに独立を回復!民族意識高まる。
⇒独立後も1000年近く支那やらモンゴル軍の侵略活動に晒される。民族意識高まる。
⇒フランス支配。民族意識高まる。
⇒日本の統治下に。民族意識高まる。
⇒戦後、南部は実質的なアメリカ支配となり、ベトナム戦争へ。民族意識高まる。

普段はマイペースでたるんでいるベトナム人だが、愛国心だけはやたらと強いなとは以前から感じていた。タクシーの運転手も有事の際にはベトコンヘルメットと竹槍を装備して自国の為に命を捧げに行く覚悟があるらしい。島国で平和ぼけして自国意識の薄れている日本人には羨ましく思えるほどの国への帰属意識の強さである。

ベトナム歴史博物館では、原始時代からのベトナム史を各時代の調度品や芸術品などの展示物を見ながら勉強していくことができる造りになっています。場所はレユアン通りとグエンビンキエン通りの交差点、レユアン通りの最東端に位置するサイゴン動植物園横になります。
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澳門でもよくみるクリームイエローの建物は西洋と東洋の折衷建築。旧宗主国であるフランスの設計者によってデザインされたそうです。

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入館すると早速ホーチミンおじさんがお出迎え。ピンクの花に飾られて少し照れているように見えます。ここでたまたま同時刻に入館した白人の団体ツアーに紛れ込むことに成功。

●原始時代
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人類の祖先であるアウストラロピテクス。現代人の3分の1(約500cc)の脳を持ち、身長は約130cm程度であったと推測されるらしい。本当にこんなに人間そっくりの顔だったのだろうか。映画俳優のCillian Murphy(21世紀の人間)に見えないでもない。

Tham Khoachの洞窟。
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ベトナムの先祖様たちはこういった洞窟で生活をしながら、狩猟をするようになっていきます。

●北属期(1~10世紀)
ここで言う北とは越南の北に位置する中国のこと。紀元前111年に漢の武帝によって越南国を滅ぼされてから、実に1000年以上に渡ってベトナムの地は中国に支配されることになります。

土偶。豊穣、豊かな実りを願う女神の象徴ではないかと言われているが、ベトナムにもあったんですね。
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顔のない土偶は縄文人によっても作られていて、日本の古墳からも多く出土されている。厄払い目的らしいが、首上が無いとか逆に罰当たりに思えてならない。

●李朝時代(11~13世紀)
939年に呉権が独立を果たした後は短命な民族王朝が続いていたが、1009年に李太祖が李朝を樹立、初めての越南長期王朝として繁栄していくことになりますが、中国の宋との領土問題が続き、結局は中国に臣従することとなります。表向きは独立していましたが、政治的には完全に中国に服従していたのですね。

中国の影響を多大に受けたベト族の他、ベトナムには海洋交易を通じてインド文化・イスラム文化の影響を受けたマレー系のチャム族も独自の文化を築いており、12~13世紀にチャム族によって多くの文化的な石像等が建てられ、今なお保存されています。

トラの像や仏像(レプリカ)に…
ひだり みぎ

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沢山のおっぱい(?)子孫繁栄のシンボルでしょうか。

因みにチャム族ですが、ベト族との覇権争いを続けておりましたが、徐々に国土を失っていき、今では人口10万人程度、ベトナムの一少数民族となっています。

●陳朝時代(13~14世紀)
1225年、陳さんによって李朝が滅ぼされ、陳朝大越国が成立される。軍隊が整備され、格闘技学校なるものも創立されました。その効果があってか、1258年、1285年、1287年とモンゴルの侵攻を3度も受けるが、撃退に成功。

陳朝は徹底的な血縁重視の上皇体制を採ることで中央集権化を推し進めましたが、14世紀に入り政治の腐敗などで乱れ、胡朝に取って変わられてしまう。

●第二次北属期~黎朝時代(15~18世紀)
陳朝が滅び、陳朝の復権とその皇族の即位を要求した明朝の永楽帝は1407年にベトナムに進軍、ベトナムはまたも中国支配に服属することになった。明は、ベトナムの漢化政策を推進し、ヴェトナム固有の風俗を捨てて中国風に従うことを強制した。また、重税や珍貨の収奪なども行った為、各地で反明反乱が頻発した。ベトナム全土で反明世論が高まる中、元陳朝軍人であった黎利が1427年に明軍を駆逐、独立を宣言することに成功。

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1427年、10万人から成る明軍を追い払う黎さん。明軍の捕虜2万人と、城に篭城していた兵9万人を明へ送り返し、明朝との和睦を計った。黎朝はベトナム南部にまで勢力を拡大した後、北部の鄭氏政権と南部の阮氏政権に分裂。

●西山朝時代(18~19世紀)
西山出身の3兄弟(阮文岳・阮文侶・阮文恵)が反乱を起こして黎朝を滅亡させる。

ベトナム人と言っても名前は李さんや黎さんや阮さんなど漢字で表記されてることからも、ベトナムが如何に中華文化にどっぷり浸かっているのかが見て取れる。

●阮朝時代(19~20世紀)
西山朝に敗れて滅亡した阮氏の残党である阮福暎が西山にリベンジ。フエを都に阮朝を建国。

阮朝では政治制度のみならず、文化的にも中国(清朝)の模倣をおこなった。中国の同化政策に対しては反乱を起こしたり、今度は自ら中国を模倣したり、よく分かりません。

1820年代からは欧米列強諸国が通商を求めて繰り返しベトナムに来航してきたが、中国中心の秩序に安住しようとした阮朝は欧米各国との接触を拒み、欧米に対しては事実上の鎖国状態に入り、西洋諸国との軋轢が生まれていった。

1858年にはフランス艦隊がダナン沖まで入り込み、南下した仏軍は翌年1859年にサイゴンを占領。その後1867年にはベトナム南部を全て支配下に入れる。

1873年からはベトナム北部に進軍し、1883年のフエ条約でベトナム全土がフランスの保護下に入った。阮朝は外交権も失い、仏国によるベトナムの植民地化が完成されることになる。

●1883年から1945年 仏領インドシナ時代
●1946年から1975年 南北分裂とベトナム戦争
●1975年のサイゴン陥落により、ベトナム戦争終結⇒ベトナム社会主義共和国が成立。

仏領となってからの現代史にはあまり触れられていませんでした。
今も南シナ海海域で中越関係が非常にキナ臭いことになっていますが、古代からのしがらみがあるんですね。

ベトナム戦争の時もそうでしたが、今でも強国に屈さない強気な政治スタンスは尊敬の念すら覚える。陸地で他国との国境を隔てている国の人々は自国領土に対しての意識や自覚が強いが、やっぱりこういった自国意識は歴史的に醸成されてきたのだと改めて思う。平和ボケやら島国根性的なものも歴史の上で築き上げられた日本人の特性なのであろう。

ひだり みぎ

ひだり みぎ

ひだり みぎ

ひだり みぎ

次はここから徒歩1分の、ホーチミン作戦博物館に向かい、近代史にも目を向けていきます。

ベトナム歴史博物館
住所: 2 Nguyen Binh Khiem St, District 1, Ho Chi Minh City
電話: 08-829-8146
時間: 8:00-11:00/13:30-16:00
料金: VND 15,000 (≒60円)写真撮影には別途32000ドンが必要。 



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コメント

  1. 旅行好きサラリーマン

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    >ぴーすけat旅すけ。さん
    戦争博物館は衝撃でしたね…いくら本や新聞で情報を読み取っても、生の写真や展示物を見るほどのインパクトはないですよね。

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