「 大連 」一覧

大連開発区から日露戦争の最激戦区・旅順へ

大連開発区から日露戦争の最激戦区・旅順へ

今日は早起きして朝一のバスで旅順へと向かう。 日露戦争の最激戦地として歴史の教科書に登場する旅順は、海外情報に詳しくなくとも名前だけは聞いたことがあるという方も多いと思う。旅順は遼東半島の最南端に位置し、現在は大連市旅順口区として大連市の中の一行政区となっている。総面積506km²、人口約26...

帝政ロシアによる都市計画の名残り 大連・中山広場

帝政ロシアによる都市計画の名残り 大連・中山広場

大連の中山広場はかつて日本の統治時代には大広場と呼ばれた大連を象徴する場所であり、どのガイドブックにも載せられる大連の定番観光スポットだ。 大連国際貿易中心ビルの展望室から撮られた写真を見るとよく分かるが、直径213メートルの円形広場を中心にラウンドアバウトになっていて、10本の道路が放...

大連市内で見る帝政ロシア統治の名残

大連市内で見る帝政ロシア統治の名残

時は遡り20世紀後半、帝政ロシアは遼東半島南部の租借に成功し、今日の大連となる当時の漁村を「遥か遠い」という意味のロシア語「ダリーニ」と名付けてパリをモデルとした都市開発に着手した。ヨーロッパとロシアの伝統的な設計に倣い、大連をヨーロッパ区・行政区・中国区として区画分けし、都市広場や放射状に広がる道...

開発区から大連市内の屋台街へ

開発区から大連市内の屋台街へ

広州から飛行機で4時間かけて大連に到着。こんな長距離のフライトでも国内線というのが何とも超大国中国である。今回は土曜日夕方に大連入りし、夜は大連市内の街歩き。明日日曜日の朝には旅順へ行き、夜には大連市内で客先と会食というキツ目の計画だ。 宿泊先は大連市内から電車で約30分、日系企業が密集する大...

満州時代の街並みが色濃く残る歴史都市・大連

満州時代の街並みが色濃く残る歴史都市・大連

遼東半島の南端にあり、『北海の真珠』『北方の香港』とも称される美しき港町・大連。19世紀末に帝政ロシアの租借地となり、1904年の日露戦争以降は日本がロシアの都市計画を引き継いだ。現在の大連駅から東側の区割りとごく一部の建築物ができた状態だった極東の一地方都市を貿易都市として発展させるため、関東都督...