地味系世界遺産・バーンチエン遺跡(Ban Chiang Archaeological Site)

コンケンからの鉄道移動が遅延も無く予想に反してスムーズで、予定より早くイサーン随一の商都・ウドンタニの町に到着した。駅を出るなり商業都市としての活気が感じられる賑かな町であることに気付かされるものの、駅の観光マップに拠ると、どうも市内の観光資源には欠けるようである。

こうなったらもう勢いに身を任せるしかない。翌日に訪問計画していた50Km程東のノーンハーン群バーンチエンにある古代文明の墳墓遺跡を攻めることにしよう。

バーンチエンには黄河文明・メソポタミア文明とは全く異なる東南アジア独自の古代文明跡が残っている。はっきり言って耳にかすったことすらないマイナーな文明なんだが、それでも1992年には考古学的重要性が認められて世界遺産にも登録されたそうだ。東南アジア最古の農耕文明跡なんだと。

遺跡へのアクセスは世界遺産のくせしてすこぶる悪く、公共交通機関を使った行き方としてはウドンタニのバスターミナルからサコンナコーン行きのバスに乗り、22号線沿いの近くでトゥクトゥクに乗り換える方法しかないようだ。至極不便。

乗り換えとかトゥクトゥクドライバーとの交渉は煩わしいんで、今回は手っ取り早くレンタルバイクで移動することに。ホテル近くのセントラルプラザの対面で見つけた個人店舗にてバイクを借り上げる。


タイホンダ産のクリック125Iをレンタルし、一日の賃料400バーツとデポジット2,000バーツを合わせた2,400バーツをお支払い。レンタル契約の締結にあたって身分証明書が必要になるので契約の際はパスポートを携帯しておこう。免許証の提示は不要。


グーグル先生曰く、ウドンタニからバーンチエン村への道順は至ってシンプル。ウドンタニの中心部から22号線をひたすら、もうただただひたすら東に向けて走るだけだし、バーンチエンまでの距離を示した看板も頻繁に出てくるので、土地勘のない余所者でも迷う事はない。


ウドンタニを発って約40分ほど経っただろうか、三差路に土器を模した微妙なデコレーションと共に左折を示す看板を発見。ウドンタニからバスで移動する場合もここで下車し、トゥクトゥクまたはバイタクに乗り換えることになる。

バーンチエン文明は発掘された土器や骨なんかから紀元前3000年前後に栄えていたと推定されている。紀元前30世紀というと中国黄河流域に龍山文化が栄えた頃とほぼ同時期か。黄河の黄河文明・ナイル川のエジプト文明・チグリスユーフラテス川のメソポタミア文明・インダス川のインダス文明と古代文明は大川の流域に発生することが考古学上の相場の筈だが、メコンからも離れたイサーンの僻地に果たして文明が栄え得たのだろうか。発見当初は5000-7000年前の遺跡と判断されて世界最古の農耕文明跡と騒がれていたところ、今では紀元前3,000年前の文明跡という説が圧倒的優位になっているみたいだが、本当はもっともっと最近のものなんじゃないのだろうか。
ひだり みぎ
紀元前に栄えた文明が消滅した後、バーンチエンの地に再び人が移り始めたのは18世紀後半になってから。メコン川流域より徐々に人が移住し始めた頃には紀元前の遺跡の一部が地表に露出しており、周辺の村人は考古学的重要性を考えずにそこら一帯に出土した土器を日用品として利用してきたそうだ。そんな中で1957年、村の医者がトイレを建てようと穴を掘ったら幾何学模様が施された三つの土器を土中に発見、ようやくこれらの土器が考古学的に重要な遺品だと考えられ、大規模な発掘調査が開始されたとか。紀元前の土器を違和感なく日用品代わりに使っちゃうタイ人、ブラボーだわ。

ひだり みぎ
そんな仄々としたバーンチエン村を国道22号線から10分ほど走るとバーンチエン遺跡博物館へのゲートが見えてくるのだが、とても世界遺産とは思えないショボイ造りに思わず不安を覚えてしまう。

ひだり みぎ
これまたショボすぎる博物館のエントランスには満面の笑みで何かを語りかけてくれている地元の青年2人のみ。ここまで地域振興に活かされてない世界遺産は初めてかもしれん。とにかく、過疎地の地域博物館並に集客力が無い。

ひだり みぎ
それでも腐っても世界遺産ということか、経済波及効果を求める商人たちによる博物館の入り口周辺には土産屋は揃っていて、遺跡からの出土品と同じ製法で造られたという独特の渦のような幾何学模様をもつ彩色土器なんかが並ぶ。

ひだり みぎ
少し土臭いミニ壺やキーホルダーをバラマキ土産用に大量調達し、壺を入れる為のバッグも購入。

土産を確保し、受け付けデスクで居眠りをかます怠惰な兄さんを起して入場券を買い求める。

チケットはタイ人と外国人の二重価格となっているのでタイ人のフリをしてみるものの、言語能力的にあっさり看破されてしまう。仕方なく外国人料金150バーツを支払い、いざ入館。

意外にも綺麗に整備された館内の主要展示品は、やはり素焼きの陶器のようである。クリーム色の地の上にラテライトの色そのままの鮮やかな赤で、流麗な渦を巻いた文様が一面に施されている。その渦巻き模様は縄文土器のように緻密に施されているわけではなく、どちらかといえばのびのびとおおらかな作りで、どこか中国の仰韶文化圏で発掘された土器群を想起させる。
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これらの多くは紀元前3000年程の物で、焼締の際の割れ防止目的で籾殻が混ぜられていることから当時稲作が行われていた可能性が示唆されている。

1,800-2,300年前後の土器。もう少し昔の作品は直線基調の装飾が多い印象だが、ここらの年代になると大きな渦巻き模様が増えてきているようだ。肉厚も微妙に薄くなってるかな。自分もロクロをやってみたことあるけど、薄くするのって難しいんだよな。自分の壺造り技術は紀元前3000年のバーンチエン人くらいのレベル。
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縄文土器の模様や造形なんかは人々の生活を表現した記号だったらしいけど、これらバーンチエン土器の模様も何かしらの意味を持ってそうだ。なんでも鑑定団に出したらお幾ら万円程になるのだろうか。


縄で模様が付けられた縄文土器とは異なり、こういったローラーで模様を付けていたみたい。これ、やっぱり紀元前3,000年前は数字盛り過ぎだろとは思うわな。

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人骨の展示も豊富w。人身御供の儀式でもあったのか、多くの場合で食品が入ったポッドと一緒に人骨が埋葬されていたようだ。


こちらは弾丸のような小球や青銅の斧と共に埋葬されたVulcanと名付けられた骸骨。頭元に置かれたDo not sit pleaseのサインがなんかシュール。こんな気味悪いところ座りたくないわい。

ひだり みぎ
ここから先はお化け屋敷並のホラー感を漂わせる。

どういった民族により築かれた文明なのかは判明していないそうだが、出土品から予測される当時の生活の様子が再現されている。どうやら当時の人々は青銅器で刀や農具を作り、稲作と畜産をベースとした生活を営んでいたようだ。
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1,800-2,300年前のバーンチエンで最も人気のあった土器デザインは赤線による幾何学模様。壺を形作ってから手製のローラーでデザインを施し、乾燥した後に焼き固めるという単純工程ではあるが、作品の一つ一つから当時の人々の手先の器用さが伝わってくる。

バーンチエン古代文明に生きた人々の平均身長は男が162.5-172.5cm、女は147.5-155cmと現代タイ人と比べても変わり映えしない体格だったようだが、平均寿命は前期27歳、後期34歳と大変に短命だったと推定されている。出土品から色んなことが判るもんだな、しかし。

でも、発掘された遺品からこれだけこのことが判明しても、バーンチエン文明が滅びた理由は未だ解き明かされていない。そもそも、この地方の乾いたサバンナの大地を見る限り、ここが原始的な農耕に適した土地であったとは到底思われないし、これらの農耕文明が滅びたことよりは、むしろここでそのような文明が成立し得たことの方が余程不思議に思われるくらいだからな。

ひだり みぎ
こちらは発掘現場のジオラマ。1974年から1975年にかけて行われたペンシルバニア大学による発掘作業で123体のスケルトンが出土したそうだ。

結局、博物館は1時間程度で見学終了。続いて博物館から勧められたワット・ポー・シー・ナイ(Wat Pho Sri Nai)博物館へと寄ってみることにした。
ひだり みぎ
人気のないひっそりとした寺院の一角に東屋風の小さな建物が設けられていて、中では発掘現場が発掘当時のままで展示されている。

ひだり みぎ
ピットが浅く見易いので土器やら人骨やらが出土した様子が凄く良く分かるけど、何とも反応に困るというか…。

なんか、どうも最近はこの手の遺跡を見ても驚かなくなったというか新鮮味を感じなくなったというか。好奇心が摩耗しちゃったかな。帰りは終始無言でスロットルを開け続け、往路は1時間かけてじっくり走った所、帰りは40分強でウドンタニのホテルへと帰還しましたとさ。「世界遺産」と聞くとどうしても足を運ばねばならないという強い衝動に駆られるものだけど、バーンチエンは正直Must-visitではないというのが結論だ。

【バーンチエン遺跡】



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