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国の歴史は浅いが展示内容は充実のシンガポール国立博物館


日曜日は朝から歩いてシンガポール国立博物館へ。


宿泊先のインターコンチネンタルホテルから歩いて10分、特徴的なドーム型天井と白亜の建物が見えてきた。シンガポール国立博物館はシンガポールの父・ラッフルズ卿が夢見た「文学と歴史について学べる機関の設立」という意思を汲み、彼の没後1849年に図書館兼博物館としてスタートしたのが始まり。円形のドームと石造りの建造物が前庭を覆う芝生に映えて大変な威厳を感じさせる。

中は一階が14世紀から現在までのシンガポールの歴史を展示する「歴史ギャラリー」・「レストラン」・「チケットカウンター」・「土産物屋」・著名なシンガポール人を紹介した「We Built A Nation」、二階は5つのテーマでシンガポールの文化を紹介する「リビングギャラリー」で構成されている。

チケットを購入し、先ずは歴史ギャラリーへ。

ギャラリーに入ると11あるシンガポールの国宝の一つであるシンガポールストーンの欠片の異様な存在感に目を奪われる。表面には現在も解読されていない碑文が刻みこまれたこのシンガポールストーン、本来はもう少し大きな石塊だったそうなのだが、河川の拡張工事の際にイギリス人が1843年に爆破してしまったそうだ。近くで見ると、確かに石灰岩のような質感の石の上にサンスクリット文字のような何らかの暗号とおぼしき文字列が掘り込まれてる。日本が誇る古代文字・暗号読解マニアな方々、コイツの読解で一山あててみては如何であろう。


時代は一気に飛んで1819-1941のクラウンコロニー。1819年、ラッフルズが小さな漁村だったシンガポールに上陸した時から歴史が大きく動き出した。マレーのサルタンとの取引でシンガポールに英国の貿易港を築いた後、無関税の貿易都市として一気に東南アジア随一の商都として急発展を遂げた。

ひだり みぎ
シンガポール創世期の立役者であるラッフルズ卿(左)とシンガポール初のイギリス人駐在官であるウィリアム・ファーカー(右)。二人ともイギリスの勅許会社であるイギリス東インド会社の職員としてシンガポールに赴任した。

ひだり みぎ
当時のマレー人の生活ぶりを描いた絵画はなかなか興味深い。産業革命を果たした近代世界の覇権国家から赴任してきた英国人にはさぞカルチャーショックだったろうな。

大英帝国の戦略は東南アジア海域に物流拠点を確保し、自由貿易によってヨーロッパとインド・中国を結んで市場を拡大するグローバリズム。そのために建設されたのが香港・上海・ペナン・マラッカであり、シンガポールということだ。ほんとダイナミックな仕事内容だよなー。
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18世紀から19世紀にはインド産阿片の中国輸出市場が大きく成長。そこで大英帝国はマレー半島の先端に対中国貿易の拠点をつくり、大量の阿片を香港・上海に運び込んで中国茶や陶磁器と交換するアジア政策を打ち出した。こうして貿易の中継拠点として白羽の矢が立ったのが、当時は小さな漁村でしかなかったシンガポールである。その後、1839年には中国清朝-イギリス間で阿片戦争が勃発。清朝の阿片禁輸政策から大英帝国のアジア戦略の柱である自由貿易を守る為の戦争だ。


1866年、アヘン戦争敗北後の清朝の惨状を憂き革命を指導した憂国の士・孫文が誕生。マレーシア及びシンガポールでも革命活動を展開し、出身地と言語別に異なるアイデンティティを持っていた華人の意識を一つに纏め、「中国人」としての民族主義を覚醒することに成功、後の辛亥革命へと繋がっていく。


1941年12月8日には太平洋戦争が勃発。1942年2月15日にはイギリス軍が日本陸軍に対し無条件降伏し、1945年までシンガポールは昭南島として日本の直轄領として管理されることに。当然ながらここでは被占領国の立場から展示が組み立てられているので、昭南島時代のコーナー暗く重々しい構成になっている。

ひだり みぎ
シンガポールの無条件降伏を受け、当時の日本の新聞は「祝、シンガポール陥落」と大見出しで大賛美。その後、シンガポールでは徹底した軍政が敷かれることとなる。

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日昇旗の下での生活ぶりに関しては、博物館二階の「Surviving Syonan(昭南時代を生き延びる)」のコーナーでたっぷりと見させられることになる。


1945年8月、第二次世界大戦が終結して日本軍が撤退したものの、日本と入れ替わり戻ってきたイギリスにより植民地支配は継続される。しかし、長年マレー半島において搾取を行った宗主国のイギリスに対する地元住民の反感は強く、独立運動が頻発。第二次世界大戦により国力を消耗していたイギリスには本国から遠く離れたマレー半島における独立運動を抑え込む余力は残されていない上に、諸外国からの植民地支配に対する反感も高まり、いよいよ植民地支配を放棄せざるを得ない状況に追い込まれる。

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1957年にはマラヤ連邦が独立、1959年6月にはシンガポールがイギリスの自治領となり、1963年にはマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州と共にマレーシア連邦を結成。
その後、マレー人優遇政策を採ろうとするマレーシア中央政府と、イギリス植民地時代に流入した華人が人口の大半を占めるシンガポール人民行動党の間で軋轢が激化し、シンガポール人民行動党は1965年8月9日にマレーシア連邦から追放される形でシンガポールという都市国家として分離独立しましたよ、と。独立後、リー・クアンユーという卓抜した指導者の下で急速な経済発展を成し遂げたのは周知の通りである。

これが大雑把なシンガポールの歴史の流れ。近代以降の展示を中心に中々にボリューミーな内容の博物館でお腹一杯だが、二階の展示室も見て回ることに。

二階は「Modern Colony」「Surviving Syonan」「Growing Up」「Desire and Danger」「Voices of Singapore」という5つの独立したコーナーで構成されている。


「モダンコロニー:1925-1935」のコーナーは海峡華人の代表格である宋旺相の肖像画から始まる。マレーシア・インドネシア・シンガポールに何世代にも渡って住み着いたストレートチャイニーズ(海峡華人)は英国人と現地人の間で仲介人として積極的な役割を果たした他、学校やコミュニティの活動拠点を建てたりと、建国間もないシンガポールを支える大黒柱として活躍した。中でも宋旺相はシンガポール最高の教育施設ラッフルズ学院を卒業後にケンブリッジ大学で法律を学ぶなど優秀な人物で、シンガポールに戻ってから弁護士・議員として活躍したシンガポールを代表する華人であるそうだ。

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国歌の成熟に伴い女性の社会的役割がどのように変化したかが衣装の変化を通して説明されている。社会情勢が目まぐるしく変化する中、女性達のライフスタイルも大きく変わっていき、トラディショナルな衣服にハリウッドや香港からのトレンドを取り入れ、独自のスタイルが作り上げられていったのだ。

「Serviving Shonan: 1942-1945」のコーナーでは、一階の歴史ギャラリーよりも更に大々的なスペースが設けられていて、日本統治下に於ける人々の日々の生活に関連する展示物が多く並べられている。思うところは多々あるんだが、ノンポリ姿勢を貫いてここではノーコメント。
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「Growing up: 1955-1965」のコーナーでは、イギリスの自治領~マレーシア連邦~独立とシンガポールが自らのアイデンティティを求める時代を生き抜いた戦後世代の人生に関する展示物が並べられている。


シンガポールで制作された映画、ワヤン、中国オペラなどの大衆演劇の発展の軌跡も辿られている。その後に搭乗した映画は1950年代~60年代に最盛期を迎え、シンガポールの復興期を支えるエンターテイメントとして人々に親しまれた。


「Desire and Danger」では先述のウィリアム・ファーカー氏が遺した動植物標本のイラストやらなんやらが並んでるだけだったので、スルー。

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「Voices of Singpore」多民族・多分かな都市国家へと成熟していくまでの過程に関して、文化面からのアプローチで説明されている。

建国からの歴史は浅いシンガポールなんで考古学的価値のある展示品には欠けるものの、博物館の密度は非常に濃く見応えがある。見応えあり過ぎてペース配分を誤ったというか、一階のギャラリーに時間を割きすぎて二階の見学が不十分になってしまったくらいだ。訪問される方は十分に時間の余裕をもって挑んだ方が良いだろう。また、英語の説明はちょっと…という方には日本人よ拠る無料日本語ツアーも用意されている。最下部にツアーの開催時間及び集合場所を記載しておいたので、時間が合えば参加してみては如何だろうか。

シンガポール国立博物館

住所:93 Stamford Road, Singapore
アクセス:MRT南北線と東北線のドビー・ゴート駅から徒歩5分
電話: +65 6332 3659
入館料:大人=S$10、学生・60歳以上=S$5、6歳未満の子供=無料
営業時間:10:00~19:00(入場は18:30まで)
日本語ツアー開催時間:月~金曜10:30~、第1土曜 13:30~
*チケットご購入後、建物正面入口のミーティングポイントで合流

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