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ジャワ原人の故郷サンギランで人間の歴史を学ぶ


チュト寺院から3時間以上走ってやっと辿りついたサンギラン博物館。今回はチュト寺院からバイクで移動したので時間がかかったが、ソロからだと北に20Km、タクシーで30分程の距離にある。ガイドブックでは「とりあえず載せておきましたわ」程度の扱いで一般的には知名度こそ低いが、サンギラン周辺地域はピテカントロプス・エレクトゥス、通称ジャワ原人の化石の宝庫で、考古学的重要性から世界遺産にも認定されている。私が知る世界遺産の中では屈指の存在感の薄さだが、その重要性は本当に折り紙付き。1891年にオランダ人医師デュボアがソロから東に100Kmのトリニールでジャワ原人の頭蓋骨、歯、大腿骨を発掘して以来、なんと世界中で発見された人類化石の約半分がサンギラン周辺地域で発掘されているという世界屈指の人類化石出土地域なのである。

小さな村落の中に突然現れるマンモスの牙を模したゲートが「サンギラン博物館」への入口。
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博物館の入場料とバイクの駐車場を支払い敷地内へ入ると…


駐車場でジャワ原人の巨大顔面像と立像がお出迎え。駐車場の真ん中で唐突にジャワ原人の首から上が睨みをきかせる画は中々シュールである。


ジャワカレー、ジャワティーと並ぶ“三大ジャワ○○”のジャワ原人。たまにこういう顔の人いるよね?ってくらいに人間のようにも見えるが、他地域のホモ・エレクトスと同様に頭骨は低くて前後に長く、目の上の骨が庇のように張り出していて、首はラガーマン以上に太く発達していたようだ。


一糸纏わぬ御姿のジャワ原人様。凄いずんぐりむっくりした体格ながら、筋肉質だったことが伺える。まぁ野獣と命を賭けて格闘してたくらいだからな。


はるか古代、海に沈んでいたサンギラン一帯は、いつしか沼地と変化を遂げ、ジャワ原人や多くの動植物が暮らす地上の楽園となった。時は流れ、その形跡は地層奥深くに埋もれていく。そして今から約20万年前、激しい地層の褶曲によって彼らが生きていた時代の古い地層が表面へと現れた。180万年前から10万年前に至る3つの地層からジャワ原人の化石やマンモスの牙、水牛や鹿の角などの動物化石、貝塚の化石が発見されたが、特に70万~20万年前の中間層に猿でもない人間でもない「直立猿人」の化石が集中していましたよ、と。今では猿人じゃなく原人に分類されてるけど。そんなことで、人類発生と進化の過程の謎を解く為の重要な遺跡なんです、ハイ。

ゆったりとした螺旋状の坂道を登って第一展示室へ。

人類の進化の過程。サルとヒトの中間状態を示すジャワ原人の化石の発見によりダーウィンの進化論が証明されたという歴史的な意義は大きい。

ここで、アジア人の歴史を振り返る。
180万年前にアフリカで誕生した原人はアフリカを出て、中近東からインドに到達し、110~120万年前迄に大陸と地続きであったジャワに到する。これがジャワ原人で、彼らは少なくとも110万年前から70万年前頃まで生息していたとされる。その一部は中国北部に住み着くようになり、北京原人として発掘される。
その後、原人は旧人・新人へと進化。
約5万年前、新人になったばかりのソロ人は狭い海を渡りオーストラリアに入り、オーストラリア先住民へと進化。
約3~4万年前、海面上昇でスンダランドが縮小、スンダランドの人々が北方へ移動することで、南から北のシベリア方面への順繰り移動が発生する。
約2万年前、シベリアに追い込まれた人たちは体温の発散を防ぐ為のずんぐりした体格に皮下脂肪の厚い平坦な顔つき、凍傷を防ぐ為の低い鼻と進化し、典型的北方モンゴロイドが誕生。
その頃、東南アジアから北東アジアでは、彫りの深い二重まぶたのアジア人が定住していた。南方アジア人と呼ばれる人たちで、後期旧石器時代から日本列島に住み着き、縄文人となる。
約5000年前、北方アジア人がシベリアから出て北東アジア全体に展開。
約2300年前、北方アジア人が日本列島に侵入。こいつが今で言う渡来弥生人である。
東南・北東アジア系の二つの集団は日本列島内で徐々に混血したが、その過程は現在も進行中であり、その為、日本人の遺伝子はいまも均質ではなく二重構造を保っている。濃い~系の顔の日本人もいれば薄い系もいるということです。


猿人様。ほら!俺、直立しちゃったよ!


でも、狂暴な肉食野獣が周りにうろうろしてるし、悩めるなぁ。実に悩める!


一応筋トレとかして腹筋割ってみたけど、猛獣には勝たれへん。この骨とか石とか、上手いこと使えへんかなぁ。


やったぁ(歓喜

ひだり みぎ
精巧に再現されたジャワ原人の実生活の様子。110~120万年前迄にジャワに達したジャワ原人は、火山に囲まれた肥沃な森林地帯に暮らしていた。

ひだり みぎ
左はネアンデルタール人で有名な旧人類。右はリアンブアの石灰岩の洞窟で発掘されたホモ・フローレシエンシスの頭蓋骨。高さ106cm、脳容量380cc。ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスの両方の特徴も備えていて、色々と論議の的になっている。これらの脳頭蓋は小さく眼窩上隆起が発達し、額は低く倒れたように傾斜している。原始的な特徴が多いが、類人猿から人類に進化する過程を示す貴重なサンプルだ。


7,000年前の骸骨。DNAテストの結果、モンゴロイドで、オーストロネシア語族のものだとされている。

エチオピアで発見された化石から再現されたアウストラルピテクスのルーシーさん。身長1.1m、 体重29kg程とチンパンジー程度の骨格だったと推測されているが、外反足であり、直立歩行していたと考えられている。

駄目だ、これからルーシーという名前の人に会う度にコイツを想起してしまう。


鹿の角(?)になんかの顎。インドネシア語で説明が読めないが、サンギラン遺跡で発掘されたもの。


説明書きにMastodonって書いてあるので、古代象マストドンだろう。漸新世から更新世にかけて生息した象に似た動物。臼歯か何か。

ひだり みぎ
象牙にクロコダイルの顎。


カメの化石。

ひだり みぎ
KETETANGANって説明書きにあったのでそういう種の化石かと思って帰ってググったら「備考」という翻訳結果が…

別館へと移動。

未だに発掘作業が続けられているのか所々で土を掘り起こして作業にあたる係員の姿を見ることが出来るが、余り面白い景色ではない。

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2003年にPlupuhのJambangan村で発掘されたもので、30以上の無傷の欠片を繋ぎ合わせた水牛の化石。700,000万年前の物と推測され、角の長さ1.14mで、3.42mの全長、2.28mの高さを持ち、400Kg~1,200Kgの体重を持つと推測されている。体重だけ推測の幅が広すぎぃぃぃ。

ひだり みぎ
別館はジャワ原人の再現模型がメイン。骨格標本に肉付けをして、髪や体毛を丁寧に植毛し精巧に再現された、等身大のジャワ原人だとか。当時の生活ぶりを再現した展示や、少しはにかんでいるような笑顔を見せるジャワ原人を見ると、非常に人間に近い存在だったと感じ取れる。少し毛深いだけでね。


そんなこんなでサンギラン博物館を後にして、ソロへ向けてとバイクを走らせる。なぁんか世界遺産なのにガイドブックに冷遇されている訳が分かった気がする。こんなマニアックな展示内容、世界遺産だからって大衆受けはしませんわ。

ひだり みぎ
考古学的には超重要なサンギランだけど、発掘現場の周辺には普通に集落が広がっている。民家の原点かのような貧しそうな茅葺屋根の家屋ばかりだけど、子供はみんなエネルギッシュ!


下校時間。面白い制服だなぁ。

あわよくば小生も世界的な発見をと、辺りの発掘現場を伺おうかとも思ったが、もうクッタクタに疲れていたのでホテルへ直行する。走行距離は大したことなかったけど、標高1,500mまで上がったし、何より全く知らない道を走ったので、今日は肉体的にも精神的にも疲弊しきってしまった。

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