名前負けしたゴールデントライアングル

オピウム博物館の見学を終え、他の旅行者に混じって観光地化されたゴールデントライアングルの中心部をぶらつくことに。まぁ観光地化されたといってもラオス・ミャンマー・タイの3国の国境が見渡せるビュースポット近くに巨大な金ぴかの大仏があり、単調なフレーズの音楽が延々と流されるだけの退屈な場所だ。皆、大仏やメコン川をバックにシャッターを押し、満足そうに帰っていく。ただ、それだけの場所のように見受けられ、観光地としては「ゴールデントライアンゴォ」という如何にも旅情を誘うネーミングに完全に名前負けしてる印象を受けるのだが、それでも観光客を満載したソンテオやミニバンが引っ切り無しに往来し、岸辺にはこれまた観光客を大量に積んだスピードボートが爆音を上げてメコンを流れ去っていく。すげーなー。ラオスやミャンマー側を見てもカジノがポツンと建つだけで、タイだけが一人出し抜いてる感じ。これだけの観光客をわざわざタイの最深部に惹きつけるのだから、一見しただけでは分からない魅力があるのだろう。

オピウム博物館を出た私はゴールデントライアングルの魅力を探る為、アメリカ人のツアー団体に紛れて博物館横の道を丘へ向かって歩いていく。その先にあるのはメコン川を見守るように丘の上に建つワット・プラターン・プーカオという古寺であり、ツアーガイドの話に拠れば、寺の傍にはゴールデンポイントが一望の元に見下ろせる展望台があるという。

真っ赤な寺のゲートは観光推進策の一環で後付で最近になって建てられたのだろうが、寺自体はここら一帯が阿片の巣窟として名を馳せていた時代からあった名刹だそう。


寺へと続く階段に差し掛かった途端、オウーノォーーーーと断末魔の雄たけびのような悲痛の声を一斉に上げるアメリカ人御一行。ナーガの迫力にビビっているわけではなく、永遠と続く階段上りの刑は勘弁だと。それにしても分っかりやすいリアクションだなー!!!!ガイドによる必死の説得虚しくここでギブアップする者、約1/3。残った者と一緒に階段を登るも、休憩に次ぐ休憩でペースが余りに遅すぎるため、肥満体型のメリケン集団を置いて一人で登っていくことに。


こちらが階段を登りきった先の丘の中腹にひっそりと建つお寺。観光客用に新しく増築されたのだろう、ファサードと屋根だけが妙に新しくて違和感を感じる。


堂内には二重アゴで御利益ありそうな仏像が鎮座している。仏教国も多く旅行してきたが、二重アゴの仏像というのは初めてだ。口元が贅肉(!?)で相当たるんでいて、切れ長の目がデレーンとしてて眠たそうな御尊顔だ。楽山大仏と同じで船の運航の無事を祈って建てられたのだろう。

ひだり みぎ

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以前からあった寺院跡に観光用として新しい寺を建てたのかな。境内は説明書きもないまま新旧ごっちゃになっている。


二重アゴの仏像が安置された本殿の脇からは更に竹藪を割って階段が続いていて、ここでも1/3ほどの巨漢白人たちがリタイヤ。Golden Triangleなんてデカデカと書かれたTシャツ来てるくらい気合入ってるんだから気力振り絞って頑張ろうぜ!と励ましたくもなるが、シャツの色が変わるくらい滝のように汗をかき、殺気を帯びた凄まじい形相で一点を見つめてるので声をかけずらく、放っておく。他人だし。

ひだり みぎ
丘を登りきった先には廃墟がある。どうやらこれがオリジナルのワット・プラターン・プーカオのようだ。

ひだり みぎ

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廃墟の傍らのひっそりとした場所に太平洋戦争タイビルマ戦病没者の慰霊碑が3基建っているのを発見。この場所は第二次大戦末期にインパール方面、雲南・ラショー方面から敗走した日本兵が辿り着いた場所の一つだそうで、一基は文部大臣・法務大臣を歴任された保利耕輔により建立されている。国の為に命を捧げ、こんなインドネシア半島奥地の密林で客死という壮絶な生き方は想像を絶するものがある。色々と考えるところがあるが、ここでは何も書かないことにする。ただただ、合掌。


やっとこさ辿り着いたゴールデントライアングルの展望台。タイ、ラオス、ミャンマーの3国を川が隔てている事からゴールデントライアングルと呼ばれているが、この一見何の有難味もなさそうな濁った泥川の交わる場所が何故にゴールデンと呼ばれるのかは分からない。金ぴかの仏像が鎮座してるから?


母なるメコンを見守るように建つ女神様のような美しい仏像。


三角形の形をしている部分がミャンマー、大きな川がメコン川で、その右側と川の中州がラオス、手前がタイである。展望台から見ると、ラオス―ミャンマー間をメコン川が、タイ―ミャンマー間をルアク川が隔てているのが良くわかる。海水の色も若干異なる2本の川が合流する為、川色がマダラになっているまではっきりと見える。遥か遠くにはラオスの大地に連なる山脈まで見渡すことができ、なるほどこれは絶景だ。

ここら一帯が麻薬の密造拠点であったころから、まだそう年月はたっていない。オピウム博物館で取り上げられていた麻薬王・クンサーが2004年にヤンゴンで死去し、麻薬グループの勢力は極めて弱体化しているそうで、タイとラオスはもともと生産量が低かったこともあり、政府主導の麻薬取り締まりが効果を上げているようだ。一部には現金収入が必要な貧しいミャンマーの山岳民族と麻薬グループが手を結み、依然として人里離れた山中で麻薬生産が続いているとも言われている。ゴールデントライアングルというよりは、もはやゴールデンランド・ミャンマーだ。無数に輝く金色のパゴダのイメージによりミャンマーは「黄金の国」とも呼ばれているが、それは皮肉としか言いようがない。そんな曰くつきの場所ではあるが、観光客が集まる一帯はそんな暗黒の歴史を感じさせないほどに平和で長閑な空気に支配されている。この展望台からの素晴らしい風景を逃した白人たちが気の毒でしょうがないなどと同情していたら、ミニバンに乗って展望台までやってきやがった!ヘーイヒァアイカム(ヘーイ、我来たり)とかいって階段で登ってきた仲間とハイファイブ。彼らのリアクションはいちいち大袈裟で面白い。

ひだり みぎ
展望台からの絶景を楽しんだ後は山下り。素直に来た道を戻れば良かったものを、間違った方向に進んでしまい、木造住宅の密集地帯に迷い込む。靴が泥だらけになってしまったが、ノホホンとしたタイ人の生活が垣間見れたので良しとしよう。藁ぶき屋根の下でハンモックに揺られながら好きなだけ昼寝するオジサンによりアーリーリタイヤ欲が見事に掻き立ててられた。

ひだり みぎ
ゴールデントライアングルの中心地まで戻り、土産屋を兼ねたNear Riverという捻りのない名前のレストランで遅めの昼食をとることに。ゴールデントライアングルのド中心にあり、人間ウォッチには最適の場所だ。この日は宝船に乗ったボートブッダ周辺に30人ほどのヨーロピアングループと10組程の中国人観光客が思い思いのままにメコン川の景色を楽しんでいたが、あるグループはボートトリップでラオスへ、またあるものは大型観光バスに乗ってミャンマーとタイの国境方面へと散っていった。チェンマイ⇒チェンラーイ⇒ゴールデントライアングル⇒メーサーイというのは定番の旅行コースなんだろう。小生も明日にはメーサーイからミャンマーのタチレイへと向かう予定となっている。


そうこうしているうちにピリ辛チャーハン(80B)がサーブされた。食べている間も駐車場へのアクセス道路では常に観光バスが引っ切り無しに往来して忙しい。チェンセーンは閑散としているのに、こちらは正月休暇だからか凄い賑わいだ。

ひだり みぎ


こちらがゴールデントライアングルの目玉・宝船に乗る仏陀。

ひだり みぎ

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3国が交わる国境地帯は初めてだし、麻薬の利権を巡って壮絶な争いが繰り広げられたという悲劇の舞台。もっとピリピリしてるかなぁーなんて漠然と思ったりしていたが、あっさりラオス側に上陸できたりと、ゆるゆる管理の国境地帯で、暗黒の歴史を一切感じさせない長閑なところである。それでもボートでラオスに上陸出来たり手軽にカジノ体験も味わえたりと、日帰り旅行には十分すぎるくらいの冒険は楽しめる。来てみて損は無かったかな。

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