ミャンマーとの国境貿易ににわかに沸くメーサイ

本日はチェンセーンからタイ最北端の町・メーサーイへの移動日。本当はもう少しチェンセーンで古代王国へ思いを馳せていたかったが、予期せぬスコールに遭ってしまったので、雨宿りを兼ねて近くに停車していたメーサーイ行きのソンテオに乗車した。他に乗客は3名。私のすぐ後に続けざまに2名乗り込んできて、首尾良くチェンセーンを出発することになった。


上空では太陽がギラギラに輝いているのに地上ではバケツをひっくり返したような大雨。如何にも東南アジアのお天気雨らしい土砂降りだが、直ぐにバケツの貯水を使い切ったらしく、発車5分で見事に晴れ上がる。これならもう少しチェンセーンに留まって雨宿りしてればよかった気もするが、まぁお天道様がもうメーサイへ移動しろと言っているのだと考えよう。さらばチェンセーン。


けたたましいエンジン音と共にチェンセーンを出発したソンテオはゴールデントライアングルを通り過ぎ、田園地帯を20分程走ったところでポリスチェックの為に一時停車。他の乗客が身分証明書らしきカードを見せていたので自分もパスポートを提示したところ、パラパラっとページを捲っただけでコップンクラップ、と。はじめは何事かと思ったが、特に厳戒なチェックもなくあっさり終了し、再びメーサーイに向けて走り出す。

ひだり みぎ
途中でSBの森福を女にして人相を悪くした感じのオバサンが大量のお茶っ葉を積んできたり6人家族が乗車したりと、ソンテオ内は瞬く間に足の踏み場もないほどの満員状態に。炙り出された数人は車体後部のリアバンパーに設けられた足場に立って移動することを余儀なくされる。


急停車急発車の度に後ろにしがみ付いている乗客が吹っ飛ばされないか冷や冷やしていたが、道中は特に何のハプニングもなく、チェンセーンからソンテオで揺られること約1時間、中央分離帯が無ければ滑走路にも使えそうな片側4車線の立派な大通りで降ろされた。これがバンコクの戦勝記念塔から続く総延長1,005kmの国道一号線(パホンヨーティン通り)の北の最果てとのことだ。ミャンマーとのイミグレまでは更に500m程あるが、イミグレまでは行かないのでここで降りてくれみたいなジェスチャーを運転手された為に、運賃の50Bをドライバーに渡してやむなく下車。

ひだり みぎ
バスを降りた横の路地がごちゃごちゃとした市場になっている。予約しているワントンホテルはミャンマーとの国境近くにあるようだが、投宿前にちょいと道草を食うことに。

ひだり みぎ
売られているのは中国との南北回廊に乗って入ってきた中国製の衣料品や電化製品・宝石・蚊取りラケット・怪しい医薬品などの他、果物・乾物・レインボー色した派手なソフトクリーム・シナグリ・インスタント食品などの食料、ペンチ・ドライバー・マグライトなどの工具系、カーボン画・水墨画などの芸術系など、統一感が全くなくすっごい雑多で猥雑な感じで面白い。有象無象の品々が山と積まれている。売り手には中進国タイの経済力にあやかりたい出稼ぎのミャンマー人が多いよう。顔や服装などの違いもそうだが、タナカという日焼け止め用の黄色い粉を顔に塗りたくってるからミャンマー人とすぐ分かる。中国からの商品が溢れ、ミャンマーからの出稼ぎの人で賑わう小さな国境の町・メーサイ、どうせ辺境の村落と決めつけていたが、意外にも国境貿易で栄えているのか活気渦巻く猥雑な町のようである。

ひだり みぎ
市場の中には観光客用の気の利いた土産物屋は殆ど無いが、露天市に出ているフルーツは種類が豊富で見ているだけで涎が出る。特に完熟に実ったパパイヤは見た目も柔らかさも抜群!柴田理恵似の寡黙なオバサンからパパイヤを買うと、わざわざ大きくて熟したおススメの実を選りすぐってくれる神対応。


どうです、ノートPCと比べてこの大きさ。可食部だけでも1Kgはあろうかという巨大完熟パパイヤが20B(≒60円)なんだから東南アジア旅行は止められない。


フルーツ以外ではメーサイの名産物なのか天津甘栗もやたらと売られている。屋台にしつらえた専用の鉄板などで大々的に焼かれていたり、カートの上に七輪ほどの練炭釜を置き、小さな鉄鍋をのせて地味にぐるぐると回しながら焼いている店も多い。ほんと、石を投げれば栗屋に当たるってくらい栗屋が大活躍。売り子が道行く人を「サービスするさぁー」などと甘い言葉で誘惑し、試食させ、巧みに交渉しているようで、私も見事に捕まった。お試しに一個試食させてくれたが、焼き芋の様にホクホクして甘みもあり美味く、ついつい売り子の笑顔と栗の魅力に負けて50B分買わされることに。


パパイヤと焼き栗を抱えて小道を進んでいくと、市場からド派手な寺院に直結するようになっているようで、いつの間にか寺院の境内に入っていた。


というより、寺院も市場の一部になっているようで、境内も出店でびっしり!商売の神様でも祀られてるんだろうか。

ひだり みぎ

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本堂の中では子供たちが風船を使ってバレーボールを楽しんでいたが、お父さんなのか住職さんなのか、ずんぐりとした坊主がやってきて娘たちに大激怒。大目玉喰らってしまったお嬢さん達は、しょんぼりと泣きながら外に出て行ってしまった。なんだか居た堪れないなぁ。


寺院の裏手の丘にはランナー王朝様式のワット・ドイワオが建っている。マリン球場でのイワイワオーの応援が思い出される懐かしいネーミングだ。


“巌寺”へ行くには金毘羅さん並の手ごわい坂道を登りきる必要があるようだ。バイタクの兄さんが20Bで上まで乗せていってくれるというが、丁重にお断りして自分の足で登ることに。

別に自主トレやってるわけじゃあないんだし、制限時間は無い。さっき買った甘栗をつまみながらゆーっくりと時間をかけて階段を登る。

登りきった先には金ぴかの仏舎利が建っていた。恐らくタイ最北部にある寺院になるだろう。


極彩色で目が眩む。

ひだり みぎ

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ミイラになられた即身仏様?流石に違いますよね…6-7体ほどいらっしゃいました。

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煌びやかで豪奢なランナー様式の寺院の他、メーサイの街とミャンマーが一望できる展望台もある。

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展望台からの景色。平地に広がるメーサイの街並みと、国境を境に突然険しい山地となりその麓にしがみつくかのように散在するミャンマーの家々が一幅の画を演出している。山の上は真っ白な雲がぐんぐん流れ、その下の街はカンカン照り。これらの街並みは繋がっていて一つの町のように見えるが、良く見ると一筋の川により隔てられていて、右側(南側)はタイ領のメーサイ、左側(北側)がミャンマー領のタチレイとなっている。


輪廻転生の考えも深く浸透したミャンマーの上座部仏教では火葬式はするものの墓を建てることは一般的でないと聞いたことがあるのだが、ミャンマー側の山の斜面には集団墓地があるようだ。


境内では巨大サソリがミャンマーを威嚇…という訳ではなく、紀元前2世紀に同寺院を建立したとされるオンワオ王(シャン族の言葉で「サソリ」を意味する)に因んで、1955年に造られたらしい。獰猛な毒サソリのように見えるが、これでもご神体だそうだ。

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