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国境紛争地帯の世界遺産カオ・プラ・ウィハーン


本日はシーサケートを離れ、世界遺産カオ・プラ・ウィハーンの最寄町・カンターララック経由でウボンラーチャターニーへと移動する。


カオ・プラ・ウィハーン(カンボジア名=プリア・ヴィヒア)はタイ東北部のカンボジアとの国境に連なるドンラック山脈に残るクメールの山岳寺院で、2008年にはカンボジア名のプレアヴィヒア寺院で世界遺産にも登録された名所である。ただ、皮肉にも世界遺産への登録が同地に於ける紛争の引き金となってしまった。国境沿いに建つことから遺跡周辺4.6Km2の土地の帰属については係争中であったのだが、カンボジアによる単独での世界遺産登録が発端となり、2008年7月には紛争が発生、2011年2月と4月には両国軍の戦闘で計28人の死者が出るほどの戦闘が繰り広げられた。そんな一触即発の臨戦状態なもんで、2014年現在でもカオ・プラ・ウィハーン遺跡へは立ち入ることができないとされているが、まぁ折角なんで入れたら儲けもの程度の気持ちで行ってみることに。

*結論から言うと、タイ側からはやはり遺跡一歩手前までしか入ることができなかった。嗚呼無念。シェムリアップの旅行会社がツアーを組んだりしているし、カンボジア側からなら入ることができるとの噂もあるので、時間のある方はカンボジア側からのアタックを試してみられると良いかもしれない。

ひだり みぎ
世界遺産のくせしてカオ・プラ・ウィハーン遺跡への公共交通機関は整備されておらず、シーサケートもしくはウボンラーチャターニーからタクシーを2000B前後でチャーターするか、最寄りの町・カンターララック(Kantharalak)までバスで近づいてからタクシーをチャーターする移動方法が一般的のようだ。小生は後者を選択し、シーサケートのバスターミナルで朝飯の焼き鳥を食べてから意気揚々とローカルバスに乗り込んだ。

ひだり みぎ
カンターララック行きの5232番のバスは、どういうわけか小便の匂いが充満している。運賃は40B(≒120円)だが、壺を持って乗車してきた物乞いの方が運賃の回収係かと勘違いして40Bを寄付する痛恨のミス。

ひだり みぎ
シーサケートを出発したバスは国道221号線の一本道をひたすらひたすら南東へと進む。

ひだり みぎ
生温い風を浴びながらイサーンの景色を楽しみ、約90分でカンターララックのバスターミナルへと到着。世界遺産への基点となる町なのに、予想を下回る小さなバスターミナルで拍子抜け。

ひだり みぎ
町自体も真白い巨大なストゥーパがあるくらいで、他には見所が無い平凡な寂れた一地方都市といった印象。カオプラウィハーン遺跡がクローズしているからだろう、バイタクの運ちゃんも商売あがったりといった感じでご機嫌斜め。


「遺跡には入れないが、遺跡近くの断崖絶壁から見渡すカンボジアの大地は絶景だよ。」とのことで、とりあえずカオプラウィハーンの近くまで行ってみることに。ここから遺跡付近への往復の移動はバイタクで400B、トヨタの新車だと600B。荷物も持っているし日差しが強いので、こちらの車にお世話になる事に。


小学校の時の塾の先生にそっくりな運転手。良い人臭が顔から滲み出ている通りに良い人で、タイ語さっぱりの私にタイ語オンリーで積極的にガイドなども務めてくれた。日本語で「いや、分からないよ。」って困った顔で言われた時点で察してくれればいいのに、律儀に最後まで付きっきりで遺跡近くの絶景ポイントなどを案内してくれた。600Bはガイド料込だったのかな。

ひだり みぎ
カオプラウィハーンは国立保全森林地域にも指定された広大な森林地帯にあり、途中で入場料として100Bを徴収される。森林局管理料云々を支払うなどという情報もあったが、行きも返りも払ったのは支払ったのはこの100Bのみ。


遺跡への道はここで封鎖されているので、近くの駐車場にて渋々車を降りる。


駐車場横に建つこじんまりとした博物館。ここまで来ながらも遺跡へとは入ることができない悲しい観光客の為を思ってか、遺跡の写真なんかも展示されている。

ひだり みぎ
タイの東北部とカンボジアは東西に延びるドンラック山脈を境として南北に隣り合っているのが良く分かる。カオプラウィハーン遺跡はちょうどこの山脈の稜線付近に位置する為、長くカンボジア・タイ両政府の間でその所有権が争われてきた。俯瞰図を見る限り国境を形成するドンラック山脈はタイ側になだらかに傾斜する一方で、カンボジア側には崖となって切れ落ちた格好となっているが、1962年、国際裁判所によってカンボジア領と裁定されている。

ひだり みぎ
カオプラウィハーン(丘の上の尊い寺)というのは現在の呼び名であり、遺跡に刻まれた古文から、かつてはSri Sikharisvara(栄光なる山の支配者)と呼ばれるシバ神を祀る神殿であったことが分かっている。遺跡を構成する建築物は断崖の頂に建てられた大宮殿と塔,そして4つの楼門、これらが北から南へと一直線に伸びる長さ900メートルの砂岩を敷き詰めてできた参道の上に配置されている。最奥部の中央祠堂背後の絶壁は高さ約650メートルで、その下にはカンボジアに平原が広がり、 東にはラオスの山並みを望むことができるそうだ。

ひだり みぎ
カオプラウィハーン(ここではタイ側の呼称で統一する)の創建者はアンコール朝の創始者でもあるヤショヴァルマン一世。9世紀に寺院の基礎が築かれ、その後11世紀のスールヤバルマン1世が今日の寺院の規模まで改築したとされる。大平原を一望に見下ろせる戦略的要地の為にカンボジア内戦時にはこの地で激戦が繰り広げられ寺院は荒廃したとされる。ああ、こんなの見せられたら余計に行ってみたくなるわ。すぐ近くにあるんだし。

ひだり みぎ
博物館を出て遺跡方面へと進んでみると、長袖で暑そうなのについてくるドライバー。もしかしたら黙って国境を越えないよう私の見張りも兼ねてるのではと勘繰ってしまうほどぴったりとマンマークされていて、要所要所でタイ語で何かを話しかけてくる。

ひだり みぎ
こんな紛争地帯にも仏像が。


流石に領土を巡る紛争地帯だけあって軍人やら有刺鉄線やらの姿が目に入るが、軍人達は至ってフレンドリーで、やれ何処から来た、やれタイはどうだと笑顔で世間話をしてくるくらい。


遺跡に一番近いタイ側の高台はタイ軍の小さな駐屯地になっている。

ひだり みぎ
軍の駐屯地ではあるが、観光客WELCOMEオーラが凄い。No Photoと書いてあるのに、写真を撮るよう逆に勧められたり、軍用レーダー(?)を使ってカオプラウィハーンを見るよう促されたりと、おせっかいなくらいに良い人が集まるタイ軍には紛争による緊張感など関係無し。


遺跡はまだまだ先のようで、肉眼で僅かに捉えられる程度。


軍用レーダーで遠くに臨むカオプラウィハーン遺跡。遺跡まで向かう方法をダメ元で軍人に尋ねてみるも、やはりタイ側からはこれ以上先に進むことはできないし、いつになれば問題が収束するのか見通しもつかないとのことだ。代わりにカンボジアの平原を楽しんで帰りなさいと諭される。


カンボジア平原の絶景ポイントへと続く階段で崖を下る。


断崖絶壁から見下ろすカンボジア平原。「地球は緑だった!」とでも叫びたくなる美しい風景だ。これだけ美しい絶景にある山岳寺院だからこそ多くの旅人がカオプラウィハーンを目指すのだろうが、それがまた不毛な国と国の争いを増長させる。皮肉なものだ。

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