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数千人規模が生活した地底都市・クチトンネル


クチトンネンルとカオダイ教寺院の1日ツアー旅行に申し込むべく大手ツアー会社であるシンツアリストを訪れたのが昨夜。『申込者数が最少催行人数である6名に達していない為に明日のツアーは無し。』との無情の一言の後に繰り出されたマシンガンのようなマニュアル営業トークに閉口しつつ、隣にあるHoang Linhという旅行代理店へと移動。

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こちらの店舗では一階間口で人当たりの良いベトナム美人二名が旅行代理店業務を行っていていた。上層階はバックパッカー用のホテルになっていて、一階のホテルは宿泊者専用の受付になっているようだ。旅行代理店なのでツアー会社で直接申し込むより若干の高値になることは覚悟していたが、同じクチトンネルとカオダイ教寺院の1日ツアーで提示された料金はUS$9。シンツアリストのツアーがVND169,000(約US$6.5)だったのでやはり多少の割高感は否めないが、官僚のような振舞いのシンツアリストの係員とは違って人間味のある感じの良い係員だったので、こちらで御世話になる事に。明日は07:50集合、08:00時出発だ。

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当日、集合時間10分前の07:40にHoang Linhに来ると、昨夜の女性係員は既に業務を開始していた。朝早くから夜遅くまで大変だ。暫し世間話を楽しみ、時間になると別の係員にバスの出発地点まで誘導された。デタム通りとブイビエン通りの交差点近くに支店を構えるTNKトラベルという旅行会社のツアーに参加するらしく、他の代理店でツアーを手配した参加者とバスで合流する事に。参加者は15名、そのうち2人がシンガポール人で、その他は白人という構成だ。ツアーの旅程としてはホーチミン発⇒カオダイ寺⇒クチトンネル⇒ホーチミン着となっていたが、交通事情など諸々の事情により先にクチトンネルに向かう事に。

クチトンネルは旧南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)の最重要拠点であり、言わずと知れたベトナム戦争の激闘を象徴した遺構である。ホーチミンのバイクタクシーに乗ったら必ず『マイフレンド、レッツゴートゥークチトンネル』と言われるくらい定番の観光スポットだ。クチトンネルのあるホーチミン市クチ県はソ連や中国からの支援物資の経由路であったカンボジアまでの距離が約70キロメートル、標的南ベトナムの親米傀儡政府の本丸サイゴンまで65キロメートルと、両地点の中間地点ということもあり拠点に選定された。ベトコンは日中は地下で隠れて過ごし、夜間に地上に出て農作や必需品調達などの活動を行っていたそうだ。
ひだり みぎ
デタム通りから30分も走れば緑溢れる大自然へと出て…

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無限と続くゴムの木の樹林を分け入った先にあるクチトンネル。

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ここら一帯の木々は枯葉剤の影響で枯れ果ててしまったが、ベトナム戦争後にこれらのゴムの木々を植林したそうなので、木々はまだ若い。この静けさの眠る森が僅か数十年前までベトナム戦争中に南ベトナム解放民族戦線の拠点であり、この地でベトナム統一を賭けた激戦が繰り広げられていたと思うと何だか妙に感慨深くなる。この何の変哲も無さそうに見える雑木林の下に細いトンネルがまるで蟻の巣のように掘られているのだ。

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地下を掘って造られた藁葺き屋根の小屋でチュートリアルを受ける。


英語になってしまうが、こちらの動画にクチトンネルツアーの一部始終を全て納められている。

まるで授大学の講義の様で、参加者は皆熱心に聞きいっていた。206
クチのトンネルは1965年からのベトナム戦争がはじまってから掘られたと思われがちだが、実は、抗仏戦争中の1947年から掘り始められた。始めは村と村の連絡手段や防空壕として使用されていたが、1960年頃に民族解放戦線(ベトコン)が活動を始めた後にはトンネルシステムは大幅拡張されて一大戦略拠点となり、クチ地区や近隣地区の殆どはベトコンのコントロール下に置かれたそうだ。

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地下トンネルは何と全長200Kmにも達し、その中には司令部の会議室、兵器製造拠点などの軍事施設の他、学校や、病院や分娩室、寝室、台所など、日常生活を送ることができる設備までもが完備され、要塞というだけでなく、クチ市民の社会生活の中心ともなった。200Kmって…大阪―名古屋間に相当する距離じゃないですか。思わず200メートルかと聞き直しちゃいましたよ。しかも、当初は1階建てだったこのトンネル、米軍の猛攻に耐える為に次第に奥深くなり、最終的には地下3m、5m、8mの3層造りに拡張され、結婚式を挙げるような公共場所や恋人たちがデートするプライベートな空間、歌やダンス、伝統的な物語を演じる劇場なるものまで造られたそうだ。もはやトンネルなどというものではなく、地底都市である。とは言え、流石に暗く狭い地下での暮らしは相当に厳しく、空気や、水、食べ物が慢性的に不足した他、アリや毒ムカデ、サソリや蜘蛛といった害虫が蔓延ったそうで、伝染病が戦死者に次ぐ大きな死因となったそうだ。『欲しがりません勝つまでは』どころの話では無い。

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昔の忍者屋敷
にありそうなカラクリ罠セレクション。ここでは落とし穴が剥き出しの姿で展示されていますが、実際には落ち葉でカモフラージュされた蓋がついていたので普通に歩いていては見つけられないレベルだったそうだ。

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回転式の床を踏んだが最後、底に配置された無数の鋭い棘で串刺しにされてしまいます。致命傷にならずとも敵を破傷風にできるよう先端には汚物を塗りたくっていたんだとガイドさんがドヤ顔で説明していた。

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アイディア的には小学生が悪戯で考えだしそうな罠ばかりですが、こんなものがジャングルのあちこちに仕掛けられてあったらとても歩けるものではない。 母国から遥か離れたベトナムの密林でゲリラ戦を戦っていた米兵の恐怖が伝わってくる。

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これらの仕掛けは全て手作り感満載。米軍を殺してしまうと兵力がマイナス1にしかならないが、1人負傷させれば手当てや補助の為に更に2人必要になり、マイナス3の効果が望めると言う事から致命的ダメージを負わせるような大掛かりな罠は敢えて造らなかったそうだ。洞窟に潜み、侵入してくる米軍をこれらの罠で牽制していたベトコン。近代的な重装備のアメリカ兵に対し、この一昔前の忍者漫画に出てくるような罠で対抗し、最終的に米軍を撤退へ追い込んだベトナム人の執念と忍耐力に感服だ。

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ドアを開くと罠が作動。カラクリゴエモン屋敷かよ。

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こんな絵を見ていると当時のジャングルで繰り広げられてきたゲリラ戦が目に浮かぶ。薄暗いトンネルに潜入し罠にはまった仲間の絶叫が薄暗いジャングルに響き渡り、後続の兵士たちがパニックに陥り銃を乱射するような状況が目に浮かぶ…と思ったら本当に銃声が聞こえてきた。耳の錯覚ではない。どうやらすぐ近くに射撃場があるようだ。

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この奥が射撃コーナーとなっていて、アラぶれ者観光客がありとあらゆる種類の実銃をぶっ放して楽しんでいる。

種類 1発当たりの単価
M16自動小銃 VND 35,000(US$ 1.75)
M30軽機関銃 VND 30,000(US$ 1.5)
カービン VND 25,000(US$ 1.25)
AK47 カラシニコフ VND 40,000(US$ 2)
M60機関銃 VND 40,000(US$ 2)
K54自動拳銃 VND 20,000(US$ 1)
M1 ガーランド VND 30,000(US$ 1.5)

最低発注額はUS$20のようだ。ここで銃をぶっ放つアメ公は一体どんな心境で楽しんでいるのかお伺いしてみたいところだ。

ひだり みぎ

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射撃場の土産物コーナー。クチトンネル関連グッズから定番のベトナム民族品まで一通り揃っている。

続いてこちらでは地下トンネルへの入口の隠し方を実践してくれている。先ず、枯葉を鉄板に乗せて、両手でその鉄板を持上げて、このままスポっと下に沈み込む。するとあら不思議、洞窟への入り口は周りの枯葉と同化してものの見事に隠れてしまいます。
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地上をいくら攻めても戦果が上げられなかった米兵はトンネルに『トンネルラット』と名付けられた選りすぐりのトンネル攻略職人たちを送り込んでいった。小型銃剣、懐中電灯と糸、催涙ガス弾、スコップなどを携えたトンネルラットたちはトンネルに忍び込み、罠を目指して慎重に薄暗いトンネル内を進んでいくも、小柄なベトナム人一人がやっと入れるような狭く薄暗く複雑に入り組んだ地下道の攻略は難航を極め、失敗に終わる。

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トンネルラットの身恰好。

ベトナム兵はアメリカ軍が残した武器や不発弾を武器に徹底抗戦を続ける。
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危険を顧みず不発弾から採取した火薬を加工して地雷を作るベトコンの等身大像。

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こちらは作戦会議をするベトコン幹部とトンネルを掘る様子。掘った砂は近くに捨てるとトンネルの場所を把握されてしまう恐れがある為、夜中に女性が遠くまで運んでから廃棄したそうです。クチ全体が米兵に対する巨大な罠であり、クチの市民総出による徹底抗戦。

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こちらは見ずらいが、炊事などで地下トンネル内で発生した煙を地上に放出するための通気口。トンネルの存在がバレぬよう、離れた辺鄙な場所まで掘り進めているだけでなく、夜間だけに炊事をしたり、フィルターを通すことで排出量を抑えるなどの工夫も凝らされているそうだ。後に米兵が地下の基地を一掃する為に訓練犬を動員した際は、臭いで犬に見つからないよう中にチリパウダーを仕掛け、犬の鼻にダメージを与えたそうだ。

続いてはお待ちかねのトンネル内部見学。
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全長約100メートルほどで、途中から10メートルごとに出口が設けられていて、途中で肉体的もしくは精神的に辛くなった場合は途中離脱可能となっている。実際にトンネル内部は狭く・暗く・蒸し暑く、一人一人と参加者が途中で離脱していった。

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本当に蟻の素の様に円形の空間が前方に広がっている。このトンネルは観光客用に道幅を太くしてあるとはいえ大変狭く、しゃがんだ状態ですり足で進むことになる。また、狭いだけでなく暗くて蒸し暑く、異様な圧迫感を感じる。膝を折りながら難しい体勢でいるので太ももがキツイのでとにかく早く最終地点まで行って外に出たいのに、前を行く図体のデカい白人の進行スピードがやたらと遅くてイライラ…こんなところ10分もいれば懲り懲りで、1時間いたら気が狂ってしまうと思う。こんな地下トンネルを200Kmも掘って抗戦をつづけたベトナム人の執念と忍耐強さに改めて感服させられた。いや、忍耐強さだけではないだろう。米兵に愛する故郷や家族を奪われた憎悪や絶望、悲劇に基づく極限の精神が、このような有り得ない環境での長期生活を可能にしたのだろう。ただでさえ常夏でクソ暑いこの地の地下に潜んで闘おうっていうんだから尋常じゃない。

ツアーの締めは戦時中に主食だったという蒸したキャッサバ芋の試食。
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ジャガイモより粘り気があって繊維質ではあるが、サツマイモほどもったりしてないし、甘くもなく淡白な味。当時のヒトは無味のままで食べていたが、正直言ってうまいものではないので、観光客の我々は塩と砂糖とピーナッツの粉をつけて食べさせてもらう。地下のトンネルに暮らし、来る日も来る日もこの芋ばかり食べていたら数日で鬱になってしまうと思う。最先端の兵器に技術を駆使した米国相手に決して臆することなく独立を信じてアメリカという超巨像と戦い続けたベトナム人。ジャングルの中で知恵の限りを絞って狡猾にトンネルを掘り、原始的な罠を仕掛け、手製の粗末な武器を用いたゲリラ攻撃でアメリカ軍を退けた彼らの苦労や生き様が見えてきただけでなく、実際にこの蒸し暑いジャングルの中で、どこにあるか分からない罠におびえながら、どこにいるか分からない敵、地下トンネルをつたってどこからでも神出鬼没に現れる敵と戦わねばならなかった末端の米軍兵士の心理状況も身を持って味わうことができた。


料金:ツアー代金とは別に、入場料としてVND 90,000を徴収されました。

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