ジオラマで学ぶアユタヤ文化 アユタヤ歴史研究センター

旧タイ修好100周年の記念行事の一環として日本のODAにより1990年8月に設立されたアユタヤ歴史研究センター。アユタヤの歴史文化に関する国家レベルの研究機関としてリサーチ活動に精を出すだけでなく、昔の生活や文化を再現した模型や映像などを用いてアユタヤに関しての知識を広く一般に紹介しているらしい。日本で言うところの江戸東京博物館のようなものであろう。廃墟や寺院の陰に隠れたアユタヤの地味観光スポットだ。

WP_20131218_192
流石に公的資金で造営されてるだけあって建物は非常にモダンで高級感あふれる。お堀まで掘っちゃって。内部の展示は『王都としてのアユタヤ』『港湾都市としてのアユタヤ』『政治権力と当時の中心としてのアユタヤ』『昔のタイの村人の生活』『アユタヤと諸外国の関係』という5つのテーマに分かれている。一般的な博物館の展示とは一線を画した構成となっていて、単に歴史的に貴重で高貴な見ごたえのある展示物をズラリと並べるのではなく、史実に基づいてアユタヤ王朝時代の構造物や人々の活動の様子を表した模型が解説と共に揃えられている。仏像や骨董品を眺めて『ふ~ん』となるのではなく、より具体的なイメージを持ってアユタヤ王朝時代の文化や人々の生活ぶりを知ってもらいたい考えからこういった展示内容になったのだろう。

WP_20131218_196
例えば、こちらのジオラマなんかは当時のアユタヤで文化的に重要であった子供の剃髪の一幕を表している。一般的に女子は11歳、男子は13歳の時に剃髪の儀式が行われていたらしい。儀式の前日に主催者は僧を家に招いて経を読んでもらい、一晩中お祝いの宴を持ったそうだ。朝になると子供に白いに布を着用させ、仏教僧またはバラモン僧によって剃髪されたそうだ。

WP_20131218_198
こちらは妊産婦の苦しむ姿が嫌にリアルな出産のご様子。乳児死亡率が恐ろしく高かったそうだが、これは新生児にとりつく悪霊の仕業と考えられていたので、生後1か月の間は魔除けのお祓いをしていたそうだ。剃髪にお祓いに、僧は引っ張りだこ。

WP_20131218_204
続いては寺での教育の様子。僧はここでも大活躍なようで、子供の教育まで僧が担っていた。勉強初日にはワイクルーと呼ばれる師に感謝の意を表す為の儀式を子供たちにさせて、花と線香、蝋燭、キンマの葉に包んだビンロウジの実を供えたそうだ。

WP_20131218_207
結婚式の様子。当然、こちらでも僧の皆さまは大車輪のご活躍。

WP_20131218_210
こちらは伝統的な高床式家屋。

WP_20131218_218
この世に生まれ来る者あれば去り逝く命もあり。埋葬の儀式は遺体を水で清める事から始まる。遺体を棺に納め、僧侶が遺体の前で少なくとも3日の間、お経を唱えてもらう。その後、寺の敷地や村の外の森でバナナの葉などで美しく飾り付けた薪の上に遺体を置き、僧がお経を読む中で死者の親族が火をつける。火葬は一晩以上の時間が費やされるのが常で、火が絶えた後は親族が遺骨と遺灰を回収して埋葬もしくは安置したそうだ。

WP_20131218_221

WP_20131218_226
独特のタッチで描かれたこちらの絵画はマサッカル人の叛乱の絵。17世紀初頭よりアユタヤ王は欧州の商人と対抗し、ムスリム貴族の支持を得てアユタヤとインド東岸の港湾都市との貿易を促進しようとした。しかし、アユタヤの宰相の地位まで上り詰めたギリシャ人・コンスタンティン・フォールコンの影響力が増大するに従って、それらムスリム貴族たちの勢力は放逐されるようになり、マカッサル人の叛乱が発生したそうだ。

こんな感じで、遺跡巡りだけでは知り得ないような当時の文化や人々の生活ぶりがよく分かる展示物が揃っている。昔のタイ人の生活は質素で、お産から教育、結婚、葬式と、生まれてから死ぬまで宗教が深い関わりを持っていたことがよく分かる。タイ人の僧侶に対する高い尊崇の念は、過去からの伝統が受け継がれてのものなのだ。

【営業時間】09:00-17:00
【入館料】大人100バーツ、子供50バーツ

報告する

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。