軍事歴史博物館(最強ベトナム軍万歳博物館)

太古から中国やモンゴルにいじめられ、やがてフランスに植民地化されるも独立宣言したと思ったら、今度は国土は南北に二分されてベトナム戦争へ…今日に至るまでに中国、モンゴル、フランス、アメリカという大帝国の軍隊を跳ね返してきたベトナム人。サイゴンが陥落し、南北ヴェトナム統一の為の戦いが終結したのが1975年のこと。それから早38年の時間が経ち、首都ハノイや商都ホーチミン市には表面的には戦争の傷跡は残っていない。しかし、戦争の経験者は悲惨な時期を忘れずに、再び戦争のような惨事繰り返してはならないとの思いからだろう、大都市には戦争の惨さを現代に伝える博物館が建てられています。その中の一つがハノイにある軍事歴史博物館。大量の資料や物品を展示することによって語られる歴史に触れることで、今日のベトナム社会主義共和国に至るまでにどれほどの悲しい犠牲があったかを知ることができます。(と思ったのですが、どちらかというと『ベトナム軍最強!!』といった内容の展示のされ方の方が目についたような…)社会主義国だけあって悲しい過去の歴史も国威発揚に繋げたい思惑があるのだろう。

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ベトナム人民の友・レーニンを記念した公園の目の前に建つ軍事歴史博物館。建物はフランス軍兵舎として使われていた施設を改修したものが利用されているそうです。しつこいバイクタクシーのドライバーを振り切って博物館内へと突入。

ひだり みぎ

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米軍戦闘機14機を撃墜して今やベトナム国宝にも指定されているソビエト製のミグ21戦闘機を始め、仏軍機・米軍機を撃ち落とした誉れ高き軍機の数々が誇らしげに展示されています。軍事マニアの方々にとっては垂涎の博物館になりそうだ。

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戦闘機はもちろん国産のものではなく、多くはロシア製だったようです。

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こちらは撃ち落とされた仏軍・米軍機の残骸の山。1945年~54年の9年間に435の仏軍戦闘機を墜落・破壊せしめたそうだ。独立戦争国で活躍した戦闘機や軍人は誇りなのだろうが、撃墜された敵軍機をこのような形でディスプレイするのは余り良い趣味とは…星条旗のワッペンをリュックに縫い付けたアメリカ人と思しき若者がしかめっ面で腕を組みながら残骸を見つめる姿が凄く印象的だった。我こそがナンバーワン!!的な人間の多いアメリカ人が米国に対して屈辱的な展示物が陳列されているベトナム戦争関連の施設に来て何を思うのだろうか。

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1946年12月19日~1947年2月17日の約60日間のハノイ市でのベトナム独立同盟とフランス軍との攻防。ベトミン人兵士が手にしているのは棒状の対戦車兵器。

館内も刺激の強い展示物がズラリと並んでいるようで、一階にはベトナムが生んだ名将達の勇ましい像が並び、二階では1945年の独立宣言から仏軍に勝利したディエンビエンフーの戦いまでの様子が地図やパネル、模型や写真、実際に使われた武器・兵器や兵士たちの遺品などを用いて解説されている他、ディエンビエンフーの戦いの記録フィルムが映写されたりもしていて臨場感を演出しています。館内にはベトナム人のお子さん方も多くいらっしゃいましたが、戦いを終えて激しく毀損した戦闘機や犠牲者の写真など生々しい展示物を見るたびに、自国の悲しい歴史や戦い続けてきたベトナム人としてのプライドを語り継いで行くのでしょう。

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13世紀の蒙古軍侵攻時に編み出された川底に仕掛けて敵船の甲板に穴をあける杭(左)と落とし穴+針山のコンビネーション。雲南を占領したモンゴル軍、1257年から更なる南下を図ってベトナム侵攻を開始。南宋を支配下に置いたモンゴルから服属せよとの要求を受けるも拒否。結果として1282~88年、蒙古軍による本格的な侵攻を受けるが、名将チャン・フン・ダオらの活躍で、世界を席巻していた蒙古軍の撃退に成功する。この防衛戦で使われたのが川底に仕掛けた杭で、杭を仕掛けた先に蒙古軍をおびき寄せ、潮が引いて水位が下がった時に蒙古軍の大型船の底を杭がぶち抜いてしまうという潮の満ち引きを利用した罠だったらしい。

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プロパガンダポスターに米兵が撃墜された時に備えて携帯していた枝折。『I am a citizen of the United States of America. I do not speak your language. Misfortune forces me to seek your assistance in obtaining food, shelter, and protection. Please take me to someone who will provide for my safety and see that I am returned to my people. My government will reward you.』この文章が13ヵ国語で書かれている。

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1975年4月30日、南ベトナム政府大統領官邸に突入した南ベトナム解放民族戦線のT54B型戦車。こちらもミグ戦闘機と並んで30あるベトナム国宝の中の一つとのことだ。

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血染めとなった軍旗。今日のベトナムは国の為に命を捧げた無数の無名兵士の屍の上にあります。

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こちらは本土ゲリラ戦の象徴ともなっているクチでの戦い。全長200Kmにも渡る地下道を掘って抗米戦を繰り広げました。発想も凄いし、実際にこんなにも巨大なトンネルシステムを築いて戦闘を繰り広げる精神力も並大抵ではない。

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もともと、クチのトンネルは村と村の連絡手段やフランス軍の爆撃を避けるための防空壕としてフランスと戦争中の1940年代後半に始まり25年の期間にわたって建設されたそうだ。拠点をつなぎ、米軍基地の真下にも建設されていた秘密のトンネルは、ベトコンゲリラにとっての要塞と言うだけでなく、一般市民の社会生活の中心でもあった。信じ難いが、トンネルの中には、学校や、カップルが結婚式を挙げるような公共の場所、歌やダンス、伝統的な物語を演じる劇場なるものまで設けられたそうだ。伝説の地底王国・アガルタかよ。とは言え、流石に狭いトンネル内での暮らしは相当に厳しいものだったようで、空気や、水、食べ物が不足し、アリや毒ムカデ、サソリや蜘蛛といった害虫も蔓延っていたらしい。本土を蹂躙されながらも最後まで戦い抜き、最後にはアメリカ人を撤退させたベトナム人、天晴!……と言わせたくなるような展示物ばかりが並べられている。

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一通りの展示物を見て回り、庭に戻ってくると、軍機が並ぶ庭でも一際目立つレンガ造りの八角柱が目に入る。1812年に宮殿の監視塔として建設されたこの高さは33メートルの塔がベトナムの国旗掲揚塔らしい。。インドシナ戦争末期のディエンビエンフーの戦いでフランス要塞を攻略、1954年10月10日にベトナム軍が首都の解放に成功し、国旗掲揚塔に当時のベトナム民主共和国の勝利の証である金星紅旗が掲げらた。そう、国旗掲揚塔はベトナムの独立・自由・幸福と新たな歴史の幕開の象徴なのである…そう考えると鳥肌が立ってきます。確かにインドネシアのモナスのような高級感は無いが、積み重ねた歴史の重みが滲み出ている。

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塔の上には物見台があり、頂上まで登ってハノイ市内を見渡せる造りになっています。重々しい博物館内の展示内容と裏腹に、外は天気が良く清々しい。続いて次の目的地へ行こうかと外に出ると…『Hey my friend!』とさっきのバイタクドライバーがすっごい笑顔で声をかけてくるではないか!!ずっと私が出てくるのを待っていたようだ…しつこいな~。

ベトナム軍事歴史博物館
住所: 08 Dien Bien Phu, Ba Dinh District
電話: 04-3823-4246
時間: 08:00-11:30/ 13:00-16:30
定休日: 無休
料金: VND 20,000 (約80円)

 

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