ホアロー収容所~ホテル・ヒルトンのお・も・て・な・し!?~

ハノイ駅を後にし、徒歩ですぐ近くにある歴史遺産であるホアロー収容所(監獄)博物館に向かった。

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ハノイタワーズという高級高層マンションの真ん前に建つ黄色い建物がホアロー収容所博物館だ。メゾン セントレールという日本のマンションのような名前がついている。

この収容所は、フランス統治時代の19世紀末(1896年)に、政治犯として扱われたフランス統治への反乱分子の収容施設として建設され、ベトナム戦争時には撃墜され捕虜になった米軍パイロットの拘置所として利用された。日本への焦土化作戦を敢行したカーチス・エマーソン・ルメイの野郎が「ベトナムを石器時代に戻す」と豪語したことはよく知られた話だが、実際にアメリカは1960年から75年の15年で最大時には50万人もの兵員を送り込み、北ベトナムに対して計16万回の出撃を行ったと言われている。ハノイにも1972年12月18日から29日にかけて大規模空襲を行う。計一千機の軍用機が動員、8万トンの爆弾が投下され、ハノイ市内の三分の一が破壊されて1300名もの人間が犠牲になっている。こんだけ派手な爆撃を行えば当然撃ち落とされる米軍機も数多く、(北側の発表では4千機の米軍機が撃墜された)戦闘機が撃墜されたということは、同時に多くの米軍パイロットたちが捕えられたということだ。当初は独立運動家たち政治犯が主に収容されていたが、次第に米軍パイロットたちで膨れ上がり、いつしか「ハノイヒルトン」と呼ばれるようになる。何と2008年のアメリカ大統領選挙で共和党の大統領候補となったジョン・マケインも5年半もの長期に渡り収容されていたらしい。

1993年、ベトナム政府が刑務所の南東部分を残してそれ以外の再開発を決定したことで刑務所の跡地にハノイ・タワーズが建ったが、残った一部は博物館として一般に開放されている。日本でいえば池袋東口のサンシャインシティ横に今も巣鴨プリズンが保存され一般開放されているという感覚であり、非常に違和感がある。

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高さは4m、厚さは0.5mの鮮やかな黄色の石壁で囲われた1キロ四方の敷地に最大で2000人以上が収容されていたという。建築当時はインドシナにおける刑務所の中でも最大規模の刑務所の一つだったそうだ。

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内部は重たく冷ややかな雰囲気が漂っている。当時の収容施設や処刑道具、拷問器具などがご丁寧にリアルな人形や画像なども配して説明されていて、ちょっと怖い。ハノイにやって来てる観光客御一行様はどちらに行かれているのだろうか、どうやら周りに観光客は一人もいる様子はなく貸切状態。邪魔が入らずゆっくり静かに見学することができたが、静けさが逆に薄気味悪かった。

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独房の中で足枷をはめられ横たわるアバラ骨が浮き出た収容者。
『刑務所内での規則違反者を収容するための刑罰房(独房)。ホアロー刑務所の刑罰房は特別に暗くて狭く“地獄の中の地獄”と恐れられていた。受刑者は別々に収監され、足枷をはめられ、その場で食事をし、用をたさねばならなかった。ここに収監された全ての受刑者は浮腫を起こし、目はかすみ、身体は光と新鮮な空気の不足で疥癬に覆われた(刑罰房横の説明文を参照)。』
極度の恐怖心からか瞳孔の開いた眼で正面を見据える囚人の表情が全てを物語っています。

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こちらは男と女の集団房。女性収容施設は270スクエアメーターの広さに4つの集団房から成っていた。最大で300名もの愛国的女性革命家が収容されていたそうだ。独房と比べれば集団の部屋はまだ人間性が残されていたからだろうか、収容者たちに目力があり、眼差しは鋭く敵意に満ちている印象を受ける。

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足枷というか、固定板に足首を通しているから少しも身動きが取れない状況にあったみたいだ。

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刑の執行に用いられたギロチンの実物や、政治犯処刑の様子を記録した写真パネル、看守の拷問を記録した絵画なども飾られており、館内には重苦しい空気が漂っている。こちらは実際に使われていた2台のギロチンのうちの1台…計5名がこちらの刑場で露と消えた。

この斬首台で処刑された死刑囚は刑執行の直前にこう言い放ったそうだ。
「国を奪われた我々と侵略者の貴様らと、生死を賭けた戦闘においては、我の如き犠牲は当然である。しかし、最後には必ず我々が勝利するだろう。」
囚人となった勇敢な志士達たちは自由のきかない獄舎に閉じ込められ、極悪非道な環境下に置かれても尊厳と高い意思を失わなかったそうだ。この国が植民地のくびきを抜け、現在の地位を掴むまでにいかに多くの無名革命家達の犠牲が払われたのだ。彼らはまさにこの場で拷問を受け、処刑もこの場で行われた、生き血を吸い込んだ重すぎる空間にいる自分。ちょっと身震いがする。周りを見渡すと誰もおらず、部屋は薄暗く、寒々として、重々しい雰囲気で、周りには誰もいなく嫌に静寂…せっかくゆっくり見学できる良い機会でしたが、余りに薄気味悪いので、早々に屋外へと逃走。

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獄舎を出て、中庭に抜けると、そこには故国の独立た為に命を賭して戦い、ここに斃れた囚人達が祀られているのだろう、熱心にお祈りを捧げる女性の姿があった。

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収容者は劣悪な環境下に置かれ、多い時には一月で40名もの犠牲者が出るという状況の中で、1945年3月11日~16日にかけて100名以上もの収容者が下水管を通って大脱走を図り成功する。ショーシャンクの空にの基になったスティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』もこの成功劇にインスパイヤーされたに違いない。

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続いて1951年12月24日にも地下下水道を通って16名の収容者が脱走。5人が脱走に成功して革命チームへと復帰をする。

ひだり みぎ
フランス植民地時代のベトナム人捕虜は惨い扱いをされていた一方で、アメリカ人捕虜たちの生活ぶりは楽しそう。チェスをしたりスポーツしたりギター弾いたりベトナムに関するフィルム(多分プロパガンダ的な奴)を見たりしているが、ハノイ・ヒルトンのお・も・て・な・しを受けてどれもすっごい笑顔。いや、どうせベトナム政府による『自分達は米兵に対して人道的でしたよアピール』なんだろうしヒルトンも米兵の皮肉なんだろうけど、それでも写真の中の男たちを見て判断する限り、強制的に楽しい捕虜ライフを見せるよう命令されているというよりは、心底楽しんでそうなんだよな…

因みに…ハノイ・ヒルトンと呼ばれているホアロー収容所だが、タクシーで向かう際にはハノイ・ヒルトンと言ってはいけない。ヒルトンホテルがハノイにオープンした為、100%の確率でヒルトンホテルに連れて行かれることになるだろう。

ホアロー収容所
住所: 1HOA LO, HOAN KIEM, HANOI
時間: 08:00~11:30、13:00~16:00
定休日:
料金: VND 20,000 (約80円)

 

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