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クメール文化の美の結晶・アンコールワット


本日はカンボジア旅行の鉄板コースであるアンコール遺跡群を回る予定だ。今日の夜のフライトでホーチミン市に移動して明日からの仕事に備えねばならぬ為、許された時間は半日しかないのが大変惜しいところ。

朝6時、トゥクトゥクドライバーとの約束の時間がやってきた。1000年前にクメール王国の黄金時代を戦ったクメール王たちの物語への扉をいざ開かん!!!と勇んでロビーに向かった私。しかし、、、、案の定といえば案の定なのだが、ロビーにはドライバーの野郎の姿は無い…まぁ遅刻に対すつ忍耐力は中国での生活で養われたとはいえ、ただでさえ一分一秒と無駄にできないタイトな日程なので、いきなりの時間のロスは痛すぎる。

くそっ、出鼻をくじかれた…ここは全ての事が予定通りに運ぶ日本ではないのだと自分に言い聞かせ、怒りを鎮静。ロビー横のレストランで朝食を摂ることに。ネットでホテルを予約した際にUS$5の追加料金を払って朝食付きにしていたのが幸いした。
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たかが5ドルというなかれ。首都プノンペンでさえ法定最低賃金がUS$61という国でのUS$5である。5ドルもあればビール片手に腹いっぱいの豪勢な料理が堪能できるのだ。それが、このホテルではフランスパン2切れとジャムにコーヒー…『え?これだけ?』と問い合わせると、冷えた目玉焼きが追加されたが、これならば外で食べた方がよっぽど良かった。

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無造作に置かれた晒し首の視線を感じながら質素な食事を摂っていると、ドライバーが悪びれもなく到着。朝早いのに、しかも遅刻してきたのに信じられないハイテンションで『OK牧場!Let’s hurry』とか言い放つ。急がにゃならんのは貴君のせいだし、何がOK牧場だよ。ベトナムのシクロ運転手にも言われたことがあるのだが、ガッツ石松は東南アジアで流行っているのだろうか。

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ひだり みぎ
シェムリアップの目抜き通りであるシヴァタ通りを一路北に進み、アンコール遺跡を目指す。パブストリートも昨夜の賑わいが夢だったかのように静まりかえっている。アンコール遺跡群はこのシヴァタ通りを中心地から北に6.5km程度と遠くもないのだが、150年前にフランス人博物学者のアンリ・ムオが発見するまでは密林の奥深くに眠り続け、その存在は一部の人間のみが知っていただけだったそうな。一番の有名どころであるアンコールワット以外にも、車で行くような郊外に遺跡が細々と散らばっていて、それらの遺跡もひっくるめてアンコール遺跡群として世界遺産に登録されている。因みに今回のアンコールワット+アンコールトム+タ・プローム+プラサット・クラヴァンを回る小回りルートのトゥクトゥクチャーター料金はUS$11だったが、全てを回る大回りルートだと一日がかりの探索となるのでUS$25とのことだ。後に知ることになるのだが、小回りルートで一日チャーターした場合の相場は大体US$10~US$15前後とのことである。


アンコール遺跡群の地図。青線が大回りルートである。小回りルートはアンコールトムの東口から抜けるコースを取る。山の中に打ち捨てられた廃墟であるベンメリアや、バンテアイ・スレイなど、大回りコースからも大きく外れた場所にも寺院が散らばっている。それにしてもタイのワットチェトゥポンとかワットサパーンヒン、ワットヤイチャイモンコンなどといった気の抜ける名前とは違い、バンテアイ・スレイなど、どこか新型ロボットの名前のようなクレバーな響きである。

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さて、けたたましいモーター音と吐き出されるおびただしい量の排気ガスと共に20分程走っただろうか。アンコール遺跡群の関所に到着した。チケットは一日券がUS$20、連続三日券がUS$40、連続7日券がUS$60。結構高い…壮大なアンコール遺跡群の観光を半日で切り上げる愚か者などいないのだろうが、小生のように仕事の合間に来ている弾丸ツアー客の為に半日券も用意してほしいところだ。

関所を越えるといよいよ眼前に密林が広がってくる。
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密林の中の一本道を突き進むとアンコールワットの環濠に突き当たった。最盛期にはインドシナ半島の大部分とマレー半島の一部まで領土としたこともある大帝国であるクメール王国の王・スーリヤバルマン2世により12世紀前半に建造されたアンコールワットの御堀である。スールヤヴァルマン2世の王権を神格化する為に3万人もの職人が動員され、30年以上もの月日をかけて建造された一大寺院で、東西1,500m、南北に1,300mの壮大な規模を誇る。ちょっとでかすぎ!何やら当時のクメール王たちは現人神として前王の城(寺)を上回る建築物を建てて自身の力量を誇示しなければならなかったとのことだが、こんな巨大寺院を立ててしまったら、これ以上の物を建てるなんて無理ゲーすぎる。スーリヤバルマン2世以降の王の苦労が偲ばれる。

尚もアンコールワットを右手に見ながら環濠脇きを走ると、ようやく熱帯雨林に威風堂々とたたずむアンコールワットの入り口に到着。ついに来たぜ世界遺産!ワールドヘリテージ!行ってよかった海外観光スポットランキング三年連続一位のアンコールワット!!
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入り口には多数のガイドが屯して獲物を狙っている。小生が入り口付近で写真を撮っていると、麦藁帽子をかぶった男が不意に何かを語り始め、1分程で喋り終わったかと思うと憮然とした表情で“ガイド料”を請求してきた。ガイドの押し売りか!面倒くさいので1ドル札を手渡して離れようとすると、『1ドルでは不十分』とかぬかしやがった。分給US$1で不満とかどんだけだよ。そもそも勝手に説明してきておいてふざけんなよ。隣に立つ男に1分間一方的に話していちゃんもんをつけて金をせがむなど、当たり屋も聞いて腰を抜かすほどの悪質な手口だ。アンコールワットの本堂ではガイドを頼もうと思っていたのに、いきなり気分が悪くなり、絶対にガイドはつけない方針に転換。

アンコールワットの構造。神々の世界へ通ずる参道を通って少しずつ中心に近づいていき、3つの回廊を進んだ最後の最後に一番重要な空間である中央祠堂に行きつく。祠堂は神との交信場 所であり、王がヒンドゥ教の神・ヴィシュヌと合体する儀式が行われていたそうだ。長い参道の一番奥に神殿の有る日本の神社建築と共通した建築手法にも似ている。


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御堀は無限に広がる大海原を、周囲の回廊は雄大なヒマラヤ連邦を、祠堂は世界の中心山で、神々が住むメール山(須弥山)を象徴しているとのことで、当時の人々は中央祠堂を構成する5基の尖塔が宇宙の中心を模した物だと考えていたそうな。

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御堀を越えた所にある西塔門。中央の一番高い塔門は別称“王の門”と言い、王様専用ゲートであった。左右の「像の門」は像や牛車の行列が通ったとされる。ここでは「Can I take a picture for you?」と言って近づいてくる現地の方が多くいたが、どうせ金をせがんでくるのだろうと思うと自然と彼らに対して拒否反応が起きてしまう。軽い人間不信、先ほどの経験が完全にトラウマになってしまった。好意で話しかけてきてくれているかもしれないのに申し訳ない。

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地上界と天上界を結ぶ一本道を通って前庭を抜け、西塔門を振り返る。

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そして、左右対称、きっちりとした均整美が素晴らしい7十字型テラスと大塔門をくぐると、ようやく第一回廊へと入ることができる。第一回廊では壁の砂岩に全長1.5Kmにも渡って鮮やかな浮き彫り群が続いていて、回廊を周ることで壮大な物語が書かれた歴史絵巻を読んでいるかのように楽しめる。

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第一回廊西面南側には古代インドの長編叙事詩マハーバーラタが、西面北側には同じくインドの叙事詩ラーマーヤナが緻密な浮彫で描かれていて、臨場感溢れる戦闘シーンが次々と繰り広げられている。第一回廊の浮彫は図像を平面に並べて空間が描かれているので、絵巻物のように読み進んでいくことにより一つの物語が完結する説話性をもっているのだ。ガイドが欲しい所だが、先ほどのトラウマが抜け切れない。

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こちらはマハーバーラタの戦闘場面を表したレリーフ。マハーバーラタとは王家同士の王位の座を巡って勃発した戦闘の物語で、従兄弟であった5人の王子が率いるパーンダヴァ軍とカウラヴァ軍の激戦の模様が描かれている。

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中央で馬車に跨り陣頭指揮を執るラーマ王子だけでなく、馬や兵器なども微細に描かれ、当時の様子が良く分かる。戦士の動き、疾走する軍馬は躍動感に溢れ、皆活き活きと戦っているように見うけられる。

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続いてこちらはヒンドゥー教の聖典でもあるラーマーヤナの一コマ。ラーマ王子は魔王ラーヴァナにより幽閉された妻シータ王妃を救う為に猿の王ハヌマーンと共にランカ島(現スリランカ)へ。そこでハヌマーンのサル軍と共に魔王ラーヴァナが率いる羅刹軍と激戦を繰り広げる様子が描かれている。魔王の手下の怪獣を片手で掴み、もう一方の手で別の怪獣を抑え込む勇猛なサル軍の将・ハヌマーン。その肩に乗って弓を射るのがラーマ王子。それに対し『獅子の頭を持つ馬』が曳く戦車の上で20の手に武器を握り奮闘する魔王ラーヴァナ、槍をかざしてサルの大群を迎え撃つ羅刹群…この戦闘シーンが壁面いっぱいに繰り広げられ、パノラマテレビで見る戦闘シーンのように凄まじい大迫力を楽しむことができる。

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南面東側には死後の世界を表した天国と地獄が描かれている。壁面が三段に分割され、上段から極楽界に昇った人々、閻魔大王と裁きを待つ人々、地獄に落ちた人々の様子が表されている。最上段では神輿に乗った王族が日傘や団扇を持つ従者をかかえて整然と行進する姿が、最下段の地獄では舌抜き、火責め、針責め、鞭打ちなどの責め苦を受ける人々の姿や、痩せ衰えた亡者が首に縄をかけられて数珠繋ぎになり地獄の獄吏にこん棒で追い立てられる姿、閻魔大王に減刑を懇願する生々しい人々の姿も描写されている。

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東面南側にはヒンドゥー教の天地創生神話で知られる乳海攪拌の逸話が50mにも渡って刻まれている。上の画像はヴィシュヌ神の化身である大亀の背に乗った大マンダラ山を、両サイドから神々と阿修羅が大蛇の胴体を網として引き合っている様子。綱引きをしながら海中をかき回すと言った攪拌が1000年も続いた結果、海は乳海となり、その中からアプサラやビシュヌ神の妻となるラクシュミーが産まれ、最後に不老不死の妙薬アムリタが得られたというカンボジアの創世神話の一面らしい。

続いて第二回廊への入り口となる十字回廊へ。
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ここには何と寛永九年に平戸藩藩士であった森本右近太夫一房という人によって書かれたと言う“落書き”が残っている。寛永九年とは鎖国令が出される3年前で、まだ御朱印船は盛んだったのだろう。波濤万里を越えて南シナ海からメコン川を遡り、トンレサップ湖から更にシェムリアップ川を遡行。それこそ命をかけた旅路の末に『祇園精舎』と信じて疑わなかった大寺院を眼前に捉えた時に日本の武士が感じた感動はどのようなものだったのだろうか。

「寛永九年正月初而此所来 生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房
御堂心為千里之海上渡 一念/之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為 其仏像四躰立奉者也」

現代語訳
「寛永九年正月初めてこの地にやってきた。生国は日本、肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房である。御堂を志し数千里の海上を渡り、一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清める為、ここに仏四体を奉るものなり。」

この森本さん、大変熱心な仏教徒であったとのことで、父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈念するためにカンボジアに渡ったそうだ。数年前に日本の短大生がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に落書きして日本の恥だと吊し上げられたが、落書きもここまで歴史があると感動的ですらある。

さて、森本さんの落書きがある十字回廊から更に15段ほど階段を登った先にあるのが東西115m、南北100mの大きさの第二回廊だ。いよいよ核心が近づいてきた。
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第二回廊の各所には16世紀以降に信者から貢納された仏像が安置されているのだが、これら奉納仏の多くはクメールルージュがカンボジア内戦時にアンコールワットを基地にした際に首を撥ねられて敷石にされたという。何とも物悲しい空気が流れている。

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一方、第2回廊の中庭に面した内壁では魅惑の微笑みをたたえる女神・デヴァターが集う妖艶で華やかな世界を見ることができる。頭部飾りの豪華さ、腰の飾りなどクメール美術の魅力を存分に引き出した立体的な彫刻は見事の一言だ。胸もやけに強調されていて美しい。これらデヴァターは一体一体の薄衣の模様や装飾品、顔の表情までが微妙に違っていて、見比べて歩いたり当時の女官の姿に思いを馳せつつお気に入りを探していると、あっという間に時間が過ぎていく。

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そして最後、天上界の第三回廊と中央祠堂は階段35段を登った先にある。第三回廊より先は神々の住む場所とされ一部の特別な人間しか入ることを許されず、中央の祠堂ではスールヤヴァルマン2世が自らを神格化する為に様々な儀式を行ったと言われている。金の冠をかぶり黄金の装身具を身に纏った王がバラモン僧による演出の中で薄暗い主塔の祭壇で祈りを捧げ、天から降臨したクメールの神々と交信して一体となる。祭儀を繰り返し行い現人神となることで王国の五穀豊穣と繁栄が約束されると考えられ、人々は安堵をし、安寧を得た。祭儀の図柄は想像するだけでも神秘的であり、幻想映画の一コマのようなシーンが想起される。

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この傾斜!なんと60度もの角度がある。この祠堂の下にはクメールの財宝が隠されているといった類の話も伝えられていたそうだが、1934年のフランス極東学院により行われた調査の結果、祠堂の真下の土台付近に井戸があり、死者への崇拝の為と見られる金製の円盤が安置されているだけだったらしい。空想の熱で膨れ上がった頭に現実という冷水をぶっかけられた気分である。

漸く神々の住まう空間の目の前に辿りついたのはいいが、本日は毎月4日ある仏教の日にあたるとのことで、これより先は開放されていなかった…嗚呼…代わりのお楽しみということだろうか、緑の孔雀コスプレをしたグループが演技をしていたのでカメラを向けると、撮影は1ドルだそうだ。拝金主義はここアンコールワットにまで波及しているのか。

今年の閉鎖日は下記の通り。アンコールワットに来られる際には閉鎖日を確認してから計画を立てた方が無難です。

・8月:06、14、21、29
・9月:04、12、19、27
・10月:04、12、19、27
・11月:02、10、17、25
・12月:02、10、17、25、31

単に巨大ではなく、芸術的であり、宗教的であり、創作的であり、深みのある香りが漂うアンコールワットを楽しんだ後はアンコールトムに向かいます。

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